Wein, Weib und Gesang

ワイン、女 そして歌、此れを愛しまない輩は、一生涯馬鹿者であり続ける。マルティン・ルター(1483-1546)

言葉の意味と響きの束縛

2006-04-15 | 
ハイデルベルクの春」と言う国際音楽祭にお呼ばれした。1996年から続く比較的新しい音楽際である。モーツァルトを主体としたものとの印象があったが、ブラームスから始まったという。スポンサーの寄付がプールされる形で運営されている。

本年度のテーマは、「子供の魔法の角笛」である。バンベルクやロンドン交響楽団からヒリヤードアンサンブル、アンドレアス・ショルまでの著名な演奏家が集う。所謂ハイデルベルク・ロマンティックをテーマとしたので、あまりにつき過ぎて、今更との感じがした。アーニムとブレンターノの編集200年を記念するらしい。

ハイデルベルクでの演奏会には、時々訪れる。二流興行演奏会が多いマンハイムに較べて、商業的に成立し難いが価値のある演奏会が大学の講堂や美術館で催される事が多い。マンハイムには同じように名門の商科大学もあるのだが、知識層の聴衆の数が違うようだ。姉妹都市のケンブリッジと比較するのが良いだろうが、これも文化的背景が大いに異なる。

その知識層の聴衆とは一体具体的にはどのような聴衆を言うのだろうか。それは、決して音楽的に専門的な聴衆では無くとも、テーマや企画からある文化的な文脈を読み取って、各々の演奏会に其々が何らかの繋がりを持つ事が出来る聴衆を指すとしても良いであろう。これは、造形芸術鑑賞や文学散歩など全ての芸術鑑賞に欠かせない素養となる。

こうした姿勢が、決して所謂趣味良き選ばれた人々のものでなく、平素から自らの立場から方々へと関心と神経のアンテナを廻らしている人々のものであることは間違いない。そういった姿勢は、新しい芸術であるとか、文脈を浮き彫りとした企画に於いて必要十分とされるものなのである。しかし今回のプログラム一覧を見ると、明らかにそういった文脈から逸脱した企画などもあり、居合わせたプログラム企画者に尋ねると、予想通り興行師筋からの歪な影響を確認出来た。

若手作曲家ベンヤミン・シュヴァイツァーと久し振りに会った。オペラを含む全ての作品を専属的にマインツのショット出版から出している。残念ながらその舞台は観ていないが、管弦楽曲からの卓越した表現力は馴染みである。16世紀のバロック詩人マルティン・オピッツの「ダフネ」を短く室内オペラ化した。オピッツは、1619年にオーダーのフランクフルトからハイデルベルクの大学へと転校するが、そこで遭遇する三十年戦争から逃れる。そのリブレットによる音楽化については、1627年に作曲家ハインリッヒ・シュッツによる楽譜の消失した幻のドイツ最古のオペラと呼ばれる。

言語とその響きについての考察は、我々にとっても興味ある。ここでも気になったので、例として「作曲家ヴェーベルンと詩人トラクルのような表現主義的な文脈を持った表現の文化的 宿 命 から逃れる事は出来ないのではないのか?」と尋ねてみる。この宿命はそもそも、芝居や踊りや間奏曲を含むオペラが、その初期からロマン的な表現を以って終焉へと向う歴史に相当する。試しに民謡詩集「子供の不思議な角笛」のロマンティックな変容を思い出してみるが良い。

「歌詞を持つ声の響きをそのような文化的な拘束から完全に解き放つ事は困難である」が、これを逆手にとって現代ドイツの特定の文化的な文脈に於いて新たな 関 係 を試みる事こそが、非構造主義時代の創造なのであると理解出来る。それは、意味の無い言葉の母音や子音を一旦解体してそれを集積として組み合わせたりする前世紀後半の「現代音楽」の方法と比べて、遥かに配慮の行き届いた手の込んだ創作となる。

もう一人の同世代の若手の作曲家は、東独のブレヒトの後継者と言われた、指揮者バレンボイムとのバイロイトプロジェクト「トリスタンとイゾルデ」でも有名な劇作家ハイナー・ミュラーの芝居に誘発されて、娯楽音楽の語法を使って試みている。ハンス・アイスラーの試みを、その表現目的へのあり方の手本する。「何故アイスラーであるべきなのか?」が質問であるのだが、米国亡命中のレッドパージによる追放と支持の輪、トーマス・マンの「ファウスト博士」への助言、帰国後のドイツ民主共和国国歌「廃墟からの復活」の作曲など建国期の活動を考慮してその語法と組み合わせると、このような現代の作曲が「演出劇場」のミュージカルとなる意味が理解出来る。

序でながら、ハイデルベルクへと向う途上で聞いたラジオ議論番組は、サミュエル・ベケットの「演出劇場」での可能性を否定していたが、そのような演出を退けるベケットの詩を説明していて面白かった。



参照:
ドイツ鯉に説教すると [ 文学・思想 ] / 2005-03-14
冬の夕焼けは珍しいか? [ 文学・思想 ] / 2005-01-12
ベッティーナ-七人の子供の母 [ 女 ] / 2005-03-16
半世紀の時の進み方 [ 文化一般 ] / 2006-02-19
平均化とエリートの逆襲 [ 文学・思想 ] / 2005-11-06
メールを待ちながら [ 文学・思想 ] / 2006-03-08

コメント (2)    この記事についてブログを書く
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2 コメント

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もう春ですか (ohta)
2006-04-15 15:42:32
ハイデルベルクだけに 「子供の魔法の角笛」 関連では講釈付きが多いようです.十日間仕事無しで滞在して,好きなものを選んで行けば,自分なりの世界を構築できるということかもしれません.スポンサーになっているホテルがひとつだけなのは地元の人達を対象としているようにも思えますが,そこからの聴衆だけでは成立しない企画数ですね.春とはいえ,今年は寒かったのではないでしょうか.それとも増水でしょうか.
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不安定な状況 (pfaelzerwein)
2006-04-16 14:17:39
プログラムをご覧になりましたか。ハイデルベルクは、なんといってもハイロマンティックですから、ネオロマンティックなどと些か前世紀の時代遅れの発想が散見されます。



そのあたりの意識は、音楽文化辺境の主催者よりも聴衆の方が進んでいるのかもしれません。その点からすると観光客を集めるまでにするのは至難の業でしょう。バーデン・バーデンと同じです。反対に地元のスポンサーがカンパニーイメージを強化するために背後にいるわけですね。



通り雨があっても寒いほどでは無く、増水は落ち着いているようですが、不安定な状況です。
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