Wein, Weib und Gesang

ワイン、女 そして歌、此れを愛しまない輩は、一生涯馬鹿者であり続ける。マルティン・ルター(1483-1546)

爪先走りで膝を立てる

2012-08-16 | 生活
日曜日に続いて、走った。寝起きから十分に時間が経っていたがもう一つ意気が上がらないので適当に誤魔化そうと思った。しかし踵をつけない走りを試してみたくてやってみた。そのアイデアは仲間の警察官から聞いたのだが、他の者に言わすと馬鹿らしいとなる。

なるほど短距離の場合ボルトでなくても踵を突いて一拍二拍と入れていたのでは早く走れない。しかし長距離や山登りとなると、脹脛が壊れそうで恐ろしくて今まで十分に試していなかった。そこでゆっくりで良いからいつもの短いコースを意識して走ってみた。

残念ながら途中で樵が重機を使って仕事をしていたのでする抜けるためにあるかなければいけなかったが、それでも上についたときにはいつもの時間よりも12分の一ほど早かった。

予想していたように足に来るよりも心肺系への負担が大きく、余程テムポを落とさないといつもの負荷まで落ちない。逆に足が壊れるようなことも無いので、負荷が駆けやすくなったのも事実である。実際にそれだけ早く走っているのである。

いつもと様子が違うのは膝の左右であって、そこに負担が掛かって丁度自転車を乗っている感じに近い。もう少し試してみたいが、少なくともそれまでの時間の壁はこれで完全に破れそうである。

樵を避けて森の中をゆっくり降りていくと、向こうから誰かが上がってくる。道を空けて挨拶すると、林道を爺さんと離しながら走っている小母さんであった様だ。短パンを履いて、日焼けしているが、五十代後半のようでいてもとても若い感じである。

密かにライヴァル視していた小母さんがその林の道を良いペースで走ってくるのをみて更に火をつけられた。なるほどジョギング慣れしていそうな者はそれだけの実力があるのは当然なのかもしれない。恐らく若いうちから絶えずスポーツをしてきた女性であるに違いない。

地元にはオリムピックのメダリスト選手を輩出するクラブもあるので、その程度のスポーツウーマンもいても不思議ではないのだが、そのレヴェルに少しでも近づこうと思えばもう少し上手に負荷を架けていかなければいけないことは確実である。

現実問題として、今シーズンのクライミングもある程度行き着く先は見えてきているので、来年度へ向けての底上げには膝力しかない。徐々に横腹や腹筋が鍛えられていても、膝から下や太ももが鍛えられていても、「膝が立たない」と、人に言わせると自身気がつかずに現在大分使っているらしい「踵上がりの体勢」が攻撃的に十分に使えないだろう。

古典的な岩登り教則では踵は下がっていなければならないのであるが、踵を上げて更に膝の伸びと屈伸を上手に使えれば登れる可能性が広がるだろう。来シーズンまでにはトレイルランニングシューズを新調しなければいけないので、心肺への負荷増と同時に一年ほどかけて膝も使えるようにしてみたい。

週末はとても暑いらしい。摂氏38度などとも聞くが、汗も掻かないぐらいに乾燥している中でなら大歓迎である。夜の冷え込みさえあれば嬉しい。良い酸のワインが期待出来る。



参照:
酸分解における貴腐とは 2012-07-24 | ワイン
秋へのスパートが楽しみ 2012-08-12 | アウトドーア・環境
時間を掛ける楽しみを踏破 2009-08-28 | アウトドーア・環境
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

廃炉に向けた響き合う文化

2012-08-15 | 文化一般
車中で面白い放送を聞いた。いつものSWR2の午後の小さなプログラムである。20XX年の話である。数年前に操業停止となったフィリップスブルクの水蒸気塔の中で大オーケストラコンサートが開かれたと言うのである。

操業停止から長い廃炉への道程が始まるのだが、その中でフィリップスブルク原子力発電所の水蒸気塔が「ラインシンフォニー」としてビブリスの加圧式のドームが「ラインゴールド」の大コンサート会場として使用されると言うのである。

意外なことにその音響は放射線でボロボロになったコンクリートの表面が素晴らしい反響を醸し出し、中世以前の教会の壁のような状態にあるので、世界でも有数の音響を保持する音楽堂となるのである。

更に大指揮者は、こうした特別な環境での音楽を語る。勿論、皆が心配しているように除染は済んでいるが、それでも通常の生活ではありえない放射線量は否めない。しかしそれが特別な意味を持つというのである。指揮者は、彼の第二次世界大戦下のベルリンでのフルトヴァングラー指揮の管弦楽団演奏会を例に出す。そうなのである、その緊縛した特別なある意味祝祭的な会でこそ聴衆も演奏者も一体となった響きあう空間なのである。

まさしくそこに芸術が、文化があるというのである。こんな夢物語ももはや描きようの無い福島、そこにはもはや文化もなにも無い。



参照:
20XX: Das AKW Philippsburg wird zum Konzerthaus "Rheinsinfonie" (ARD-Mediathek)
ベルリン、原子力の創世と終焉 2011-07-07 | 歴史・時事
漸く歩みだした廃炉への道 2011-09-03 | アウトドーア・環境
核政策へのレクイエム 2012-04-06 | アウトドーア・環境
コメント (8)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

市場が見え難い車Bクラス

2012-08-14 | 雑感
メルセデスのBクラスに初めて乗った。第一印象は乗り込みも楽でAクラスよりも好ましい。操舵感もよりきびきびしていて、なによりも遮音が効いていて静かである。

しかし走行のふわふわ感は共通していて、少しアルファロメオのようなはじける不安定感もある。日本などではドイツ車は癖があると言うようだが、まさしくこうした独特のカッロッセーリーならば通常のセダンタイプとは全く異なる操作バランスになっているのは仕方ない。それだけ個性的なつくりということだろう。

嘗ては重厚長大な大型の現行で呼ばれているSクラスの重々しさ感からの癖が言われていたが、現在も高速長距離を走るためのセダンは最新のドイツ車でも同じような造りになっていてあまり変らないが、それでもどうしても軽薄短小への傾向は免れない。

定時のラジオニュースが伝えるように連邦共和国は、中国に一度は抜かれた世界最大の輸出国の座を取り戻したようである。矢張り良いものを高く売る限りは、あまり経済の好不景気に影響されずに、必要なものは売れると言う事でしかないだろう。

世界最大の高級車市場である中国では一千万円以上する高級車の購買層が、欧州のそれより十歳ほど若く、35歳平均ぐらいらしい。そうした成金者はドイツ車など欧州テイストの高級志向で、あまり景気には左右されないらしい。

その座談会番組では、自動車産業の将来について語られていたが、中華製のアップル社の電気自動車が市場を席捲しても、BMWのEシリーズは売れるに違いないと言うのである。

さて、Bクラスでアウトバーンでアクセルを踏み込んでみた。先ずはハンドリングが軽すぎて、鼻先が短いのでカロッセーリー自体の直進安定性が悪い。トヨタのレクサスにも似ている。更にマヌュアルなので片手でギアーチェンジをしながら飛ばすと手元が安定しなくて怖くて仕方が無い。精々巡航速度時速160KMまでぐらいの車である。やはりBMWのカロッセーリーの技術とは大分劣る。

それでも市場をある程度占める可能性があるのだろうが、上級のクラスと比較すると市場競争力はあまり無いに違いない。ご近所の人もEクラスからBクラスに乗り換えているが、長距離を走ったりすると大分乗り難いに違いない。乗り易いと言うのはエンジンの重さとカロッセーリーとのバランスに違いないが、やはりエンジン周りに綺麗に重心が集まって、前輪の同軸に乗るような形で無いと安定しないのだろう。

フランス車などと比べても高速安定性の無いメルセデスがあるのも驚きではあるが、その使い方などにもよるのかもしれない。しかし近所への子供の送り迎えや課スーパーへの買い物などを考えると明らかにほかの車種もあるだろうから、その目標とする市場が見え難い車である。



参照:
空気バネの車が欲しくなるとき 2011-01-24 | テクニック
安定と静粛の乗り比べ 2008-05-09 | 雑感
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

素っ裸のハイキングに思う

2012-08-13 | アウトドーア・環境
途中から聞いた宗教の時間に続くような日曜の朝の番組でハイキングの話が出ていた。ドイツのハイキング協会の事務長が質問に答えていた。道路の整備や環境問題や最近の傾向や商業主義との間での話しなどに続いて、FKKハイキングが話題として出された。

アナウンサーによるとスイスなどでは大きなグループが真っ裸で森の中を彷徨う運動が流行ってきているというのである。事務長はドイツでは大きな運動とはなっていなく、小さなセクションの中での話ならば分らないと答える。

なるほど生まれたままの格好で歩き回るのは自然へ帰れの開放的な活動に思えるが、人類の歴史の中で本当の裸族は限られて、寧ろそれは可也文化的な部族であることの方が多いように思われる。

そのように考察していくと上のような運動が如何にイデオロギーに満ちた自然回帰であって、歴史文化的な視点を全く無視しているかが知れるのではないだろうか。原子力発電を止めるとまるで文明が無くなるように感じる人たちと全く同じ程度である。

結局、ロンドンで行われていたそうなオロムピックの中継を殆ど観ることは無かった。つまらない商業化された似非祭典を、更にTV中継と呼ばれる無駄な洗脳プログラムで時間を無駄にすることも無くて、とてもよかったと清々しい気分である。

オリムピックでTV受信機が売れて、そこから瞬間の電気消費量が増えることに寄与せず、無駄なエネルギーを使わないシムプルでさわやかな夏を送れたことを感謝している。時代の軸はもはや回転してしまっている。

日曜日に、二週間前に東京から帰って来たBASFの女性社員が昨年の六月には出張で出向いていたと話していた。ルフトハンザが再び成田に乗り入れた直後のことだろう。なるほど放射線量は在京大使が語った通りミュンヘンよりは少なかったかもしれないが、今後も食事が怖いと話しておいた。それを金を出してまで食するばからしさを話したのだが、「直ちに健康に影響の出来ない」内部被曝の恐ろしさに気がつかさせて一寸怖がらせてしまった。



参照:
知的批判無くては何も無し 2010-07-02 | マスメディア批評
出もの腫れもの処嫌わず 2009-06-13 | 文学・思想
秋へのスパートが楽しみ 2012-08-12 | アウトドーア・環境
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

秋へのスパートが楽しみ

2012-08-12 | アウトドーア・環境
先週の金曜日に石切り場に行ってその後丸一週間お休みした。昨年の秋から殆ど毎週複数回行っているので年末年始以来だろうか。お陰で腕の少し良くなり、天候も気温が二十度前半へと落ちてきたので大分コンディションが回復してきている。

