Wein, Weib und Gesang

ワイン、女 そして歌、此れを愛しまない輩は、一生涯馬鹿者であり続ける。マルティン・ルター(1483-1546)

ドイツ鯉に説教すると

2005-03-14 | 文学・思想
パドヴァの聖アントニウスは、1195年にリサボンに生まれ、1220年にフランシスコ修道会に入る。そこで神学の重要な役職に付く。天性の口上手を認められて、善悪二元論を採る異端のカタリ派の再改心を促す任務を得た。この宗派はオック語が使われていた南フランスを中心にケルト人の多い北イタリアロンバリディア地方にも広がり、土地の言葉を使って説教して人気があったようである。

聖アントニウスの有名な逸話には、「聖体拝領の秘儀に疑いを持った者が現れた時、三日間飲まず食わずの驢馬を連れてこさせて、それが聖餅を持った聖アントニウスに歩み寄る事も無く、餌にも触れずに倒れ廃れるのを示して改心させた。」とある。また、「聖アントニウスは、ある日教会に行っても誰も居ないので仕方なく近くのリミニ川の畔で説教を始めると、魚が集まり水面に頭を揃えて説教を聞きだした。この奇跡を知った町のものは殆んどが改心したという。」。アシシのブラザー・フランシスコの鳥との対話と並んで有名な話である。

鳥と魚は、植物に続いて五日目に神に創世されたとあり、人間の地上とは違う空と海に住む。からすと鳩はノアの船で運ばれたのに対して、魚は救済される必要は無かった。旧約ヨナ章で預言者は魚から吐き出される。新約(マタイ14.17、ヨハン6.9)では、魚二匹と五個のパンが五千人を潤すとある。迫害された初期キリスト教者は、魚の印をこっそりと示してお互いを確認したようだ。これは今でも欧州の車に張り付けられているのをしばしば見かける。

さて、この聖アントニウスの昔話が伝えられ収められているのが「子供の不思議な角笛」というドイツの民謡集である。クレメンツ・ブレンターノとアーヒム・フォン・アーニムが1808年にハイデルベルク遊学の日々に共同して纏めた。ここの「パドヴァのアントニウスによる魚への説教」に見る伝承は、絵画等で良く見かける逸話と様子が大きく違っている。出てくる魚の種類は、子持ちの鯉、カワカワス、鰻、チョウザメ、蟹に亀と多彩である。どうもこれを真面目に解釈すると、これらの魚は人間の暗喩になっている様で悉く皮肉が付きまとう。教会批判と自己批判が入り混じって毒々しい。要約すると、「なるほど説教しても、口をパクパク食いまくるわ、歯を尖らして争うわ、ゆっくりと急いで詰め寄るわ。説教なんて、上等も下衆も頭を上げ、神の求めに応じて神妙に聴くだけ。説教終われば皆が全てを忘れ、カマスは泥棒に逆戻り、鯉は食い道楽、鰻は凄まじく愛し合い、蟹は逆戻り、元の木阿弥。」となる。

聖アントニウスが従事した改心への異端撲滅任務こそが、ジャンヌ・ダルクやガリレオ・ガリレイ、マルティン・ルターを弾劾裁判へと追いやった事を想起させる。これらの民謡が宗教改革に上手く利用されたのだろう。こうしてブレンターノとアーニムはロマン派運動を形成して行き、前者の妹で後者の妻ベッティナ・フォン・アーニムはグリム兄弟を助け、後年初期社会主義に参加していく。

この民謡集を使って、交響曲集を作曲したのがグスタフ・マーラーである。彼は、マンハイムのドイツロマンティック歌劇「魔弾の射手」の作曲家フォン・ヴェーバーの図書室からこの民謡集を見つけた。ピアノ伴奏の歌曲集のために21作を作曲している他、交響曲にも使っている。上の民謡は、第二交響曲の三楽章として殊に有名である。宗教改革によって揶揄されて意味を付加された聖者の逸話が、このカトリックに改宗したユダヤ人作曲家によって再び変調された説教となっているので耳を傾けてみたい。

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9 コメント

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Unknown (alice-room)
2005-03-15 06:45:40
TB有り難うございます。鯉に説教する聖アントニウスですか、知りませんでした。興味深いですね。ほんと、小鳥に説教するフランチェスコとまさに重なりますね。

そういえば、人魚に説教するモンクというのもありましたね。その場合、人魚は海に還り、他の海の生き物をキリスト教の信者にさせたという教会中心主義の世界観の一端が見えてくるそうですが、いろいろと好奇心をそそられるお話です。どうもお邪魔致しました。
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面白いでsじゅね! (しじゅうから)
2005-03-15 11:51:22
深くて面白いブログですね!これからたびたび訪問させていただきます。まずはジックリ読ませていただきます。ありがとうございました!
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とても勉強になりました。 (ネイビー)
2005-03-15 20:59:53
TBありがとうございました。

alice-roomさんと同じように、私も聖フランチェスコを思い出しました。イタリアの、聖フランチェスコ教会に行ったことがあります。大変勉強になるブログを読ませていただきました。「旅涯ての地」「ダヴィンチ・コード」以来ちょっとはまっているのです。これからたびたびお邪魔させていただきます。
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Unknown (deco)
2005-03-15 23:30:13
TBありがとうございます。

聖人たちの逸話は殆ど知らないこともあり、とても興味深く拝読させて頂きました。

どの宗教もそうかと思いますが、人を改心(笑)させようとする血の滲むような努力は凄いものがありますよね。正直怖いものを感じる私としては、それをその宗教の文化圏側から正当な働きとして喧伝している類いの文書にはちょっと胃凭れを感じたりします。マルコ好きの分際で何を言うか、という感じもしますが(笑)。

ちなみにルターお好きなんですね。
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alice-roomさん、しじゅうからさん、ネイビーさん、decoさん! (pfaelzerwein)
2005-03-16 07:28:44
alice-roomさん、コメント有難うございます。人魚にモンクですか。面白そうですね。また色々と勉強させて頂きます。また宜しく。







しじゅうからさん、有難うございます。またコメントを頂けるのを楽しみにしております。







ネイビーさん、生まれ故郷のバジリカですか。羨ましい限りです。ここでは特定の宗教観には囚われずに書こうとしていますので、しばしば毒も薬もあるかも知れませんが悪意はありません。例えば聖フランシスなどは、史実や宗教を越えて途轍もなく大きな存在です。それは違った意味で、ルターにも当てはまります。それらの人物を扱う事は、自然科学や哲学・人文科学や芸術を語ることと同じです。キリスト教に限らず偉大な発想や思想は紛れも無く人類遺産です。それを信仰とするかどうかは全く個人的な問題だと考えます。こちらこそ宜しくお願いします。







decoさん、コメントありがとうございます。そうですか、ルター好きに見えましたか。愛情は無くても同居しているという感じでしょう。でも急に出て行かれると困りますね。マルコの記事を再度じっくり拝見して勉強になりました。私も映画ではありませんがバッハの受難オラトリオで似たような体験をしています。是非読んで頂きたいと思います。



参照:滑稽な独善と白けの感性 [ 歴史・時事 ] / 2005-03-10

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受難オラトリオ! (deco)
2005-03-16 18:42:43
参照記事、拝読させて頂きました。とても勉強になりました。音楽には全く詳しくないこともあって、興味深い知識満載でした(喜びついでにこちらのマタイ受難曲の拙文をTBさせて頂きました笑)。

マルコ受難曲も歌詞だけは現存していたのですね。マルコ主義者的には、バッハはあれをどのように解釈したのかを知りたくてたまりません(研究者による復元パロディ物ではなく)。



別の記事に対するコメント混じりで恐縮ですが、「教会は異端者が必要か」という命題そのものが教会のアホさ加減というか、宗教の本質の一面を象徴しているような気がするのは気のせいでしょうか?イエス本人はそんなことを望んでいたのでしょうか。そんなことを考えながら拝読いたしました。(pfaelzerweinさんが熱心なクリスチャンだったら申し訳ありません)



ちなみにルターお好きですか、と伺ったのは、彼の言葉をブログタイトルになさっていたからなだけなのですが(笑)。個人的にはルターはボンレスハムのようなので好きじゃないし、ルーテル派も大嫌いなのですが、思えばどんな形であれ、当時一般には閉ざされていた救済への途を開いた功績というのは大きいのかもしれませんね。金で買える救済なんかどんなもんだよ、と思うのですが、それでも救われたい人々にとっては確かに救いにはなったのでしょうから。



他の記事も大変興味深いことばかりです。度々通わせて頂こうと思います。
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ピカンデルのテキスト比較 (pfaelzerwein)
2005-03-17 17:07:11
decoさん、ボンレスハムですか、私は笑ってしまいますが、攻撃はお手柔らかにお願い致します。宗教サイトではないので適当に鋭く突っ込んで頂けると嬉しいです。今後も皆さんと一緒に勉強させて頂きたいと思います。



バッハのマルコ受難曲ですが、確かにピカンデルのテキストをマタイにおけるそれと較べるだけでも面白いですね。CDを片手に近日中にやってみたいです。



こちらこそ、宜しくお願いします。

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カマスからの連想 (ohta)
2005-03-22 19:40:58
 カワカマスから,確か 1995 年に Hotel "Goldener Hecht" an der alten Bruecke, Steingasse 2 , 69117 Heidelberg に滞在してそこから数日,学会のセッションに通ったことを思いだしました.かなり古くからあった旅籠のようですが,1800 年代初めにすでに存在していたかどうかは知りません.

 また,「カトリックに改宗したユダヤ人作曲家によって再び変調された説教となっている」とありましたので,そこに注意を払って トーマス・クヴァストフ と ワルトラウト・マイヤー で "Des Antonius von Padua Fischpredigt" を聴き直しました.説教ではなく,汎ゲルマン主義の余波のように聞こえました.「子供の不思議な角笛」発見は 1888 年,カトリックへの改宗は 1897 年です.もっとも角笛の完成は 1899 年のようですが. 併せてテューリンゲンの民謡を聴いてみました.
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‐アントニウス‐ルター‐ブレンターノ‐マーラー‐ベリオ‐ストロース‐ (pfaelzerwein)
2005-03-23 17:23:29
ホテルのHP(http://www.goldener-hecht.de/)を見ました。所縁があるとなっていますね。エンブレルも面白いですし、泥棒となると尚更。このイメージ連想の出所は未確認です。



二つの録音は知りませんが、お二人ともどちらかと言えば力む方かも知れませんね。特に前者は終止が引用されているシューマンの「詩人の恋」第9曲なども自動的にイメージして思い入れしているのでは。知識と経験あるドイツ人ならば仕方ないでしょう。民謡の方も聴いてみたいです。



交響曲の完成が1894年となっていますから、この該当歌曲に手を加えた可能性はそれ以前で、さらに三楽章は1893年夏の完成ですね。マーラー自身の何時もの想像力豊かな自己解説(幻想交響曲のような)から、さらにルチアーノ・ベリオの解釈(シンフォニアでの引用)まで含めると広がります。特にベリオのストロースの引用まで見ていくと、またこのテーマに戻って来ます。論理はここでは必要ないので、出来る限り風呂敷を広げますが。



これらは全く知的な連想ゲーム(これをベリオ氏がしている事が驚き)ですが、マーラーの交響曲が抱合している世界観もある断面を鋭く切り取るとぎっしりと詰まっているので驚きです。それも何処までが意識下で何処からが無意識層なのか分からない。だから歌曲集も参考になり、侮れません。





ルチアーノ・ベリオ「シンフォニア」:

「ある若き詩人のためのレクイエム」

http://blog.goo.ne.jp/pfaelzerwein/e/ee3ee48a6643638f89a87cfedc74ca19

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