とっちーの「終わりなき旅」

出歩くことが好きで、趣味のマラソン、登山、スキーなどの話を中心にきままな呟きを載せられたらいいな。

2017千国街道塩の道トレイル:石坂越えコース

2017-11-07 18:51:10 | マラソン
石坂越えコースは、難易度が中級となっており、小谷村郷土館から道の駅小谷までの12キロのコースだ。姫川の西岸を通り、対岸の向こうには日本百名山の雨飾山を眺めながら進むことができる。だが、あいにくの天気なので雨飾山の姿は、良く見えない。

8:30。小谷村郷土館から、少しだけ国道148号を走る。歩道にある僧侶の石像は、弘法大師なのだろうか。


すぐに、塩の道に入る。


広場の片隅にあるのが虫尾阿弥陀堂である。ここは、母乳の出ない婦人たちの信仰を集めたお堂だという。お堂の前で、おやつ休憩をする。


休憩をしてすぐに雨が酷くなってきた。お堂の軒先で、しばらく雨宿りをしているうちに雨が上がり、東の空が明るくなってきた。


ほんの僅かだが、陽が射してきた。まさに太陽の恵みとはこの事だろう。一瞬にして辺りの風景が変わったような気がした。


虫尾の庚申塔前を通過する。


国道沿いにローソンがあるようだったので、途中からコースを外れ、トイレ休憩の為ローソンに立ち寄る。

かつては、塩の道を歩く歩荷たちの宿があったという通りを進む。


車坂からフスベと呼ばれる急坂の難所に向かう。


紅葉がきれいな場所が続く。


中部電力の送水管。


城壁を思わせるような砂防ダム。


黄色から赤に色付いたモミジをバックに記念写真。


池原の集落で、地元の人と出会う。この辺りは、冬になると3m近くも雪が積もり、生活できなくなるため、冬場は里の方に下りて生活しているという。厳しい環境で生活しているのが良く分かった。


道標に従って進むと石坂越えだ。


幾つもの沢を渡る。


街道の脇には、懐かしい表情の石仏や重い荷を背負って倒れた馬や牛の供養のための馬頭観音や大日如来の碑が見られる。


このコースの最高点には、幸田文の文学碑が立っている。幸田文は、作家の幸田露伴の娘で、日本各地の未曾有の崩壊に深く関心を抱き、昭和52年に稗田山を訪ね、後に雑誌婦人の友に「崩れ」という作品を連載したという。当地では、その功績を記念して文学碑を建立したという事だ。




稗田山崩れの慰霊碑。幸田文の作品の原点となった稗田山が崩壊した災害で亡くなった人を慰霊するために建立されたものだ。静岡県で起きた大谷崩れ、富山県で起きた鳶山崩れとともに、日本三大崩れのひとつとされている。


しばらくは舗装道路を下って行く。


浦川橋を渡る。


浦川の河川敷では、何年も災害復旧工事が続いているようだ。稗田山崩れが原因で何度も大きな土石流災害が起こっているらしい。この辺りの塩の道は、土石流で分断されているため、舗装道路を迂回しているのだ。


標高530mの松ヶ嶺に到着する。


明治44年8月8日に発生した稗田山崩れは、1億5000万㎥に及ぶ崩壊土砂岩塊が大土石流となって浦川の谷を一気に流下し、浦川右岸の石坂集落の4戸17人を消し飛ばし、姫川との合流点を塞ぐ様にそびえるこの松ヶ峰に激突したという。土石流はそこで、一部が勢いのままに比高100mを超える尾根を乗り越え県道を埋め立て、残余は谷沿いに姫川になだれ込み、長瀬集落の1戸5人と富山の材木運搬人1人を飲み込んだ大災害だった。


沢に沿ってワサビが栽培されている場所もある。


浦川に沿う河原の途中には、“中浦の大岩”がある。


11:20。石坂越えコースの終点である道の駅小谷に到着する。ガイドマップでは、所要時間が4時間30分と書いてあったが、トレランでは2時間50分で着いてしまった。

「2017千国街道塩の道トレイル:天神道越えコース」に続く

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