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もーさんのひとりごと

ここでは工作に関する話の他に趣味の家庭菜園の話、時事(爺イ)問題、交友禄など日々の雑感を気まぐれに更新していきます。

水仙ロード2

2011年01月14日 | 旅行記

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 というわけで、前回の続きで、コーヒータイムの後いよいよ水仙ロードに向かう。

 約3キロの江月(えづき)地区の緩やかな坂の町道の両脇は野菜の植えてある畑の隙間まで、山側の斜面のかなり高いところまで一面水仙が咲き、我々爺さん連れではあまり似つかわしくはないかもしれないがが、親子連れの散策は絵になる風景である。

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ポカポカと暖かい陽だまりには梅がほころび始めていて「のどか」という言葉を絵に描くとこういう光景になるのだろう。

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ロウバイと紅梅が並び咲いていた。                   

水仙ロードの脇にはところどころに農家の直売所が出ていて、切り花の水仙、球根、山芋、フキノトウ、ミカンなどの他に梅干、漬物、干し柿など手製の加工品が売られている。

 のんびり歩いて1時間ほどのどかな風景の中に心を泳がせたあとは、花より団子で、ブスケ邸に上がりこんで一献傾けながら昔話に花が咲く。

 学校時代の教員仲間の消息が話題の中心だ。

  連絡のつく他の仲間も誘って、今度は泊りがけでここに集まろう。

 「食飲(しょくいん)会議」ってぇのはどうかネ。

そんな話で盛り上がり、つい1杯が2杯・・・となり、気が付けばもう外は真っ暗になっている。

急がないとフェリーの最終に間に合わない。

名残は尽きないが、話の続きは食飲会議で・・・・ということで帰路に着いた。


大峰山その3

2010年05月02日 | 旅行記
「ざ~んげ、ざんげ ろっこんしょうじょう」(懺悔 懺悔 六根清浄)まだ夜の明けやらぬ午前4時、朝食を済ませ、身繕いを整えた一行は行場特有の掛け念仏を唱えながら懐中電灯の灯を頼りに宿坊を出発した。
*懺悔は仏教用語としてはサンゲと読むようだが、ここではザンゲと発音されていた。Photo

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 出発してから2時間、前日とは反対側の<結界門>で小休止、それでもこの辺りはまだ全員余裕の表情。

 一日目の行程はほとんど上り坂でかなり険しい山だったが、2日目の奥駈けはそれにも増して鎖場、急斜面、道のない原生林という行程で、いくつもの山々を登ったり下ったりで、山入り前にトレーニングをしてきたつもりだったが、脚はもつれ、呼吸の乱れは激しい。

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 さらに1時間、<小普賢岳>の山頂で小休止。
 若者たちにも疲労の色が・・・・。


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 さらにさらに一枚岩の鎖場の崖を登り、原生林を抜けて、今朝からいくつめの山頂だろうか、<七曜山>の山頂に着いた頃、私は体重の付加が重荷となってヒザが痛み始めた。



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 七曜山山頂からのからの風景、弥山までの道程はまだ遠く、下り坂の度にヒザの痛みは増し、私一人が一行の姿が見えなくなる程遅れるようになって来た。




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 11時半<行者還り>に着いて昼食。
 宿坊を出発して7時間半、極限の疲労で青年たちも食後は身体を横たえて休息をとる。
 
 ここで先達4人が合議の上、歩行困難となってしまった私を下山させることに決まり、ついに無念のリタイアと言うことになってしまった。 
 
 一口に下山と言っても、ハイ皆さん私はお先に失礼をしますと一人で下山出来るわけではない。   

 ヒザを痛めた私を原生林の山から村に下ろすために一人の先達が付き添い、私の身体にロープを結び、ロープの先を杖に縛り付けて、万一私が転がってしまっても杖が樹木にひっかかって止まれるようにと万全の配慮で私のために多くの人たちに迷惑をかけてしまった。

 現役の頃、「四畳半裁判傍聴記」「銭湯の釜炊き体験」「銭湯急ぎ旅」「房総の職人探訪」「南房総温泉巡り」「飛行船搭乗記」などなど、いろいろなイラストルポをさせてもらったが、この大峰山の取材が一番思い出も深く、途中リタイアながらも仕上がりに満足できたルポだった。

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房総の職人さんを取材した「名人列伝」より。

 あれから21年の歳月が流れ、私はすでにイラストレーターおよびルポライターとしての現役を終え、今は子どもたちを相手にのんびりと工作爺さんをしているが、あのとき山で一緒だった青年たちは今ちょうど働き盛りの40才前後になっていて企業の最前線で頑張っている頃だ。
 皆元気でいるのだろうか。

 ところで、深夜の探し物はまだ見つからない。
 というより、この取材の資料を読みふけっているうちに、何を探していたのか忘れてしまった。
 そのうちまた別のものを探しているときに思い出すだろう。





大峰山その2

2010年04月27日 | 旅行記
 さて、N社の業務研修を終え、先達の後に続く18才と22才の8人の若者8人プラス私は、まずバスの終点、吉野郡天川村の洞川(どろがわ)温泉で下車したときは小雨の中だった。
 
 午前10時、般若心経を唱え(といっても、般若心経など知らない一行だったが、あらかじめ渡されていた登山のしおりに総ルビの経文が添えられていた)、いよいよ女人禁制の結界門をくぐるとそこはもう修験道の行場で、様々な難所が人が入るのを拒んでいる。Photo
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 傾斜のきつい一枚岩の<油こぼし>、ほとんど直立した岩場を鎖に掴まって登る<鐘掛岩>、<西の覗(のぞき)>と呼ばれる高さが300メートルはあろうかと思われる絶壁から身体を突き出されて誓いをする恐怖のポイントをクリアして山頂の宿坊に到着したのは午後2時。
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 背中のロープ一本だけを頼りに谷底に身体を突き出されて誓いをさせられる「西の覗き」
 もう次の写真の方が状況が分かりやすいかも・・・
写真をクリックして拡大サイズでご覧下さい。
Photo_4 写真は「龍泉寺のしおり」(修験道研究会編)より

 ホっとする間もなく、宿坊で一旦荷物を置くと、<裏行場>と言われるさらなる難行のコースを経て大峰山寺に向かうが、先達の指示に従って岩にへばりついていなければ谷底に転落をしてしまうコースで、撮影が禁止されているわけではないが、絶えず両手は岩に張りついているから、最初の一枚を撮っただけで、あとはカメラを手にするゆとりがなかった。




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裏行場はここから始まる。
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 下は深い谷で、命綱もなく、もし落ちれば必ず死につながる。
2枚の写真は「龍泉寺のしおり」(修験道研究会編)より


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 海抜1719,5mの山頂にある大峰山寺(ルポに掲載したもの)



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 翌朝は午前3時起床で、幾重にも重なる山々を越えて、弥山(みせん)までの苦行が待っている。

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 宿坊での夕食は、麩、昆布巻、山菜、福神漬、味噌汁の質素な精進料理。
 山頂には水場はなく、お茶沸かすもご飯を炊くのも、顔を洗うのも、宿坊の屋根の雨水を雨樋で樽に溜めた水を使う。

 ここまでは2日目に起こるアクシデントの気配もなかったのだが・・・。
 引っ張って申し訳ないが、今日もここでオシマイ・・・最終回の結末をご期待下さい・・・。

 



大峰山その1

2010年04月24日 | 旅行記
 またまた昔話のネタが出て来てしまった。
 仕事部屋で深夜に探し物をしていて懐かしい資料が出て来た。
 ついつい昔の写真を見返したり、資料を読みふけっていて肝心の探し物は見つからなかった。

「今度うちの会社で読売新聞から発行する<THE・奈良>の編集をすることになったから、そこで何か書いてみませんか」
 ある編集プロダクションから電話があったのは平成5年、私もまだまだ生きのいい49才の時だった。

