僕のほそ道   ~ のん日記 ~

  
これと言ったテーマはなく、話はバラバラです。 つい昔の思い出話が多くなるのは年のせい? 

新大関高安と「法善寺」の関係

2017年06月02日 | 思い出すこと

大相撲でこのたび大関に昇進した高安について、僕はついこの間まで、この力士が大阪出身だとばかり思っていた。まあ勝手に思っていたわけですけど。

実際は茨城県出身だそうだが、思い込みというのは不思議なもので、なぜか高安大阪というイメージが頭から離れなかったのである。大相撲中継を生で見ることはあまりなかったのと、見ても最後の方だけだったので、まだ注目される前の高安は何だか毛深い人だなぁという印象ぐらいしかなかった。そして、大阪出身なんだなぁ、という印象とね。

ちなみに高安はお父さんが日本人でお母さんがフィリピン人だそうです。今場所2横綱を倒して殊勲賞に輝いた小結の御獄海も同じく父日本人、母フィリピン人ということで、何か偶然ですよね~。ま、それは別にいいんですけど。

さて、なぜ高安を大阪出身だと思い込んでいたのかと言うと、大阪府の南東部に高安という地名があり、そのそばに高安山という山もある。近鉄大阪線の路線図を見ると、こんな感じです。


  

上の段の真ん中あたりに「高安」という駅がありますよね。そこです。その高安の2文字が僕の頭にかなり深く刻まれているので、相撲の高安という名前も、そこと無関係とは思えなかったのです。

これには深~いわけがあります(って大げさかな)。

僕は京都の上京区で生まれ、幼稚園の時に母に連れられて大阪に出てきた。義父(つまり母の再婚相手ですが)と3人で大阪市の東住吉区加美という所に住み、中学卒業までそこにいた。で、高校に入ってすぐ、大阪府柏原市に引っ越した。柏原の法善寺というところである。そう、「法善寺」なのです。

年配の人ならここで、
♪ 包丁いっぽん、さらしに巻いてぇ~
と歌い出すところだろう。「月の法善寺横丁」という過去に大ヒットした流行歌だけど、「法善寺」といえば誰でも大阪ミナミにあるこの「法善寺横丁」を思い浮かべると思う。しかし、柏原市にも法善寺はあるのです。 そしてその法善寺と高安は、非常に近い距離です。

先ほどの路線図をもう一度出しますが、「高安」の次が「恩智」で、その次に「法善寺」とあります。

 

その法善寺に僕は高校1年生の時から住んでいたのです。そして法善寺駅から上本町行きの各停電車に乗って、7つ目の駅である長瀬で降りて近畿大学付属高校、さらに近畿大学へと、計7年間通いました。そんなことで、法善寺から2つめにあった高安駅はその頃から僕の頭の中に刷り込まれていたので、「高安」と聞くと反射的この地名が思い浮ぶ。だから相撲の高安も、この高安の出身だと思い込んでしまったようなのです。

ところで、思い起こせば高校時代、クラスメイトに「法善寺に住んでるねん」と言うと、みんな例外なく法善寺横丁か? と聞かれたものだった。「違う、違う」と否定するんだけど、相手はお構いなく「♪ 包丁いっぽん~さらしに巻いて~」と歌って僕を冷やかすのだ。今は懐かしい思い出だけど、その頃は嫌だったなぁ。

結局僕は15歳から25歳までの10年間、法善寺に住んだことになる。20歳の時、北海道へ自転車旅行に出かけた時も法善寺の家から出発したし、22歳で結婚した時も家は変わったけれどやはり法善寺に住み、23歳で長男が生まれ、24歳で次男が生まれ、25歳の時に今の藤井寺へ引っ越してきた。思えばこれまでの僕の人生の中で最も生活が激変した10年だった。高校生になったばかりの15歳から、10年後の25歳の時には2人の子持ちになっているんですからね。

それに比べて最近の10年というのは、モミィと暮らすようにはなったけれど、それ以外には大きな変化もなく、あっという間に過ぎてしまいます。まさに「十年一日の如し」という言葉通りの毎日です。もっとも、この年になると、ジェットコースターのような起伏の激しい人生なんて、送りたいとも思いませんけどね。変化のない普通の生活が一番幸せ、というのが、まあ今の僕の心境ですし。

今日は新大関高安の話から、こんな懐古談になってしまいました。
これも年のせいでしょうか?

 


 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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