柳蔭書翰

徒然なるままに、音楽関連の話題に拘らず、常ならんこの世の事々書き散らし諸兄のお耳汚しに供したく思います。

嫌悪

2010-09-20 08:15:26 | Weblog
あのピートローズが(あの、ともったいつけるの王の868本金田の400勝4500奪三振と同じような飛びぬけた安打記録を持ってる人だという敬意です)イチローにケチ付けてます。日本の野球は所詮3A並みだ(日本で言う二軍)、俺が4,5年日本でやってたらどうなってたか想像してごらん、イチローの内野安打の多さは俺と比較にならぬという証拠だという趣旨の言いがかりです。内野安打の多さを指して、世界一幸運な選手だという皮肉です。所詮は日本の記録との合計であって、俺とは比較できぬことと言いたいわけです。張本も同じこと言ってますが(こっちは純正、イチローは参考記録)まだ可愛気があります。大リーグで二千本以上打ってるという実績は、張本のクレームを空威張りと笑える余裕を与えてくれてます、張本もそれをわかっていつも噛みついて笑ってます。ピートローズは野球賭博で球界から永久追放された人です(なんと!)。しかし記録は記録だからこういうインタビューが為されるわけですが、何とも大人気のないコメントだとは思いました。でも、このコメントに溜飲を下げた人達も多いんでしょうね。内野安打の多いこと、バンドヒットも多いですから、ぶんぶん振り回して派手な打ち合い指向の人達からはチマチマした面白くない選手に違いないのです、外野の間を割る二塁打や三塁打も内野安打も同じ一本のヒットであることが癪な人達にとっては、イチローが日本人であることも十分十二分に手伝って小癪な対象、憎らしい対象だったでしょう、そこへあのピートローズの言葉ですから、その通り!!となっても然るべきです。同じ記事にはそれに反論する評論家もいることが載ってますが、その人の論拠は、イチローが初めから大リーグに来ていたら、とか、イチローのヒット数は割合にすれば(いつも私が噛みついている割合比較です、これは眉唾ですが)ピートローズよりも沢山打っているのだというモノです、こういうデータは実数には所詮敵わぬものですから弱い。ピートローズの傲慢コメントの方が強いわけでした。で、3500安打を当然の如く達成したイチローでしたが、こういう時に球場では掲示板に大きく表示されるものだそうですが、イチローそれを断ったんだそうです。記事によると、日米合わせて、と言われるのが面倒くさいと。ああ、やっぱりうっとうしいことなんですね、当然ながら。ここまで来れる才能だから、やっかみ妬みも大きいというわけです。騒ぎ立てるのはマスコミであって、放っておけよと言いたいのでしょうがしかしこういう騒ぎ立てあって人気も出て生きていける業界ですから痛し痒し。くどいですがこれほどの才能なればこその悩みです。凡なる私達には窺い知れぬところです。平たく、ピートローズは嫌な奴。イチロー、やったれ!我々の役目はここにあるのです。
 小林桂樹さんの死亡記事です。昔の映画、娯楽の主役をTVに取って代わられる時代、私の幼少期の時代の匂いと風景が一杯に詰め込まれた映画を見るのが好きなのですが、森繁久弥、三木のり平、加藤大介、フランキー堺、時に小沢昭一、東野栄二郎、草笛光子、淡路恵子、久慈あさみ?(名前忘れました、森繁久弥の女房役)と綺羅星が総出演の「社長シリーズ」。小林桂樹は社長秘書の役です。これは理屈なしに面白いです。あの時代の勢いというか匂いが満載です。車の少なさ、古さ(古くて当たり前なのですが)、当時最新だったはずのアパートインテリアの古さ、そして人々の装い。男という男みんなところ構わず煙草吸ってる。今と違うところはここだなと思うことです。