音楽の大福帳

Yoko Nakamura, 作曲家・中村洋子から、音楽を愛する皆さまへ

■音楽の美について、1月~3月のアナリーゼ講座■

2009-01-01 15:56:22 | ■ 感動のCD、論文、追憶等■
■音楽の美について、1月~3月のアナリーゼ講座■
            09.1.1    中村洋子


★皆さま、明けましておめでとうございます。

ことしも、月に1回のペースで、

『バッハ・インヴェンション全曲アナリーゼ講座』に

取り組んでいきたいと、思います。


★昨年は、5番まで終了しました。

ちょうど、全体の3分の1です。

インヴェンションは、1番が長調、2番は短調、

3番は長調、4番が短調と、「長短」の組合せで、

構成されていますが、

5、6番だけは、唯一、「長調が2曲連続」しています。


★5番は変ホ長調、6番はホ長調。

変ホ長調は、調号の♭が三つ、ホ長調は、♯が四つ。

互いに、「遠隔調」の関係にあります。

それ以外の、1番、2番などは、ハ長調、ハ短調と、

同主調=近親調 の関係にあります。

遠隔調の5番、6番を連続して、演奏しますと、

6番に入った瞬間、そこでフッと世界が変わります。


★1月27日のアナリーゼ講座で、6番を取り上げますが、

新年の幕開け「Auftakt」にふさわしい曲、といえます。

5番 変ホ長調、6番 ホ長調は、半音違いの調ですが、

インヴェンション6番の1小節目の上声で、

「E、Dis、D」 と半音階が、現れてきます。

Disは、Esの異名同音ですから、

この5番から6番へと、連続して演奏しますと、

軽い驚き(半音上の調になっている)を、感じるはずです。

この「E、Dis 、D」 の三つの音の進行は、

バッハのユーモアすら漂ってくる、巧妙な曲の出だしです。


★バッハの作品では、こうした半音階は、

とても重要な位置を、占めております。

今回、講座で取り上げる予定の

「アンナ・マクダレーナ・バッハのためのクラヴィーア小曲集」にも、

半音階進行に親しむための、可愛らしい舞曲が、入っています。

「メヌエット イ短調 BWV Anh.120」 と

「メヌエット ハ短調 BWV Anh.121」です。


★この2曲は作曲者不明ですが、イ短調のほうは、6小節目から、

4小節続く「 Gis, G, Fis, F」 の半音階進行、

ハ短調のほうは、4小節目から始まる

「H, B, A, As」 の半音階。

これらは、この半音階に付けられた和声がとても美しく、

すばらしい半音階の例、ということができます。


★私は、インヴェンションの楽譜に、昨年12月5日に物故された

加藤周一さんが、朝日新聞に連載された「夕陽妄語」の

 ≪「美」について≫(1995年、7月20日)というエッセイを

切り抜いて、挟んでいました。


★日付を見ますと、14年前の記事です。

その間、楽譜に挟んでいた、ということになります。

深い内容で、大意は次のようなものです。


★芸術作品を「美」と結びつけて考えるのは、長い習慣であるが、

「何を美しいとする」のは、その人により、時代により、また文化による。

1950年代のパリで、芸術家の半数は、レオナルド・ダ・ヴィンチを

「画聖レオナルド、その作品こそが絵画を定義する」とする。

しかし、残り半数は、「甘い通俗性の元祖、何の興味もない」。


★マルセル・デュシャン以後、前衛芸術家の多くは、

「美しい」という語を、「批判」として使う。

後期印象派まで、芸術的冒険は、美しくあり得たが、

今やその時代は終わった。

それでも「芸術」と「美」を、密接不可分なものとして語るのは、

アカデミズムの惰性に過ぎない。


★今日では、自然科学者が、「美」を十分に明瞭に語る。

例えば、古典熱力学では、理論やその体系の内的斉合性、または

構造のシンメトリーなどが、美的感動を呼び起こす。

要するに、芸術家は「美しさ」を憎悪し、

数学者は、「美しさ」に感動する。

これが、我々の住んでいる世界の現実。


★自然科学者でない我々は、どうすればよいか。

第一に、芸術と美を切り離したほうがいい。

シャルトルの建築は、当時、美しくある前に神の住居だった。

「ゲルニカ」は、美しくある前に、戦争の悲惨さ。

第二に、「美しさ」一般を定義する努力は、あきらめる。

定冠詞つきの「美」はない。

あるのは、複数のさまざまな美しいものだけ。

シャルトルの柱像から、北魏の仏像まで、

コンゴの面から能面まで。

文化的多元主義には、美的多元主義が伴わざるを得ない。

それが、我々の時代の条件である。


★ある初夏の日の午後、イル・ドゥ・フランスの麦畑のなかを

私は友人と、車を走らせていた。

久しぶりに訪れたサンリスの教会の、内陣の美しさは、

私の脳裏に残像のように、鮮やかに残っている。

窓外には、おだやかに起伏する麦畑と森が拡がり、他に人影なし。

友人の眼は涼しく、そのフランス語の響きは耳に快かった。


★突然、私のなかで、美しい人と、建築と自然が、一点に集まり、

分かち難く溶け合ったのは、その時である。

それは、忽ち来たり、忽ち去る、至福の瞬間であった。


★たしかに、「美の一般理論」は成り立ち難い。

しかし、たしかに、「美の経験」はある。

何がその経験の特徴だろうか。

おそらく、それは、異常に密度の高い一種の幸福感としか、

いい様のないものなのかもしれない。

                 (以上が大意です)


★バッハの音楽の美しさを、理論化することは、

極めて難しいでしょう。

しかし、たしかに、「バッハが美しい」という経験を、

私たちは、絶えず、繰り返し繰り返しもちます。

なにが、その美しさを弾く者、聴く者に、もたらしているのか、

アナリーゼ講座で、それを少しずつ、

解き明かしていきたい、と思います。


★ただし、それで、解き明かし尽くせるものでもなく、

加藤さんの結論「異常に密度の高い、一種の幸福感」が、

バッハの音楽の特徴、最も大きな「特徴」、

ということが出来るかもしれません。


★逆に、この「至福の瞬間」を感じ、体験した人のみが、

バッハを愛し、生きるうえでバッハを終生、必要とし、

そして、真の音楽そのものを、楽しむことができ、

愛し続けることが出来る、のかもしれません。


★第6回インヴェンション・アナリーゼ講座のご案内。 

「インヴェンション6番、シンフォニア6番」

~アンナ・マグダレーナ・バッハのためのクラヴィーア小曲集との関連

●1月27日(火)午前10時 ~ 12時30分、

●「会場」カワイ表参道・コンサート・サロン「パウゼ」。

第7回は、2月17日(火)「インヴェンションとシンフォニアの7番」

第8回は、3月24日(火)「インヴェンションとシンフォニアの8番」


★「特別アナリーゼ講座」

●3月7日(土)午後5時 ~ 7時30分、会場:パウゼ。

≪ドビュッシー「月の光」から「喜びの島」へ≫


★本年も、どうぞよろしくお願いいたします。

写真は、万両の赤い実です、左の黄色い花は、蝋梅の蕾です、

ヒヨドリが、蕾をついばみ、地面に落とします。

蕾を載せた漆の豆皿は、山本隆博さんの作品です。

部屋中、蝋梅のうっとりする初春の香りに、包まれます。


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