僕のほそ道   ~ のん日記 ~

  
これと言ったテーマはなく、話はバラバラです。 つい昔の思い出話が多くなるのは年のせい? 

「九十歳。何がめでたい」 ~佐藤愛子~

2016年12月09日 | 読書

今年の夏ごろ、新聞の書籍広告欄に、佐藤愛子さんの
「九十歳。何がめでたい」という本が載っていたのを見て
「面白いタイトルだなぁ」と思った。

佐藤愛子さんといえば、僕が昔愛読した「どくとるマンボウ」の北杜夫氏や、
「狐狸庵閑話」(⇒こりゃアカンわ)の遠藤周作センセイ(共に故人)らと
親交があって、この人たちのエッセイによく登場してきて、
ずいぶん奔放で面白そうな女性…というイメージがあった。

その佐藤愛子さんが「九十歳。何がめでたい」
というタイトルの本を出されたのだから、これは絶対面白いはず…
…と、案の定、新聞書評でも絶賛されていたので、ぜひ読まなければと、
先月、遅まきながら、ツタヤへ出かけて、買ってきた。

ちなみにツタヤでは、
本を1冊買うと、
映画のDVDを1枚タダで借りられる。

(まぁ、旧作(100円)限定ですけど)

そしてこの「九十歳。何がめでたい」を読んでみたら、
期待どおり、痛快無比、胸がす~っとする作品であった。
と同時に、当然ながら、老いの悲哀もしみじみと感じさせる。

「長生きするって、たいへんなのねぇ…」
私の娘はこの頃、しみじみ、つくづくという感じでいう。
私の日々のありよう、次々に起こる故障を見ていうのである。

…という書き出しで、このエッセイは始まる。

佐藤さんは1923(大正12)年の11月生まれである。
ということは、先月に93歳になられたわけだ。
それで、まだこんな面白い本を出されるとはね~

その佐藤さんも、近頃、どんどん耳は聞えなくなってくるし、
背中のあちこちがむやみに痒くなるし、膝はガクガクするし、
ひとつの苦痛がおさまれば次が出て、また次が出たかと思うと、
今度はおさまった苦痛が、また出てくる…。

「重ねてきた歳月は二度と戻らないように、
歳月と共に傷んだ肉体はもはや戻りはしない」
と嘆く佐藤さんであるが、僕だってねぇ、若いのに(笑)、
年々、あちこちが傷んできて、情けない思いをしています。

それでも、佐藤さんの文章は、読んでいて、暗さは感じない。

昨今のスマホブームに対しては、
「だいたいスマホというものがわからない」
「そんなものが行き渡ると、人間はみんなバカになるわ。
調べたり考えたり記憶したり、努力をしなくてもすぐ答えが出てくるんだもの」

「こういう正論をいっても耳に入らないんだからねぇ。かえって軽蔑されるだけなのね」
と慨嘆しつつ、
「もう『進歩』はこのへんでいい。更に文明を進歩させる必要はない。
進歩が必要だとしたら、それは人間の精神力である。私はそう思う

と、持論を述べる。読みながら、いちいち頷く僕である。

また、ある百貨店のトイレに入って、用をすませて水を流そうとしたら、
どこにもハンドルらしきものがなく、ボタンも探したがない。
どこをどうやれば水が流れるのか…と途方に暮れていると、
ドア近くにヒモがぶら下がっていたので、それを引っ張った。
…すると、それは緊急警報装置で、とたんにベルが鳴り、
トイレのドアがノックされ「お客さま、どうなさいました?」
…と、女店員の金切り声がドアの外から聞こえてきた…。
「まったくぅ、何がどうなっているんだか」とボヤく佐藤さんだった。

そういえば…
僕も一度、水を流そうと、壁にあったボタンを押したら、
けたたましいベルの音がして外からノックされたことがあったっけ。

また、こんな話も。
80歳代まで悩まされていた花粉症が、最近治った。
「花粉症は年を取れば治る」と聞かされていたが、
91歳の春が来た時に、それまでのクシャミが止まった。
佐藤さんの友人は、
「花粉症が治るということは、もうアレルギー反応が起こる体力がなくなったということらしいのよ」と言った。
「つまり私は完全婆ァになったということなのである。私は半分死んだのだ。棺桶に片脚入ってる。そういうことなのだ!」と、佐藤さん。
「今となってはハクション! あの頃がしみじみ懐かしい」

佐藤さんは、そういうお年だから、まぁ、機械モノには弱い。あるとき、
テレビの音声と映像がずれて直らないので、馴染みの電気店に電話すると、
製造元が修理するので本社に電話します、と電気店主は言った。
そして本社から青年が来て、リモコンをチョコっとさわったら、
あっという間にテレビのずれが直っていた。
それで修理出張費4,500円と言われ、びっくりする。
今までなら、電気屋の親父に電話したら、その親父が来て、
リモコンをさわって、「直った? よかったね、あはは」
ですんだのに、勝手に本社に連絡し、ちょこっとさわって
「ハイ、4,500円」と言い、「どうも!」といって帰って行くのだ。
何が「どうも」だ! と怒る佐藤さん。こんなくだりも、面白い。

他にも、電力会社から身に覚えのない電気代の請求を受けたり、
FAXの用紙の入れ方を間違えて起きたトラブルについて、
NTTが来て8,000円の「出張費」を請求されたり…
生活で困ったことが起きても、自分では解決できない。

そんなことが次々起きると、「もう誰の世話にもならないわ」
…と気炎を上げるのだが、まさか蝋燭と囲炉裏と薪の生活もできず…。
「エイ、面倒くさい! てっとり早いのは死んでしまうことだ。葬式なんかいらん。坊主もいらん。そのへんの川にでも捨ててくれ。なに、そんなことをしたら、警察問題になって、捨てた娘は罰金を取られるかもしれないって? …もう知らん。勝手にせえ!」

…と、「死ぬに死ねない」情けなさをぶちまける。

そんなところへ、ファンと称する女性からカマボコが送られてきた。
「佐藤先生。もっともっと百まで長生きしてください」とのメッセージ。
「何をいうか。人の気も知らず」
腹立ちまぎれにカマボコをガブリとかじったら、入れ歯が外れた。

…とまぁ、全編、こんな調子である。

このエッセイは「女性セブン」に連載されたものだが、
編集者が訪ねてきて、連載の依頼を受けたとき、佐藤さんは、
「もう九十歳過ぎましたからね。
これからはのんびりしようと思ってるんですよ」

と言うと、「では隔週で」という話になり、佐藤さんも考え直して、
その「のんびり」のおかげで老人性ウツ病になりかけていたこともあり、
ヤケクソの気持ちで、隔週での連載を引き受けたという。
タイトルの「九十歳。何がめでたい」はその時ひらめいたそうだ。

そしてこの本の最後で、佐藤さんは、

人間は『のんびりしよう』
なんて考えてはダメだということが、

九十歳を過ぎてよくわかりました。

と書かれていた。

この言葉、肝に銘じておきたいと思います。

僕も「名前はのん。『のんびり』の、のんで~す」
な~んて、二度と口に出さないでおこう(笑)

 

 

  
 特に面白かったページに付箋を貼ってます。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする