音楽の大福帳

Yoko Nakamura, 作曲家・中村洋子から、音楽を愛する皆さまへ

■ 「宝生閑」さんと、「ベルリンの壁」崩壊から20年 ■

2009-11-09 23:58:33 | ■楽しいやら、悲しいやら色々なお話■
■ 「宝生閑」さんと、「ベルリンの壁」崩壊から20年 ■
                  09.11.9  中村洋子


★本日は、1989年11月9日に、東西を分断していた

「ベルリンの壁」が崩壊してから、20年が経過した記念の日です。

先週、来日中の「ライプチッヒ・ゲバントハウス管弦楽団」の、

楽団員の3人と、夕食をご一緒いたしました。

ライプチッヒは、バッハが後半生を過ごした地であり、また、

1743年に、創立された「ゲバントハウス管弦楽団」は、

世界屈指の、オーケストラです。

東ドイツ自由化の運動は、ライプチッヒの教会が発祥の地でした。


★楽団員の方は、お一人は、7代続く音楽家の家系、

また、もう一人は、コンサートマスターであったカール・ズスケさんの、

お嬢さんで、ご兄弟すべてが音楽家の方でした。


★最後のお一人は、ヴィオラ奏者でしたが、その方は、

「父は牧師で、私の家系には音楽家はいませんでした。

しかし、私の兄弟はすべて、音楽家になりました。

もし、旧東ドイツ時代に、普通の職業に就いていましたら、

絶えず、政府から干渉される毎日でした」。

そして、「音楽をしている時だけは、心の自由は誰からも、

奪われません。ですから、私は音楽家になったのです」と、

静かに、語っていました。


★このように、切実に音楽を求め、

演奏している方と、出会うことができ、

私は、とても、幸せでした。

バッハの息吹が残るライプチッヒで、厳しい政治状況の下で、

ひたむきに、音楽と向き合ってきた姿勢に、打たれました。

日本でも、このような真摯な音楽家が増えるといいですね。


★先週は、7日の土曜日、国立能楽堂で、お能「安宅」を観ました。

ワキ「宝生閑」さんの、「富樫」が、絶品でした。

ワキは、一般的に、主役のシテに対し、旅の僧などを演じ、

物語を進行させる“脇役”に、徹することが多いのです。

しかし、「安宅」は、シテの「弁慶」に対し、

対等に、渡り合う演目です。


★この二人の葛藤を、鮮烈に描くため、

義経は敢えて、子供が演じます。

「富樫」が、義経一行を、義経と見破ったかどうかは、

演じ方次第、でしょうが、

宝生閑さんは、明らかに “義経と見破った“ うえで、

自らの命を賭して、彼らを救ったと、

私は、舞台を観ながら、そう思いました。


★弁慶が、お礼の舞いを披露し、

足早に立ち去っていく姿を、眺める「富樫の横顔」。

宝生閑さんが、一瞬見せた表情は、

いずれ、義経ではなく、自分が殺されるであろう、

という近い将来の虚空を、眺めている目でした。

“それも人生である”と、達観した姿でした。


★私は、宝生閑さんに、このような人間的な表情を、

見たのは、初めてです。

“感情を表さない”、という厳格なお能の様式を守りながら、

ふっと一瞬、真の人間性を浮び上がらせる業、

至難の業である、と思いました。


★先週は、ドイツと日本の、本当の芸術家の方々に、

接することができ、勇気を、頂きました。


                          (椿:西王母)
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