ベラルーシの部屋ブログ

東欧の国ベラルーシでボランティアを行っているチロ基金の活動や、現地からの情報を日本語で紹介しています

日本文化情報センター 東日本大震災追悼展

2012-03-09 | 日本文化情報センター
あの2011年3月11日からもうすぐ1年・・・
 とても長くてつらい1年だったと振り返ってみて言わざるをえません。

 日本各地で追悼式典が行われると思います。
 ベラルーシにある日本文化情報センターでも東日本大震災追悼展を3月9日と11日に行っています。
 本当は10日も入れて3日連続で実施したかったのですが、センターの入っている図書館が土曜日は休館日なので、このような日程になりました。
 画像は展示のようすです。同じく9日からも着物展を始めました。

 大したことができず、残念です。ろうそくを灯すことも考えたのですが、児童図書館内で火事になると危険なのでしないことにしました。
 モスクワでは11日から1週間かけて九つの追悼コンサートやチャリティコンサート、さらにフクシマをテーマにしたドキュメンタリー映画の上映会が在モスクワ日本大使館などの協力の元、行われるそうです。
 しかしベラルーシでは(私が知っている限りでは)そういったものがいっさいありません。
 住んでいる日本人が少ないのも理由の一つでしょう。
 
 私がベラルーシに住み始めた95年は長期滞在(3ヶ月以上滞在する場合、日本大使館に在留届を出さないといけない。)している日本人は10人でした。うち1人は臨時代理大使で、1人は大使館員でした。
 その後20人に増えて横ばい状態がずっと続いていたのですが、2011年、初めて30人になりました。
 
 以前あるブログで隣国ウクライナのことを「日本人は200人しか住んでいない国」と紹介してあって、
「その10分の1の20人しか住んでいないベラルーシはどうなのか?」
と思ったことがあります。
 
 もっとも在留届を出している日本人が30人、というだけで、3ヶ月以下の短期留学生や出張や旅行でベラルーシに来ている人はもっとたくさんいます。
 震災以降はチェルノブイリ、放射能関連でベラルーシに訪れる日本人が増えました。
 日本とベラルーシの距離が縮まった1年でもありました。

 しかし、です。
 ベラルーシ人と話をしていると、あることに気がつきました。
 3月11日に大地震と津波が起きて、福島第1原発で事故が起きたことは、誰でも知っています。
 ところがその後「放射能が大量に漏れた」(←つまりチェルノブイリ原発事故と似た状況が発生している。)といったことをちゃんと知っている人と全然知らない人に二つに分かれているのです。
 知っている人はインターネットで外国のニュースサイトをチェックしている人や、ユーロニュースなど外国のニュース番組をテレビで視聴している人たちです。
 逆に知っていない人はベラルーシのテレビや新聞しか見ていない、ネットはしていない、という人たちでした。

 知っている人は何かと心配していています。
 ところが知っていない人は本当に何も知らないです。
「福島の原発で(水素)爆発? そんなのあったの? いつ?」「原発の建屋が壊れている? 知らなかった。」「事故処理作業? まだ終わってないの? 日本にも事故処理作業員(リクビダートル)がいるの?」「住民が避難している? 退去命令が出たの? いつ?」
 ・・・といった具合です。さらには
「最近はテレビのニュースで日本のこと取り上げないから、知らなかった。」「そう言われてみれば最近日本のことはニュースで言わないから、すっかり落ち着いたと思っていた。福島第1原発はもう石棺で固めたと思っていた。」
と言っています。

 とにかく知っている人と知っていない人の差が大きすぎるのです。
 知っている人はホットスポットの地名まで把握してるのですが、知らない人はまるで何も知りません。
 これがチェルノブイリ原発事故と無関係の外国なら、あまり縁がないから、と時間の経過とともに関心が薄くなっていくのも分かります。
 しかしベラルーシ人がこうでは、情けないです。
 そもそもベラルーシのマスコミにも責任の一端はあると思いますが・・・

 このような状況だったので、今回日本文化情報センターが行った追悼展は、犠牲になった日本人の方のための鎮魂を祈る、というのはもちろんのこと、それに加えて、ベラルーシ人に知ってほしいと思ったことも内容に入れました。
 そのため防護服を着た日本人の被災者の方の写真や、煙を上げる福島第1原発の写真なども展示してあります。

 展示を準備した私もいろいろなことが思い返されました。この展示を見るベラルーシ人の人たちも日本の現状に少しでも思いを馳せてほしいです。

・・・・・・・

 ここから先の書き込みは3月16日のものです。
 ベラルーシでも追悼式典が在ベラルーシ日本大使館により行われることになりました。
 しかし追悼式典が行われるのは3月11日ではなく、3月15日・・・
 その知らせが私の元に届いたのは3月13日・・・
 せめて連絡だけでも3月11日までにしてほしかったです。
 
さらに後から分かったのですが、14日に第1日目の追悼式典があったそうです。しかしこれには私は招待されていないので、どんなものだったか分かりません。
 2日目の追悼式典には招待されたので行って来ました。

