ベラルーシの部屋ブログ

東欧の国ベラルーシでボランティアを行っているチロ基金の活動や、現地からの情報を日本語で紹介しています

日本文化情報センターの活動 チェルノブイリ30年式典に参加しました 4

2016-04-16 | 日本文化情報センター
 一方、ベラルーシでは事故処理作業員は英雄扱いですが、福島の事故処理作業員の場合はだいぶ立場がちがうなと感じました。東電社員で事故処理作業をしている人は、「事故を起こした会社の社員」で、責任取って作業すればいい、と思っている日本人が多そうですし、日本国民の健康を守るためにと言った犠牲精神ではなく、お金がほしいだけという条件で自分の健康被害には目をつぶっている作業員の人もいると思います。
 つまり立場はいろいろで日本のほうが複雑です。

 まあ、ベラルーシ人の作業員の中にも「将来病気になるかもしれないし、行きたくないなあ。でも上からの命令だから仕方ない。」と思って行った軍人や警察官もいたでしょう。
 アレクシエービッチの「チェルノブイリの祈り」の中には、当時妻と不仲になっていて離婚話が出ており、人生捨て鉢になって現地に行かないかと声をかけられたとき自ら志願した人が出てきます。
 また放射能被爆の知識がなく、発病の不安を感じないまま出発した人もたくさんいたでしょう。
 
 事故処理作業員といっても立場や考え方は千差万別です。
 そんな中有志が集まって努力している会があるのはすばらしいことですね。
 日本の事故処理作業員の方々の中にも将来このような会を作る人が現れると思います。
 そのときにはぜひチェルノブイリと福島の会が実際に会って交流できるようになれば・・・と思いました。

 (画像はチェルノブイリ原発事故発生後、汚染地域で使われていた放射能測定器。本物です。やっぱり大きいですね。)

日本文化情報センターの活動 チェルノブイリ30年式典に参加しました 3

2016-04-16 | 日本文化情報センター
 式典の後も懇談会にお邪魔していろいろなお話を聞くことができました。
 事故処理作業に従事した後、体調が悪化しキエフの病院に長く入院していた人、妻子を置いて任務だからと現地に向かった人、その後家族が避難して離れ離れになってお互いの所在が分からなくなり(今のように携帯電話もなかったですしね・・・)戦争のようだった、いや戦争よりひどいものだ、と話す人もいました。
 現在ベラルーシには事故処理作業員への福祉政策は全てなくなり、まだウクライナのほうが何某かの補償があるそうです。
 会場には幸運にも病気にならず、健康でしかもつらい体験を積極的に話してくれる人ばかりが集まっていると思うのですが、その背後にはそうではない事故処理作業員の方々が何倍もの数いるのだろうなあ、と思いました。

 4月26日を前にして記念の勲章が作られ、それを胸に下げている人もいました。勲章は25年のもの、20年のものなどいろいろあって、それを全部胸につけている人もいましたが、何だか事故処理作業員というより軍人のように見えました。
 これから10年後、20年後になると、この勲章をつけられる人の数も減っていきそうですが、ベラルーシ政府が作ったものではなく、ロシアやウクライナから表彰され、もらった勲章なのだそうです。事故が起きたときはソ連政府で一つの国でしたから、当然なのかもしれませんが、もうちょっとベラルーシ政府が特別なことをしてくれないかなあ、と思いました。
 ただ、ベラルーシの場合、事故処理作業の結果、けがをしたり発病して後遺症の残った人は身体障害者認定を受け、認められると身体障害者としての福利厚生を受けることができます。つまりただ事故処理作業に従事しただけ、被爆しただけでは補償はないけれど、障害者になった場合、国から支援がもらえるという形になっています。
 他にもベラルーシ国内には事故処理作業員の会があって、それぞれの活動をしたり、会員同士助け合ったり、他の会と連携しあったりしているそうです。結局は似たような立場の者同士助け合うのが一番早いのかもしれません。
 この会の人からは「福島第1原発の事故処理作業員たちと交流の場を持ちたい。」と話していましたが、まだ福島の原発が収束しておらず(チェルノブイリ原発も収束してないと言えばそのとおりなんですが。完全に収束するのは1万年後かもしれないし・・・。)今日この瞬間も必死で作業している真っ最中なので、まだ事故作業員の会のようなものはできていないと思います。数年経ったら、日本にも事故処理作業員の会ができるかもしれませんので、そのときにはぜひ、と話しておきました。

日本文化情報センターの活動 チェルノブイリ30年式典に参加しました 2

2016-04-16 | 日本文化情報センター
 式典では元事故処理作業員として語り部となっている方などが表彰され、ピオネールの子どもたちから事故処理作業員の方々に花が贈られ、当時の勇気が称えられました。また環境学を学んでいる子どもたちが事前に作成したというチェルノブイリをテーマにした映像作品も上映されました。
 私はマルィシェフさんが書いた「悲哀と信念」という詩集の中の二つの詩を日本語に訳したものを朗読しました。まずマルィシェフさんがロシア語で、それから私が日本語で朗読したので、ベラルーシ人出席者も意味が理解できたと思います。
 大したことはしていないのに、事故処理作業員の会から感謝状はまでいただいて恐縮です。

(画像は挨拶の言葉を述べるマルィシェフさん。)

日本文化情報センターの活動 チェルノブイリ30年式典に参加しました 1

2016-04-16 | 日本文化情報センター
 少し早いですが4月16日にミンスクにある青少年会館で行われたチェルノブイリ30年式典に参加しました。この式典はチェルノブイリの元事故処理作業員の有志が集まって創立された団体「ヴェテランヌィ・チェルノブイリャ」が主催で行われたものです。
 チェルノブイリ30年だけではなく福島第1原発事故5年もテーマに構成されていました。
 1回ロビーにはウラジーミル・マルィシェフさんの墨絵展「生命線」も展示され、多くの人が興味深く観覧していました。
 日本大使館も招待されていたのですが、欠席の連絡が入り、福島の原発の追悼も内容に入ってる式典なのに、日本人が来なかったらどうしようと思っていたのですが、幸い6名の在ベラルーシ日本人が出席してくださいました。