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電網郊外散歩道

本と音楽を片手に、電網郊外を散歩する風情で身辺の出来事を記録。退職後は果樹園農業と野菜作りにも取り組んでいます。

映画「Coda〜あいのうた」を観る

2022年03月06日 06時00分56秒 | 映画TVドラマ
過日、あいにくの雨降りの日に、映画「Coda〜あいのうた」を観ました。当初は、コーダと言えば音楽用語で楽曲や楽章の終わりを意味することから、クラシック音楽映画だろうと想像していましたが、実は「Child of Deaf Adults」の頭文字をとったもので、「聾の親を持つ、聴こえる子ども」の意味だそうです。映画館ではアガサ・クリスティ等の人気作にはお客さんがかなり入っていたようですが、こちらの上映シアターのお客さんはずいぶん少ない人数でした。

主人公のルビーは、聾唖者である父親と兄とともに漁船に乗り組み漁で生活していますが、母も同じくろうあ者の一家の中で唯一の健聴者で、家族の「通訳」係の役割を果たしています。暮らしは豊かではなく、高校では「魚臭い」と疎外されていますが、実は素晴らしい声と音楽的才能の持ち主でした。新学期に選択するクラスに合唱を取ったことから、ヴィラ・ロボス先生の指導を受けるようになります。先生はメキシコ系のようで、型破りですが効果的な指導で生徒たちの力を引き出していきます。もちろん、ブラジルの作曲家ヴィラ・ロボスとは別人(^o^)/
指導の中でルビーの才能に気づいた先生はバークリー音楽大学の受験を勧めますが、家族は大反対。通訳がいなければ漁船の安全な運行も仲買人との交渉もうまくいかないのですから、生活が立ち行かないのです。自分のやりたいことと家族の生活・役割との板挟みになったルビーは、いったいどうすればよいのか!

以下、ネタバレはやめて本編をごらんいただくこととし、私の感想をいくつか。

  • 私の祖母が30代で中途失明した視覚障碍者であったために、社会生活はもちろん、日常生活に大きな支障があったことを痛感しておりましたので、米国の聾唖者の家族がダイナミックに社会生活を営んでいる姿に強い印象を持ちました。
  • それと同時に、全盲の祖母ほど深刻ではないけれど、やはり音声言語によるコミュニケーションができないというのは、社会生活では様々な場面で大きなハンディキャップになるのだなということがよくわかりました。
  • 手話によるコミュニケーションというのは、いわば結論、エッセンスを伝え合うことのようで、「空気を読んでスマートに対処する」というのは苦手なようです。ルビーの両親の場合は、下ネタ演出というよりは、夫婦がそれぞれ「結論で生きている」姿を表しているように思います。
  • 音楽が良かった。ジョニ・ミッチェルの「青春の光と影」なんて、ほぼ半世紀ぶりに聴いたのではなかろうか。それと同時に、失明した祖母がチャップリンの「街の灯」(*1)を見ることができないのと同様に、ルビーの父と母と兄が彼女の歌を聴くことができないことの悲しみを、痛切に感じます。それでも、悲しみを越えて娘を送り出す家族の姿に、感動します。心うたれる、いい映画でした。




バークリー音楽大学というのは、米国マサチューセッツ州ボストンにあるのだそうな。そういえば、渡米時にボストンのシーフード・レストランで食べた白身魚はうまかったなあ。あのあたりは、魚を食べる習慣がちゃんとあるようでした。オルコットの住まいだった建物の前で記念写真を撮った、ボストンの旧市街地も古都の趣があって見事だった。ハーバード大学の CO-OP でTシャツやトレーナーを買ってきて、しばらく愛用していました。映画とは関係ないところで、若い頃を思い出してしまいました。たぶん、昔懐かしい音楽が流れてきたからでしょう。



YouTube でジョニ・ミッチェル「青春の光と影」を見つけました。
Joni Mitchell - Both Sides, Now [Original Studio Version, 1969]


懐かしい曲、懐かしい歌声。半世紀前の若い頃を思い出します。今ならば、できればこの映画のルビーの歌で、もっとしっかり全曲を聴きたいと思ってしまいました。

(*1):チャップリンの映画「街の灯」を観て昔の記憶違いを知る〜「電網郊外散歩道」2019年12月

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