音楽の大福帳

Yoko Nakamura, 作曲家・中村洋子から、音楽を愛する皆さまへ

■ Woody Allenn ウッディ・アレンの映画「 Midnight in Paris 」を見る■

2012-08-12 00:47:50 | ■楽しいやら、悲しいやら色々なお話■

■ Woody Allenn ウッディ・アレンの映画「 Midnight in Paris 」を見る■
             2012.8.12 中村洋子

 

★虫が、鳴き始めました。
お盆が近づき、蝉の鳴き声は例年に比べ弱々しいのですが、
きょう初めて、虫の音を聴きました。
暑い暑いといっているうちにもう、秋がそこまで来ていました。

★8月は、27日 「 横浜みなとみらい 」 での
≪ 第 5回 Chopin の見た平均律クラヴィーア曲集・アナリーゼ講座 ≫と、
28日「表参道 Kawai」での≪ 第 2回イタリア協奏曲・アナリーゼ講座 ≫の
勉強で、気が抜けませんが、
映画の面白いパンフレットにつられ、映画館まで、足を運びました。

★パンフレットは、セーヌ川を何気なく散歩している青年の、
頭上の空が、ゴッホの名画 「 星月夜 」 の空です。
太陽のように大きな星の周りを、青や緑が渦巻いている空です。

★その映画は、Woody Allenn ウッディ・アレン監督の
「 Midnight in Paris 」。
キャッチコピーは 「 真夜中のパリに 魔法がかかる 」。

★アメリカは Hollywood ハリウッド、そこで売れっ子の脚本家 Gil ギルが、
フィアンセの Inez イネズと、彼女の両親ともども、
パリを、観光で訪れています。
彼は、どこか野暮ったくて、憎めない顔つきです。

★イネズは、美人で明るくチャーミング。
しかし、ブランドや権威を妄信しています。
よくあるタイプの女性です。
結婚式を挙げた後、Malibu マリブという超高級住宅街に、

豪邸を建てる夢に酔っています。
両親も実業家として成功、とてもとてもリッチな、
ステレオタイプな、アメリカ人。
100万円単位の骨董家具を、パリの店頭で見て、高いとも思いません。

★お金は、たくさん入ってくるものの、
退屈で常套的な脚本を、書き飛ばしていることに、飽き飽きし、
“ これでいいのだろうか ”と、疑問を抱いているギル。
“ 本当は、小説を書きたいのだ ” と、
パリにも、書きかけの小説を、持ってきています。

 

 

★売れるかどうか分からない小説に、時間を取られるより、
「 脚本を、書き続けて、お願い 」 と、頼むイネズ。

★ギルたちが、豪華なフレンチレストランで食事中、
「 Sorbonne ソルボンヌで講演するため、パリに来た 」という、
知り合いの批評家 Paul ポールが突然、顔を出します。
口先だけの知識を、これでもかと、ひけらかす典型的な snob。

★Paul は、ギルとは対極的な人物として、引き立て役として、

最後まで、楽しく絡みあっていきます。
自分の滑稽さに、気づかない人です。

★そうした彼らとの、通俗的パリ見物に、辟易し、
一人、石畳に靴音を響かせ、夜のパリをさまようギル。

★真夜中十二時の鐘が鳴ると、あら不思議、彼の前に、
1920年代の豪華な 黄色いプジョー( Peugeot Type 184 Landaulet) の、
ワゴン車が、現れます。

★「 さあ、さあ、お乗り、お乗り !!! 」 と誘われ、
つい、乗ってしまいます。
シンデレラの十二時の鐘と、カボチャの馬車のパロディーでしょう。

★シンデレラが、憧れの王宮にたどり着いたように、
ギルの最も憧れていた 1920年代のパリへと、
黄色い Peugeot が、彼をいざないました。

★ギルを誘った男が、自己紹介します。
キリリとネクタイを締め、パーマをかけたヘアーが、素敵です。
「私は、Scott  Fitzgerald スコット・フィッツジェラルド・・・」、
「 あの有名な Fitz、Fitz、Fitzgerald? 」 と、
驚くやら、喜ぶやら、目を丸くするギル。

★到着したのは、Jean Cocteau ジャン・コクトー主催のパーティー。
ピアノを弾きながら、哀愁を帯びた自分の曲を歌ってるのは、
Cole Porter コール・ポーター。
ワインの香り、踊る男女の揺れる肩、飛び交う笑い声、
一方では、談論風発のグループ。
観客も、酔いしれるようなパーティーです。

 

 

★Fitzgerald と妻のゼルダ Zelda は、彼を二次会へと誘います。
待ち受けていたのは、Hemingway ヘミングウェイ、Picaso ピカソ、
Matisse マティス・・・
クラクラとするような、世紀の芸術家たちです。

★そこは、Gertrude Stein ガートルード・スタインの館。
煌くような芸術家たちが集まる、サロンでした。
ギルは、夜な夜な、通い続けます。
ヘミングウェイの紹介で、遂に、ギルは自分の小説を、
著名な作家でもあるガートルード・スタインに、
見てもらうことになります。

★ヘミングウェイが、ギルの小説を自分では読まず、
スタインへと、振ったのは、
≪ つまらないものなら、腹がたつ。いい作品なら、嫉妬で腹が立つ ≫
という、理由です。
真の芸術家の在り方を表現する言葉として、至言かもしれません。
ヘミングウェイが、熱弁をふるうこの場面は、
この映画の最初のヤマ場と、私は思います。

 

 

★作家同士は、真剣勝負である。
馴れ合いではない、馴れ合ってはいけない。
ムラ社会で、群れてはいけない。
≪ 君は、死を賭すほどの情熱で、女を愛することができるか ? ≫
≪ 本当にお前は、婚約者を愛しているか ≫
ヘミングウェイは、ギルを挑発します。
仕事にも恋愛にも、生死を賭けるほどの情熱を注げ!

