もーさんのひとりごと

ここでは工作に関する話の他に趣味の家庭菜園の話、時事(爺イ)問題、交友禄など日々の雑感を気まぐれに更新していきます。

大峰山その1

2010年04月24日 | 旅行記
 またまた昔話のネタが出て来てしまった。
 仕事部屋で深夜に探し物をしていて懐かしい資料が出て来た。
 ついつい昔の写真を見返したり、資料を読みふけっていて肝心の探し物は見つからなかった。

「今度うちの会社で読売新聞から発行する<THE・奈良>の編集をすることになったから、そこで何か書いてみませんか」
 ある編集プロダクションから電話があったのは平成5年、私もまだまだ生きのいい49才の時だった。

 奈良公園や大仏という、ありきたりの修学旅行コースの取材などはしたくないが、大峰山(おおみねさん)なら興味があるから取材をしてみたいが、この山に入る手続きなどを調べておいて欲しい・・・と私の希望を出しておいた。
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*イラストは掲載記事のタイトルページ。
 一般の多くの人々は山上の大峰山寺だけをお参りをして下山をするのに対して「奥駈け」は、宿坊に泊った翌朝から次々と熊野連峰を巡って山伏の修行をすることをいう。
 牛坂も助という名前は当時イラストと雑文を書くときに使っていたペンネーム。


 半月程して編集部では、奈良県内のある企業の新入社員研修の仕上げに行う3泊4日の「大峰山の奥駈け」に同行して取材をするという段取りをつけてくれた。

 大峰山は役小角(えんのおづぬ)ゆかりの修験道の行場で、物見遊山気分で出かければ命に関わるかも知れないという表現も決して大袈裟ではない険しい山で、今なお女人禁制の山である。
但し大峰山のすぐ脇に、女人大峰といわれる稲村ケ岳という男子禁制の行場がある。


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 当初、一緒に取材に同行しますといっていた編集長は、その後に大峰山の厳しさを知ることになり恐れをなして、別の予定ができて取材に同行出来なくなったから、あなた一人で取材をして来て下さいということになり「もし取材の途中でリタイアとなっても、そのまま書いてもらえばそれだけ厳しい山だということが読者に伝わりますから...」といわれたが、リタイアなぞするものかと取材の3ヶ月前から足腰を鍛えるトレーニングを始めて大峰山に臨んだ。
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第一日目の大峰山の山頂に立つ49歳の時の私の頭髪はこんなに健在だった

 ここまで書いて来たが、この話はまだまだ長くなりそうなので、続きは後日・・・。




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