柳蔭書翰

徒然なるままに、音楽関連の話題に拘らず、常ならんこの世の事々書き散らし諸兄のお耳汚しに供したく思います。

国旗

2009-08-21 08:08:22 | Weblog
相変わらず薬の名前書き間違えで人殺してます、いい加減にしろ!昨年の11月の事件、徳島の健康保険病院(準公立の、地域の基幹病院でしょう)で37歳の医者が間違えました。サクシンとサクシゾン。こんな話は昔に何例も続いて、間違いの仲でも一番程度の低い、注意不足でしかないお粗末きわまりない仕儀、この名前も覚えておられる方いらっしゃいましょう。他にはアルマールとアマリールとか。片方が劇薬だもんですから間違えられる方はたまったもんじゃないんです。今回のサクシン・サクシゾン、前者は麻酔の導入時などに使われる強力な筋弛緩剤で全身の筋肉が麻痺します、つまり呼吸ができなくなります。後者はステロイドホルモンです。こちらも尋常ならざる量使えば問題になりますが、まずは間違えて注射しても大丈夫です。これを間違える。前を後ろに間違えるならいいけれど、後ろを前に間違える。無茶でしょう?注射された人は全身震わせてやがて息ができなくなって死んでいったのです、意識は保たれたままですよ。処方箋の書き間違え、その読み間違え、薬剤選択時の思い違い、投与する対象の間違え・・どこで違えたのか色々考えられはしますがしかし原因がどこであれ以前にあれだけ問題になったことです、名前の紛らわしい薬剤をそのまま採用している病院にまず大きな咎があります、そしてこの劇薬さを知らない者に扱わせる体制の不備。サクシンとサクシゾンを同じ薬品棚に並べているという無神経さ。五十音順ですよってね。怖ろしいでしょう?どうか皆様、医療機関の危うさをご認識下さい。あなたの目の前に大きな落とし穴が口を開いているかもしれないのです。穴を掘るのは?馬鹿な医者です、看護婦です、薬剤士です、関係者です。怖いことでしょう?
 鹿児島の民主党の集会で、あの十六夜十七夜くらいの月を二つ並べた党のシンボルマーク、あれを日の丸を削って二枚継ぎはぎして急ごしらえして壇上に掲げていたという事件です。小沢さんが喋っている後ろに高々と掲げられてますが、明らかに国旗を二枚継いでいるのがわかります。何たること!神聖なる国旗を切り刻むとは?!(もっともこんな時に神聖なる国旗なんて目を剥いている奴は普段国旗にも国歌にも知らん顔している連中ですがね)国旗に対する敬意が足りない。まずはここでしょうが、ここには正論が飛び交うことでしょうから言いません。それより鳩山さんのコメントが面白かったですよ、神聖なるという言葉をこの人も使っているのですが向きが違いました、神聖な党のシンボルをこんな作り方して許されぬって。日の丸切り刻んだことじゃなくてそういう作り方したことを怒ってました。何?党旗のほうが国旗より大事だって?岡田さんは無難に(国旗をそういう扱いしてはならぬと)コメントしてましたが、こうなんでしょうね。自民党の菅さんや森さんが盛んに言うように、民主党は国旗を掲げられぬ党なのです、国歌を歌わない党なのです。みなさん、ここは由々しきことですよ、そう思うのです。不思議にマスコミはこの事件取り上げません。恣意ですか?その昔、久米宏が細川政権を作ったと言われました、もう一度その役を担いたいのでしょうか。ううむ、この事件は由々しきことと思うのですがねぇ。
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慢心

2009-08-20 07:59:09 | Weblog
インフルエンザ、昨日マスコミ批判したところでしたが、あらら大臣が認めちゃって。甘く見すぎていた、慢心していたなんて言ってます。おいおい、そりゃないんじゃないの、慢心ってあなた方の指示で全国の保健所が網張ったり緩めたりしてきたんじゃないの。医師会はそれに協力してきたのにその言い草はないでしょうに。でも、沖縄の感染率は高いですね。そういえば昔にも一度真夏のインフルエンザ流行があったですね、この地で。子どもにインフルエンザ脳症が出たと「びっくり」してます。うむ、これも普通のインフルエンザでも起こっていることなので一定割合で起こる現象なのでしょうが、感染者が増えてくればこういう事例が強調されて恐怖を煽るのが常です。一気に強毒化したのではないです。なかなか沈静しないだけです。この時代です、あちこちに広がるのは仕方ないでしょう、盆も挟まり、甲子園やら各種運動競技の夏のイベントも目白押しで、封じ込めるなんてできません。新学期が始まってまた大流行が起こって。でもそれでいいんじゃないんでしょうか。行くところまで行かねば終息しないのでしょう。この科学の時代に?最新の医学をもってしても?さよう。いかにも。無力との非難は余りに自然を軽んじすぎでしょう。人間は環境を支配しているのですか?科学にそんな力がありますか?なんて大きな話にしなくても、予防医学なんてのは所詮そんなレベルのものなんだとここでご認識いただければよいことです。太古から人類の「人口調整装置」だった感染症が文明爛熟の現代でもその役を降りていません。医学が追いつけないのです、ただそれだけです。罹ったら治すのではなく治るのを待つ。こうハラを決めて自分の体を信じるのみです。あなたが「調整」受ける側か向こう側か、それは大なる意思によることです。そんな理屈、医者は何のためにいる?ですよね。医学って病気を治す為のものだろう?私は天邪鬼です、そういう前提で、あくまで私見と聞いていただきますが、この歳になって気づいていることですが、医者の仕事はこう人に伝えることじゃないのかと思ってます。人の体も自然の一部に過ぎない、生き暮らしている環境から自由でいられるはずがない。自分の体は、持って生まれたその体しかないのだ。補正補強改造等々できるものではない。その都度都度に反応する自分に生来備わっている強い可塑力(元に戻ろうとする力)に身を任せるしかないのだと。そこの個人差は甘受するしかないのだと。それこそが個人差なのだと。タミフル、リレンザ等々インフルエンザ用の薬が喧伝されますが、さてこの薬が悪さしてはいないのでしょうか。昔から懸案のままの、インフルエンザ脳症とインフルエンザの際に山と出される薬との関連因果はどうなっているのでしょうか。腫れ物扱いされて薬をワンサカ飲まされて挙句に壊れちゃった、がないのですか?薬を飲まずに悪化すればしたで大騒ぎでしょうけれど。すみません、脱線です。医学はまだそのレベルです。どうか過信なさらぬように。病原体の変化にとてもついていけないのです。変えられたのは環境だけです。医学が進歩したというより生活程度が上がった、衛生観念が向上したことが要因として大きいことなのです。今回の流行騒ぎは如実に教えてくれています。そう思います。
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感慨

2009-08-19 08:01:09 | Weblog
インフルエンザ禍、マスコミがまたぞろ好餌と騒ぎ出しそうな気配です。感染はどんどん拡がっている、鎮静には向かっていないと叫んでいます。真夏のインフルエンザ。季節はずれのインフルエンザ。いい加減にもうそういう捉え方でマスコミこそがクールダウンすべきでしょう。毎年毎年インフルエンザに罹ってそれが直接間接に影響して年寄りやハイリスクな症例が亡くなっているのです。ただそれだけの事です。いつものことです。冬場か真夏かの違いだけです。罹らないように注意しましょう、だけで十分です。罹ったら外出せずにうちで寝ていて下さい、感染を拡大しない為に。そういうだけで十分です。WHOのチャン女史、すっかりご無沙汰です。本丸が静観しているんですから。もちろん今後どういう展開になるかはわかりませんが。
 雨がひと段落したら灼熱の真夏が戻ってきました。強烈な照りです。強い日差しに薄白く霞んだ青空、入道雲。真夏の青空です。昨日ピーカン照りのクソ暑い中を午後一時に照り返しの強い運動場に行く機会があって、こりゃ暑いわと実感したのでしたが、思ったこと二つ。昔から男は真夏にもネクタイしてスーツ、ジャケット(上着、替え上着と言いますが)着込んで汗をかきかき真夏の日差しの下を動き回っているのですが、ああ、こりゃ意味のあること、強い日差しを直接受けないってのは十分に意味のあることだなと再認識したこと。私も昨日はそう思ってジャケット着込んで行ったのですが、着込んだ当初はワッと汗が出ますが、やがて慣れて引いて、その後は炎天下でもそれなりでした。黒澤明の映画、三船敏郎が主演の真夏の映画、「野良犬」でしたか、白黒映画ですから明確に言えませんが、三船敏郎が炎天下白い上下のスーツ着て汗を拭きふき歩き回るシーンが印象的な映画思い出します。見ているだけで汗が滲むような臨場感のあるものでしたが、それを思い出しました。