吉村青春ブログ『津屋崎センゲン』

“A Quaint Town(古風な趣のある町)・ Tsuyazaki-sengen”の良かとこ情報を発信します。

2010年2月12日/〈日記〉381・「柳井津・白壁の町並み」

2010-02-12 21:38:00 | 日記
写真①:道路端の赤い郵便ポストがアクセントを添える「白壁の町並み」
     =山口県柳井市で、2010年2月5日午前10時35分撮影

 山口県光市室積(むろづみ)にある白壁格子造りの町家の「海商通り」を抜けて、2月5日朝、元禄時代以後の典型的な町屋づくりで江戸時代の繁栄ぶりがしのばれる柳井市の「柳井津・白壁の町並み」=写真①=を訪れました。

 「柳井津・白壁の町並み」の説明板=写真②=には「柳井は室町時代から大内氏の東の要港として重きをなし」と書かれ、「寛文3年(1663年)から干拓が進み、諸国から商人が集まって店舗を構え」、「ここ古市、金屋あたりが最も古く市がたち、商業の中心地として栄えました」としています。国は昭和59年、白壁の町屋群を意匠的に優れ、保存状態もよいとして「柳井市古市金屋重要伝統的建造物群保存地区」に選定しました。

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写真②:「柳井津・白壁の町並み」の説明板
     =柳井市・「柳井津・白壁の町並み」で、2月5日午前10時50分撮影

 江戸時代初期の寛文3年から形成された「柳井津・商家町」では、白壁の町家に袖壁型の卯建=写真③=が目立ちます。福津市の〈津屋崎千軒〉には、袖壁型のほかに、町家の妻に屋根より高く設けた小屋根付きの土壁型の本格的な卯建もありますが、「柳井津」には見当たりませんでした。

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写真③:袖卯建の町家が並ぶ「柳井津・商家町」
     =柳井市で、2月5日午前10時40分撮影


 「柳井津・白壁の町並み」のとある商家には、明治10年代から30年代(1880~1900年)の珍しい極彩色の広告・「引き札」=写真④=も、通りに面して飾られています。盆と暮れに得意先に配布していたもので、その色合い、デザイン、文面から当時の文明開化の様子がうかがわれる芸術品との解説文が添えられていました。

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写真④:町家に掲げられた明治10年代から30年代の「引き札」
     =「柳井津・白壁の町並み」で、2月5日午前10時45分撮影
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2010年2月11日/〈日記〉380・「麦野乙松文書」

2010-02-11 23:04:15 | 日記
写真①:麦野裕さんの著書、『麦野乙松文書 その一』(右)と『麦野乙松文書 その二』の表紙
    =福津市津屋崎で、2010年2月11日撮影
 
 福津市津屋崎門前の〈しおさい通り〉東側にある卯建(うだつ)の建つ町家・「麦屋惣平
(そうべい)邸」(木造瓦葺き2階)所有者の麦野裕(ゆたか)さん(千葉県在住)から、著書『麦野乙松文書 その一』(182㌻)と『麦野乙松文書 その二』(196㌻)=写真①=が、拙宅に贈られてきました。

 昭和57年(1982年)、津屋崎の麦野家の二階で見つけた曽祖父乙松さんの書類を、乙松さんが逝去された65歳に裕さんもなったことから、乙松さんが懸命に生きてきた津屋崎の人間関係や生活の状況を推測できる「生きていた証」として本にまとめられたという。

 中型段ボール箱一杯ある書類の中から、領収書や大福帳などの金銭の出入りを記録した資料を中心に選んで、製本。『麦野乙松文書 その一』は、明治・大正の資料を第一章「津屋崎麦野邸・塩木の家建築資料」、第二章「麦野家資料」、第三章「津屋崎町資料」で構成。「はしがき」で、裕さんは「平凡な庶民の残した平凡な資料に過ぎません。しかし僕にとってはひいじいちゃんの生き様が、閉じ込められている大切な資料です」と述べられています。

 『麦野乙松文書 その二』=写真②=は、明治・大正・昭和の資料を、第一章「麦野家資料」や第二章「津屋崎町資料」、第三章「津屋崎への思い」にまとめられています。資料には、明治42年の津屋崎郵便局の消印が押された郵便貯金通帳や、青海苔、葛粉などの価格を書いた大正3年の乾物屋「鐘川商店」の通帳などを掲載。貴重な民俗資料といえそうです。

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写真②:『麦野乙松文書 その一』の裏表紙(左)と『麦野乙松文書 その二』の日切帳
     =福津市津屋崎で、2月11日撮影

 乙松さんは、津屋崎で人生の全てを過ごされ、田畑での農作業、山林の手入れ、石臼で
そばや麦の製粉・製麺・販売(屋号「麦屋」の由来)、津屋崎町議としての仕事、町内会の運営、波折神社と教安寺の寄付集めなど忙しい毎日だったようです。

 裕さんの祖父は、第12代津屋崎町長麦野時雄さんで、昭和22年(1947年)から同町が勝浦村と合併して新津屋崎町になった同30年(1955年)まで在任、同26年(1951年)の西鉄宮地岳線津屋崎延長や、同30年(1955年)の福岡県立水産高校誘致、同31年(1956年)の津屋崎の玄海国定公園指定に貢献されました。

 裕さんは、岡山大学理学部卒後、神戸大学理学修士物理化学専攻で元出光興産・研究所に勤務し、現在は千葉の自然に親しむ会会員、環境省認定環境カウンセラー、財団法人日本自然保護協会の自然観察指導員をされています。

 
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2010年2月10日/〈日記〉379・「室積の海商通り」訪問③

2010-02-10 05:51:15 | 日記
写真①:光銘菓「鼓乃海」の看板が掲げられた町家・中野昌晃堂
     =山口県光市室積3丁目で、2010年2月4日午後4時25分撮影

 山口県光市室積(むろづみ)3丁目にある白壁格子造りの町家の老舗和菓子屋・中野昌晃(しょうこう)堂=写真①=で、銘菓「鼓乃(つづみの)海」=写真②=を土産に買いました。漉(こ)し餡を使い、蒲(がま)の穂の形をした饅頭で、ニッケの香りが漂う素朴な味です。1個140円。

 店の看板をよく見ると、「毛利公御用品」と書かれています。名前の由来は――。明治の初めごろ、毛利の殿様が、白砂青松で風光明媚な光市の海岸へ遊びに来られた際に、このお菓子を差し出されて気に入り、まだ名前が付いていないと聞いて、〈こうばしき、木の実ならねど、世の中に、鼓乃海の名やひびくらむ〉と和歌を読まれたことから、この菓子の名を『鼓乃海』と付けたという。

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写真②:店頭に並ぶ銘菓「鼓乃海」
     =光市室積3丁目で、2月5日午前9時55分撮影

 江戸時代創業という店内には、商家らしく恵比須面=写真③=や、大黒の絵=写真④=が飾られています。

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写真③:店内に掲げられた恵比須面
     =中野昌晃堂で、2月5日午前9時50分撮影

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写真④:金運・資産増加の功徳で知られる大黒の絵
     =中野昌晃堂で、2月5日午前9時50分撮影

 古びた額入りの「紀念状」=写真⑤=も、店内に掲げられていました。「紀念状」は、「帝國(国)實(実)業協会」から会員の銘菓「鼓乃海」、中野勘三郎氏あてに贈られたもので、京都で行われた全国特産品博覧会開設に賛同し多大の貢献をしたとして、明治41年(1908年)11月8日に贈呈した趣旨が書かれています。

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写真⑤:「帝國實業協会」から贈られた「紀念状」
     =中野昌晃堂で、2月5日午前9時55分撮影

 「海商通り」の中心に構える二階建ての中野昌晃堂は、まさに町並みを代表する風格のある町家でした。                  (「室積の海商通り」訪問・おわり)
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2010年2月9日/〈津屋崎の四季〉523・雨上がりのツグミ

2010-02-09 08:46:14 | 風物
写真①:雨上がりの電線に止まったツグミ
     =福津市宮司6丁目で、2010年2月9日午前7時34分撮影

 福津市津屋崎は9日未明、ひとしきり雨が降りました。

 雨上がりの朝は、暖かです。冬鳥のツグミ(ツグミ科)=写真①=が、宮司6丁目の住宅街にある電線に止まり、雨に濡れた翼の手入れをしていました。

 斑点模様が目立つ胸を張るツグミ=写真②=さんも、風もなく、穏かな天気がお気に入りの様子。

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写真②:斑点模様が目立つ胸を張るツグミ
     =福津市宮司6丁目で、9日午前7時34分撮影


 ツグミさんも、そろそろ北国へ帰る準備を始めてはいかが? 近くのお宅では、庭の紅梅=写真③=もこんなに咲き誇る春を迎えていますよ。

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写真③:住宅の前庭で咲き誇る紅梅
     =福津市宮司6丁目で、9日午前7時40分撮影
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2010年2月8日/〈津屋崎の四季〉522・おはよう、シロハラさん

2010-02-08 09:14:44 | 風物
写真①:和名の通り腹部が白いシロハラ
     =福津市津屋崎2丁目で、2010年2月8日午前8時18分撮影

 福津市津屋崎は8日朝、ちょっと暖かです。天気予報では、午後には4月並みの陽気になるとか。

 津屋崎2丁目の住宅では、庭木のクロガネモチの枝先に冬鳥のシロハラ(ツグミ科)が止まっていました。人間界では、腹の黒いヌエ的政治家が目立つ昨今ですが、この野鳥は文字通り腹の白い「シロハラ」=写真①=さんです。

 昨シーズンも、このお宅の庭先を定宿にしている個体と見ました。このまま元気で、北の方へ渡る日が迎えられるといいね、シロハラ=写真②=さん。

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写真②:赤い実が生ったクロガネモチの枝に止まったシロハラ
     =福津市津屋崎2丁目で、8日午前8時15分撮影
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2010年2月7日/〈日記〉378・「室積の海商通り」訪問②

2010-02-07 23:14:30 | 日記
写真①:「海商通り」に立てられた「室積のまちのなりたち」の解説板
     =山口県光市室積3丁目で、2010年2月4日午後4時33分撮影

 山口県光市室積(むろづみ)は、「もと無漏津海、室津海、または室住と言われたが、室は年中風がないでいて室の中にいるようだとの意味である」――と、「海商通り」に立てられた「室積のまちのなりたち」の解説板=写真①=にはこう書かれていました。

 解説板によると、室積は海外貿易の隆昌をきわめた足利・室町時代、中国地方唯一の貨物取り扱い場となり、山陽海路の要衝として繁栄したという。

 実は、この解説板が立てられている場所は、「高札場跡」です。高札場は、幕府の通達等を知らせるため設けられたもので、江戸時代中期の地図に描かれた高札場が火見櫓とともに「海商通り」の三差路の角に復元されています=写真②=。

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写真②:三差路の角に復元された「高札場」と火見櫓
     =光市の「海商通り」で、2月4日午後4時32分撮影

 光市では、歴史的町並を保存しようと「保存地区」を選定し、対象地区の道路に面した建造物の修復(家屋)、修景(門、塀)に対し、補助を行う「光市町並保存事業」を実施しています。福津市の〈津屋崎千軒〉の町並みにも、こうした施策を望みたいものです。

 江戸から明治にかけては、北前船の寄港地として回船問屋や多くの商家が軒を連ねて栄えた室積。光市東部の高台から見下ろすと、白壁格子造りの町家が並ぶ「海商通り」の町並みは、瀬戸内海に開けた港町=写真③=の一角にあることがよく分かります。

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写真③:瀬戸内海(左側)に開けた室積の町並み
     =光市で、2月5日午前9時30分撮影
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2010年2月6日/〈日記〉377・「室積の海商通り」訪問①

2010-02-06 23:52:12 | 日記
写真①:足利・室町時代から海上交易で栄えた「海商通り」に並ぶ町家
     =山口県光市室積3丁目で、2010年2月4日午後4時24分撮影

 岳父の13回忌法事のため、2月4日から2泊3日で山口県へ家族旅行し、6日午後帰宅しました。

 岳父の郷里・光市室積(むろづみ)では、足利・室町時代からの古い町並みで知られる「海商通り」=写真①=を散策。「津屋崎千軒」と同じような古風な趣のある町家が並んでおり、海上交易で栄えた港町の素晴らしさに感動しました。
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2010年2月3日/〈津屋崎の四季〉521・「節分」の朝の津屋崎干潟

2010-02-03 08:46:34 | 風物
写真①:浅瀬で餌を探すヘラサギ
     =福津市渡の「津屋崎干潟」で、2010年2月3日午前7時49分撮影

 きょう3日は、「節分」。吹く風が冷たい福津市渡の「津屋崎干潟」では早朝、冬鳥のヘラサギ(トキ科)が1羽で餌を探していました=写真①=。

 今年最多の5羽の飛来が確認されていたクロツラヘラサギ(トキ科)=は、きょうは2羽が別々の浅瀬にいるのが確認できました。

 オナガガモ(カモ科)やヨシガモ(同)の群れも、まだ干潟に留まっています=写真②=。

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写真②:水中に嘴を入れて餌を取るオナガガモ(左)とヨシガモ(右端)の群れ
     =「津屋崎干潟」で、3日午前7時51分撮影
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2010年2月1日/〈津屋崎の四季〉520・如月もクロツラヘラサギ5羽

2010-02-01 10:00:36 | 風物
写真①:浅瀬で休憩中のヘラサギ(右奥)とクロツラヘラサギ5羽
     =福津市渡の「津屋崎干潟」で、2010年2月1日午前9時13分撮影

 きょうから2月――。福津市渡の「津屋崎干潟」では1日朝、冬鳥のクロツラヘラサギ(トキ科)=が今年最多の5羽、ヘラサギ(トキ科)が1羽飛来、1月31日と同じ個体数の群れでいることが確認できました=写真①。

 この日はあいにくの雨模様。ちょっと大きいヘラサギ1羽が、群れのリーダーのような存在感があります。すぐそばに、黒っぽいカワウ(ウ科)が姿を見せました=写真②=。

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写真②:クロツラヘラサギ5羽とヘラサギ(右奥)のそばに寄ったカワウ
     =「津屋崎干潟」で、1日午前9時9分撮影
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