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業界最高年齢社長Halのゲーム日記 その66 ?編続き

2009-07-03 09:40:00 | ノンジャンル

又例えば、一見青いリボンのように見えるものがある。 リボンのように見えるだけで、勿論リボンではない。 リボンどころか、この世にある何ものとも思えないものだ。 

リボンは幅数センチ、長さ約1メートル強の、向こう側が透けて見える程薄い生地?でできている。 重さは不明だが、手に持った感触では、僅か数グラム或いはそれ以下かも知れない。 重さが不明というのは、このリボンをどのように精密な秤にかけても、重量が検出できないからだ。 理由は全く不明である。

リボンの重量(質量)が検知できなくても実体は存在する。 手で触ればそれはそこにある。 ザラッとした繊維とも金属ともつかない感触だ。 このリボンを何かの非生物の物体(例えば自動車)に投げかけると、リボンは瞬時に見えなくなる。 見えなくなっても存在しなくなるわけではない。

自動車に手(手だけではなく、現在その生物が生きているなら、生物のどの部分でもよい)を触れれば、自動車は重力がなくなったかのように宙に浮かぶ。 押してやれば静かに押された方向へ漂ってゆく。 まるで無重力空間にあるように・・・ 自動車を強く押さえると、自動車は地に落ち、リボンが出現する。 自動車にはなんの変化もない・・・

現代物理学の法則と矛盾しまくるこのリボンの効能?を見たら、アインシュタインはその豊かな白髪をかきむしり、ホーキングは車椅子から転げ落ちることだろう。


もし、このリボン?を大量生産できれば、重量物の輸送手段に革命が起きる。 重量50トンを越えるM1エイブラムスでも、重量は事実上ゼロとなり、セスナ1機でM1数台を引っ張ってゆくという、ファンタジー映画のような幻想的なシーンが実現できる。 ペンタゴンはどう思うだろうか?

残念ながら、このリボンの生産は全く不可能である。 100年たっても同様に不可能だろう。 質量さえ検出できないものを、どうやって生産するというのだ? 

そして、この遺跡で最も重要で最も不可解なものが、「人の願いをかなえるもの」だ。 形状は不明である。 不明というより「不定」と言った方が正しいのだろう。 見る人により、見る角度により、それを見た瞬間により、様々な形状に見えるという。

ある人は「書物のように見える」と表現し、ある人は「南極の空に揺らぐオーロラのような」と文学的な描写をし、又ある人は「瓢箪で作った仏壇のようなもの」と、わかったようなわからぬようなことを言う。

要するに、この世にある何ものにも似ていて、何ものにも似ていない、ということらしい。

当然ながら、当初は「それ」がどのような機能を持つものなのか、全く不明だった。 その機能が判明したのは、全くの偶然からで、移籍の中のとある地点で、ある調査隊員が「ここは暗いなあ・・・」とつぶやいた時であった。

次の瞬間、遺跡の中が光に満たされた。 
白熱電球とも蛍光灯とも違う、蛍の光の冷たさと太陽光の熱さとを併せ持つ、何とも表現のしようのない不思議な光だった。 その霊妙な光に照らされて、その物体はあった。 捨てられたように、或いは置き忘れられたように、さりげなく何気なく。 

しかも、どのように精密な測定器具を持ち出しても、その光のスペクトル分布は測定不能だったという・・・

誰がいつ何のためにこのような器具?を置いていったのか、全く不明である。
しかし、「充分に発達した科学技術は、魔法に等しく見える」という言葉がある。 英国のSF作家アーサー・クラークの有名な一文だ。 

これらの器具?は、或いは、人類から見れば神に等しい程の科学力を持つエイリアンが、ある日地球を訪れ、そしてピクニックを楽しんだ後、投げ捨てていったものであろうか。 4世紀の路傍のピクニック・・・

この話をしてくれた人物は、話の最後に私にあるものを見せてくれた。 その「あるもの」をどのように表現したら良いのだろうか。 

それは書籍のようにも、オーロラのようにも、瓢箪で作った仏壇のようにも見えた。 しかし、それらのいずれとも似ていなかった。 

そして「それ」を見た私は願った。 私も4世紀の陵墓のオーパーツを見たいと・・・ ひたすらそう願った。

              @ケ



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