ああこれは直射日光から身を守る効能があるんだと。ご婦人方がノースリーブで胸元広く開いた服でお出でになる、日傘の下とはいえ、ジャケット着こんだ男達とどちらが暑くないかはこりゃわからんぞと思ったこと。もう一つは、丁度その場から遠くに当地柳井の象徴である山(琴石山といいます、高々500m程度の山ですが)が白く霞む青をバックに綺麗にそびえて見えて、ああいいなと思ったことでした。昼間の外出なんてのは往診以外に殆どないですし、それも車に乗っての移動です、景色に気を配ることなどないのです。こういう機会でなければわざわざに炎天下に出ることはないのです。で、この光景。ふるさとの山に抱かれて言うことなし、でしたか、ああ、こういう心境を言うのかと思ったことでした。じっと眺めてました。子どもの時から見慣れた山ですが、ああいつもここにあって・・なんて素直な感慨です。当地はすぐ近くに山が迫り、前は穏やかな瀬戸内海という環境、どこにでもある日本の田舎町なのですが、若い頃から思っていたことですが、ああ、ここを壊しちゃいけない、ここで住み暮らし守っていかねばならぬなんて、改めて胸に湧き出ずることでした。育った町、育ててくれた町。そういう意識を非常に強く持ったことでした。いつもと違うことをすると、怪我もしますが、結構いいこともあるもんだと思ったことでもありました。
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科学

2009-08-18 08:09:47 | Weblog
真夏のインフルエンザ、中々沈静しません。何でもオランダの大学教授が、この新型インフルエンザの致死率はいつも冬に流行る普通のインフルエンザのそれよりも高い0.5%だと発表したそうです。この数字は、世界で200万人死んだ、1957年のアジア風邪に匹敵する数字だと。ふうむ。学者の暇に任せたこういう集計比較は素人を揺すぶります。マスコミが飛びつきます、権威に弱い(そういう言い訳して、単に影響やら損失やら考えずに、取捨選択せずに全部垂れ流すだけ、面白ければそれでいい、なのですが)側面そのままに。0.5%がどうこうじゃないですね、素人(私も知りません)には比べる知識がありませんから。そうやって不安を煽ることの是非です。国民への注意喚起なんて言うんでしょうが、いいえ、ただの煽りです。確かに当地でも学生を主にして集団感染が続いてます。が、それだけです。9月になって新学期が始まって、そこをどうするかを早く考えなさいな。若い子がバタバタ死んでいくような代物ではないんですから、集団感染をどう防ぐか、ここに知恵を絞りなさいな。学者の、学者らしい間の抜けた論文報道見ながら溜息の出ることでした。
 溜息といえば、9秒58。9秒8とか7とかならまだ「速いのう・・」で済む感じですが、6を飛び越えて58なんて数字見るとなんとも違和感ですね。カールルイスやらドーピングで失格したカナダの選手(名前をすぐ忘れて・・)の時代の印象が強いんでしょうね、9秒7台の世界でした。このレース、三位が9秒8台です、凄いレベル。塚原、日本の第一人者です、が10秒25ですって。とんでもない差。新聞が教えてくれます、1912年に初めて世界記録が認定された時のものが10秒6だったんだそうです。東京オリンピックでは10秒の壁はまだ破られてなかったですよね。一秒縮めるのに一世紀。196cmなんていう威丈夫が、大型選手は短距離界では大成しないなんていう今まで唱え続けられていたスポーツ学者どもの念仏を吹っ飛ばしました。これまた痛快にて快哉。事実を数字に変えるだけの「科学」、後講釈に過ぎない「科学」の本体が晒された感です。目に前に見えないものに対してを科学は無力なのです。こんな怪物が常識を壊してくれる。その事実をまた学者達が数字に変えて予測する。そういう繰り返しで、文明は発展発達してきたのですが、そんな大きな話ではなくて、私達誰もが運動会でやってきた素走りの世界であるから余計にびっくりするという、極めて単純なできごとなのでした。
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恣意

2009-08-17 08:04:39 | Weblog