初参加者も含めて人数が多かったので月例のクラシックルート登攀は昨年も行った小さな岩場でトップロープを交えて行われた。眼鏡のマイスターが今年は冬から熱が入っていて、それでもロープをリードして登る。最後に挑戦したルートは昨年登ったところなので個人的には矢張リードするつもりでいたが、先ずはマイスターが移動式の支点を設置してくれた。そのためか途中で力尽きて、自ら設置した楔にぶら下がって降りてきた。

そのお陰で彼の設置した楔類を使わせて貰った。気持ちよく素早く登らせて貰えた。二週間前に東京に飛んだというBASFの管理の若い女性社員にその後を登って貰うので夏以降初めていつもよりは身体の切れよくこなせた。やはり相棒の医者の言うようにホルモンの影響だろうか。今後は石切り場でも一緒にやりたいと言うのだ。どうも、相棒の医者好みのプロポーションと栗色系髪のタイプなので、これまたなにかとやかましくなるなと心配しているが、相棒には出来るだけホルモン放射で動機付けさせたいところである。

さて眼鏡マイスターの方はなるほどその前に比較的難しいところをこなしていて、それまでに力が尽きてしまっていることも否めない。しかし、彼の設置した楔類を見るといかにも立てる場所から高すぎるところにあり、一歩その場所に近づきすぎている気配が強い。あれだけ近づいて力を入れっぱなしで設置作業をしていたならば力尽きるのは当然である。登る以上に摂津するほうの仕事量は多いことは儘あるのだが、矢張りあれも経験だろうか。兎に角懸垂下降した支点の楔は女性社員でなくとも回収は不可能だった。完全に砂岩に食い込んでいて、外すにはハンマーのピックが必要だった。

そういえば自分が設置したほかの場所のフレンズも外れにくくて、登りなおして回収したが、そこでは回収フックの先で外してやることが出来た。どうも安物のシングル軸のものが回収不能に陥りやすい。その意味から最も高価なオメガの製品が回収不能になることは可也ある筈だ。

朝10時から夕方まで良く登った。一番興味深かったのはオヴァーハング越のルートで、大きな手掛かりが使えるので6級マイナスであるが乗り越えた後の場所で力が入らないと極端に難しく感じる。このあたりは冬の室内で練習できるので来年には解決できるだろう。夜が明けてパン屋によってから走り出したが、身体があまり言うことを聞かない。軽く汗を流すにとどまる。これから秋へのスパートがこれで楽しみになってきた。



参照:
些か夏バテ状態での練習 2012-08-02 | アウトドーア・環境
泣きべそで「この豚!」 2012-07-09 | アウトドーア・環境
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ロビーや市民感情を乗り越えて

2012-08-11 | 文化一般
水曜日の一日スイス旅行では先ずチューリッヒを目指した。最近は素通りすることが多く、一時は毎日通ったり、年間合わせて何週間も過ごしたことや夕食後に帰宅したり、夜中にワイン街道に帰ってきてナタリーの店で夜食をたらふく食べたことも昔話になりつつある。

そのような活力があった反面、肥満から小水に糖が出るような様子になってきたのもあの時期であり、ある意味中年期の始まりであり、あのまま進行していたら間違いなく今頃入院していたに違いない。

さて約束の友人の新住居に着いたのは午前中であったが、ナヴィゲーションのソフトが無いために30分ほどは市内を走り回った。大分土地勘はあっても新住所の道路を見つけるのに時間が掛かった。

現在世界的に騒がれている著作権などがネットでの無料配信の関連で話題となった。日本で話題となったキックスターターズのクロウドでオープンソースについて触れた。もちろんこれは著作権フリーであって、制作費は演奏家の宣伝費用と見れば全く通常の出来事で、現在問題となっているようなこととは関係が無いのだが、それなりの経済が動いていると言うことでは重要であろう。

新聞のメディア欄で緑の党の代議士が、著作権協会GEMAのやり方について大きな記事を書いているが、強制的な徴収方法がダンスクラブなどに与える影響が大きくて、その店の広さによって最低料金22ユーロから220ユーロが入場料の三割として徴収されて、更に八時間を越える催し物では更に加算されるとなると、ダンスクラブの営業自体が成り立たないと言う。

もちろんこうした催し物は音楽が無ければ成り立たないので、それ相応の利益分配を行うのは当然のことだとしても、ネットでのYOUTUBEなどに対する場合とはあまりに状況が違い過ぎると言うのだ。つまり、資金のある大企業は、スタンフォードやハーヴァードなどの研究室に多額の寄付をして、著作権への懐疑を示す法律家の論陣を張って、一方的な徴収体制に対しても十分に対応できるだけの強い主張が出来るというのである。GEMAに言わせるとこうした権力には歯が立たないと言うのである。

海賊党の躍進によって、連王共和国においても国民的な政治課題となったが、要はインターネットの問題でもあり世界共通の政治課題でもある。その中で、資金にものを言わせてのロビー活動などではなく、一般市民としての声と、そうした一方的な市民感情を乗り越えてのありうるべき解決法を議論の中から止揚していく社会的な合意が必要であることには断るまでも無い。だから如何に合意形成をなしていくかに民主主義的な社会の成熟が試されていることは言うまでもないのである。