そして当時の社会常識の具合。昔の映画見る時の楽しみは何点かあるのですが、ああ、あんなこと言ってる、と気付くのも面白いのです。勤務時間とか有給休暇とかそんなことが二の次三の次で、会社のために仕事のためにで全て済んでしまう単純さです。単純さ。魅きつけるのはこの単純さなのでしょうね。最後には完の文字がズームしてくるお定まり。背景は都会の象徴であるビルの林がドローされて鳥瞰図になる。寅さんの終わりと同じです。あのテーマソングに乗せてその土地土地の山、海、田んぼ、林、古い街並みが映ります。山田洋二監督のあの映画の意図にはきっと記録映画としての役割もあるんだと信じてます。風景描写がとにかくふんだんですから。社長シリーズも当時の都会(東京)の先端さ便利さ小奇麗さを田舎者たちに知らせる役目があったに違いないです。田舎者達に大いなる憧れを抱かせる役目を負ったに違いありません。今日の新聞に大林宣彦監督が追悼文を寄せています、普通の人を普通に演じられるスターだったと。私には若いこの人が画面いっぱいに走り回ってる、こづかれいじられてる社長シリーズの印象ばかりが強く、時にTVの弁護士モノで見るばかりでしたので、これ以上はないのですが、また一人映画の中に消えて行ったと、残っている者としての平凡な思いが湧くことでした。合掌。
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恫喝

2010-09-19 08:32:37 | Weblog
東シナ海に領土問題は存在しないと前原さん、国交相時代に言い、外相に就任してもその態度を維持してます。久々に痛快事ですか。アメリカ高官(アーミテージ氏)が言ってるように中国はどこまで押せるか試しているんでしょう。反日感情をああやって煽っておいて、政府としても高飛車に出る。ちょっと恫喝すれば今まではこれで日本はすぐに矛を収めていたのです。領土問題は存在しない。これは北方領土問題でよくロシアが使う言葉ですが、つまり外交用語なのでしょう、竹島のこともそうですが、どちらかが言いがかりつけてきた時に論議の対象にならないと門前払いする対応です。よろし。これでいいんでしょう。が、例によってTBSの関口宏の番組に出てくる左翼連中は心配だ心配だと言ってます。ここに最近元自民党総裁の河野父が出てきますが、さすがに慰安婦問題などで中韓に謝り続けてきた御仁らしく、前原さんが危ない、その後ろにいる岡田さんも原理主義であるだけに幹事長として援護すると問題がこじれると言います。この人は続けて、日中問題は日日問題であり中中問題なのだといいます、日本や中国のナショナリズム連中とそうでない人々との争いごとになるのだ、どちらもナショナリストたちが高じてくると大変なことになる、だから政府同士が適度なところで収めなければならぬのだと言います。だからと言って謝罪すればいいということにはならぬでしょうにね。したり顔で、困ったような顔してため息交じりに話す姿を見るに、ああ、この人のような物分かりのいいように見せた弱腰、事無かれの臆病者が中韓をつけあがらせてきてたんだと知ることでした。もっとも、この人の罪深さは当時から槍玉にあがっていたことです。宮沢さん亡き後、村山談話と並ぶ謝罪外交の双璧をなしてきた人の面目躍如ではありました。村山談話で思い出しましたが先に菅談話が出ましたが、あの時に谷垣さんが電話で菅さんか仙石さんに注文出したんだそうです、村山談話を逸脱するなって。つまらん談話なんか出すんじゃない!ではなくて、です。当時は自社さ政権でしたから、この談話は自民党のものでもあるという考え方なんでしょうが、この談話をこそ超え(否定する)なければ保守自民党の再建はならぬでしょうに。トホホを超えてがっかり、萎えてしまいます。
