ねこ庭の独り言

ちいさな猫庭で、風にそよぐ雑草の繰り言

都知事選挙に見る日本の政治 - 16 ( 「三矢研究」と「来栖発言」 )

2024-06-11 21:16:13 | 徒然の記

  「三矢研究」と「来栖 ( くるす  ) 発言」について紹介いたします。

 「三矢研究(みつやけんきゅう)」とは、昭和38年に自衛隊統合幕僚会議が極秘に行っていた、机上参戦演習(シミュレーション)のことを指します。
 
 ネットでは、次のように解説されています。
 
  ・毛利元就の三本の矢の故事にならい、「陸海空三自衛隊の統合」という意味から名づけられた
 
  ・統幕事務局長・田中義男陸将を長とし、統合幕僚会議の佐官級16名、陸海空の幕僚監部から佐官級36名が参加
 
  ・昭和38年2月から6月にかけて、行なわれた・・( 佐藤内閣  )
 
  ・朝鮮半島で武力紛争が発生した場合の、日本への影響を研究し、非常事態に対する日本の防衛のための自衛隊の運用と諸手続きを、陸海空統合の立場から研究することを目的とした
 
 「三矢研究」はマスコミがトップ記事で扱い、国会において大問題となり、防衛問題をタブー視する風潮を助長する契機になったと言われています。平和憲法下の自衛隊という観点から、問題がいつまでも燻り続け、昭和53年週刊ポスト」誌上での、来栖参謀総長の意見が更に火をつけました。
 
  ・現行の自衛隊法には不備があり、他国から奇襲侵略を受けた場合首相の防衛出動命令が出るまで動けない。
 
  ・このため第一線部隊指揮官が、超法規的行動に出ることはありえる
 
 氏はこう述べて、有事法制の早期整備を促しました。発言は即座に政治問題化し、マスコミが連日大騒ぎし、野党だけでなく自由民主党も氏の発言に反対しました。
 
 しかし氏は信念を譲らず、記者会見でも同様の発言を繰り返し、これが文民統制の観点から不適切だということとなり、時の防衛庁長官金丸氏に解任されました。

 自由民主党は氏を解任し世間の騒ぎをおさえましたが、来栖氏の正論を無視できず、その後福田首相が有事立法法制の研究促進と、防衛体制の検討を防衛省に指示し、自衛隊法が改正され、有事法が成立しました。

 今となって考えますと来栖氏は正しいことを言い、信念を曲げなかった憂国の士だったと分かります。田母神氏も来栖参謀総長について、「ねこ庭」と同じ捉え方をしていました。

  ・来栖議長は、法の不備を指摘したに過ぎない。

  ・法治国家だから、自衛隊は法が整備されていないと動けないのであり、国防の任務が果たせない。

  ・ところが金丸長官は世間に誤解を与えたという理由で、来栖議長を解任した。

  ・金丸氏は、支那事変のきっかけとなった盧橋溝事件まで引き合いに出し、一人の軍人、一つの軍隊の行動が大きな問題に発展する危険をはらんでいると、述べていた。

  ・長官は、軍は必ず暴走するとでも考えていたのだろうか。

  氏の怒りを理解しましたが、氏が語ると国民の多くは、「暴走する」と誤解しそうな気がします。尖閣の領海・領空を侵犯する中国の戦闘機や公船について、当時の氏がなんと語っていたか。

  ・そんな飛行機は、打ち落とせばいいんですよ。

  ・領海を犯す船だって撃沈してしまえばいいんです。それが国際法上の常識です。

 ここまでハッキリ意見を述べる将官は、来栖氏解任以来いませんでしたので、政府は驚きマスコミもびっくりし、野党が激しく反撃しました。反撃される分だけ、氏は反撃しました。

