ベラルーシの部屋ブログ

東欧の国ベラルーシでボランティアを行っているチロ基金の活動や、現地からの情報を日本語で紹介しています

チロ基金の活動「ビタペクト2&『放射能と栄養』無料配布・SOS子ども村 第102回」

2010-04-27 |   ビタペクト配布活動
 4月26日にビタペクト2と「チェルノブイリ:放射能と栄養」のコピー無料配布運動として、SOS子ども村への第102回目の配布を実施いたしましたので、ご報告いたします。
 今回はビタペクト2を6個、そして「放射能と栄養」のコピーを10部渡しました。
 これで今までに配布したビタペクト2は合計1684個、「チェルノブイリ:放射能と栄養」のコピーは1410部となりました。
  
 今回で通算112回目のビタペクト2の配布となりました。
 のべ人数になりますが、現時点で1684人分のビタペクト2、そして1410家族分の「放射能と栄養」のコピーを配布したことになります。

(これまでのビタペクト2配布運動について、詳細はこちらをご覧ください。)

http://belapakoi.s1.xrea.com/chiro/katudou/bitapekt/index.html


(「チェルノブイリ:放射能と栄養」について詳細はこちらをご覧ください。)

http://belapakoi.s1.xrea.com/chiro/katudou/chel/index.html


(SOS子ども村についてはこちらをご覧ください。) 

http://belapakoi.s1.xrea.com/jp/no2/2001/soschild.html


(ビタペクト2を開発、製造、販売しているベルラド研究所のサイトはこちらです。)

http://www.belrad.nsys.by


今回は3家族がSOS子ども村に来て保養滞在していました。それぞれのお母さんにお話を伺いました。


(家族A)

 ゴメリ州ボブルイスク市(チェルノブイリ原発から約200キロ)から来た家族。この家族には3個のビタペクトを渡しました。
 9人の子どもがいますが、年長の子どもは16歳以上で保養の対象にはならないため、お母さんが年少の5人の子どもを連れてきていました。
 それぞれの体内放射能測定結果はこのとおりです。○印の子どもにビタペクト2を渡しました。

母親(事故発生時19歳)14ベクレル 
12歳(女子)42ベクレル ○
11歳(女子)26ベクレル ○
 9歳(男子)31ベクレル ○ 
 7歳(女子) 0ベクレル 
 3歳(男子)19ベクレル 

 お母さんの話によると、子どもたちは持病などもなく、健康だ、ということでした。ただ小食なので心配している、ということでした。
 ボブルイスク市からは7歳以上の子どもを対象に、ヨーロッパなどの救援団体が保養滞在に招待しているそうです。
 12歳の女の子はアイルランドとアメリカ、11歳の女の子はアメリカに夏休みに行ったことがあるそうです。
 去年の夏にも行ったそうですが、そのわりに2人とも体内放射能値が高かったのが気になりました。


(家族B)

 ボブルイスク市から来た家族。この家族にも3個のビタペクトを渡しました。お母さんが5人の子どもを連れてきていました。
それぞれの体内放射能測定結果はこのとおりです。○印の子どもにビタペクト2を渡しました。

母親(事故発生時7歳)8ベクレル 
12歳(長女)42ベクレル ○
11歳(次女)40ベクレル ○
 7歳(三女) 0ベクレル  
 6歳(長男)42ベクレル ○
 3歳(四女)19ベクレル 

 子どもたちは長男をのぞき、健康だということでした。長男は6歳ですが、3歳児なみの体格です。体重は13キロしかありません。3歳の妹の体重は14キロです。
 生まれつき成長ホルモンの分泌が極端に少ない病気だそうです。
 こうなった理由は分かりません。ベラルーシには現在こういう子どもたちを専門に診る病院があり、全国からそこを受診するようにいわれているそうです。
 この子どもの場合、ホルモン剤を経口、あるいは点滴で受けており、本格的な治療は1年前から始めたそうですが、だいぶ身長体重ともに増えてきて、治療の成果が見えてきたとお母さんは喜んでいました。
 ただこれからも数年にわたり、ホルモン剤を飲まなくてはならず、それがロシア製であるため、在庫がなくなったらロシアから取り寄せることになり、なかなか大変なようでした。
 お母さんは1年ほど前に離婚しています。(離婚の理由は夫のアル中。)
 自分の母親が同居しており、孫の世話を手伝っています。ボブルイスク市の多子家庭協会から助成金をもらっており、また長女はイタリアに、次女と三女はアイルランドに保養滞在したことがあるそうです。


(家族C)

 ミンスク州マリナ・ゴルカ市(チェルノブイリ原発から約280キロ)から来た母子。この家族にはビタペクト2は渡していません。また、画像には写っていません。
 体内放射能測定結果はこのとおりです。