 先の民主党代表選を評して「国民は小沢さんを嫌った」という表現して評論家たちはしたり顔ですが、違いますね?あれは民主党好きな連中内の、うちうちの選挙です、国民の意思ではありません。これもすり替えでしょう。小沢嫌い、小沢排除を国民の選択とすり替えたいわけですねマスコミは。何度も申し訳ありませんが、菅さん好きの集団である民主党員やサポーター達が菅さんを選ぶのは当然なのでした。同じ関口の番組で元日経記者が(あくまでこの番組は左よりで固めます)言ってました、菅さんが勝ったことで経済界は落胆しているかもしれないが実業界は喜んでいるかもしれないと。小沢さんが幹事長時代は陳情先を一本化して、そこでの話は見返りとして票とキックバック(献金)をどれだけ持ってくるかの交渉だったからと。なるほどね。あの取り巻きたちが異質なのはあそこに旧態依然の自民党式の金権恫喝脅迫政治が厳然と残っていたからなんですね。暴露モノは順次開陳されていきます。小沢さんもうダメでしょうね。小沢グループが民主党を割るのは時間の問題のように思えてきましたがいかがですか。
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依存

2010-09-18 08:22:16 | Weblog
代表代行って何する役ですかね。字面追えば、例えばヤクルトのように高田監督がシーズン途中で辞めてしまった後に誰かが代わりに立つ(立てられる)その人は監督代行と呼ばれます、正式に球団から要請されるまでは代行です、小川さん未だに代行です、でも代表菅さんがちゃんといるのに代行もくそもないわけですね。つまり形式的な閑職そのもの。うるさい奴はここに置いとけ、です。で、小沢さんも輿石さんも蹴った。ま、当然ですか。挙党体制の猿芝居演出に協力するつもりはない!って。小沢さんは子分の会合では一兵卒として云々、今後も仲良くしてくださいなんて殊勝でしおらしいこと言ってますが、一の子分の松木さんは明らかに怒ってます。菅さんが選挙前にあれだけ言ってたこと(ノーサイドですね)の形が見えないって。見えないですね全然。原口さんはきっちり外されたし。細野さんもどっか行っちゃった。海江田さんは一時小沢側の党首選候補とまで取り沙汰されたひとでした、この人だけ。後はいつもの顔と、全然知らぬ爺さんばかり。いつもの顔。産経抄は昔懐かしい三角大福中なる略称を引いて、あの時の自民党と全く変わらない、結局民主党も権力闘争でしかないと皮肉ります。小沢、鳩山、菅、岡田、前原。この五人で役をぐるぐる回しているだけです。昔の写真、15,6年前の写真見てもこの五人しか写ってませんからね、これ驚きますよ。さらに産経は記事で挙党体制を噓党体制(なぜか嘘を旧字の噓と表記してます)と揶揄します。もともと小沢さんと菅さんとではこの言葉の意味が違いましたからね、素人でもわかる違いでした。小沢さんの言う挙党体制は各派閥から何人かづつ入閣させる自民党手法です、菅さんのそれはあくまで脱小沢で、そのうえで小沢グループに協力を要請(否、強要)する意味です。端からわかっていたことでしたが、いざあからさまにやられるとやはり小沢さん拗ねちゃって。脱小沢とはつまり小沢に依存していることの裏返しだと読売のコラムは見切っています。その通り。映画の主役と悪役との関係を引いての解説ですが、小沢グループを切る、そのことによってのみ世間の耳目を引くことができているわけですね。つまりべったりの小沢依存。さてさて。これからです。本当に怖いのはこれからです。旧社会党員たちが沢山大臣になってますよ。日本が壊されていきます。何とかしろよ!谷垣さん!
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性格

2010-09-17 08:16:09 | Weblog
福岡の爪剥ぎ事件、あるいは深爪事件とも称されていますが、高裁控訴審で逆転無罪だそうです。新聞記事を読むと何と物々しいことです。論点(争点と呼ぶのでしょう、裁判する点を絞るという意味です)がどんどん大きく抽象化されていって、看護協会の偉いさんまでが目を三角にしてる。爪を切る行為がケアであるのかどうか、認知症患者へのケアとは何か、看護とは何かなんて話にまで膨らんでます、ありがちなことです。もちろん入院患者の清潔保持、安全保持(これをケアと言います。わざわざに横文字にする意味なんてないのですが)は病院の業務であり看護婦業務の本幹です、爪切りはケア行為に違いありません。そんなところを専門家引っ張ってきてあれこれやってる。裁判の流れとして仕方のないことなんでしょうが、まったく論点のすり替えです。要は、この看護婦が何の問題のもない爪を無体にも引っぺがしたのか、故意に深爪して結果剥がしちゃったのかですね。その時の写真がきっとあるんでしょう、それを裁判員に、あるいは一般人に(専門家じゃなくて)見せて常識的に判断させたらいいんですよね。どこまでが深爪なのか、なんてのは答えが出る筈がないです。爪切った後に当たったら痛い、あらら切りすぎたわと後悔する、それが深爪です。何センチの判断ではないです。新聞記事にはもともと浮いていた爪で、しばらく様子を見ていて、という経過だともあります。「被害者」の息子、60歳がらみとありますからまぁ言えば分別盛りですか普通は、はこんな判決では何でもかんでもケアの名のもとに許されることになってしまうと憤っているそうです。ケアか虐待か。見出しが大仰なのです、もっとこの例について判断しなさいということですわね。もっとも、無茶やる奴はいますからね、実際に生爪剥いだ奴、インシュリン射って殺した奴、「被害者」家族の気持ちもわからぬではないですが、さてこんなに事を大きくするほどのことなんでしょうかという話です。当の婆さんの爪はきっとすっかり治っていましょう。つまりこんな大問題化するには事件の重大さ以外に多くの要素があるというわけです。大きいのは病院側の対応不備、そして「被害者」意識。きっとこの看護婦の初期対応が不適切だったのか、病院側が居丈高だったのか。これがおそらく原因でしょうが、いえ、「被害者」側の性格問題も大きくあります。こういう話を聞くたびにこの業界の面倒さに溜息が出ることです。同業者として力が抜けます。
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嗚呼

2010-09-16 08:17:59 | Weblog
日本柔道、世界選手権で好成績です、いくつも金メダル獲ってます。こういう評がありました、あの山下の言葉でしたか、タックルが禁止されて日本の堂々たる柔道が日の目を見たといった趣旨でした。タックル防ごうとして皆腰が引けた姿勢で組む、道場で習う技が綺麗にかかる筈もないこと、それで近年の世界選手権やらオリンピックやらでの日本の為体だったという言い訳をよく聞きましたが、今回はルールが改正されたんですか。先の日曜に朝のフジTVのトーク番組に女子柔道の重量級の有名なメダリストが出て話してました、そのタックルのことを彼女達はこう言ってました、朽木倒しという立派な技なんだから、そして柔道が世界的な競技になって行く以上はこの変化に私たちがついていかねばならないと。現場はこうなんでしょうね、ルールが変われば従うのみ、です。あくまで立ち技、組み技の美しさに拘るなら、日本柔道大会を別個に立ちあげたらいいだけです。それも癪なら、世界のルールを日本流に戻すように政治的に働き掛ける。あれをタックルと、私たち外野がブーブー文句言ってるのと同じレベルで評価していたんでは先に進みませんよね。ちょうど現場の選手達の言葉を聞いた後でしたから余計にそう思いました。ルールいじるのは選手たちじゃないですからね、自国の選手を有利にしようとするあくまで政治的策略ですから。そう見切ると、つまらん話ではあります。
 民主党代表選、つまりは総裁選の結果について論評の花盛りです。剛腕が敗れたのは何故か。陳腐な解説ばかりです。小沢さん党を割るか。そんな推理物。実は内情はこうだった、という暴露モノ。二つ三つ読むだけで飽きてしまいます。産経抄が、菅さんの代表選後の演説引いて、412人内閣なんて言葉遊びしてないでとっとと仕事にかかれ!とやってます。412人内閣。こういう表現にはオゾゲが立ちます、背筋にいやーなものが走ります。これがこの人の、この人たちの本質なんですね、みんなでやればいいんだ、誰の責任でもないんだという奴です。私が全責任を負うと叫んだ小沢さんが嫌われるのはこういう体質の集団に向かったからでした。同じ産経新聞で佐々淳行が、今次の選挙はbetterを選ぶのではなくlesser evilを選ぶ二者択一だった、どちらも嫌という選択肢のない、無茶な選挙だったと斬ってます。その通り。多くの解説や論説を読むにつけ聞くにつけ、女房の見解が正鵠だと知ります。菅さんを選ぶ人達が民主党シンパなのよ。民主党を好きな人達は小沢さんみたいな人を嫌うのよ。国会議員は自分の利益が第一だから、世論もくそもないわけです。国会議員票が見事に拮抗したのは連中の性癖をこれまた見事に露呈したことでしたから。さて、今からですわ。怖いのは今からですよ皆様。日本が壊されていきますよ、嗚呼。