 奈良公園や大仏という、ありきたりの修学旅行コースの取材などはしたくないが、大峰山(おおみねさん)なら興味があるから取材をしてみたいが、この山に入る手続きなどを調べておいて欲しい・・・と私の希望を出しておいた。
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*イラストは掲載記事のタイトルページ。
 一般の多くの人々は山上の大峰山寺だけをお参りをして下山をするのに対して「奥駈け」は、宿坊に泊った翌朝から次々と熊野連峰を巡って山伏の修行をすることをいう。
 牛坂も助という名前は当時イラストと雑文を書くときに使っていたペンネーム。


 半月程して編集部では、奈良県内のある企業の新入社員研修の仕上げに行う3泊4日の「大峰山の奥駈け」に同行して取材をするという段取りをつけてくれた。

 大峰山は役小角(えんのおづぬ)ゆかりの修験道の行場で、物見遊山気分で出かければ命に関わるかも知れないという表現も決して大袈裟ではない険しい山で、今なお女人禁制の山である。
但し大峰山のすぐ脇に、女人大峰といわれる稲村ケ岳という男子禁制の行場がある。


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 当初、一緒に取材に同行しますといっていた編集長は、その後に大峰山の厳しさを知ることになり恐れをなして、別の予定ができて取材に同行出来なくなったから、あなた一人で取材をして来て下さいということになり「もし取材の途中でリタイアとなっても、そのまま書いてもらえばそれだけ厳しい山だということが読者に伝わりますから...」といわれたが、リタイアなぞするものかと取材の3ヶ月前から足腰を鍛えるトレーニングを始めて大峰山に臨んだ。
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第一日目の大峰山の山頂に立つ49歳の時の私の頭髪はこんなに健在だった

 ここまで書いて来たが、この話はまだまだ長くなりそうなので、続きは後日・・・。




光が、光が・・・!

2010年04月07日 | 旅行記
 デジカメをコンクリートの上に落とした。
 壊れはしなかったが、カメラの中心から前と後ろの結合部が少し開いてしまった。

 あ! 光が入ってしまったかも・・・。

 カメラ自体はしっかりと前と後ろを押さえてやるだけで元に戻ったが、撮った写真は光が入ってしまってダメになってしまったかも知れない。

 スイッチをONにして液晶画面を確認をしてみたら、画像は無事だった。

 フィルムカメラじゃあないんだから、光が入ってダメになるなんてことはないヨ!

 考えてみればそうなんだけど、37年程前の経験を思い出して昔のフィルムカメラ時代の反応をしてしまった。
 お恥ずかしい・・・。

 その37年前の経験と言うのは・・・。
「面白半分」という当時のサブカル雑誌に掲載した「日本海・銭湯急ぎ旅」というイラストルポの取材で、新潟市を出発点に日本海側の魚津、富山、福井、京都などの銭湯巡りをしたことがあった。
Photo新潟市・みどり湯

 ひとつの町で3~4軒の銭湯に入り、それも1軒ごとにゆっくり身体を洗ってフルコースを連続で入ると、思考力が低下をしてカメラのフィルムを巻き戻さないまま裏蓋を開けてしまったことがあった。



Photo_2魚津市・源平湯

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 エーッ! どうしよう・・・。
 今日の取材写真の1本は全部ダメになってしまったと慌てふためいた。

Photo_4福井市・栄湯

 幸い写真は2台のカメラで撮っていたので、取材はもう1台のカメラの写真に頼ることにしたが、結果的には感光してしまったのは最後の2~3枚分だけ、巻き上げ部分に収まったフィルムには光は入っていなくて助かった。
 今回のデジカメの一件もこのときの気持ちと同じだった。
Photo_5京都市・山田湯

 文中の写真と取材メモは1977年頃、3泊4日で15軒の銭湯に入って来たうちの一部だが、現在は何軒の風呂屋が残っているのだろう。

 こんな昔語りを始めるようではどこかから<もーさん老いたり>という声が聞こえて来そうだ。

 ちなみに、私の干支はウサギで、昔から文部省唱歌でも ♪うさ~ぎ 老いし かの山~・・・♪って歌われているから、私はもう昔から老いていたのです。