母親(事故発生時13歳) 12ベクレル
長男(1歳2ヶ月)24ベクレル

 このお母さんは身体障害者です。18歳のとき路面電車に乗っていたら、誰かに押され、ドアから落ち、左足の膝を強打しました。靭帯などが切れてしまったのですが、手術をしたら、ばい菌が入って化膿し、傷口が腐ってきたため、膝の上から切断しました。
 10回の手術をし、退院したのは6年後、24歳になっていました。
 ベラルーシでは身体障害者は障害の程度に合わせて、3段階に分けられます。この人のような場合だと、ふつうは2級になるのですが、退院するときに
「2級だと、就職もできない。程度が軽い3級にしなさい。」
と言われ、そのとおりにしました。その後、勉学に戻り、就職もしました。しかし、3級と2級では受けられる助成や割引制度に大きな差があることが後になって分かりました。
 たとえば義足の修理は2級だと無料。3級だと自己負担になってしまいます。
 後から2級に戻りたい、と言っても簡単に戻れません。それは国が少しでも障害者支援の予算を少なくしたいからです。
 2級だと就職が難しくなる、というのもうそです。
 逆に職場で身体障害者の従業員が多い企業は、税金を軽くしてもらえる、という法律があるため、わざわざ就職させる企業もあります。

 さて、このお母さんはその後結婚しますが、離婚。母親と二人暮らしをしていたところ、インターネットでロシア人男性と知り合いました。メールで文通したり電話をしたりしているうちに愛がめばえ、その男性のところへ行きました。
 2人はロシアで同棲生活を始めましたが、男性のお母さんが障害者女性との結婚に大反対し、正式な結婚ができないまま暮らしていました。
 そのうち男の子が生まれたのですが、とうとう男性のほうから別れを切り出され、お母さんは子どもを連れてベラルーシへ戻ってきました。

 片足がないのに1歳の子どもを育てるのは横で見ているだけで、私は疲れました。しかも子どもの父親は、たまに誕生日プレゼントを息子に送ってくるていどで、養育費もほとんど渡していないそうです。もちろんベラルーシへ会いに来たりもしていません。

 同居している自分の母親は病気で、どうやってこの3人が生活しているのか、私には想像できませんでした。今回はこのような条件から多子家庭ではないものの、保養対象になってSOS子ども村へ来た、ということでした。
 それで、せっかくミンスクに来たため、7年間使っていて壊れていた義足を修理しようとしたところ、日本円にして5万円の修理代がかかると言われました。
 ミンスクには義足を作っている工房がある病院内になるのですが、その品質は非常に低く、S夫もそこで最初の義足を作ったのですが、半年後にはゴミ箱に捨てたそうです。(その後は自分で作った義足をしている。)
 現在は義足製作へのますます予算が削られ、今までドイツから部品を輸入していたのですが、それもなくなりました。修理ではなく、新品の義足を注文する場合は、助成金が一部出ますが、日本円にして60万円もします。
 私はベラルーシ人には高すぎると思ったのですが、S夫は「こんなもんだよ。」と話していました。

 お母さんは家の中では松葉杖を使っていましたが、義足が壊れていると大変不便なのと、ミンスクでしか修理ができないのとで、お金をかき集め、借金もして修理をしました。
 S夫はまた義足が壊れたら、修理してあげる、と言っていましたが、関節部分も含まれる義足の修理は難しく、部品(特に膝関節部分のバネ)がないと、修理はできない、と話していました。

 私はとにかく3級から2級に戻るほうがいい、そうたら義足の修理だけでも無料になるから、とお母さんに言いましたが、戻るためには検査入院しなければならず、その間、子どもの面倒を見る人がいないから、今はできない・・・という返事でした。
 チロ基金としても支援してあげたかったのですが、薬を買ってきてあげる、というような簡単なものではなく、まだ1歳の男の子を眺めて、ああ、大変だなあ、と思うばかりでした。
 この男の子もかわいそうです。お父さんはいないし(法律的にもいない。)お母さんは足がないし、そのまた両親が裕福とは思えません。
 今は1歳でよく分からないだろうけど、もう少ししたら、どういうふうに自分の親のことを思うのだろう、とつい考えてしまいました。
 そういや、障害者を親に持った子どもって、そのことをどう思っているだろう、と帰り道に急に考え始め、私の場合は夫が障害者だけど、自分の親は障害者じゃないし、そういう子どもの気持ちはよく分からないのです。
 それで、Y子にパパが障害者であることをどう思うか、きいたところ
「普通。」
と返事が返ってきました。そうか、そうなのか。と言うことはあの男の子も、お母さんが障害者であることも「普通」にしか思わないのか、と思いました。
 Y子は「体(に障害があるかどうかということ)は大事じゃない。それより、人が大事よ。(障害があるより)変な習慣があるのがダメ。」
と話していました。ここで言う習慣とは、酒におぼれるだとか、万引きばかりしてしまう、とかの悪い習慣のことです。
 私より子どものY子のほうがよく分かっているようですね。他の障害者を親に持った子どもも同じなのかもしれません。

 画像は記念撮影した様子です。手作りのケーキを文字どおり山盛り作って、待ってくれていました。とってもおいしかったです!
 今回もいつものように子ども達に折り紙、文房具などをプレゼントしました。子どもたちの名前を日本語で書いたら、とても喜んでいました。
 
 最後になりましたが、ビタペクト2の購入費、そして「放射能と栄養」をコピーするために必要な経費を寄付してくださった方々、折り紙など子どもたちへのプレゼントを寄贈してくださった方、また日本ユーラシア協会大阪府連主催のバザーなどでSOS子ども村への交通費を捻出してくださった多くの日本人の皆様に、この場を借りて深くお礼申し上げます。
 多くの方々に支えられて、この活動が続いています。
 ベラルーシの子どもたちもお母さんたちもSOS子ども村の職員の方々も皆様に大変感謝しております。本当にありがとうございました。