     ・軍事の国際標準に従えば、自縄自縛の政策はすべて見直されるべきだと思っている。

   ・集団的自衛権はいうまでもないが、自衛隊を軍と認めない日本国憲法も、書き換えが必要である。

   ・世界には、平和を愛していない国があることを気づかせてくれたのが、北朝鮮による拉致事件である。

   ・今年の春名古屋高裁で、自衛隊のイラク派遣は憲法違反であるとの判決があった。

   ・政府の命令で、自衛隊が命をかけて任務遂行にあたっている時、憲法違反だと言われては隊員たちも立つ瀬がない。

   ・防衛政策では、専守防衛、非核三原則、武器輸出三原則を見直す必要があると思っている。

   ・日本がかって核攻撃を受けたのは、核兵器を持っていなかったからだ。

   ・核のない不安定な社会よりは、核による平和な社会を選ぶと言ったのは、サッチャー首相だ。

 日頃の発言が災いし麻生内閣の時、氏は「田母神論文事件」で血祭りに挙げられます。有名な事件なので詳細は述べませんが、国会の動きだけを伝えたいと思います。
 
  平成20年の11月、氏は国会に参考人として招致され、屈辱的な扱いを受けます。次の民進党政権で防衛大臣になる北沢喜美氏が、委員長として述べた言葉を紹介します。
 
  ・参考人に出席を求めたのは、国民の代表機関である国会の場で、この問題をただす一環として招致したものであり、決して本委員会は、参考人の個人的見解を表明する場ではありません。
 
  ・さらに本日の質問者、答弁者に対して、一言お願いいたします。
 
  ・論文事案は、制服組のトップが自衛隊の最高指揮権を有する、内閣総理大臣の方針に反した意見を公表するという驚愕の事案であり、政府の文民統制が機能していない証であります。
 
  ・文民統制の最後の砦が、国会であります。
 
  ・昭和時代に文民統制が機能しなかった結果、国家が存亡の淵に立った最初の一歩は、政府の方針に従わない軍人の出現と、その軍人を統制できなかった、政府、議会の弱体化でありました。
 
  ・国民の負託を受けた国会が、後世の歴史の検証に耐えうる質疑をお願いする次第であります。
 
 平成29年9月9日の千葉日報でこの反日北沢元防衛大臣が、「憲法改正」について写真入りで意見を述べていました。
 
  ・九条があったからこそ、日本は70年にわたって戦争をしていないし、戦争で誰も死んでいない。
 
  ・具体策があるわけでないが、場合によっては改憲せず、法体系全体のに中で自衛隊を明記する方法もあるのではないか。
 
  ・自衛隊が憲法に明記されれば多くの隊員は喜ぶだろうが、河野克俊統合幕僚長が安倍首相の提案について、一自衛官として有り難いと発言したのはあり得ない話だ。
 
  ・しかも首相官邸は注意せず擁護した。文民統制の根底が覆った。
 
  ・国民はバカじゃない。国民を欺くような形で、憲法改正を議論してはいけない。
 
 北沢氏に防衛大臣がよく務まったものと呆れますが、そうでなく、大臣の愚かさに耐えた自衛官が偉かったのかも知れません。
 
 「国民はバカじゃない。」という言葉を、そっくり氏に返したくなります。何年経ってもバカはバカで、反日は反日であると知らされる千葉日報の記事でした。
 
 もう一度、田母神氏の事件に戻りますと、平成20年の国会招致で委員会が終わった時、氏は記者たちに向かって語りました。
 
  ・自由な議論ができないのなら、日本は北朝鮮と同じだ。
 
 氏は来栖統合参謀総長以来二人目の、政治的犠牲者となった自衛隊の高官だと、やはり「ねこ庭」では考えます。

  しかし評価しているところもありますので、次回はその点を紹介いたします。

 シリーズの12回で述べたまま、テーマを外れて次は17回となりますので、次回で元へ戻り、田母神氏を評価している部分を紹介します。

 それでも本来のテーマである「都知事選挙に見る日本の政治 」から、外れたままだということは忘れていません。もうすぐ戻る予定です。

コメント (2)
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都知事選挙に見る日本の政治 - 15 ( 鍛治氏は人間のクズ ? )

2024-06-11 13:32:17 | 徒然の記

 勇馬 ( ゆうま ) 氏の説明によりますと。平成27年の12月に田母神氏を東京地検に告訴したのは、水島総氏と鍛治俊樹氏、つまりこの二人が原告です。

 氏の「分析資料」は知らない事実を沢山教えてくれ、共鳴するところが多々あります。一方で、PRC ( 中国 が水島氏のバックにいた、あるいは自公の既成政党の意を受けたのか? という見方には疑問を覚えました。