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排除

2010-09-15 08:21:25 | Weblog
菅さん勝ちました。街の声に、一国の総理大臣決めるのに民主党関係の者だけでなく広く国民の声をきくべきだというのがありました。街の声ですからね、専門家や有識者や業界人達が目を三角にして且つ小馬鹿にしながら反論するのは目に見えてますが、これあながち間違いじゃなくて。これは選挙の前から指摘されていることですが、民主党のサポーターになるための条件に国籍条項がないそうなのです、つまり外人にも投票権があるんですわ。外国人でもなれるくらいですから自民党員だろうが公明党員だろうが誰でも金払えばなれるんですね。野党時代のモノです、人集めて金集める目的です、その時はそれでよかったんでしょうが、という話です。つまり、今回のように総理大臣を決める選挙に外人には投票権があって歴たる日本人に投票権がないという事態に相成っていたわけです。そこまで含んでの街の声であれば的を得てます。浅い所で反論するならこの選挙はあくまで民主党の代表選挙です、たまたま今回は総理大臣選挙の結果となっただけですからなんてことですね。自民党の総裁選の時もこんなことだったと思うのですが、大して問題にならなかったのは国籍条項があったからでしょうか、詳しく知りません。今回のように国会議員の票が拮抗して、外の一般人の意向が結果を決するようになった場合に、これはアメリカや韓国の大統領選挙の様相、直接選挙、住民投票の様相です。国政までを二元制(この言葉は名古屋や鹿児島の無茶な市長のおかげで知りましたね。首長と議員とを別々に選ぶ制度です)にするかという話にもなりますか。石原都知事がマイク向けられて待ってましたとばかりに言いましたね、これだけ一般国民と国会議員との認識に開きがあるんだと。サポーターや地方議員の意思が総理を決めた結果でしたから、こういう流れは怖いことなのだ、ポピュリズム、衆愚政治に流れていくんだという意味か、国会議員なんてのは一般国民と考え方が大きく乖離した特別な連中なんだという皮肉軽蔑の意味なのか、だからこういう決め方は危険なんだという釘刺しの意味だったのか。女房は言いました、菅さんを選ぼうとする人達が民主党を支持する人達なのよ。あの人達にとって小沢さんはあくまで異質異端なのよ、排除の対象、と。なるほど、そこまで遡られると、そうですねと頷くばかりでした。菅さんのような考え方に賛同する人達が民主党のサポーターなんですよね。そうでしたね・・という何ともおそまつな話でもありましたか。いかがでしたか、諸姉諸兄。
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不当

2010-09-14 08:23:07 | Weblog
琴光喜、解雇は不当だと地位保全訴訟したそうです。もちろん相手は相撲協会。つまり給料払えということだそうです。解雇までの給料は出ているはずですから、つまり一方的にクビのされた、俺の生活どうしてくれる?です、今月も来月も給料払え!なんでしょう。ううむ。こういう異議申し立てはなされるもんなんでしょうし(私達の知るところにならぬものが多いのでしょう)、弁護士達はこういうのが仕事であり飯のタネなんでしょうから、単なる「こういう時の手続きの一つ」という捌き方になるのかもしれませんが、なんだか往生際の悪いことではありますね。相撲取りが博打して何が悪い?という根元の論議ならまだしも、こういうショボい訴え方じゃぁねぇ。この辺りから大論戦が始まるのでしょうかそれとも。訴えられた方も(司法)困るんじゃないですかね、暴力団との関係がいけないのか博打がいけないのか。そのどちらにしてもその人の収入が断たれ、路頭に迷わされるほどの悪行だったのか?というこれまた根本の疑問。どなたもこなたも正義の味方側について、金切声で叫び続けた結果ですからね。健全なる社会の一翼を担うべき公益法人としての態度として不当、行き過ぎとは言えない、なんてことなんでしょうね裁判所が使いそうな言い回し。結果も見えてますか。それとも裁判所、思い切って論議を渙発しますか、解雇は不当だと。不当と出ると、また相撲協会すったもんだです。何だかトカゲの尻尾切りで幕引きされた感のある今次の騒動、今一度火をつけるのもいいかもしれませんね。裁判所、やったれ!
