ねこ庭の独り言

ちいさな猫庭で、風にそよぐ雑草の繰り言

『歴史と視点 』 - 2 ( どちらが政治発狂者か ? )

2019-02-26 13:42:30 | 徒然の記

 司馬氏の著書『歴史と視点』の、二回目です。本日は最初から、氏の極論を紹介します。

  ・軍閥にこの国を占領されてしまっていた、昭和10年前後以後の国家というものは、あれが国家だったかと思われるほどインチキくさい。

   ・例えば、日本海軍である。日本の海軍というのは、日本海海戦が基本となっており、侵略用の海軍でなく防衛用の海軍として作られ継承されてきた。

  ・かって、はるばる極東へやってくるバルチック艦隊を、日本近海で待ち伏せ、待ち伏せによってこれを覆滅したように、米国の大艦隊が日本近海にやってくるという設定のもとに艦隊を作った。

    ・遠洋決戦というものは、元来が不可能として作られており、さらには日本近海で主力決戦をしても、決戦は一度きりで二度できなかった。

 長い文章が続き冗長なので割愛し、結論だけを言いますと、もともと待ち伏せの日本海軍なのに、北のアリョーシャンから、西の東シナ海、南の東南アジア、インド洋まで、軍艦をばらまくような作戦は金輪際不可能なのに、海軍は陸軍にそれを言わなかった。

  これがそもそも問題だったと、氏は断定します。

  ・もし太平洋戦争を起こす前に、海軍が陸軍に実態を正直に打ち明けていれば、既に陸軍の参謀が、軍人である前に政治発狂者になっていたとはいえ、あの常識では考えられない多方面作戦、大風に灰を撒いたというような、いわば世界史に類のない国家的愚行を思いとどまったであろう。

 昭和55年の出版ですから、売れっ子作家の氏がここまで海軍と陸軍を叩けば、反日左翼の人間たちが、喜んだことでしょう。

 「日本だけが間違っていた。」「日本が、悪い戦争をした張本人だ。」と、東京裁判史観が日本中を席巻していましたから、多くの国民も日本軍をそのように思ったのかも知れません。

 氏の叙述は、寄席の舞台で面白おかしく客を喜ばせる、講釈師の話と似ています。なぜ日本軍は国の存亡を賭け、戦わずにおれなかったのか。米国からハルノートを突きつけられ、座して自滅するか戦って破滅するかと、その選択を迫られていた大切な事実を語りません。

 氏の目的は、日本の海軍と陸軍を批判し、攻撃し、罵倒することにしかないのでしょうか。氏が日本を愛する作家なら、醜い批判を並べる前に、語るべき事実がいくらでもあります。

 なぜか氏は、個人的、生理的に、乃木大将を嫌悪していました。同様に氏は、個人的、生理的に、日本軍と軍人を嫌悪しています。この二つを語るとき氏は理性を失い、偏見の塊となり、一面の事実でしかないものを全てでもあるように説明します。

 次の叙述はどれほどの裏づけをもって語っているのか、疑問を感じつつ読みました。息子たちに言います。長くても、我慢して読みなさい。大作家と言われる氏の驚くべき偏見と、根拠の乏しいこの主張を。

   ・日露戦争の頃の日本陸軍の装備は、世界の準一流で、第一次世界大戦以後、日本陸軍のそれは第三流であり、第二次世界大戦のころには、信じられないほどのことだが、日露戦争時代の装備にほんの毛の生えた程度のものでしかなかった。

  ・その装備は、満州の馬賊を追っかけているのが似合いで、よく言われる、軍国主義国家などといったような内容のものでなかった。

 どういう資料を根拠に、このような断定をしているのか、私の知る書物の情報と違っています。聞くところによると氏は、昭和時代の事実を調べる際、昭和を否定する文献や、昭和を憎む人物の証言を大きく取り上げていたそうです。

 これは私が嫌悪する反日左翼の学者、今日の言い方をすれば、反日グローバリズムの学者と同じ手法です。過去の文献や著名人の証言に基づいているため、全くの嘘でないが、結局は偏見と捏造の主張ということです。

  ・このことは、昭和14年のノモンハンでの対ソ戦の完敗によって、骨身に沁みて分かったはずであるのに、その惨烈な敗北を、国民にも相棒の海軍にも知らせていなかった。

  ・その陸軍が強引に押し切って、ノモンハンからわずか2年後に、米国と英国に宣戦布告しているのである。

  ・こういう愚行ができるのは、集団的、政治的発狂者以外にありうるだろうか。

 この一文を読んだとき、氏への嫌悪感は軽蔑へと変じました。もう一度、息子たちに言います。昭和55年に氏の著作が出版された時、反日グローバリストたちは、手を叩いて喜んだはずです。

 「バカな軍人が、無謀な戦争へ走った。」「国を破滅させたのは、頭に血が上った軍人だ。」と、氏は反日左翼学者や活動家を支援したようなものです。

 氏への反論として、昨日別途に探した情報を紹介します。

  ・ノモンハン事件は、第一次 ( 昭和14年5月から6月にかけて ) と、第二次 ( 同年7月から9月にかけて ) の、二期に分かれます。

  ・これについてはつい最近まで、ノモンハンでのソ連軍は統制が行き届き、高い技術を用いた最新兵器のため、戦闘による損害は軽微だったと言われてきました。

  ・しかしソ連が崩壊し、多くの文献が明らかになるにつれ、実はソ連軍の損害は、日本軍とは比較にならないほど大きかったことが分かってきました。

 ソ 連  〉・・ 死傷者数・・ 少なくとも25,655名、

           戦車等の装甲車両400両、航空機350機が破壊された。

 〈 日 本 〉・・ 死傷者数・・ 少なくとも18,000名 多く見積もれば23,000名

                        戦車30両、航空機180機が破壊

   ・つまり日本軍は、言われているほど惨敗したわけではなく、苦しみながらも相当健闘したことが窺えるのです。

 事実が判明したのは、平成3年のソ連崩壊後ですから、 『歴史と視点』出版当時は分からなかった事実です。しかし氏が亡くなったのは平成8年ですから、この事実を知らないはずがありません。

