僕のほそ道   ~ のん日記 ~

  
これと言ったテーマはなく、話はバラバラです。 つい昔の思い出話が多くなるのは年のせい? 

医師との出会い、そして…

2012年03月05日 | 心と体と健康と

2ヵ月に一度、持病の不整脈などの検査・診察のため、
大阪府松原市にある徳〇会病院に通っています。
まあ、このことは何度も書いてきましたけど…

この徳〇会病院とは浅からぬ因縁があります。

僕の不整脈は頻脈性の心房細動というもので、発作が出ると脈拍が乱れ、
普段の倍以上の脈拍数になるので、とても苦しくてつらいのです。

しかしここ数年は、深酒をした時などを除き、きつい症状は出なくなりました。
これも、いま通っている徳〇会病院のK医師のおかげだと感謝しています。

K医師と出会った時のことは、今でもよく覚えています。 
今日はそのことを書いてみようと思います。

  ………………………………………………………………………………

今から5年近く前だった。2007年6月初旬のことである。
それまでも時々出ていた心房細動が急に頻繁に出始めた。

まず6月2日の日曜日、JRの大阪城公園駅で苦しくて我慢できなくなり、
駅員さんに駅長室の仮眠用ベッドに案内してもらい、寝かせてもらった。

6月4日には、午後から起きた心房細動が夜にますます酷くなったので、
タクシーで隣の羽曳野市にある城〇病院へ行き、点滴の治療を受けた。

そして6月6日だった。
夕方からまた発作が出て、かかりつけ医へ走った。
医院に着いたとたんうずくまり、すぐベッドに寝かせてもらった。
点滴でも心房細動はおさまらず、そこの医師は限界を感じたのか、
「入院、ということになってもいいですか…?」と僕に確認をして、
僕がうなずくと、循環器で定評のある病院に電話をしてくれた。
「今、症状を伝えましたので、この病院へ行ってもらえますか」
と言われた病院というのが、今の徳〇会病院だった。

医院から長男の車に乗せてもらい、松原市の徳〇会へ行った。

診察時間も終わって静まり返っていた病院のベッドに寝ていると、
当直の40歳前後の医師が出てきて、とりあえず点滴をはじめた。
しかし、どれだけ経っても心房細動はおさまらない。
そこへまたその医師が現れ、
「じゃぁ、次の点滴に取り替えますね」と言ったので、
「へぇ? ではこの点滴は何ですか?」と僕は不思議に思い聞いた。
「あ、これは単なる水分ですよ。薬の血中濃度を薄めるためです」
医師はそういって、ほほ笑んだ。

そうか。
今日はこれまで飲み薬も点滴液も体内にどんどん入れたわけだし、
つまり、僕の血液の中の薬の濃度が高まっていたのか…と納得し、
「水分でしたか。う~む。なんで良くならないのかと思ってましたよ」
と、僕も、何となくおかしくなって、笑ってしまった。
「じゃ、これから “本当の” 薬の入った点滴をしますね」
と、医師も点滴を取り替えつつ “本当の” と言って、笑った。

これが、たまたまその夜の当直だったK医師との出会いだった。

K医師の適切な処置のおかげで、不整脈はおさまり、
「入院の必要はありませんよ」と言われ、そのまま帰宅できた。

繰り返すが、これが2007年6月6日の夜のことであった。

その後、僕はまた近所の主治医に通い始めたが、
しばらくしてまた心房細動が酷くなり、仕方なく、
主治医の紹介でK大病院で8月にカテーテル手術を受けた。
しかしその手術は失敗に終わり、再び薬で抑える治療に戻った。

1年が経ち、8月に入ってまたまた薬が効かなくなってきた。
ある時は、職場から救急車で病院に運ばれたこともあった。
(救急車に乗せられたのは、後にも先にもこれだけである)

こんなことがこれからも続くと、生活に大いに支障がある。

主治医の言うことは、場当たり的で、どうも頼りにならない。

そこで、もう一度徳〇会の病院の当直だったあの医師に診てもらおう…
そう思い立ったのである。あれから1年少し経つけれども。

でもその時は、肝心のその医師の名前がわからない。
そこで病院に電話をして、事務の人にわけを話した。
すなわち、昨年6月6日の夜に治療を受けた者だが、
その夜の当直医のお名前を教えていただきたい…と。