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混淆

2010-09-13 08:10:20 | Weblog
何日か前にBSで南佳孝唄ってました。これも偶々でした、チャンネル変えたら汚いおっさんが大アップでモンローウオーク唄ってる、おお!南佳孝御本尊!切り替えたらモンローウオークってのも何かの縁です、その後も見てました。途中からでしたからもう唄った後だったのかも知れないのですが、残念ながらスロブギ(スローなブギにしてくれ)は出ませんでした。スロブギで当てた後だったか、モンローウオークの後だったか(これは郷ひろみも唄ってました)、良いアルバムがあって、ステラとかの名曲が入ってるのですが、残念にもその曲も出ず。元々歌の上手な人じゃないですが、あの独特の節回しは健在でした。でも汚い顔。汚いというのはよごれているとか不潔とかの意味じゃありません、綺麗じゃないという意味です、十分に爺さんなんですからそれで一向に構わぬのです。昔あこがれて聴いていた人がどんどん歳とって行く現実です。懐メロ世代に、おそらくそのど真ん中に座っているのでしょうね、いつの間にかあなたも私も。
 2歳の子を虐待死させた母親が21歳、かわいそうなことしたと新聞に言葉寄せているその母親が41歳。どんな有識者たちのコメントよりも説得力のある家族構成でした。
 民主党代表選、いよいよ佳境です。態度がはっきりしない連中、それを中間層なんて表現してますがマスコミ、本人だけじゃなく地元の後援会にまで会いに行くそうです両陣営、すごいこと。でもこれはキリのない話ですね、相手がそこまでやればこっちもやらずにおれないのです。あの人はこんな田舎のわしにまで会いに来てくれた、という泣き落としですからね。電話もそういう効果です。あっちからは電話あったけどこっちからはない、そんな動機で人は名前書きますね確かに。票読みを面白がってますがマスコミ、旧民社党グループという塊があって、おお、まだこんな呼び方が通るのねと驚くやら寄り合い所帯さを再認識するやらです。民社党ですよ、もうすっかり忘れてますね。中野さん達を指すそうです、この人は自社さ政権の時に表に出てましたかね。民主党と言えば春日さんでしたか、これも古い。亡霊のように、しかし歴然と存在するグループなんですね、気味の悪いことです。元社会党の、極左の連中もいますよ、衆院議長の横路さんやら今をときめく仙石さん、口蹄疫で大臣馘首になった赤松さん。この人たちが社民党に残らなかったのは土井さんやら福島さんと路線が違ったからでしょう。こんな党に挙党一致なんてできるはずがないのに、権力に擦り寄るのが性で習いである連中はどうにでも身を翻すわけです。さてさて。
 
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不要

2010-09-12 09:06:24 | Weblog
谷啓さんの死亡記事です。脳挫傷死、転落死という見出しが悲しいことです。自宅で転倒して頭を強く打って脳に傷して脳内出血して脳が腫れて死亡するという、年寄りにありがちな(若い人でもあり得ることですが)外傷死です。老衰などの自然死でなく病死でなく外傷死(死亡診断書にもこういう区別があります)、自宅でこけて、というところ、それはそれでよかったじゃないのという見方もありましょうが、年寄りの悲しさという色は拭えません。気をつけろと周りは言うばかり、本人もこけようとしているわけではないのですが、こういう顛末は繰り返されます。これも老人の死因のれっきとした一つなのですが、死因に上下はないにしろ、防ぎ得たかという後悔は家族に強くかぶさることではありましょう。クレージーキャッツはハナ肇、植木等と逝き、そのうんと前に安田伸、石橋エータロー逝き、犬塚弘と桜井センリが残るばかりです。私の御同輩がシャボン玉ホリデーをしっかり覚えている、おそらく最後の、尻尾の年代世代なのでしょうが、一世を風靡したコミックバンド、しかもジャズバンドとしての力量も相当のものだったというイメージは大きいです。大人の漫画のあのテーマソングは今も頭の中で鳴ってます。ガチョーンはTV時代黎明期の流行り言葉の嚆矢だったでしょう、おそまつ君のシェーのように。78歳。合掌。