 自分の名前を大事にする作家なら、事実判明の時点で読者へ謝罪し、著書を絶版にすると「ねこ庭」では考えます。ついでに、バカにした陸海軍にも謝罪してもらいたいのですが、軍のない日本なので今となっては無理な話です。

 神がかりで、無謀をした軍人がいたのも事実でしょうが、十把一絡げの誹謗・中傷してはダメです。英霊として感謝すべき軍人が存在するのですから、こんな書き方は許されません。

 本の紹介を止めようかという気になりますが、まだ21ページです。

 間違った資料で日本軍を罵るという氏を、見過ごせません。このままにしていると、「暴走した陸軍」「国を破滅させた、軍国主義者たち」と、東京裁判史観の間違いが拡大されます。

 息子や孫たちのことを思えば、悪書を放置してはなりませんので、もう少し頑張ろうと思います。

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6 コメント

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Unknown (goma008)
2019-02-26 14:50:34
こんにちは。

司馬遼太郎に関してはonecat01さんもこのブログで述べられているような、「日清戦争、日露戦争までが神がかっていて、昭和はダメであった」とする「司馬史観」が有名ですが、これは戦争に負けたから言っているだけでしょう。

日清、日露を礼賛するのは勝ったからです。

ある意味単純と言えば単純だと思います。
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驚きました (onecat01)
2019-02-26 15:27:44
gomaさん。

 言われてみれば、司馬史観とは、そういうものだったのかもしれません。

 誠に単純な話であり、単純な司馬氏でした。貴方に教えられ、合点いたしました。

 これからも、よろしくご指導ください。感謝します。
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Unknown (あやか)
2019-02-26 18:36:14
猫庭さまもGoma様も、おっしゃってますように司馬遼太郎さんというのは、単純な人だなと思います。
膨大な知識を持っておられますが、結局、様々な説の寄せ集めでしょう。
しかし、それにしても、生前の司馬遼太郎氏を公然と批判する人は、ほとんどいなかったみたいですね。
 まあ、個人的には明るい好人物でしたし、人の反感を買うことは、なかったと思います。

幕末の頃は、坂本龍馬などの勤皇派の武士を讃え、明治維新を賞賛するなど、愛国的な人々の歓心を買い、
大東亜戦争の軍国主義?は糾弾をして、「革新系?」の歴史観にも配慮するなど、いろいろ、「包容力?」を示しておられますね。

ま、その時代の風潮に乗った「通俗作家」だったと、いうことです。
【国民的作家】というほどでは、有りますまい。
もちろん、その大著には、参考になる部分はあると思います。
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Unknown (あやか)
2019-02-26 19:22:44
【追加】、、、、
司馬遼太郎さんは、大東亜戦争全面否定論ですが、、、、

それなら、日本軍がシンガポールを陥落させ、英国の植民地支配を終わらせた快挙については、どう考えていらっしゃったんでしょうか?!
また、日本軍兵士が、インドネシアやマレーシアの独立運動に貢献したことは、どう思っていらっしゃるんでしょうか。!
その点、「司馬史観」は、あまりにも一面的だと思いますね。

★★ところで、司馬遼太郎さんを、さんざん酷評してしまいましたが、、、
公正を期するため、、、
司馬遼太郎さんの主張で正しい部分も掲げておきます。

そのひとつは、【日本は「儒教文化圏」ではない!!】という主張ですね。
まあ、これは、明晰な事実であり、別に司馬さんの独創的見解ではありませんけれども、司馬さんは繰り返し「日本が朝鮮中国のような儒教文化圏にならなかったことは幸いだった」 と、おっしゃってます。
、、、、確かに、それはその通りです。!

また、司馬遼太郎さんは、幕末の勤皇派の志士の活躍や明治維新の大業については、実に素直に肯定的に描写しておられ、
その点については、満腔の賛意を表します。

、、、よく、巷の「おかしな歴史作家」には、『幕末明治維新には、皇室や日本内外の勢力を巻き込んだ陰謀や秘密結社が暗躍していた』などという奇矯な妄想を述べる者がいますが、、、
司馬遼太郎さんの著作には、そんな荒唐無稽な点はありません。、、、その点については、司馬作品は、「良書」だと思いますね。
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司馬史観 (続強子の部屋)
2019-02-28 17:26:26
私は新しい歴史教科書の会の会員です。
会の趣旨は同感ですが。
司馬史観絶対の先生がいて辟易しました。


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驚きました (onecat01)
2019-02-28 18:45:04
続強子さん。

 会には、そんな先生もおられますか。驚きました。

 今回、司馬氏のことで、いろいろ調べましたら、保守の作家の方々には、是々非々で評価している人が多いと知りました。

 しかし、会には、そんな先生もおられるのですね。どうでしょう、そんな先生の話を聞くときは、余所事でも考え、気分転換されては如何ですか。

 きっと貴方は、私より真面目な方で、そんな失礼なことが出来ないのでしょうね。同情いたします。
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