■ 「宝生閑」さんと、「ベルリンの壁」崩壊から20年 ■
09.11.9 中村洋子
★本日は、1989年11月9日に、東西を分断していた
「ベルリンの壁」が崩壊してから、20年が経過した記念の日です。
先週、来日中の「ライプチッヒ・ゲバントハウス管弦楽団」の、
楽団員の3人と、夕食をご一緒いたしました。
ライプチッヒは、バッハが後半生を過ごした地であり、また、
1743年に、創立された「ゲバントハウス管弦楽団」は、
世界屈指の、オーケストラです。
東ドイツ自由化の運動は、ライプチッヒの教会が発祥の地でした。
★楽団員の方は、お一人は、7代続く音楽家の家系、
また、もう一人は、コンサートマスターであったカール・ズスケさんの、
お嬢さんで、ご兄弟すべてが音楽家の方でした。
★最後のお一人は、ヴィオラ奏者でしたが、その方は、
「父は牧師で、私の家系には音楽家はいませんでした。
しかし、私の兄弟はすべて、音楽家になりました。
もし、旧東ドイツ時代に、普通の職業に就いていましたら、
絶えず、政府から干渉される毎日でした」。
そして、「音楽をしている時だけは、心の自由は誰からも、
奪われません。ですから、私は音楽家になったのです」と、
静かに、語っていました。
★このように、切実に音楽を求め、
演奏している方と、出会うことができ、
私は、とても、幸せでした。
バッハの息吹が残るライプチッヒで、厳しい政治状況の下で、
ひたむきに、音楽と向き合ってきた姿勢に、打たれました。
日本でも、このような真摯な音楽家が増えるといいですね。
★先週は、7日の土曜日、国立能楽堂で、お能「安宅」を観ました。
ワキ「宝生閑」さんの、「富樫」が、絶品でした。
ワキは、一般的に、主役のシテに対し、旅の僧などを演じ、
物語を進行させる“脇役”に、徹することが多いのです。
しかし、「安宅」は、シテの「弁慶」に対し、
対等に、渡り合う演目です。
★この二人の葛藤を、鮮烈に描くため、
義経は敢えて、子供が演じます。
「富樫」が、義経一行を、義経と見破ったかどうかは、
演じ方次第、でしょうが、
宝生閑さんは、明らかに “義経と見破った“ うえで、
自らの命を賭して、彼らを救ったと、
私は、舞台を観ながら、そう思いました。
★弁慶が、お礼の舞いを披露し、
足早に立ち去っていく姿を、眺める「富樫の横顔」。
宝生閑さんが、一瞬見せた表情は、
いずれ、義経ではなく、自分が殺されるであろう、
という近い将来の虚空を、眺めている目でした。
“それも人生である”と、達観した姿でした。
★私は、宝生閑さんに、このような人間的な表情を、
見たのは、初めてです。
“感情を表さない”、という厳格なお能の様式を守りながら、
ふっと一瞬、真の人間性を浮び上がらせる業、
至難の業である、と思いました。
★先週は、ドイツと日本の、本当の芸術家の方々に、
接することができ、勇気を、頂きました。
(椿:西王母)
▼▲▽△無断での転載、引用は固くお断りいたします▽△▼▲
09.11.9 中村洋子
★本日は、1989年11月9日に、東西を分断していた
「ベルリンの壁」が崩壊してから、20年が経過した記念の日です。
先週、来日中の「ライプチッヒ・ゲバントハウス管弦楽団」の、
楽団員の3人と、夕食をご一緒いたしました。
ライプチッヒは、バッハが後半生を過ごした地であり、また、
1743年に、創立された「ゲバントハウス管弦楽団」は、
世界屈指の、オーケストラです。
東ドイツ自由化の運動は、ライプチッヒの教会が発祥の地でした。
★楽団員の方は、お一人は、7代続く音楽家の家系、
また、もう一人は、コンサートマスターであったカール・ズスケさんの、
お嬢さんで、ご兄弟すべてが音楽家の方でした。
★最後のお一人は、ヴィオラ奏者でしたが、その方は、
「父は牧師で、私の家系には音楽家はいませんでした。
しかし、私の兄弟はすべて、音楽家になりました。
もし、旧東ドイツ時代に、普通の職業に就いていましたら、
絶えず、政府から干渉される毎日でした」。
そして、「音楽をしている時だけは、心の自由は誰からも、
奪われません。ですから、私は音楽家になったのです」と、
静かに、語っていました。
★このように、切実に音楽を求め、
演奏している方と、出会うことができ、
私は、とても、幸せでした。
バッハの息吹が残るライプチッヒで、厳しい政治状況の下で、
ひたむきに、音楽と向き合ってきた姿勢に、打たれました。
日本でも、このような真摯な音楽家が増えるといいですね。
★先週は、7日の土曜日、国立能楽堂で、お能「安宅」を観ました。
ワキ「宝生閑」さんの、「富樫」が、絶品でした。
ワキは、一般的に、主役のシテに対し、旅の僧などを演じ、
物語を進行させる“脇役”に、徹することが多いのです。
しかし、「安宅」は、シテの「弁慶」に対し、
対等に、渡り合う演目です。
★この二人の葛藤を、鮮烈に描くため、
義経は敢えて、子供が演じます。
「富樫」が、義経一行を、義経と見破ったかどうかは、
演じ方次第、でしょうが、
宝生閑さんは、明らかに “義経と見破った“ うえで、
自らの命を賭して、彼らを救ったと、
私は、舞台を観ながら、そう思いました。
★弁慶が、お礼の舞いを披露し、
足早に立ち去っていく姿を、眺める「富樫の横顔」。
宝生閑さんが、一瞬見せた表情は、
いずれ、義経ではなく、自分が殺されるであろう、
という近い将来の虚空を、眺めている目でした。
“それも人生である”と、達観した姿でした。
★私は、宝生閑さんに、このような人間的な表情を、
見たのは、初めてです。
“感情を表さない”、という厳格なお能の様式を守りながら、
ふっと一瞬、真の人間性を浮び上がらせる業、
至難の業である、と思いました。
★先週は、ドイツと日本の、本当の芸術家の方々に、
接することができ、勇気を、頂きました。
(椿:西王母)
▼▲▽△無断での転載、引用は固くお断りいたします▽△▼▲