★イネズへの愛が、愛だったのだろうか?、
まやかしであったのではないか、と自問し始めるギル。

★この映画の隠れた主人公は、ヘミングウェイです。
サロンには、20年代の芸術家そっくりさんが、次々と登場してきます。
バーで出会ったSalvador Dalí サルバトール・ダリ、

Luis Bunuel ルイス・ブニュエル、
Man Ray マン・レイ・・・。

白目をむく Dalí  のそっくりさんは、本物のDalí 以上かもしれません。
これが、映画の醍醐味でもあります。

★20年代へと通いつめるうち、ギルは、
ピカソの愛人 Adoriana アドリアナと、恋に落ちます。
絶世の美女です。
ところが、その美女の理想とする時代は、
さらに遡って、1890年代パリだったのです。

★映画は、便利です。
二人で散歩中、今度は、美しい天蓋付き馬車が通りかかります。
「 on y va! さあ、行こう ! 」 と、誘い込まれます。
たちまち、1890年代の Montmartre モンマルトル へ。
Moulin Rouge ムーランルージュのダンスホールで、出会うのは、
Lautrec ロートレックと Gauguin ゴーギャン、Degas ドガ でした。

★アドリアナは、身にまとっている衣装の斬新さを買われ、
バレー衣装を創作するよう、依頼されてしまいます。
遂に、その憧れの Belle Époque ベルエポックに、住み着く決心をします。

★しかし、その偉大な画家たちが嘆いているのは、
その時代 Belle Époque ベルエポックの浅薄さだったのです。
≪ ミケランジェロの時代に生まれたかった ≫ と、
正直に、口にします。

いつの世でも、その時代に異議を唱えるのが、本物の芸術家なのでしょう。

★ギルが、絶世の美女 Adoriana と、訣別するときの会話。
「 歯を抜くにも、この時代は、麻酔もないし、抗生物質もないしなあ・・」
夢を語る美女に、ギルは即物的な話で混ぜ返します。

見事な科白。
ここが、この映画の最後のヤマ場です。

★“ いつの時代でも、理想郷はありはしない ”
その時代の愚かさ、軽薄さを憎み、俗物と戦い、
日々、命を削る思いで創作している芸術家だけが、
後世からみて、その時代を輝かせている・・・。
これが Woody Allenn のメッセージでしょう。

 

 

★前フランス大統領の Sarközy サルコジさんの、
美しい奥様 Carla Bruni カーラ・ブルーニも
観光ガイドの役で、出演しています。
例の俗物評論家 Paul を、やっつけます。
ロダンの妻が誰だったか、愛人が誰だったかという、本当に本当に
瑣末なつまらないこと、ロダンの芸術にはどうでもいいことで、
知識もどきの、知ったかぶりを、ひけらかしている批評家を、
「 それは違います 」 と、一言でやり込めます。

★この映画は、誰が見ても楽しく、時代考証やファッションも、
普通には入れないような、美術館の特別な倉庫に、
こっそりと、入れてもらったような、
不思議な、密かな楽しみに、満ちています。

★映像美を堪能しながら、観客は、
Woody Allenn が、本当に言いたかったこと、
大変に、毒のあることを、知らないうちに、飲み込まされています。
彼は恐ろしいことを、さらっと言ってのけています。
虚飾に満ちたハリウッドへの、ひいては、アメリカへの批判でもあります。

★NewYork に棲み、アメリカ映画の果実を最大限に享受しながら、
シレッと、“ Hollywood は俗物ばかり ”と、批判している
Woody Allenn の、したたかさ、老獪さ、懐の深さに、感服です。

★青年ギルのフィアンセは、Paul と浮気をしていました。
彼からプンプンと漂う俗物性が、彼女にとっては、
たまらない魅力だったからです。
映画の結末がどうなるかは、想像にお任せします。

雨に濡れながらのパリ散歩、いいですね。
ご自分でご覧になり、味わってください。

 

 

★音楽の分野に限って申しましても、ある作品を理解するのに、
いまだに、その作曲家の女性関係やら日常の身辺生活雑記などの、
逸話をこまごまと考証することが、あたかも学問であるかのごとく、
とらえる考え方が、大手を振ってまかり通っています。

★大作曲家の手紙や書き残したもの、例えば、
Beethoven ベートーヴェンや、Mozart モーツァルトの手紙、
Robert Schumann ロベルト・シューマンの著作、Debussy の手紙、
など見ましても、その誤った方向でお仕事をしている、
学者評論家が、欲しているようなお話やエピソードは、
ほとんど、ありません。

★それらの手紙は、ほとんどが、
妥協のない仕事をしているが故に陥る生活苦、
その結果としての、借金の申し込み、
俗物への激しい怒りなどの内容ばかりです。
ごくまれに現れる、甘美なロマンス話もどきを、
鬼のくびを取ったように、針小棒大に書き、

恋人の詮索に当てて、なんの意味があるのでしょうか。
それにより、音楽の理解が深まるわけではありません。
音楽は、音のみで、理解するしかないのです。

 

 

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