 それは水島氏の保守人としてのこれまでを否定する極論なので、受け入れられません。極論は往々にして真面目な議論を歪めるので、「ねこ庭」では警戒しています。

 田母神氏の意見にしても、ユーモアとも言い難い駄洒落は極論になりがちなちなので、普通の話し方ができないのかと常に感じています。氏の著書を読んだり意見を聞いたりした時の、率直な感想が下記です

  ・歴史に関する意見は正論だが、「何でも日本が正しい」と主張する頑固さに、一般の日本人は違和感を覚えるのではなかろうか。

  氏の語り口には特徴があり、「ねこ庭」で「田母神節」と名付けています。簡単に言いますと、「何が何なんでも日本が素晴らしい」とする強引な論法です。
 
 熱心な信奉者は別にして、そうでない人間はやり切れなくなります。勇馬氏は田母神氏の信奉者の一人のようですから、「ねこ庭」は距離を置いて読んでいますが、次の叙述に注目しました。

 ・2015(平成27)年1227日、M、鍛治俊樹らが田母神氏を東京地検に告訴

 水島氏が一人で告訴していたと思っていましたので、もう一人いたと知るのは驚きでした。鍛治氏の略歴を調べ、さらに意外感を覚えました。

〈 鍛治俊樹氏の略歴 〉

  ・昭和32年生まれ、広島県出身 日本の軍事ジャーナリスト

  ・昭和58年埼玉大学卒業後、航空自衛隊に入隊 主に情報通信関係の将校として11年間勤務

  ・平成6年一等空尉で退職後、評論活動に入る

  ・平成7年「日本の安全保障の現在と未来」が、第一回読売論壇新人賞佳作に入選

  ・平成23年「鍛冶俊樹の軍事ジャーナル」が、「メルマ!ガ オブ ザイヤー2011」審査員特別賞を受賞

  ・平成23年「文化防衛と文明の衝突」が、アパグループ主催の懸賞論文で佳作入賞

 軍事ジャーナリストとしての活動と共に、氏が田母神氏と同じ航空自衛隊に所属していたことを知りました。自衛隊の階層を知りませんので、防衛省の広報で下記を確認しました。

   将官・・・幕僚長、将、将補と別れています

   佐官・・・1佐、2佐、3佐と別れています

   尉官・・・1尉、2尉、3尉と別れています

   曹官・・・曹長、1曹、2曹、3曹と別れています

   士官・・・士長、1士、2士と別れています。ここが一般兵の階層で昔の言葉で言いますと、班長、一等兵、二等兵に該当します。

 田母神氏は昭和46年に防衛大学を卒業後自衛隊に入隊し、平成19年に航空自衛隊のトップである航空幕僚長に就任しています。鍛治氏は、田母神氏が幕僚長になる13年前に退職していますから、ほとんど接点がないことになります。

 40年間会社勤めをした自分の経験からしますと、鍛治氏の行動は常識では考えられません。会社で言えば、大会社の係長 ( 主任 ) クラスの人間が社外の他人と一緒になり、世話になった会社の社長を告訴・批判していることになります。

 在職中に会社とトラブルを起こし個人的な恨みがあったとしても、社長を裁判に訴えマスコミで叩くという行為は普通はしません。言論の自由が保障されているとしても、人間には最低限の節度が必要です。まして田母神氏は、政治信条の問題で騒がれているのであり、最初から犯罪者扱いするのは礼節に外れています。

 チャンネル桜の動画で、水島氏と共に田母神氏を批判している鍛治氏を発見し、氏の言動が、伊藤貫氏と同じ「人間のクズ」の行為を想起させました。極論は述べていませんけれど、残念ながら「ねこ庭」では「人間のクズ」の言葉を取り上げる気持になれません。

 「田母神氏は来栖参謀総長以来、二人目の政治的犠牲者となった将官ではないのか。」

  鍛治氏を知った現在の感想です。「都知事選挙」のテーマから飛んでしまいますが、大切な事件なので次回は「来栖発言」と「三矢研究」について紹介したいと思います。 
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