そよ風つうしん

小さな自然の発見をご紹介してきましたが、転居で環境が激変。内容を一部変更し日々の雑感を綴ったりもしています

「風の電話」に想う

2016年06月07日 | ポエム&好きな言葉
津波にさらわれて 

壊れた家の下敷きになって

5年と3ヶ月まえに

大震災でたくさんの人が亡くなりました

残された人々は

空っぽの心の中に たくさんの想い出を抱きしめて

歯を食いしばって 涙をこらえて生きねばなりませんでした



そんな人たちが 逝った人とお話したくて訪れるという「風の電話」

それがうまれたいきさつをお話しましょう


あるとき この電話の持ち主の方が

突然に大切な人を亡くされて、深い悲しみに打ちひしがれて

少しでも悲しみを和らげる方法はないかと考えるうちに

例え対話はできなくても

電話で話しかけてみようかと考えました


そして作られたのが この「線の無い電話」です

逝った人と対話は出来なくても

せめて自分の想いを言葉にあらわせたら

少しは楽になれるかも・・・

そんな気持ちだったそうです


逝ってしまった大切な人のところへ 

風に乗せて 気持ちを届けられたらいいなと思って

「風の電話」と名づけられたとか


ご自分のために作った電話だったけど

持ち主の人は 

大震災の後に

きっと自分と同じような悲しみにもがいている人たちがいるだろうから

少しでも気持ちが楽になるかもしれないから

自由に使ってもらおうと開放されました

そして地元の大工さんなどの協力もあって出来たのが

「風の電話ボックス」



あの日から もう5年以上になるけれど

今でも いろんな人がやって来るのです

突然いなくなった大切な人と

お話がしたくて・・・



 そんな「風の電話ボックス」へやってこられる方々の様子や言葉が、前回の内容も含めて、先日NHKテレビで放映されました。

ご覧になられた方も多いでしょう。

私も、高校生の頃に大切な人を失った経験があるので、色々なことが思い出されて、涙をぬぐいつつ、テレビ画面に見入っていました。

その時にふと思ったことがあります。
今もなお、ご遺体が見つかっていない方々の胸のうちのことです。

とても大切な人が亡くなってしまったということを、どのようにご自分に言い聞かせ、とても信じられないというお気持ちとの折り合いを、どのようにつけてこられたのだろう・・・


どこかで生きておられるという可能性は、ほとんどゼロ。誰が考えても。
「もしかしたら」という思いを、どのようにして乗り越えてこられたのでしょう・・・



私の大切だった人は、夜の海で死んで、朝になって猟師さんが遺体を見つけてくださいました。
だから、棺の中に変わり果てた姿ではありましたが、対面することが出来ました。
そして私は、その人が確かに死んでしまったのだと、確信するしかありませんでした。

けれども、もし遺体と会えていなかったら・・・
潮の流れで沖に運ばれていたら、
発見が遅れて海の底に沈んでしまっていたら、たぶん会えていませんよね。

それを想像すると、言葉がありません。

ご遺体と会えないという悲しみと苦しみの中で、それでももう決して会えないのだということを自分に納得させるしかないというのは、どんなに苦しい作業でしょうか。

今までそんなことを、考えてみたこともありませんでした。
ごめんなさい。
想いが至りませんでした。



番組の中で、ある人が仰っていました。
「涙を流すと、少し楽になれる。涙と一緒に辛さも吐き出すことが出来る。
 風の電話には、泣かせる力があるんですよ。
 魂というものはきっとある。
 そして、いつもどこかで見守っていてくれる・・・そう信じないと生きていけないのです」



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