衆院選、明日が公示というのに妙に静かなこと。公示後でなければ大音量の大連呼できません、そういううるささではなくて、もっとあれこれやるのかと思ってました、という静けさです。いや当地が鄙の地であって、大物がやってくるような地ではなく(先の補欠選挙の時には時の首相福田さん筆頭に古賀さん麻生さん・・みんなやってきましたが、ああ、尻尾巻いて逃げた安倍さんも堂々と)、注目される選挙区でもないことは重々承知の介で、それでも40日の選挙期間なんていう割には結構隙間だらけで、という印象なのです。私が外に出ないこと、たまたま私の近くで何もないことが理由なのかもしれません、当の本人さんに言わせればあっちこっち飛び回っているということなのでしょうが、さて私のような印象でいる人たちがどれほどおられましょうか。熱がないです。日曜日の討論番組、時事解説番組は各党の幹事長やら役付きを呼んで雁首揃えてバラエティーの様相です。相変わらず非難合戦です。田原の番組(朝日放送)では、朝日新聞の解説委員が小泉内閣の官房長官していた細田さんが小泉改革の総括すべきだなんて言って、細田さん言いかけたところで田原が切る。後ろには田原の大好きな竹中平蔵がいて、何か財政経済関係の発言があるとすぐ意見を聞いて、何ぼのもんなんだ?と思うこと、民主党の岡田さんとは余程やりあった仲と見えてきつい応酬してました。どちらも同じ土俵で話そうとしない、勝手な見解を勝手に喋っている、つまりは国を日本を良くして行こうと言う共通目的がない、相手を潰す為の議論、議論の為の議論に成り下がってる、30分くらいの討論見ているだけでわかります、うんざりです。テロップには各党の言い分を聞いて正しい選択をしようなんて出ているけれど、これじゃぁ何にもわかりません。相手の悪口ばかりですからね、何を考えろって言うのですか。でもそれでもこれしか気を惹くことがないのです、TVの喧騒が終わればそれまでです。選挙なんだなという思いも残りません。当地だけが盛り上がってないのでしょうか。いえ、私だけが?政権交代の剣が峰、なんでしょう?真剣さが、必死さが足りない?誰に?本人さん達は全否定するでしょうね、そんなことないです、私は必死ですと。でも伝わりません。自分が参加する大イベントという思いが湧きません。明日から喧しい二週間ですが、あの連呼を聞くうちに盛り上がってきましょうか。それともこの「盛り下がり」もマスコミの恣意でしょうか。
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象徴

2009-08-16 07:44:14 | Weblog
沖縄で新型インフルエンザによる国内初の死者が出たと騒いでますマスコミ。舛添さんは落ち着いて慌てずにと言うだけ、紙上には識者のコメントが載ります、強毒化したわけではないから今まで通りに対応しろと。毎年普通のインフルエンザで何万人も死んでいるんですよ、そこを隠すからおかしな騒ぎになるんです。しかも今回の例は人工透析している、過去に心筋梗塞の既往のある、よく新聞やらTVで但し書きされているハイリスク群そのものの例です、つまり予想通りの結果ではあるのです。普通。極々普通の感染様式なのです。小児のインフルエンザ脳症が頻発し始めたとか、余病のない若い世代が死に始めたなんて事態なら大変ですが。季節はずれの、真夏のインフルエンザにご用心。これで十分です(今のところは)。
 ボブディランが危ないところ(治安の悪いところ)歩いていたら、20歳代の若い警官に職務質問されたんだそうです。誰だ?ボブディランだ。誰?身分証明書出せ。って話だったそうです。先の黒人の大学教授の自宅へすら入れなかった事件(オバマさんが官邸に呼んで警察と仲直りさせた事件)と重なって面白いことです。ボブディランの方はその後お咎めなしにちゃんとコンサート会場へたどり着けたそうで、新聞は彼ほどのスーパースターでも若い年代には知らぬ者も多いのだという嘆息で括っていますが、こんなものなんでしょうね。レコードジャケットやグラビアで覚えているスターの顔はきっと全盛期のものが多いでしょう、つまり若々しい頃の顔。60超えて70近くなった顔と一致しなくても無理のないことです。とは、ボブディランを知っているであろうという前提での話です。全く知らない人たちも居るわけですから。あのボブディランを知らぬか?なんて表現しますが、全盛期でも興味のない人は何も知りませんから。知ろうとしませんからね。人が知らなくても別段に驚くことではない、あなたが知っているだけの事なのだから。そうですね。
 毎日新聞のコラムが孤独死のこと書いてます。東海地震で本に押しつぶされて死んだ人、大原麗子の例を引き合いに出して、一人で死ねば即孤独死と括って哀れがるのはいかがなものか、という論調です。賛成です。世の中に蔓延しているレッテル貼り、弱者救済という名の大差別、博愛という名の蔑み、挙句に非難する先は必ず社会構造、福祉行政、国です。何の進歩ももたらさない、非難のための非難。大声出すだけ。こっち方向へはコラムは言及していない(毎日新聞とすればあまり進めない方向です)のです、孤独死だからといって一律に哀れみ悼む必要もなかろうと言ってるだけです。人の生き方がさまざまであれば(毎日さん達の勢力はさまざまでなければならぬのですが)死に方もさまざまである筈です。単純なことです。ピンピンコロリなんて面白がって大言している年寄りさんに限って死にたくない人が多いのですが、人に迷惑かけずに死にたいなんて言う人は本当に多い、でもその実要求がとても多いのも確かです。一人で死んで行きたい。この思いが、叶えられぬ希望のうちで上位に来るものです。宝くじに当たりたい、大金を拾いたいなんて願いと同じレベルの非実現さです。倒れたら誰かが見つけて救急車です。厄介者扱いされながら生きるばかりです。家で?誰が看るんです?家族に看取られて病院で。これがお望みならそれでいいのですが、今時一人暮らししていなければ一人で死ぬなんてはできません。好きな本に押しつぶされての往生なら幸せじゃないでしょうか。病勢強かったのかどうかは知りませんが大原さんにしても覚悟しての伏臥だったのでしょう、それでいいじゃないですか。この世界で生きてきた人です、人から受ける毀誉褒貶で生きてきた人です、こういう事態になればこうなるだろう(昔をほじくられてあれこれ言われる)とは十分に想定しての最期だったに違いないでしょう。哀れねとか独り身の悲しさねとかの評価は当たらないことと思います。象徴的によく例に出されること、子どもの食卓の貧困さを非難するに「やはり母親の手料理に過ぎたるはなし」という安易な結論を振り回してそれでよしとする風潮そのままです。世論の身勝手さ。他人事とわかれば人は好きなこと言います。自分のやってきたこと、やっていることは全て高い棚の上に押し隠して、正義の味方のコメンテイターです。あなたが家族に囲まれて幸せな最期を迎えられるならそれはそれでいいことなのでしょうが、それを他人に押し付けなさんなということですね。他人に迷惑かけない且つそのことによって当事者の身に傷害の及ばないことなら放っておく。したり顔で他人の暮らしに手を突っ込みなさんな、です。隔靴掻痒感を拭えないのですが、今朝の毎日コラムには賛成です。ご一読を。
 
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気概

2009-08-15 08:19:31 | Weblog
レスポールさんの死亡記事です。ちょっとギターかじった人なら必ず聞いたことがある名前、エレキギターの型名、ギブソンのレスポール。これに対するはフェンダーのストラトキャスター。双璧です。ギターキッズの永遠の憧れの的。いやキッズだけじゃありません、私のようなオヤジが未だに憧れます。若い頃にはとても手の届かない高嶺の花で、ショーウィンドー越しに何時間もため息つきながら飽かず眺めていたギターです。歳をとってから、円高やら何やらで(向こうも量産し始めて)若い頃ため息ついてた値札の半分くらいの値段になったことも幸いして世の元ギター小僧オヤジどもにも手が届くようになったのはご存知の通り、昔ほどに高嶺の花、普通は持てない高給舶来ギターでもなくなりましたが、レスポールの名はエレキギターの代名詞であるわけです。この名が人名であると知らぬ人も多いのではないですか。私もレスポールさんの50年代作品の復刻CD聴くまで知りませんでした(私の親の年代は結構ご存知でした、ギター弾きとして有名だったわけです)。私が聴いたのはメリーフォードさんという元奥さんとのコラボ、彼が後ろで弾き倒しているのですが上手い、凄い速弾き。知っている曲(スタンダード曲)が多く聴きやすかったのも幸いしましたが、おお!でした。その後チェットアトキンスとのコラボ盤を何枚か聴いて。弾くだけでなくメカニックとしても一流というまさに天才。94歳の大往生だったそうです。新聞には不思議にどの紙もポールマッカートニーとのツーショットの写真が載ってます、これよりもっと象徴的な写真があろうにと思うことでしたが。レスポール抱えているギター弾きは枚挙に限りないことですが、有名どころではジミーペイジ、ゲイリームーア、日本では鮎川誠、柳ジョージ。レスポール抱えている姿しか想像できない人です。ポールマッカートニーは最近のステージでベースではなく6弦ギター弾くのですが、その時には必ずレスポールです。ジョンレノンが抱えている写真は知りませんが、ジョージハリスンは弾いてます。ストラトキャスターのイメージの強い二人、エリッククラプトンもジェフベックも若い頃はレスポール弾いてます(ジェフベックはレコードジャケットにも明らかです)。キースリチャーズはあれやこれや弾きますからレスポールもその一つ、といった印象です(この人は敢えて言えばテレキャスターですか)。今日もどこかの音楽番組ご覧になれば必ずこのタイプのギター下げているプレイヤーを見つけられましょう、それだけの大スタンダードです。マニアックなファンやコレクターも星の数ほどいましょう、名機中の名機。ロックの大立者の一人がまた身罷りました。合掌。
 麻生さん、靖国神社に参らないんだそうです。どうしてこうなのでしょうね。本当にどいつもこいつも、の感です。思い出すのも嫌ですが、あの小泉が絶対行くと言って国中の注目を集め(実況中継してましたよねTVが)、そのあと続くのかと思えば安倍さんはあの腰砕け、福田さんが行く筈もなく、そして麻生さん、国の為に戦死した人々を政争の具にしたくない、なんて理由で行かないそうです。何たる屁理屈。政争の具?そんな考え、物言いこそが彼らを愚弄しているとわからないんでしょうね。全く関係のないことでしょうに。今は中国韓国相手というより選挙用の発言に違いないことですが、選挙用なら逆効果ですね。ここで、俺は行く、戦争で死んだ人のお陰で今の日本がある、とでも言えばワーってことになりましょうに。マスコミが全く取り上げませんから忘れられてますが、どれかの月刊誌に誰かが書いてましたが、衆議院解散したそのすぐ後に各党の相当の役付きにTVがインタビューしてました、その時自民党の菅義偉が応えてましたがこの人言いました、国旗掲揚できない、国歌を歌えないような政党に日本を任せてもいいのか?と。そうそう、と思いました。いいキャッチフレーズができたじゃないの、と思ったことでしたが、あれ以来この人自身もぷつりと言いません。文句が出たんでしょうね。中国を韓国を刺激するなって?日の丸君が代アレルギーの奴らが本当に多いのです。自民党の中にもワンサカいるんでしょうね、全く情けない話です。この時期に毎年繰り返される恒例行事ですが、もういい加減に決着つけたらどうなんだい。自民党にしかできぬことなのに。もう60余年です。参拝するのしないのの政治家達の優柔不断を見せられてもう何十年も経ちます。フラストレーション。確かにイライラします。これもこの時期によく目にする「声」ですが、惨憺たる敗戦に終わったあの戦争でしたが開戦当初は雲が晴れたようなスカッとした気分だったと当時を知る人たちが教えてくれます。そこに至るまでのイライラがいかに高まっていたかということです。戦争前の状況に似てきた、なんて現状への評価をよく聞きます。靖国参拝が象徴ですが、自虐史観を非難するだけで皇国史観や戦前への回帰と無闇に大声で叫び議論すら拒絶する勢力の長年にわたる「闘争」の賜物なのでしょうが、今時資源や富を求めて他国を侵略する帝国主義などありえない事、少なくとも日本から攻撃仕掛けるなんて事はないことでしょうに、戦前戦中の軍国思想全体主義の亡霊をいつまでも追いかけている。そこをずるずる何十年も斬れないトップへの苛立ち。北朝鮮への経済制裁は、昭和15,6年当時日本が米英蘭中から受けた兵糧攻めに似ていると前に書きました。この長年続くフラストレーションも当時日本を覆っていた感情に似ているのかもしれません。麻生さんの底浅いつまらぬ言い訳聞きながら思いました。民主党も公示前にヨタヨタです、マニフェストをどんどん書き換えて、段々玉虫色に変わっていきます。どこが内閣獲っても同じことだと選挙前から教えてくれてます。なのにそこを突けない自民党。靖国参拝は選挙民の耳目を集める為にも、中傷合戦に飽きてきた国民の気を惹きつけるためにも格好の機会だったに違いないのに、これです。早々に降りてしまう。やめっちまえ!気概も心意気もないバカはやめっちまえ!
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選択

2009-08-14 07:33:55 | Weblog
東京医大(本丸ではなく茨城分院だそうですが)病院で診療報酬不正請求事件です。つまり嘘言って水増しして、の事件です、いわくチンケな事件。ご存知の事とは思いますが日本の国民皆保険制度は世界に類を見ない良質な医療制度です、アメリカも同じ様なものを作ろうとしていますが中々できません。昭和30年前半から維持されている立派な制度です、世界に誇れる制度です。が、どんな制度もそうですが弱点抜け道は必ずあります、この制度の一番の弱点は不正請求のやりたい放題のところです。やりたい放題なんて言うととんでもないように聞こえますが、保険の利く医療機関への収入は、医療機関の申告(診療報酬請求)に沿って支払われるのです。例えばあなたがお店で買い物する時は現物とお金を交換しますね、極々当然の光景です、でも診療報酬は窓口で3割ほど現金いただきますが、残りの7割は後日(月単位で)保険基金に請求して2ヶ月後に支払われます。支払う側にその時点でチェック入れにくいのです。明らかな間違いや無茶な請求はもちろんチェックされますが、架空請求は請求当初にはどうにも見つけられません。だから昔から悪さするバカが絶えません。職業人としての矜持にかかわる話と思うのですが絶えません。この制度は正しく請求してくださいねという前提でこそ成り立つという危うさを内蔵しているというわけです。あなたを信用しますからちゃんと診療して下さいという構えです。小泉改革以降減額に減額を重ねてきた診療報酬ですが、それでもこの制度を守らねば日本の医療が崩れます、医者達は大幅な収入源や閉院廃院の嵐の中でも性善説を守ってきています。どんどん安くなる医療単価にブツブツ言いながら正しく請求しています。大学病院やら公的機関がこれをや破り始めるとこの制度が危なくなります。お上の締め付けが強くなりましょう、すればまた端々(私達町の開業医)への影響が出ます。2200億円の減額が中止されるそうですが、ここまで壊れてしまった後では金を元に戻すだけではとても足りますまい。ふうむ、大丈夫かな。この制度が潰れたら医療格差はえげつないことになります。道路ですか、マンガ館ですか?医療ですか?
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生業

2009-08-13 08:19:50 | Weblog
東海地震で崩れた東名高速、今日までに直すなんて大見得切ってましたがやっぱりダメみたいです。予定の言い訳してます、考えていたより地盤が緩く、どう補修したらいいかわからない、んだそうです。はいはい。映像流れてますが、崩落当初(といってもまだ二三日しか経っていませんが)と全然変わりません、重機が何台か入っているだけです。あれだけ崩れているのに二三日で直そうなんてのが無茶なんですよね。期待させて外すのは罪深いことです。それにしても帰りが大変ですなぁ車で帰省した人たち。新幹線にシフトしたらしたで大混みになって。
 坊さんの派遣会社があるんだそうです。荒れ寺、住職のいなくなったところに臨時でつれてくる、お経を読ませるというビジネス。へぇ、と感心すること。何だかお経読んでるレンタル坊主も居心地悪そうにしてるし、聴いてる方もいつもと違うお経に違和感あるだろうし(あればかりはそうは思っていなくてもいつも聞く読経と違うとあれれと思いますよね)、何より離れた場所でチェックしている派遣元の社長がおかしかったです。声は届くか、通るか、歯切れはいいか、時間通りか・・なんてね、チェック項目がいくつかあって。笑いましたよ。嗚呼、時間給(だと思うのですが知りません)のレンタル坊主も大変だわって。
 「象が膝折る 涙が湧いてくる」という川柳を紹介してます読売のコラム。ああ、この句、いいですね。本当に涙が出る気がします。この、涙が湧いてくる の主語は象なのかそれを見ている私なのか、作者の意図はわかりませんが、どちらでも深いものです。サーカスやらの見世物で象が指示に従って膝を折っているわけでしょう、指示に従わねば叩かれもする、餌ももらえない、仕方無しに膝を折る。普通はしない動作を敢えてする。そこの悲しさを詠んだものと思うのですが、なんだかじんと来ませんか。やらされる方の悲しさ、それを見て喜んでいる方の能天気さ、そこに成り立つ生業、象もそれを使う人もそれをわかって今日もまた膝を折り鼻を高々と上げ、いななくパオ~ン。悲しいですね。人の生業は悲しいことです。
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同類

2009-08-12 08:08:44 | Weblog
東海地震(正式には東海地震じゃないんですってね、この辺り学者達の勝手な定義づけですが)大変でしたが、何だか今回は報道のトーンが低いですね。いつもなら被害は?死者は?なんて探しまくってずっと叫んでいるのに、妙にあっさりしてます。東名高速の崩落映像は印象的でしたが、ビルが崩れたとか人が埋まったとか火の海になったとか、神戸や新潟並の被害がなかったからに他なりません。ったくマスコミ連中は他人の不幸を喜ぶ典型ですからね、度合いが小さいと面白くないわけです。知らん顔です。確かに今は兵庫県の山村の方が面白いですからね。昨夜古館の番組で言ってましたが13日午前零時までに走れるようにするらしいです。ええ?4車線の半分が崩れ落ちてるんですよ。先に当地岩国でも水害で山陽道(高速道路)が同じ様に崩落して迂回路の国道が大渋滞したことがありましたが、確か3ヶ月くらいかかってましたよ。今回の防府の水害でめちゃくちゃになった国道の復旧にも数ヶ月かかるとの予想でした。で、こちらがわずか3日の突貫工事?田舎道とは違うとはいえ、流通の大動脈とはいえ、です、この差はすごいと言うかひどいと言うか。応急処置してまずは通れるようにしておいて、順次正式な修理するという手順なのでしょうが、できるんでしょうかね。盆の帰省ラッシュに備えてのことでもあるのでしょうが、そこで二次災害・・なんてことにならぬのでしょうかね。古館も遠回しにそんなこと言ってましたが。
 広島少年院での職員による暴力事件。どんどん捕まっていきます。法務教官と呼ぶんですね、あそこの職員。相手は少年です(少年院ですからね、当然です)、そしてこっちは大の大人。連中さぞや悪態つくんでしょう、言うことなんか聞かないんでしょう。それは予想つきますね、そういう連中だから悪さするんですから。おまけに、こういうところに赴任する「上司」はきっとキャリアでしょう、暴力沙汰から一番遠いところで暮らしてきた奴ら、争いごとを自分で解決したことのない奴ら、自分は優等生で通して来た奴ら。こんな奴らに「権力」与えたら何するかわかりませんよ。矯正指導の言う名の暴力。大手を振って殴る蹴るできるんですからね、何より自分がやられるという危険がないんですから図に乗りますわね。一対一で喧嘩したら絶対負ける(喧嘩にもならぬでしょうが)者が権力背にいたぶるのです。これは美味しい、禁断の木の実の味じゃないですかね。よく言われるように性格性分に同類の人間が相対する職業に就くんです、暴力団と警官が好例。どっちが悪い奴かわからぬ絵も多いでしょう?少年院に限らずどこの刑務所でも同じことでしょう。優等生のキャリアが悪魔の囁きに負ける、下に働いている(実務している)教官たちはきっと同類ですから、同じ様に殴る蹴る。素人を殴り蹴り殺してやってきた悪達を、まだ罪を犯してないだけの同じ性格している奴らが同じ様に殴る蹴る。そういう図なんでしょう。喧嘩なんかした事のないような坊っちゃん然とした、ただ学業成績だけが優れているキャリア達が薄ら笑い浮かべて悪いガキどもをいたぶる図。ありがちでしょう?何を今更に、ですよね。
コメント
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