事務の人は記録を調べてくれ、それがK医師だと教えてくれた。
そこでK医師の診察日を教えてもらい徳〇会病院へ行ったのだ。

「お久しぶりでございます」
診察室で顔を合わすと、医師は僕のことを覚えてくれていた。
あのあとカテーテル手術をして失敗したことなども報告した。
「そうですか。この1年間、いろいろあったのですね~」
とK医師は、ため息まじりにつぶやいた。

そして、検査の結果、最近の僕の心房細動は、
薬の服用量が多過ぎることが原因である、と診断された。

これまで、近所の主治医をはじめいくつかの病院で診てもらったが、
こんなことを言われたのは初めてだった。

僕はK医師に言われたとおり、薬を1回分減らしてみた。
すると、これまでの症状がウソのように、ピタリと止まった。

同時に、不整脈による脳梗塞の予防薬ワーファリンも服用し、
その効き具合も毎回の検査で数値チェックをしてもらっている。

そして今日に至っている、というわけである。

 …………………………………………………………………………

2度目にK医師に会い、その徳〇会病院へ通い始めて、
早いもので、もう3年半以上の歳月が流れたことになる。

耳鳴りに悩まされたり、最近では首・肩に痛みが出たりと、
身体のトラブルは尽きないが、不整脈が出た時が一番つらい。

その不整脈が、この3年半、K医師のアドバイスを受けながら、
ほとんど出ずに過ごせていることには、かなりの幸せ感がある。

最近は不整脈のほうは安定しているので、
アルコールによる肝臓のダメージを示す「ガンマ」の数値が、
やや高いので「お酒は、少~し控えられた方がいいですね~」
と、診察室での会話はそちらのほうに重点が移ってきたほどだ。

しかし良いことというのは、いつまでも続かない。

先月の20日。今年最初の検査・診察に行った。

診察室でいつものようにひととおり検査結果を聞き、
最近の体調について会話を交わし、それが終わった時、
K医師は、「あの~」と僕の目を見つめながら、
「今日はお伝えしなければならないことがあります」
そう言って、居住まいを正された。
「なんでしょうか?」と、僕も医師の目をしっかり見据えた。

「実は私、病院を替わることになりました」
と、K医師はおっしゃったのである。

げぇ~~。 そんなの、困る~。

「現在ではほとんどご自分で薬のコントロールもできていますし…」
「薬処方が大半ですから、今のところ緊急性もありませんし…」
「お近くのかかりつけ医院に替わられてもよろしいかと…」
と、K医師は言った。

今の徳〇会病院は、松原市の天美というところにある。
僕の最寄の藤井寺駅から近鉄電車で10分少しで行ける。
通うのに、さほど不便ということはないので、別にいいんだけど。

でもK先生は、「異状があればこちらの病院へ来ていただいても、
すぐに処置ができるようにはしておきますから…」 と前置きして、
わが家に近いかかりつけ医があれば、そこへ紹介状を書きます、
…と言われたのである。

でも、その前に聞いておきたいことがある。
「ところで先生。どちらの病院へ行かれるのですか? 遠くですか?」
と僕は聞いた。遠くない病院だったらK医師を追いかけて行くつもりだ。

でも、K医師は、いや…それは…、と言葉を濁した。
患者を連れて行くという行為はこの病院ではタブーなのかも知れぬ。

「そうですか…。じゃあ、〇〇クリニックでお願いしましょうか」
と、つい言ってしまった僕であった。

家に帰ってから、妻にそのことを伝えたら、妻は、
「先生が変わってもこれまでどおりの病院へ通うほうがいいと思うけど」
と言ったし、僕も病院を出てからそう言えば良かったかな~と感じていた。

K医師は「紹介状をご自宅に送りますので、薬が切れる前にそれを持って、
〇〇クリニックへ行っていただいたらいいですよ」と言われたのだけれど。

う~む。
どうしたものか…?

やはりこれまでどおり、徳〇会へ通ったほうがいいか…?
K医師には、ああ言ってしまったけどね~。

うん。 やっぱり、徳〇会病院でお願いしよう。

僕は、今までお世話になった感謝の気持ちも込めて、
そのことをK医師に手紙で伝えようと決めたのである。


                           ~ 続きます ~

 

*これを書き終えてから思い出して調べたのですが、
 過去のブログでK医師のことを書いた記事がありました。

            ↓

  http://blog.goo.ne.jp/non-ap/d/20080827

 

 

 

 

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