 社会の禁煙指向はいよいよその度合いを強めていきます。毎日新聞には、水俣市長が市職員は勤務時間中には喫煙禁止する、吸いたいものは昼休みにまとめて吸えというお達しを出したという記事です。煙草吸いは鉄道からはじかれ、学校からはじかれ、公的機関からはじかれ、なんと飲み屋からもはじき出されようとかというご時世です。列車の中、教室の禁煙はこれは肯づけます、禁煙車(喫煙車)をつくるのもいいアイディアでした(昔若いころに辺り構わずバカバカ吸っていたこと、それこそ映画館だろうが満員の新幹線やローカル線車内であろうと(阪急やら地下鉄ではさすがに吸いませんでしたが)平気で吸ってました、灰皿があるんだもの、なんて屁理屈でした、それ思い出すと冷や汗もので、だから煙草吸いには甘いのでもあるのでしょうが。ちなみに禁煙してもうすぐ20年です)。禁煙車という名称に噛みつく向きもありましたね、吸わない者の方がうんと多いのにどうしてこっちが隔離されるのだ、排除されるべきは喫煙者の方だろうという理屈です、禁煙車じゃなくて喫煙車だろうというもの。でも喫煙車とするとまた別のニュアンスが付きますか、喫煙を助長奨励しているみたいだとか。痴漢被害対策としての女性専用車についてもあれこれありましたものね、これは男性差別だとか。大したことじゃないんですがね、男からしてもあらぬ疑いかけられるよりその方が好都合ですわね。ま、理屈とトリモチはどこにでも付くもので、いちゃもんはどうにでも捏ねられます。で、禁煙です。記事によると、役人たちが勤務時間内に喫煙場所でプカプカやってる、それは戸外であって市民の目につく場所でもあるわけです、さぼってる!とクレームが来るんだそうです。それを受けて市長が英断したというわけです。どうですかね。健康問題からの禁煙論はもう耳タコです、煙吸うと癌になるかもしれないというあくまで確率論をいつまで経っても出られません、つまり尻から煙が出るほど吸う人でも癌にならない人は沢山いるわけです、ここをいつまでも抜けられない喫煙者と非喫煙者とではどっちが癌になる人が多いかの単純な数の比較論です、病因論ではないです。嫌煙権からの切り口は「何でも人権」「人権至上主義」を振り立てての思想的バイアス、嫌う権利と同等に吸う権利もあることを恣意に閑却視する偏向です。公平平等を振り回しながら、口では蛇蝎のごとく嫌っているはずの戦前戦中の日本の全体主義に実は寄り添っていることに気づいていないというかわざと目をつぶっている。左も右も全体主義には違いないのです。今読んでいる本に喝破してあります、右翼は国体の衣をつけた共産主義者なりと。そんなに話を大きくする必要はありません、嫌煙権の正体です、つまり法律により異端(吸わない者にとれば迷惑なのは喫煙者です)を排除しようとする仕儀です、健康問題は本質ではないですね。嫌な奴を排除したいわけです。個人の自由権利をいつもいつも声高に主張要求するのに、ここについては個人差を認めない。殺人犯の人権を不自然に教条的に要求する口が喫煙者の人権を平気で蔑ろにする。少数意見を大事にしろと表では言いながら、所詮は多数決によりかかる。個人の考え方生き方よりも全体の一様性を優先する。私は人間社会が安全安寧に運営されるためには個人権利より社会秩序の方が必ず優先されねばならぬと考えます。個人主義には反対です。その昔の一億総中流社会が理想と思ってます。全体主義には違和感のない者なのですが、しかしこの嫌煙権に臭う排除の論理には無用さ、恣意、権力濫用を嗅ぎます。余計なお世話。全くこれなんですね、喫煙者からすれば。健康被害って言うけれど自分が受けるんだからいいじゃないか。こう言えば副流煙のデータを持ってくる、これとてどこまで「危ない」ことなのかが上述したように単なる比較論であるのに癌やら他の疾病を発病するかもしれないというゼロでないだけの危険性でもって煽るばかりの不毛。嫌がる人の前では吸うなよ。それで終わりの話ですね。要らぬ世話。これをひっくり返すだけの禁煙論があるのでしょうかね。不毛ですね。網をかけるで良しとするトップのいる組織は不幸じゃないんでしょうか。そう思います。
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作文

2010-09-11 08:14:16 | Weblog
昨日の阪神、久しぶりに野球のこと書きます、どうして打たれるとわかってるピッチャーを、しかも二人も続けるんでしょうね、昨日は負けてもよかったんでしょうか。残りゲームが少なくなって、中日に追い付かれているいう状況です、悠長なこと(実験的なこと)やってる場合ですかね。福原と久保田です。すっかり「昔の名前で出ています」状態の二人です。名前じゃ抑えられませぬ。ったく・・
 松井が来期はエンゼルス馘首になるんだそうです。岩村も先に解雇されてます。リトル松井は3Aから浮きあがれません。松坂もいいのやら悪いのやら。たくさん海を渡って行きましたが全滅です。何人も尻尾巻いて日本に帰ってきてます。ああ、それにつけてもイチローの凄さよ、ですね。いかに飛びぬけているか。あなたの住んでる社会もこういう造りですよね。掃き溜めに鶴、の喩がありますが、鶴がいる幸せです。クズばかりのドロドロ掃きだめもたくさんあるんですから。イチローがいてくれるから、この一人のおかげで他のクズ(失礼ながら)達も救われている図です。これが人の世の中です。みんな一緒?馬鹿な。凸凹有らばこその社会です。公平やら平等やら、この顕らかな才能の凸凹、つまりは個人差を否定しようとすることの馬鹿馬鹿しさです。よーくわかりますね。スポーツの世界が単純でいいことです。
 女性キャリアの星さん、無罪判決です。事件が発覚して、女性上司が逮捕されて、当時も新聞記事や週刊誌を読んでも、この人がそういう悪さをする必然性に大きく欠けるような印象でした、石井議員が後ろから捻じ込んだなんて報道はありがちなこととは思いましたが、これも実は完全なアリバイがあって大ウソだったって話です。何?検察の作文、とはよく使われる表現ですが、この人たちは所詮は司法試験に通っただけの連中です、人格高潔である、頭脳明晰である保証は何もないのです。女性キャリアさんの方が何枚も頭が切れて有能で、会見を見ている限りは思いました。涙も見せず淡々と話す風には感動すら覚えました。これ以上私の時間を奪うな。全くこの言葉に尽きるのでしょうね。冤罪事件は数多くありました、大概は男が犯人扱いされて、その人たちの言葉はどこまでも稚拙で舌足らず且つ冗長で、この元局長とは好対照でした。誰が目論んだ芝居なんでしょうね。女キャリアへの怨念ですか?誰が?部下の男ですか?検察がささやいたんでしょうね、上司の所為にしろって。自分の罪が軽くなるんなら乗る話でしょう。気の毒。なんですが、これ対岸の火事と見物していればいいもんじゃないかもしれません。どんな無茶苦茶な濡れ衣がかかってくるか、これわかりませんよ。
 
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