参照:
労働に対する適正な報酬 2012-06-03 | 文化一般
著作権権益を護る密告 2012-08-07 | 文化一般
アドルノ先生とすべき議論 2012-05-12 | マスメディア批評
看板娘ナタリーの思い出 2004-11-21 | 女
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

手術台に射しかかる松蔭

2012-08-10 | 雑感
最近の国内の話題では臓器移植のスキャンダルが最も興味深い。実際が明らかにされればされるほど、如何に一般市民は医療の背後について無頓着であったかが思い知らされる。

移植の数が可也の量に上っていて、ドナーと患者数の不均衡ぐらいは周知の事実であったが、今回のスキャンダルの発端のように順番抜きで優先順位を上げようとする移植医の力関係などは考えてもみなかった。

自身の患者へと優先して臓器を入手しようとする感覚は、医師の患者との関係や自らの実績移植数争うなかで、考えてみれば当然の行いであるが、そうした明白な状況がなぜシステムとして公正な審査機構として十分に配慮されていなかったかが合点がいかない。

これは医療以前の社会的な規約や法的な検討の問題であるから、実際には医療問題では無いように思われるが、これが連邦共和国でのこととなると矢張りスキャンダルなのだ。どこかの国と違って知識層や文化人と呼ばれる層が比較的充実していて、高学歴化と反比例して希薄化が憂慮されているとは言いながら社会のエリート層が存在する国でということである。

その背後には伝統的に医療独自の聖域が存在するのかもしれない。まさに白い巨塔がドイツにも存在するということになる。特に大学自体が国立であり、高度な医療を行っている病院は公的な機関であるとどうしてもそこにアンタッチャブルな機構が生じるのだろう。

今後は、そうした臓器提供の機関と医療機関の金銭の授受など、一般市民どころか専門外医療関係者があまり知らない裏側も明らかにされて議論の対象となっていく。こうした複雑な機構が存在すればするほど、その枝葉の下に影が出来上がり、一般社会から隠される小さな闇が膨らんでいく。

闇の存在は、議論されない暗黒を生じさせるだけなので、出来る限り簡素化された社会機構が望ましいことには違いない。しかし、簡素化にも限界があるので、最も人間社会に有効に働くと考えられている市場の力学をそこに利用するのであるが、市場の機構の限界も一方において十分に知られている。



参照:
首に綱をつけてエスコート 2005-02-27 | 生活
医療現場の芸術の素材感 2010-06-16 | アウトドーア・環境
財政再建無ければ未来も無い 2011-01-13 | 歴史・時事
近所のアポロンとディオニソス 2010-07-25 | マスメディア批評
死期を先に延ばす荒治療 2010-06-18 | 雑感
更衣室で呟く前大統領 2008-11-24 | 生活
カローンが水脈引き行く 2007-04-28 | マスメディア批評
微睡の楽園の響き 2005-02-22 | 文学・思想
克服すべき倫理と回答 2007-06-12 | 数学・自然科学
怠け者は旨い汁を吸わない 2009-08-29 | マスメディア批評
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

草臥れ果てた一日の成果

2012-08-09 | 生活
走行距離計は千キロにも満たない、しかし十九時間打っ続け行動に疲れた。嘗ては、千キロ超えで、もう少し長い時間旅行し続けたことを考えると、スポーツ的な体力とは異なるところで矢張り若くないのだろうか。

兎に角、車中で眠気に襲われて、車を止めて休憩するにも、アウトバーンの工事勝ちの道では中々上手くいかない。眠気に襲われる時点の走行スピードが落ちているのは助かるのだが、結局早めにフランスとの国境を越えてアルザス側を走行した。

夜中一時過ぎとなると交通量は何処も少なくなるが、それでも休憩場所のない高速道路は急に眠気に襲われると厳しい。視野が狭まっていって、道の上下関係や環境が分らなくなるととても危ない。窓を開けて冷たい空気を入れても、フィッシャーマンフレンズを口中に掘り込んで刺激を加えても、叫んでも厳しくなるのだ。

帰宅前の最後のアウトバーンの休憩所で車を止めて、椅子をリクライニングした。暫く気を失ったと思って、数分経っただろうか、大分楽になった。なんとか無事に帰宅して、シャワーを浴びて、急いでヌードルを食した。とてもそれ以上起きていられなかった。

一日遠足の最大の収穫は、写真にあるエンゲルホルン山群の視察であった。殆ど滞在時間がなかったが、谷のベースまで車を走らせた。チューリッヒから三時間ほど掛かったが、今まで這入ったことのないスイスの小さな谷筋で、グリンデルヴァルトのグローセシャイデックからの道が続いている場所で、ポストバスがプヘープヘーと警笛を鳴らしながらブラインドカーブを曲がっていく。

最近の資料は手元に無かったのだが、クラシックな英国人が開いた地方のようで、その後はベルンの大学生アルパインクラヴが開拓して行ったようだ。そのような関係で槙有恒や秩父宮がここでアルプスを体験しているのだろう。そして、それゆえか誰かが注文したのか手元にあるガイドブックは1974年刊を丸善の籠セールで買ったもののようだ。3200円で一体誰が買うのだろう?当時のどこかの大学の物好きの山岳部が注文したのか?

