柳蔭書翰

徒然なるままに、音楽関連の話題に拘らず、常ならんこの世の事々書き散らし諸兄のお耳汚しに供したく思います。

慢心

2009-08-20 07:59:09 | Weblog
インフルエンザ、昨日マスコミ批判したところでしたが、あらら大臣が認めちゃって。甘く見すぎていた、慢心していたなんて言ってます。おいおい、そりゃないんじゃないの、慢心ってあなた方の指示で全国の保健所が網張ったり緩めたりしてきたんじゃないの。医師会はそれに協力してきたのにその言い草はないでしょうに。でも、沖縄の感染率は高いですね。そういえば昔にも一度真夏のインフルエンザ流行があったですね、この地で。子どもにインフルエンザ脳症が出たと「びっくり」してます。うむ、これも普通のインフルエンザでも起こっていることなので一定割合で起こる現象なのでしょうが、感染者が増えてくればこういう事例が強調されて恐怖を煽るのが常です。一気に強毒化したのではないです。なかなか沈静しないだけです。この時代です、あちこちに広がるのは仕方ないでしょう、盆も挟まり、甲子園やら各種運動競技の夏のイベントも目白押しで、封じ込めるなんてできません。新学期が始まってまた大流行が起こって。でもそれでいいんじゃないんでしょうか。行くところまで行かねば終息しないのでしょう。この科学の時代に?最新の医学をもってしても?さよう。いかにも。無力との非難は余りに自然を軽んじすぎでしょう。人間は環境を支配しているのですか?科学にそんな力がありますか?なんて大きな話にしなくても、予防医学なんてのは所詮そんなレベルのものなんだとここでご認識いただければよいことです。太古から人類の「人口調整装置」だった感染症が文明爛熟の現代でもその役を降りていません。医学が追いつけないのです、ただそれだけです。罹ったら治すのではなく治るのを待つ。こうハラを決めて自分の体を信じるのみです。あなたが「調整」受ける側か向こう側か、それは大なる意思によることです。そんな理屈、医者は何のためにいる?ですよね。医学って病気を治す為のものだろう?私は天邪鬼です、そういう前提で、あくまで私見と聞いていただきますが、この歳になって気づいていることですが、医者の仕事はこう人に伝えることじゃないのかと思ってます。人の体も自然の一部に過ぎない、生き暮らしている環境から自由でいられるはずがない。自分の体は、持って生まれたその体しかないのだ。補正補強改造等々できるものではない。その都度都度に反応する自分に生来備わっている強い可塑力(元に戻ろうとする力)に身を任せるしかないのだと。そこの個人差は甘受するしかないのだと。それこそが個人差なのだと。タミフル、リレンザ等々インフルエンザ用の薬が喧伝されますが、さてこの薬が悪さしてはいないのでしょうか。昔から懸案のままの、インフルエンザ脳症とインフルエンザの際に山と出される薬との関連因果はどうなっているのでしょうか。腫れ物扱いされて薬をワンサカ飲まされて挙句に壊れちゃった、がないのですか?薬を飲まずに悪化すればしたで大騒ぎでしょうけれど。すみません、脱線です。医学はまだそのレベルです。どうか過信なさらぬように。病原体の変化にとてもついていけないのです。変えられたのは環境だけです。医学が進歩したというより生活程度が上がった、衛生観念が向上したことが要因として大きいことなのです。今回の流行騒ぎは如実に教えてくれています。そう思います。
コメント (2)
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