一方、ベラルーシでは事故処理作業員は英雄扱いですが、福島の事故処理作業員の場合はだいぶ立場がちがうなと感じました。東電社員で事故処理作業をしている人は、「事故を起こした会社の社員」で、責任取って作業すればいい、と思っている日本人が多そうですし、日本国民の健康を守るためにと言った犠牲精神ではなく、お金がほしいだけという条件で自分の健康被害には目をつぶっている作業員の人もいると思います。
つまり立場はいろいろで日本のほうが複雑です。
まあ、ベラルーシ人の作業員の中にも「将来病気になるかもしれないし、行きたくないなあ。でも上からの命令だから仕方ない。」と思って行った軍人や警察官もいたでしょう。
アレクシエービッチの「チェルノブイリの祈り」の中には、当時妻と不仲になっていて離婚話が出ており、人生捨て鉢になって現地に行かないかと声をかけられたとき自ら志願した人が出てきます。
また放射能被爆の知識がなく、発病の不安を感じないまま出発した人もたくさんいたでしょう。
事故処理作業員といっても立場や考え方は千差万別です。
そんな中有志が集まって努力している会があるのはすばらしいことですね。
日本の事故処理作業員の方々の中にも将来このような会を作る人が現れると思います。
そのときにはぜひチェルノブイリと福島の会が実際に会って交流できるようになれば・・・と思いました。
(画像はチェルノブイリ原発事故発生後、汚染地域で使われていた放射能測定器。本物です。やっぱり大きいですね。)
つまり立場はいろいろで日本のほうが複雑です。
まあ、ベラルーシ人の作業員の中にも「将来病気になるかもしれないし、行きたくないなあ。でも上からの命令だから仕方ない。」と思って行った軍人や警察官もいたでしょう。
アレクシエービッチの「チェルノブイリの祈り」の中には、当時妻と不仲になっていて離婚話が出ており、人生捨て鉢になって現地に行かないかと声をかけられたとき自ら志願した人が出てきます。
また放射能被爆の知識がなく、発病の不安を感じないまま出発した人もたくさんいたでしょう。
事故処理作業員といっても立場や考え方は千差万別です。
そんな中有志が集まって努力している会があるのはすばらしいことですね。
日本の事故処理作業員の方々の中にも将来このような会を作る人が現れると思います。
そのときにはぜひチェルノブイリと福島の会が実際に会って交流できるようになれば・・・と思いました。
(画像はチェルノブイリ原発事故発生後、汚染地域で使われていた放射能測定器。本物です。やっぱり大きいですね。)