クラシックなルートで大きな壁は無いのだが、何よりも頂上まで登りつくのだけでも満足感がありそうで、よく似たアルゴイの岩壁に比べると達成感や爽快感は大きいに違いない。こちらからの距離は四十キロほど長くて、時間も一時間ほど長く掛かる。それだけの価値があるかどうかはなんともいえないが、近くのグリムゼル谷の花崗岩壁などを合わせてどうかという感じであろうか。先ずは試登をしてみなければいけないだろう。



参照:
永いフィットネスの精華 2009-07-17 | 生活
パイプを燻らすパイオニアー 2010-10-04 | アウトドーア・環境
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

新しいザイルを紐解いて

2012-08-08 | 雑感
新しいザイルを紐解いて、古いザイルを事故後始めて巻き直した。切れた位置はそのもの八の字結びのふくらみで、身体と岩の間に挟まって傷ついた場所であることを改めて確認する。

更に傷みを観察すると、その切れた場所から丁度4m先に融けたよう傷みを見つけた。明らかに最後の支点でザイルが折り曲がっていた場所である。カラビナ二枚重ねたで転向点である。

計算上ベクトル量として100%の4m先の落下物の反対側には約70%の荷重が働いたと計算した場所である。その傷は、下に引かれるザイルを止めようとする摩擦の大きさを表わしていて、30%分の加重が摩擦熱として働いている。傷みの長さは6cm弱であるから、摩擦係数を確認すれば、伸び率を加味して、新たな計算が可能になりそうである。

それ以前に、最後のハーケンから4m下にぶら下がったことがこれで確認できて、落下の高さも6mを若干超えていた可能性も分った反面、可也正確な計算が出来ていることを改めて確認した。

そこから全体の当時使用ザイルの長さも10m少々であったことも確認できる。やはり、6mを超える落下であったと思うと、可也のものであったのを今更ながら思う。

新しいザイルは表面がまだまだ硬い印象で、古いザイル柔らかなシナシナ感とは大分異なる。染める色によってザイルの表面の肌触りなどの特性が変わる可能性は十分にありえる。

ザイルサックと合わせた重量は明らかに新しいザイルの方が軽い。ザイル自身もなんとなく軽く感じるのは気のせいだろうか?染料の重さによって異なることはあるかもしれない。予想通り中間の黒色のマーキングは良く目立つが硬くなっている感じがするのは染料の影響だろう。

金曜日の石切り場の帰りに右のV字路から出てくる車とかち合わせした。勿論先方が優先なのだが、道幅が狭くてこちら側に入ってこられない。そこで譲り合うとなって顔を見ると、なんとクライミングのライバルのミヒャエルであった。先方は譲るそぶりをして初めてこちらの顔を認知した。石切り場に練習しに行くところだったのだろうか?それにしては上の道から出てくるのが不思議であった。登りを省略しようとしたのだろうか?次のお手合わせの機会がとても楽しみである。



参照:
ハイエンドザイルの実力と価値 2012-08-01 | 雑感
暑さでのびそうになると 2012-07-27 | 暦
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

著作権権益を護る密告

2012-08-07 | 文化一般
バーベキューパーティーで面白い話を聞いた。季節外れであるが、ザンクトマルティンの日に提灯行列で「ラテールネ・ラテールネ」と歌われて親しまれている歌を子供たちに歌わせたところ、近所からの密告で著作権料の罰則金を徴収されたと言う話である。

その歌はここでも紹介した通り最も親しまれたメロディーであり、驚いたのだが、調べてみるとなるほど原曲はエラ・フィッツジェラルドが歌った「A-Tisket, A-Tasket」という歌で、その編曲な様だ。つまり編曲もGEMAに登録されていて、第二次著作権が徴収される。

思いがけずに著作権違反をしている典型的な例であろうが、絵画にても法外な価値付けにおいて抵抗があるように、楽曲や編曲においてもその経済的価値の上限を設定して、それ以上のものは期間内でも解除するべきではないだろうか?

まさしく海賊党が支持を集めているのはこうした社会的な背景があるには間違いない一方、知的創造物に対して相応の賃金が払われるのは当然であって、また同時に科学的な技術的・学問的な成果に対してはそもそもそれ以前の歴史的積み重ねや公共の支援が多大に含まれている事も忘れてはならない。

基本的には、ネットでの利用など、商業的な目的で無い限り、ある程度自由な利用は許されるべきであろう。尚且つ、経済的な権益を守ることも重要であることも間違いない。



参照:
子供提灯行列 2004-11-12 | 暦
労働に対する適正な報酬 2012-06-03 | 文化一般
アドルノ先生とすべき議論 2012-05-12 | マスメディア批評
海賊党が問題提議したもの 2012-04-22 | 文化一般
ビール一杯のお駄賃 2011-12-08 | 生活
情報の集約を阻止する運動 2011-10-30 | 文学・思想
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

緑の党京都のイヴェント

2012-08-06 | マスメディア批評
緑の党の京都でのイヴェント風景をIWJのサイトの中継録画で見た。興味深かったのは、中央の組織とは別に地方政党としての緑の党京都の存在と、それらを緩く繋ぐネットワークである。

なるほど地方からのボトムアップの政治結社としては矢張り地方議会や共同体にその土台を置くことは当然であり、様々な市民団体とのネットワークの上でも都合がよいのだろう。

イデオロギー以前にその組織が中央集権化されていないことだけでも、従来の革新政党との相違を明白にする。その基本には、様々な市民運動からのボトムアップとネットワークが欠かせないということがある。

ここが、所謂蛸壺社会からの脱皮が出来るかどうかの分水嶺であって、日本が68年紛争で敢行できなかった服装の自由化などの視覚的な瑣末な問題だけなくて、社会の本質的な変化となるに違いない。

その兆候は、シングルイシューだから実現していると言われる総理官邸前の抗議行動の党派性を超越したネットワークにも見られていて、その背後にはツィッターなどのネットの活用がある。

長谷川代表の発言で面白かったのは、従来の政治結社をオジサンたちの政治活動と呼んだところで、最初の集まりに呼ばれた部屋が霞んでいて、それがタバコの煙とは分らなかったと言うエピソードであろう。「タバコのオジサンたち」で68年世代を切ってしまうのはとても痛快で、先日のチバレイの昭和レトロ発言にも通じていて面白い。

いづれにしても、緑の運動から様々な示唆を受けることで、日本の文化が本来尊重してきたシムプルライフへと脱近代化を果たして、文化先進国としての地位を確立して欲しいものである。それが産業経済的な未来の安定と社会の繁栄に繋がるのは言うまでもない。中華主義や共産党独裁では決して完成しない社会なのであるから。

いつもの様にARDの取材が最もこうした動きを正しく伝える重要な情報源であるのはかわらないが、大阪の朝日放送が東京まで追いかけて取材をしていると言う。毎日放送ならば今までの経過で分るのだが、あれだけ関電の圧力に屈していた朝日放送が反原発の緑の運動を伝えているのはとても特筆すべきことである。FAZが伝えていたように、なるほど情報カルテルの日本のマスメディアも浮き足立ってきたのだろうか?



参照:
2012/08/03 京都で!日本で!緑の党オープニングイベント (IWJ Independent Web Journal)
昭和レトロの動員労働者 2012-07-19 | 歴史・時事
揺らぐ霞ヶ関と情報カルテル 2012-08-03 | マスメディア批評
「緑の党」結党と国会大包囲 2012-07-31 | マスメディア批評
涼しげな緑のライフスタイル 2012-07-29 | アウトドーア・環境
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

鍛錬可能な経験の積み重ね

2012-08-05 | アウトドーア・環境
今年は山の事故が頻発しているかのように思われる。モンブランでの大量遭難事故やその他のアルプスでの事故の報道、また地元の南プファルツ奇岩地方での事故の頻発、自らのそこには数えられない転落事故などとても身近であり、事故が多いと感じるのは皆同じである。

しかし、我々の協会である九十万人の会員数を誇る世界最大の山岳団体であるドイツ山岳協会は、「死傷者数は減少傾向にある」と昨年度の死亡者数は1952年の死亡者数43人を下回り、装備の改良などで減少傾向にあることを裏付ける。その一方、ヘリコプターなどで救助される数は増加の一方であると言う。

その内訳も、ハイキング中に足を捻ったとかで動けなくなたtりその60%を占めると心臓発作による事故や、所謂ワイヤーを使ったクレッターシュタイクと呼ばれるヴィア・フェラータでの事故が殆どなのである。特に後者は気軽に急峻な大岩壁を登れてしまえることから、一寸した転落でも大変なことになるのである。その意味から嘗ては広い層にアルプスでの登山を推進したこのジャンルはアルペン協会では若干お荷物になってきているのは事実である。

そして、寧ろ系統だった訓練の必要なクライミングやスキーツアー、本格的な高山登山では、経験が高いほど事故は減少して、経験が少ないほど事故率が高くなるというのである。その反対にハイキングにおいても十分な教育が必要だと考えている。

一週間ぶりに森に出かけたが、とても足が重かった。気温は摂氏22度ほどしかなかったのだが、夜明けに雨が降っていたこともあって、十分に空気が重い上に、脱水症状か足が動かない。結局最初の部分を歩いて、その後25分ほど駆けた。汗びしょびしょで、降りてきたときには脈も140ほどになっていた。それでも疲れが直ぐに消えるのは、二十年ほど前に比較して運動量が増えて負担が掛かり難くなってきているからであろうか。

金曜日には、小さな課題であったところを久しぶりに石切り場で試した。乾いた岩場はとてもよかったが、涼しいと思ったが一寸頑張ると直ぐに汗を掻いた。それでも残念ながらザイルの助けを借りないレッドポイントとはならなかったが、一度滑り落ちてからもう一度同じ方法で試みて、なんとか乗り越えることが出来た。滑ったときに左手の人差し指の付け根が捲れて丸く赤く血が出た。その話を聞いて、ある親爺はそれが本当のレッドポイントだと言った。



参照:
Weniger Unfälle am Berg, Stephanie Geiger, FAZ vom 3.8.2012
些か夏バテ状態での練習 2012-08-02 | アウトドーア・環境
乾燥して爽快な水曜の晩 2012-07-21 | 暦
盛夏らしい新聞のネタ 2012-07-26 | マスメディア批評
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

福島の蛸とか大阪の盛り上がり

2012-08-04 | マスメディア批評
福島の蛸の話が経済欄に出ている。明石の蛸しか知らないものにとっては福島のそれが柔らかくて築地で人気がある商品とは知らなかった。六月頃から調査漁が続けられていて、無検出を確認して初めて市場に出荷されたと言うことで、福島県の許可を得たものとされる。

漁の場所や蛸の生息などによって汚染の状況は変わるのだろうが、なによりも生物学的な半減期が短いようで、セシウムが直ぐに排出されるのがもっとも効いているようだ。他の放射線物質については分らないが、科学的真実としてとても興味深い。

そして築地市場では他所の蛸よりも三割高値で商いされたようで、平常時よりも割安のようで、外食産業向けに一挙に買い付けされたのだろう。実際に外食での客にとってみればセシウムであろうがプルトニウムであろうがそのような味の無いものよりも柔らかくて新鮮であれば高い金を喜んで払うに違いないからである。

しかし、個人客は違っていて、ここで紹介されている中山みゆきさんも「お宅の食卓に相馬の蛸が上りますが」と問われて、「さあね、一寸慎重になるわね」と答えるのであった。

県や国などが幾ら正式に安全だと言っても、まともな市民ならばもはや安全デマには誰も騙されない。

大阪での脱原発・再稼動反対のデモの様子がIWJで中継されている。徐々に底力が増してきているように思われるが、その規模などはどうだったのだろう?関西電力においては全く電気の安定供給とは異なるところでの再稼動と原子力発電への固執と必要性を訴えているわけであり、そもそも節電キャンペーン自体が市民への恫喝でしかなかったことが分っている ― たね撒きジャーナル廃止問題は話題となっているが、在阪の朝日放送などの番組内容に対する介入はもはや解体を市民は運動すべき卑劣な地域寡占企業である。

さらに大株主である京阪神の市が最終的に再稼動を容認した経過も興味深い。特に大阪市においてはその経営上の理由ゆえの再稼動を関電から聞き出しておきながら、「安定供給」ゆえの容認をしたという恥さらしな行政を前にして大人しくしている大阪市民の方が不可解ですらある。

そうした意味からは、ネット中継での関心度はあまりにも低いようであるが、その盛り上がりの行方は東京の官庁街のそれと同じぐらいに重要性を帯びてきているように思われる。それ以上に重要なものがあるとすれば福島市内での蜂起ぐらいしかないであろう。



参照:
Tintenfisch aus Fukushima, Carsten Germis, FAZ vom 3.8.2012
Es gibt wieder Tintenfisch, Carsten Germis, NZZ
外国人記者クラブ登録法 2012-07-20 | マスメディア批評
創造力豊かな無広告社会 2012-07-11 | マスメディア批評
核政策へのレクイエム 2012-04-06 | アウトドーア・環境
福島禍に見舞われたら 2012-03-28 | アウトドーア・環境
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

揺らぐ霞ヶ関と情報カルテル

2012-08-03 | マスメディア批評
強烈な市民の声に浮き足立ってきた日本政府並びに霞ヶ関の官僚についてフランクフルターアルゲマイネが政治欄に書いている。

それによると一万人の抗議行動は、霞ヶ関の政治エリートを揺さぶりだしたと言うのである。国家戦略大臣古川の会見で、エネルギー環境政策の発表予定八月が遅延になった。野田首相が20%ミックスと決めていた原発比率では、夏休み後に抗議行動に油を注ぎかねないと憂慮したのだとする。

そもそも野田首相は、日本人の再稼動への憂慮を過小評価していて、西洋的な尺度からすればフクシマ直後の驚くべき静かな反応は、初めて再稼動で大きな行動となって膨れ上がってきた。

これによって政治が些か膠着状態に陥った。情報カルテルで形成されている日本のマスメディアさえ、こぞって静観を余儀なくされたが、抗議行動を受けて急に事実を報じ出した。

一国で一体何がどうなっているのだ、その最大の戒は、上役を怒らせないことで、表向きはお上に逆らわないことではないか?

抗議行動の画は、いつも行動となれば必ずそこにいる活動家団体が為しているものではなく、全く普通の市民たち、家族づれ、多くの老齢者、新たに毎週毎週集まってくる人達なのである。

霞ヶ関の政治家を困惑させているのは、彼らがその事務所の窓から見るその抗議の光景である。調和の社会のその核が突然いきりだした、そして原子力政策の政治への服従を拒絶した。

一年間も政治は、決断をはぐらかし続け、その間に一つ一つと原子の火は消えていった。そして原子力無くともなんとかなった。野田の「次から次への再稼動への目立たない決意」は、抗議を否応無く呼び起こした。

八月に予定されていた新たなエネルギーミックスは最初から決まっていて、ドイツのような決断は野田の選択肢には一度もまともに検討されていなかった。野田はぶれることは無い。政策発表は先送りにされた。自民党の長期政権によって培われたエネルギー産業との連合を野田は堅持する。

その理由は明らかなのである。なるほど原子力無くともオイルやガスで日本はやっていける。しかし、甚大な国際収支の悪化と高騰する燃料費での産業空洞化は避けられない。

自民党の谷垣総裁は嘯く、「抗議行動なんてものは多くの人間が憂さを晴らすためのものなんだよ」と。政治の役割は、そうした憂さを晴らすことであり、他の野党政治家は、「抗議行動は国会審議に反映されるべきだ」と言う。現在までそれはほとんど斟酌されていない。

しかし動きは僅かながらもあり、元総理の鳩山は抗議行動に列を成して、総理に直接圧力をかける。政治エリートの大半は今でも原子力にかけていて、抗議行動をどうにか迂回しようとしている。そしてどうして良いか予期せぬ現象に困惑して環境大臣細野のように「答えが無い」と、野田とその仲間たちは、この原子力への抗議行動によって、長期に及ぶ矮小化と危険性無視の生贄になろうとしている。

