柳蔭書翰

徒然なるままに、音楽関連の話題に拘らず、常ならんこの世の事々書き散らし諸兄のお耳汚しに供したく思います。

嫌悪

2010-09-20 08:15:26 | Weblog
あのピートローズが(あの、ともったいつけるの王の868本金田の400勝4500奪三振と同じような飛びぬけた安打記録を持ってる人だという敬意です)イチローにケチ付けてます。日本の野球は所詮3A並みだ(日本で言う二軍)、俺が4,5年日本でやってたらどうなってたか想像してごらん、イチローの内野安打の多さは俺と比較にならぬという証拠だという趣旨の言いがかりです。内野安打の多さを指して、世界一幸運な選手だという皮肉です。所詮は日本の記録との合計であって、俺とは比較できぬことと言いたいわけです。張本も同じこと言ってますが(こっちは純正、イチローは参考記録)まだ可愛気があります。大リーグで二千本以上打ってるという実績は、張本のクレームを空威張りと笑える余裕を与えてくれてます、張本もそれをわかっていつも噛みついて笑ってます。ピートローズは野球賭博で球界から永久追放された人です(なんと!)。しかし記録は記録だからこういうインタビューが為されるわけですが、何とも大人気のないコメントだとは思いました。でも、このコメントに溜飲を下げた人達も多いんでしょうね。内野安打の多いこと、バンドヒットも多いですから、ぶんぶん振り回して派手な打ち合い指向の人達からはチマチマした面白くない選手に違いないのです、外野の間を割る二塁打や三塁打も内野安打も同じ一本のヒットであることが癪な人達にとっては、イチローが日本人であることも十分十二分に手伝って小癪な対象、憎らしい対象だったでしょう、そこへあのピートローズの言葉ですから、その通り!!となっても然るべきです。同じ記事にはそれに反論する評論家もいることが載ってますが、その人の論拠は、イチローが初めから大リーグに来ていたら、とか、イチローのヒット数は割合にすれば(いつも私が噛みついている割合比較です、これは眉唾ですが)ピートローズよりも沢山打っているのだというモノです、こういうデータは実数には所詮敵わぬものですから弱い。ピートローズの傲慢コメントの方が強いわけでした。で、3500安打を当然の如く達成したイチローでしたが、こういう時に球場では掲示板に大きく表示されるものだそうですが、イチローそれを断ったんだそうです。記事によると、日米合わせて、と言われるのが面倒くさいと。ああ、やっぱりうっとうしいことなんですね、当然ながら。ここまで来れる才能だから、やっかみ妬みも大きいというわけです。騒ぎ立てるのはマスコミであって、放っておけよと言いたいのでしょうがしかしこういう騒ぎ立てあって人気も出て生きていける業界ですから痛し痒し。くどいですがこれほどの才能なればこその悩みです。凡なる私達には窺い知れぬところです。平たく、ピートローズは嫌な奴。イチロー、やったれ!我々の役目はここにあるのです。
 小林桂樹さんの死亡記事です。昔の映画、娯楽の主役をTVに取って代わられる時代、私の幼少期の時代の匂いと風景が一杯に詰め込まれた映画を見るのが好きなのですが、森繁久弥、三木のり平、加藤大介、フランキー堺、時に小沢昭一、東野栄二郎、草笛光子、淡路恵子、久慈あさみ?(名前忘れました、森繁久弥の女房役)と綺羅星が総出演の「社長シリーズ」。小林桂樹は社長秘書の役です。これは理屈なしに面白いです。あの時代の勢いというか匂いが満載です。車の少なさ、古さ(古くて当たり前なのですが)、当時最新だったはずのアパートインテリアの古さ、そして人々の装い。男という男みんなところ構わず煙草吸ってる。今と違うところはここだなと思うことです。そして当時の社会常識の具合。昔の映画見る時の楽しみは何点かあるのですが、ああ、あんなこと言ってる、と気付くのも面白いのです。勤務時間とか有給休暇とかそんなことが二の次三の次で、会社のために仕事のためにで全て済んでしまう単純さです。単純さ。魅きつけるのはこの単純さなのでしょうね。最後には完の文字がズームしてくるお定まり。背景は都会の象徴であるビルの林がドローされて鳥瞰図になる。寅さんの終わりと同じです。あのテーマソングに乗せてその土地土地の山、海、田んぼ、林、古い街並みが映ります。山田洋二監督のあの映画の意図にはきっと記録映画としての役割もあるんだと信じてます。風景描写がとにかくふんだんですから。社長シリーズも当時の都会(東京)の先端さ便利さ小奇麗さを田舎者たちに知らせる役目があったに違いないです。田舎者達に大いなる憧れを抱かせる役目を負ったに違いありません。今日の新聞に大林宣彦監督が追悼文を寄せています、普通の人を普通に演じられるスターだったと。私には若いこの人が画面いっぱいに走り回ってる、こづかれいじられてる社長シリーズの印象ばかりが強く、時にTVの弁護士モノで見るばかりでしたので、これ以上はないのですが、また一人映画の中に消えて行ったと、残っている者としての平凡な思いが湧くことでした。合掌。
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