Wein, Weib und Gesang

ワイン、女 そして歌、此れを愛しまない輩は、一生涯馬鹿者であり続ける。マルティン・ルター(1483-1546)

緑の党京都のイヴェント

2012-08-06 | マスメディア批評
緑の党の京都でのイヴェント風景をIWJのサイトの中継録画で見た。興味深かったのは、中央の組織とは別に地方政党としての緑の党京都の存在と、それらを緩く繋ぐネットワークである。

なるほど地方からのボトムアップの政治結社としては矢張り地方議会や共同体にその土台を置くことは当然であり、様々な市民団体とのネットワークの上でも都合がよいのだろう。

イデオロギー以前にその組織が中央集権化されていないことだけでも、従来の革新政党との相違を明白にする。その基本には、様々な市民運動からのボトムアップとネットワークが欠かせないということがある。

ここが、所謂蛸壺社会からの脱皮が出来るかどうかの分水嶺であって、日本が68年紛争で敢行できなかった服装の自由化などの視覚的な瑣末な問題だけなくて、社会の本質的な変化となるに違いない。

その兆候は、シングルイシューだから実現していると言われる総理官邸前の抗議行動の党派性を超越したネットワークにも見られていて、その背後にはツィッターなどのネットの活用がある。

長谷川代表の発言で面白かったのは、従来の政治結社をオジサンたちの政治活動と呼んだところで、最初の集まりに呼ばれた部屋が霞んでいて、それがタバコの煙とは分らなかったと言うエピソードであろう。「タバコのオジサンたち」で68年世代を切ってしまうのはとても痛快で、先日のチバレイの昭和レトロ発言にも通じていて面白い。

いづれにしても、緑の運動から様々な示唆を受けることで、日本の文化が本来尊重してきたシムプルライフへと脱近代化を果たして、文化先進国としての地位を確立して欲しいものである。それが産業経済的な未来の安定と社会の繁栄に繋がるのは言うまでもない。中華主義や共産党独裁では決して完成しない社会なのであるから。

いつもの様にARDの取材が最もこうした動きを正しく伝える重要な情報源であるのはかわらないが、大阪の朝日放送が東京まで追いかけて取材をしていると言う。毎日放送ならば今までの経過で分るのだが、あれだけ関電の圧力に屈していた朝日放送が反原発の緑の運動を伝えているのはとても特筆すべきことである。FAZが伝えていたように、なるほど情報カルテルの日本のマスメディアも浮き足立ってきたのだろうか?



参照:
2012/08/03 京都で!日本で!緑の党オープニングイベント (IWJ Independent Web Journal)
昭和レトロの動員労働者 2012-07-19 | 歴史・時事
揺らぐ霞ヶ関と情報カルテル 2012-08-03 | マスメディア批評
「緑の党」結党と国会大包囲 2012-07-31 | マスメディア批評
涼しげな緑のライフスタイル 2012-07-29 | アウトドーア・環境
コメント (2)
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