柳蔭書翰

徒然なるままに、音楽関連の話題に拘らず、常ならんこの世の事々書き散らし諸兄のお耳汚しに供したく思います。

善意

2009-08-30 08:47:41 | Weblog
マイケルジャクソン、他殺と当局断定したそうです。つまりお抱え医者が殺したと。つい何時間前の、あの踊りまくる映像、後ろの踊り専門のダンサー達よりもレベルの違いを見せ付ける(そういう奴らを選んでいるのかもしれません、マイケルが霞んじゃ意味ないですからね)あの映像からは、病死は考えられません。誰もが自殺か殺されたかと考えたところでしたが、他殺との断定。なんて事を・・ですが、どれもこれも伏線があってのことでしょうしね、他人が窺い知れぬ彼らの日常物語があるわけです。で、あれだけのビッグネームが死んでいなくなっても、当初はあれこれ大騒ぎでしたが、誰の場合も同じことですが一気に潮が引きます。そして何も起こりません。これですね。プレスリーも時も、ジョンレノンの時も、シナトラの時も(レスポールやらどんどん名を挙げたいですが)そうでした、いかに歴史を作った人であってもその人が現在支えている部分はごく小さい、というか晩年は歴史の一ページでしかないという現実です。ジョンが死んだ時はよく覚えてますが、それでもそれだけの事でしたからね当然ながら。こんな文章読んだことあります、戦争に負けたと知ったときに神国日本の天裂け地割れるのかと真剣に恐れたが、真夏の照りつける日差しとすだく蝉の声は昨日のままだったと。あれですね。とんでもないことが起こっても、夜はいつものように暮れ、朝はいつものように明けるのです。人が死んでも、大災害が来ても、です。国破れて山河あり。この詩の重さですね。私達は今、このとき、この時刻にたまたま生き合わせているだけなのです。誰かがいなくなっても、時は流れ流れていくばかり、繰り返していくばかりなのです。
 NHK朝ドラの話を先日少ししました。運動部につきもののレギュラーと補欠の葛藤、その深いところに触れるのかと興味を持って、今後の展開次第だがと留保したことでしたが、まったくつまらぬ三流安物の「よく頑張ったね物語」でした。「チームは試合に出られない君達の力があって成り立っているんだよ物語」でした。胸の悪いことでした。目を背けるものでした。脚本家の引き出しの浅さは相当のものでした。知らないなら手を出すなよ、です。外から見ている分には、試合に出られないのはかわいそう、なのでしょうが、実際その場にいる者が自分の力を一番知っています。自分より上手な奴が試合に出る。当然です。そこをわかって、毎日毎日練習に行くんです。試合に出るために、ではないんです。そこです。そこに踏み込まないと、こんな安物になるんです。君にもできることがあるよ、なんて問題すり替えてもダメです。希望を捨てちゃダメだよ、って誰も捨ててませんから。もっと言いましょうか、下手が試合に出たらどうなります?その惨めさを一番知っているのが本人達なんです。下手くそで、試合に出してくれ出してくれっていう奴がいたらそれはおかしな奴です。そういう順番、実力差によって扱いが変わるという社会の仕組みを自然と知るわけです、大きく言えば。そこにバカ親が出てきてうちの子を試合に出せ!なんてわめくは大間違いなんですね。馬鹿な大人が出てきて、子どもに思い違いさせるような「やさしさ」を振り回す。無邪気に励ますことに何の恥も衒いも無い奴らこそ、佐藤愛子の言う「底抜けの善意には勝てない」の類、ええ加減にせい!と後ろ頭をはたきたいことです。弱者こそが一番の強者という風潮下にあればありがちな流れですが、老人、病人、障害者だけでなく才能のない者までを弱者扱いして励ましてる、この偽善者達の集まりは何なんですかね。胸の悪いことです。
 
 
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする