柳蔭書翰

徒然なるままに、音楽関連の話題に拘らず、常ならんこの世の事々書き散らし諸兄のお耳汚しに供したく思います。

格差

2009-08-10 08:19:03 | Weblog
選挙の話題も間延びして、公示まで中だるみの様相です。当人達はそれこそ尻に火がついているのでしょうが、私達の耳にはまだまだ遠いですね。つまりそれだけ聞こえてこない、つまり選挙運動が足りないなんてことになるんでしょうが、表立ってやれないことを言い訳にはしているんでしょう。これだけ時間があるのが(40日)初めてならば仕方ないことでしょうが、この期間を上手く使えたものが制しますかね。週刊誌は過激。お読みになればいい、過激な予想が沸き立ってます。
 文部科学省が行なった学力テストの結果、親の所得の多い少ないで大きな差が出たと報道されましたね。それを受けて8月7日の日経新聞のコラムが批評してました、正義の味方が言いそうなことです、「親の所得で子の人生が左右され、企業だって有為の若者をつかみ損ねる」「このままでは公教育の看板が泣こう」と。そうですかね。これでは問題のすり替えです。この論は、コラムの中でも言ってますが、「学校外の教育にどれだけお金をかけるかが、成績格差の大きな背景」と前提しての考えです。もっと平たく言えば金持ちだけが塾に行かせる、貧乏人の子は塾にいけない、だからこれだけ差が出るって言いたいわけです。本当ですか?違うでしょう?人は色々です、家で勉強しているより塾の方が集中できる者もいましょう、学校の教員よりも塾の講師の方がわかりやすく教えてくれる利点も確かにありましょう、でも、そこに金持ちの貧乏人のという単純な割り切り方はできぬと思うのです。何が言いたいのか。子が勉強するしないは、塾に行かせる行かせないなんて表層的なことではなくて、親の態度方針、ひいては親の生き様が大きな(一番大きな)要素だと言いたいわけです。親が金持ちか貧乏かなんかで左右されません。親がちゃんと生きていれば、ちゃんとしたところを子に見せていれば子はその背を見て育ちます。そうでしょう?ここではあえて極端な例を引っ張り出すのはやめましょう(蛍雪の功とか金持ちのボンクラ息子の話などは)。極端を引き合いに出さずとも、より卑近なところ、親が家で酒ばかり喰らってTVはつけっぱなし、ダラダラ過ごしているような家庭で子が机に向かいますか?いえ、くどいですがそうじゃない子もいましょう、こんな大人にはなりたくないとか、貧乏から抜けるには学歴しかないとかそういう向きに心を指せる子は中にはいるでしょう。でもそんな子は例外です。普通は親見てその通りにします。親の言葉遣いを真似ます。親の生活態度を真似ます。収入少ないことを自分の足りなさではなく社会の所為にする、そういう考えでは上に登れません。コラムはおそらくわざと社会の所為にするわけです。格差社会がいけない!公教育が泣く、なんて物言いはまさにその典型です。違うでしょう?公教育の問題じゃないですよね。十二分に教育の機会は万人に公平です。問題点のすり替えです。そう思われませんか。
コメント
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