 ベラルーシには大使館員を含め、30人の日本人が長期滞在しています。おそらく全員私と同じように招待されていたと思いますが、大使館員を除くと、日本人は私を含め3人しか来ていませんでした。
 ベラルーシには大使はおらず、臨時代理大使がいますが、その挨拶、ベラルーシからの支援への謝辞の言葉が述べられました。みんなで黙祷しました。
 会場となった友好会館の側からも言葉があり、さらにロシア語で俳句を作っているという詩人の方が自作の俳句を朗読。
 DVDで日本外務省作成の英語版のビデオ作品(テーマは日本から世界の人へ支援ありがとう)がロシア語訳付きで上映されました。
 再び臨時代理大使から挨拶があり、お礼の心を表す料理が振舞われました。

 会場には震災の写真展示、被災地に住む子どもたちの絵がロシア語訳つきで展示されていました。
 私は震災のことを考えて、食欲もなくなってしまい、しばらく子どもたちの絵を眺めていました。飯舘村の子どもたちが書いた未来の飯舘村の絵があり、泣きたくなりました。

 会場にはミンスク市役所の人やベラルーシ外務省の人も来ていましたが、日本側からの謝辞に対する挨拶は全くありませんでした。
 会場には150人ぐらいベラルーシ人や各国大使がいましたが、献花した人は10人もいませんでした。
 花は会場の片隅のテーブルの上の花瓶に入れられていました。(私はお花を持って行きましたが・・・)
 
 ロシアではこういう追悼式典だったようです。

http://news.goo.ne.jp/article/jiji/world/jiji-120315X055.html


被災中高生、恩返しのメッセージ=ロシアの支援に感謝の集い―モスクワ
2012年3月15日(木)08:04
 【モスクワ時事】「支援にスパシーバ(ありがとう)」。東日本大震災から1年を迎え、モスクワの在ロシア日本大使館で14日夜、犠牲者を追悼し、ロシアの緊急援助隊派遣などに感謝する集いが開かれ、岩手、宮城両県の被災した中高生からのビデオメッセージが紹介された。
 生徒らは、メドベージェフ大統領のスベトラーナ夫人の発案で昨年ロシアに招待された。8月に極東ウラジオストクで休暇を過ごした岩手・野田中学校の吹奏楽部員は「交流で笑顔が増えた。今後もみんなを笑顔にできるよう演奏を続けたい」と感謝の言葉を寄せた。
 集いでは、出席した約300人の黙とうの後、モスクワ音楽院で学ぶ日本人学生らが復興への「絆」の思いを込めて弦楽四重奏を披露。ロシアの子供たちも唱歌「ふるさと」などを合唱し、日本にエールを送った。 
[時事通信社]


 ロシアと比べてはいけないのですが、ベラルーシでももう少し工夫すればいろいろできたのに、と思いました。
 臨時代理大使からはミンスク市役所が仙台市の高校生を保養に招待したことに対して感謝していましたが、その高校生の様子をたぶんビデオ録画していた人もいると思うんです。
 それを追悼式典で上映すればもっと「日本とベラルーシ」という点が強調できたと思います。

 悲惨な震災の写真展の前で、大勢の招待客がワインを飲んだり、(立食パーティー形式だったので)オードブルの類を食べたりしているのを見るのは気が滅入りました。
 しかも今ベラルーシは復活祭前の精進斎期で、肉食は禁止なのです。(魚は食べてよい。)
 でもテーブルの上にはほかほかの焼肉が山盛り置いてあって、ベラルーシ人がそれを次々頬張っているのを見て、これが追悼式典なのかどうかよく分からなくなりました。
 
 1年前の今ごろ被災地では食べる物も水も電機もガスも暖房も毛布もない状態だったのに・・・と思うと私は食べる気がしませんでした。でも大使館員さんからは
「Tさん、早く食べないとなくなりますよ。」
と言われるし・・・。
 確かにこういう形で感謝の気持ちをベラルーシ人に対して表そう、というのは分からなくもないですが、もう少し他の表現方法もあったのではないか・・・と思います。
 それとせめてメニューはやはり精進料理のような、いわゆる生臭さものは出さないほうがよかったと思います。亡くなった方が大勢いるわけで、その追悼式典の場なのですから・・・。

 意外に次から次へとケータリングのお寿司盛り合わせのお皿がたくさん出てきて、食事の量は食べきれないぐらいでした。
 これにどれぐらいの日本国民の税金が使われているのかと思うと・・・私も箸をつけさせていただいた身なので、大きなことは言えませんが、今も大変な苦労をされている被災者のためにその税金を使うほうがいいのではないか・・・と思いました。
 何だか身の縮まる思いでした。

 帰り際に記念品として宮城特産のこけしが一人ひとりに手渡されました。
 これはよかったと思います。これだけの量の記念品を世界中で行われている日本大使館主催の追悼式典で配ったとすると、そうとうな量を日本外務省は発注したと思います。
 これが被災地の経済に少しはプラスになったと思います。

 もう少し早めに連絡してくれていたら他にも壇上に上がる日本人やベラルーシ人もいたと思います。
   

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