ねこ庭の独り言

ちいさな猫庭で、風にそよぐ雑草の繰り言

『歴史と視点 』 ( 司馬遼太郎の不均衡な精神世界 )

2019-02-25 20:59:29 | 徒然の記

 司馬遼太郎氏著『歴史と視点』( 昭和55年刊 新潮文庫 )を、読了。

 40代の頃、『坂の上の雲』を読んで以来氏の小説に魅かされ、ほとんどの作品を読みました。歴史の中の人物を、生き生きと描く平易な文章にも魅力がありました。『坂の上の雲』で、乃木大将を酷評しているのが気にかかりましたが、そんな見方もあるのだろうと読み過ごしました。

 今回はテーマに入る前に、昔の記憶を少し述べたいと思います。省略すると、著作への適切な紹介が出来なくなると、思えてきたからです。

 全体として氏の作品に好感を抱き、楽しんでもきました。

 その例外が、『坂の上の雲』における乃木将軍への酷評でした。謹厳実直な軍人として語り継がれ、学習院の院長の時は、学生だった昭和天皇に仕えた好人物として知られています。その将軍をなぜここまで悪し様に語るのかと、疑問がありました。

 次に『殉死』と言う氏の作品を、読みました。乃木将軍が崩御された明治天皇の後を追い、夫人と共に殉死した様子を小説にしたものです。

 将軍がまだ下士官だった頃、西南戦争に出陣した時、熊本県の八代で大切な軍旗を失くしたそうです。切腹ものだったのに、明治天皇が責任を不問にされ、以来氏はおそれかしこみ、明治天皇へ格別の思いを抱きます。

 大恩のある陛下が亡くなられたのですから、明治時代の軍人である氏が殉死したとしても、うなづけるものがありました。この時も司馬氏は、作品の中で散々将軍を批判しました。世間に見せるための演技ではないかと、卑しい言葉で殉死を語っていました。

 私はこの時、初めて氏の作品を嫌悪しました。

 それから『竜馬が行く』『翔ぶが如く』と氏の作品を読み、嫌悪したことを忘れていました。今回『歴史と視点』を読み、優れた作家である司馬氏にも欠陥があるのではないかと、複雑な気持ちになりました。

 日本の歴史を広く知り、軽妙な叙述で読者を楽しませてくれる氏が、ある部分に来ると偏狭になってしまう、不思議な事実を見つけました。

 『歴史と視点』は小説でなく、副題が「私の雑記帖」となっていますから、氏の思いが綴られています。小説が観客に見せる舞台だとすれば、雑記帖はその舞台裏、あるいは作者の素顔だろう考えています。

 これまで「ねこ庭」でバカのひとつ覚えのように使ってきた、「反日左翼」という物差しで測れば、氏は保守の作家に入ります。

 ところが氏はこの著書 ( 『歴史と視点』) で「昭和の軍人」を、乃木将軍と同様に酷評します。軍人ばかりか、「戦前の昭和」を罵倒し否定します。ここで過去の作品に抱いた疑問を思い出し、司馬氏という人物に疑問符をつけました。

 「氏は作家として、致命的な欠陥を持っているのではないか。」

 作品名になっている「歴史」も「視点」も、重要視する気持が薄れました。大家と言われる作家は、主義主張に一本筋が通っています。私のような凡俗は、折々の感情に左右され、人物の評価に偏見が先に立ちます。

 素晴らしい作家と世間で言われ、多くの読者を持っている人物が、突然極端な思い込みや偏見で文を綴るとしたら、不均衡な精神を持つ人間と考えざるを得なくなります。

 どうやら自分は氏を過大評価していたようだと、考え直しています。定期購読していた朝日新聞に失望した時に比べれば、度合いが小さいのでまだ救われます。たった227ページの文庫本ですが、氏の全作品を無価値にする不思議な本でした。氏への好感や敬意が、浜辺から戻る波のように一気に引いていくという珍しい経験でもあります。

 18ページの文章を紹介します。つまり私は氏の著書の最初から幻滅したのです。

  ・近代国家というのは、実に国家が重い。」

  ・庶民の長い生き死にの歴史から言えば、明治というのは途方も無い怪物の出現時代であり、その怪物に出くわした以上は、もはや逃げようがなかった。

  ・西洋人もこれをやっているのだという国家の文明活動として徴兵され、その巨大な怪物を、兵士の一人一人が背負わされた。

  ・押しつぶされて死ぬまで歩き、走り、銃を撃つのである。

 これが司馬氏の、明治時代観です。ここには日本の歴史がありません。幕末の志士たちの活躍をあれほど生き生きと描いた氏が、日本の過去に無知だったとは、思いもよらぬことでした。

  泰平の眠りを覚ます上喜撰(じょうきせん)

       たつた四杯で夜も眠れず

  ペリー来航時に巷で流行った、有名な狂歌です。鎖国していても、将軍以下幕末の指導者たちは、海外の事情に無知だったのではありません。欧米列強がアジアの国々を植民地にし富を奪っていることを、長崎出島のオランダ人を通じて、つぶさに知っていました。

 欧米諸国への警戒心と危機意識を常に持っていたから、ぺリーが軍艦で浦賀に入港した時、上へ下への大騒ぎになりました。

 教科書では、ペリーの来航を友好的なものという書き方をしていますが、実際は武力による恫喝でした。以後列強と屈辱的な不平等条約を結ばされ、開港したした港には、各国の治外法権の地域ができました。

 幕府はもちろん、京都の天皇も列強を嫌悪し「攘夷」思想を共有していますが、武力と国力の差があり過ぎました。薩摩も長州も、英国の軍隊に散々やられました。

 このままでは列強に侵略されるというと恐怖から、「富国強兵」を決意し、明治維新につながります。こうして生まれた明治国家は、氏が言うような「途方もない怪物」であるはずがありません。まして「庶民を押しつぶし、死ぬまで歩かせるだけの国家」であろうはずがありません。

 以前に「ねこ庭」で読んだ、林房雄氏の「大東亜戦争肯定論」を思い出しました。薩摩・長州が敗北した幕末の戦い以来、日本の指導者たちは、西欧との戦争を覚悟し、懸命に近代化を進めます。アジアの小国である日本が、列強の植民地化をはね返すためどれほどの苦労を重ねてきたか。 

 林氏の著作には、日本の歴史が語られていますが、司馬氏の意見には日本の過去が欠落し、明治時代への理解が寄席の講釈師に似た軽薄さで語られます。

 息子たちが司馬氏の著作を読んでいるのかどうか、有名な作家なのでこれから読むのかもしれません。息子たちのためと批判してきた反日左翼学者の本とは異なりますが、ここまで日本の歴史を「自分の思い込み」で酷評するのでは、悪書として紹介せねばなりません。

 本日は、スペースの関係でここまでとし、次回から具体的に述べます。訪問される方々の中に司馬氏のファンのがおられたらスルーしてください。

コメント (2)    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 無国籍志向か、自国への愛か | トップ | 『歴史と視点 』 - 2 ( ど... »

2 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
Unknown (あやか)
2019-02-26 06:44:59
おはようございます。
最新ブログを拝見しました。
おっしゃってることに、同感いたします。

たしかに司馬遼太郎氏は、優れた歴史作家だとは思います。
しかし、司馬遼太郎氏には、ある種の偏向があることも否めません。
昭和時代の軍人を酷評する態度も理解しかねますし、乃木大将に対する批判には、とても正視できません。

また、司馬遼太郎の『韓国朝鮮びいき』の態度には辟易するしかないですね。
ただ、戦前の大日本帝国の時代にも、政策的に『日韓同祖論』が提唱されていたらしいですから、司馬遼太郎もそういう方面からの影響も受けてるのでしょう。

まあ、いろんな点から見ても、司馬遼太郎氏は、【通俗作家】というしかないですね。専門の歴史学者とは言えません。
もちろん、それなりの教養や才能は持っておられたと思います。
あくまでも、通俗論ということを念頭に置いて読めば、司馬作品には、啓発的な部分的もありましょう。
返信する
通俗作家 (onecat01)
2019-02-26 08:12:57
あやかさん。

 かって私は、司馬氏について、疑問に思うことを、少しばかり述べたことがあったと思います。

 ちょっとした思違いだと思っていましたが、今回の著書を読み、氏の人間的欠陥だと確信するに至りました。

 ここまで氏が日本を酷評するのであれば、私も遠慮なく氏を、批評いたします。

「あくまでも、通俗論ということを念頭に置いて読めば、司馬作品には、啓発的な部分的もありましょう。」

 言いえて妙のご意見ですね。まことに、氏は、この程度の作家ということでした。腹に据えかねる嘘の部分があり、次回も書評をいたしますが、貴方には、つまらないブログとなるはずですから、スルーされますよう、お勧めいたします。

 コメントを感謝致します。
返信する

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

徒然の記」カテゴリの最新記事