繰り返し繰り返し日本人は繰り返した。「日本の原子力は世界一安全で、現実的に事故は発生しない」。危険への喚起は無視されて、招かれない専門家は排除された。原子炉が無茶無茶なことを示すものは悉く無視され続けた。

野田は、国会の日本製人災判断を受けて、確信を以って「原子炉は安全です」と意識的に古いいいくさを繰り返す。しかし、あまりにも多くの日本国民はそれを思い出し、それを信じない。

日本の政治で原発擁護の過半数がいつまで続くのかは疑問である。山口では原子力推進派が勝利した。矢張り東京は日本ではないのか?どうも原子力政策ではないらしい。

その読者である社会の指導者層に向けて書いている。しかしドイツの新聞であるから、日本の指導者は読者でない。であるから、国際収支の悪化を招いている経済問題については、既に同記者が別記事で触れているので、ここでは敢えて問うていない。もし、燃料調達での国際収支の稀にみる悪化を議論するならば、同時にドイツに見習えと白書で訴えている日本の経産省の戯言や再生可能エネルギー政策を議論するのではなく、根本的な許認可権などの閉鎖した日本社会を解放して、自由な経済活動と言論・文化による国際競争力の強化を訴えるべきだろう。大飯原発再稼動反対行動などに顕著な創造力豊かな日本の若者の担っている国際競争力を有効化する行政である。



参照:
Die Mitte einer auf Harmonie angelegten Gesellschaft begehrt auf, Carsten Germis, FAZ vom 31.7.2012
節度が保たれる抗議行動 2012-06-27 | マスメディア批評
脱原発は集団ヒステリーか? 2011-06-15 | 文学・思想
親権者が行使する選挙権 2012-07-19 | 歴史・時事
文化ケインズ経済学の矛盾 2012-04-04 | 文化一般
敗者に裁かれる特攻隊崩れ 2011-04-15 | マスメディア批評
キルヒホッフ税制の法則 2006-12-24 | マスメディア批評
「緑の党」結党と国会大包囲 2012-07-31 | マスメディア批評
堰を越えたメトロの大衆 2012-07-01 | 歴史・時事
黒ヘル群集と将来の指導者 2012-07-02 | 歴史・時事
徹底的に打破する市民の声 2012-07-14 | アウトドーア・環境
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

些か夏バテ状態での練習

2012-08-02 | アウトドーア・環境
先週の水曜日は石切り場に行ったので金曜日に奇岩地方へと出かけた。雷雨が訪れる前の暑さは、陽は翳ってなかったが、空気の湿り気で一二つぶの雫のようなものは感じた。

とても短い凹角であったが、適当な割れ目が走っていて、上の小さな枝まで伸びている。当然ながら移動式楔を設置する場所には困らない。

気候的にはもう一つであったが久しぶりに新しい方の靴を履いて登った。予想通り、楔を設置するところはあるのだが、立ち仕事がやり易い場所は限られていて、最も太い場所に合う楔は我々は持ち合わせていなかった。

それでも一つ二つ三つ四つと短い間隔で設置していって、いよいよ核心部である。左右の壁を利用して登ろうと思うが上手く行かない。

そこで右の壁にある二つの穴に手を突っ込んで突破を図るがどうもバランスがとりにくいのである。楔は目の前に設置してあるので思い切って登りきり、枝を掴んだ。

後続者が登るのを見ると、右の壁の手がりの上のもう一つしっかりした手掛かりを使っている。その辺りになにかがあるのは分っていたのだが。あまりに右の壁になってしまうので躊躇したのである。それを使わずに登ったのだから矢張り苦労した。

どうも自分で設置した楔であるから体力的精神的に落ち着かないのは分るのだが、重要な手掛かりを見落として見切り発車的に登ってしまったのを反省する。

奇しくも徐々に再び限界域で登る雰囲気を思い出すが、流石にザイルに乗りかかることは無かった。そのあと岩頭の上までもみっちりと楔設置の練習になった。

頂上から懸垂下降して、垂壁をトップロープで登るが、初見では到底登り切れそうにはない。5.10に至る限界域なので、暑い、腕を痛めているような状況では厳しかった。

週末の日曜日は足元が悪く、頂上へと走るのは断念して、月曜日に再開したパン屋へのついでに短く走った。温度は比較的低かったが標準的記録で、下りが足腰に堪えた。

さて開けて水曜日も車の外気温は37度まで上がっていたのが、夕方六時半頃になって漸く30度を下回っただろうか。乾燥はしていても陽の光が強く、焼ける感じだ。日陰を登るとそれなりに快適になってきたが、直ぐに汗を掻く。小さな比較的容易なルートであったが、斜めになった割れ目に中間支点を架けるのがとても厄介そうである。更に小さな庇を乗り越えるのに適当な手掛かりを見つけるのも厄介で、手掛かりを定めてから足場を探して体勢を固めるので結構面倒でとても練習になる。

矢張り夏の期間は暑いので、出来れば高い山に出かけてそこで過ごしながら適当な岩山を登っている過ごし方が良さそうである。腕の筋も痛めた肩も痛く、明らかにシーズン中弛みで登攀能力的にも夏バテ状態である。



参照:
乾燥して爽快な水曜の晩 2012-07-21 | 暦
ハイエンドザイルの実力と価値 2012-08-01 | 雑感
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする