相撲は時々見ますけれど、熱心なファンではありません。私は日本を大切にしていますが、相撲界に外国人力士が増えても反対という人間ではありません。
このところ、連日のように日馬富士の暴力事件が報じられており、報道を見るほどに、訳が分からなくなります。
それは、事件をめぐる相撲協会の対応です。国技とか神事とか、何かあるたびに言われますが、協会の関係者や、力士たちや、あるいは審議会に名を連ねている有識者たちも、本気でそれを考えているのか、疑わしくなります。
相撲は体をぶつけ合う力技ですが、ルールの中で互いの技倆を尽くすスポーツです。土俵を離れて腕力を振るい、相手を傷つければ、即刻傷害事件となり、下位の力士でも、上位の力士でも、事件を起こせば犯罪人です。
それなのに場所が始まっているため、事件の捜査を中断するというのですから、ことの重大性を認識していないのは、相撲協会の役職者たちでしょう。
国技とか神事とかいう言葉が、どうして犯罪者を庇護する使われ方をするのか、不思議でなりません。日馬富士に反省が足りないというのなら、反省を邪魔している相撲協会が問題なのに、マスコミはそこには踏み込みません。
モンゴル力士だから、日本の文化が理解できないとか、モンゴル人を入れたのが間違いだとか、そんな意見も出てきていますが、見当違いの話です。
朝青龍や日馬富士は、確かにモンゴル人であり、暴力事件を起こした力士ですから、法の裁きを受けるのは当然です。しかし暴力事件を、民族と絡めて批判するのは、日本人として恥ずかしいことです。
昭和61年に横綱になり、双羽黒と名前を変えた北尾は、三重県出身の日本人でしたが、とんでもない力士でした。付け人を殴ったり、わがままの放題をし礼節も知らず、親方と喧嘩をし、止めに入った女将さんにも乱暴を働きました。
歴代の横綱は怪我や体力の限界で退位したのに、双羽黒だけは、師匠と喧嘩の末の廃業でした。日本語を勉強し、挨拶もきちんとし、日頃の行いでは、日馬富士は遥かに双羽黒を越えています。
今回の事件に民族を持ち込むのは正しい意見でなく、問題をややこしくするだけです。民族でなく相撲協会の体質に原因があると、そう言いたいと思います。
横綱の品格とか、品位とか、相撲の解説者たちも言いますが、問題が生じるまで黙認してきた協会に責任はないのかと、言いたくなります。
日馬富士のことは、警察に任せるとしまして、日頃苦々しく感じていることを言います。
余り批判する人はいませんが、白鵬の取り組みの品位の無さ、品格の欠如が、ずっと以前から不快でなりません。何時から彼がそれをするようになったのか、覚えていませんが、たちあいでする、あの「張り手」です。飛び込んでくる相手の横面を、力任せに叩くのですから、やられた方は一瞬目がくらむはずです。
四十八手の中にはありますが、こんなものは、横綱の使う手ではありません。
素人の私たちでも、いきなり横面を叩かれたら、カッときて喧嘩になります。鍛えている力士だと言いましても、「張り手」をやられたら平常心を失い、ムキになるはずです。
老練な白鵬は、ムキになる相手を計算に入れ、戦っているのかもしれませんが、幕下の下位番付がする喧嘩相撲でしかありません。
力士たちは「張り手」が分かっていても、横綱に文句は言えませんし、下位の者が横綱に張り手で応じることもできません。
このような醜い白鵬の取り口を、相撲協会は一度でも注意をしたのでしょうか。解説者や横綱審議会の有識者が、疑問を投げたことがあったでしょうか。
相撲は国技でも神事でもなく、プロレスと同様の興行に過ぎないと斬って捨てる人もいますが、一面の真実です。協会の諸費用を賄い、力士たちの給金を稼ぐためには相撲の人気を高め、お客に足を運んでもらえる工夫がいります。
だからといって、金を稼ぐ人気力士には文句が言えず、注意もせずというのでは、「不祥事の種」を蒔いているようなものです。
お客が喜ぶ人気者には、「見て見ぬふりをする」無責任体質が、相撲界の病巣です。だからおごった白鵬が、行司の判定に異を唱え、土俵に戻らないという醜態を演じたりします。前代未聞の醜行なのに、その場にいた親方衆の誰も声をあげませんでした。
この無責任体制に立ち向かったのが、貴乃花親方だと、そんな穿った意見もありますが、結局は深い闇を感じるだけで、門外漢の私にはさっぱり分かりません。
事件の真相を知っているのは、当事者たちだけでなく、相撲協会の役員、親方衆、マスコミ関係者、横綱審議会の関係者たちですが、誰も話そうとしません。彼らが口を開けば、とんでもない話が飛び出すのかもしれませんが、なあなあで済ませているため、何も知らないのは、国民だけということになります。
ここまできますと、これは相撲界だけの話でなく、政治の世界と重なってきます。
自民党と野党、政府と役人、マスコミや一部の指導者だけが知っている事実があり、知らないのは、国民だけであるという通常の風景です。
その良い例が、橋本元総理の中国人の愛人問題です。彼女が中国の工作員でないかと、政治家やマスコミ関係者や官僚は知っていましたが、国民は知りませんでした。橋本氏が亡くなりほとぼりが冷めた頃、初めて情報が世間に流れました。
政治の方は生きている限り、目をこらすつもりですが、相撲界のことまで、観察し続ける余裕がありません。最後に「ねこ庭」からの希望を述べて、終わろうと思います。
〈 希 望 〉
西欧人にとって「サンタクロース」は、おとぎ話での虚構と分かっていても、老若男女を問わず大切な存在です。時代が移っても、夢であり、希望であり、楽しみであり続けます。
日本人にとって、「国技の相撲」も同じです。たとえ虚構であっても、それは守り続けなくてならない日本人の歴史です。時代が移っても、夢であり、希望であり、楽しみなのですから、相撲協会とその関係者は真剣に取り組まなくてどうするのですか。
「もりかけ」と同様この問題も、私は興味ありませんが、テレビは連日大々的に取り上げています。
何だかんだでそんなこんなで、前回の「八百長」と同じで、有耶無耶のまま終わってしまうと思います。
そして年明け以降も何事も無かったかの如く大相撲が行われ、盛り上がる事でしょう。
「八百長」も「曖昧な幕引き」の如く再開してしまったので、それ以降私は大相撲を心から「感情移入」して楽しめなくなりました。
それはひとえに、角界の「無責任体質」にあると思います。
そしてこの「無責任体質」は大相撲のみならず、あらゆる分野にはびこっていると思います。
管理人様のこの苦言は、どれだけ相撲関係者に届いているでしょうか。
日馬富士が逮捕も起訴もされず、また「曖昧な幕引き」で有耶無耶で終わってしまうようでは、相撲界は「自浄作用」が無いと言われても仕方ないでしょう。
あらゆる分野にはびこる「無責任体質」・・、目立つようになりましたね。
曖昧さは、「和を尊ぶ」日本の特質という面が、無きにしも非ずですけれど、度を越した場合は厳しい対処が必要です。
相撲界の自浄作用を、しっかりと、見ていきたいと思います。「他山の石」・・として。