とっちーの「終わりなき旅」

出歩くことが好きで、趣味のマラソン、登山、スキーなどの話を中心にきままな呟きを載せられたらいいな。

2024明日香村等観光

2024-03-12 21:33:26 | 観光
先週末は、飛鳥ハーフマラソンに参加するため明日香村に出かけていた。明日香村は何度か行ったことがあり、今回で3回目となるが、面白い遺跡や文化財が数多くあり何度行っても興味深い。

まず、最初に立ち寄ったのは、飛鳥資料館だ。日本の心のふるさと「飛鳥」の歴史と文化を紹介する資料館である。飛鳥は、古代国家が誕生した場所として広く知られ、592年に推古天皇が豊浦宮に即位してから、694年に持統天皇が藤原京へ遷都するまでの約100年間、飛鳥には天皇の宮殿が継続的に営まれ、政治と文化の中心として栄えた。壮麗な宮殿、石組みの苑池や噴水施設、時を告げる水時計(漏刻)、猿石や亀石などの石造物が造られ、石舞台古墳などの古墳も造られていた時代だ。キトラ古墳・高松塚古墳には大陸風の極彩色壁画が描かれた。資料館には、これらの数多くの資料が展示されている。

資料館の庭には、いろいろな石造物のレプリカが置かれている。一番目立っているのが、そのユーモラスな顔つきから明日香村観光のシンボルともなっている亀石だ。


二面石のレプリカ。善面と悪面2つの顔をもつ石造物で、実物は橘寺境内にある。


石人像のレプリカ。盃を口にあてた男性に女性が寄り添う形をしていて、古代の噴水施設とされている。本物は、飛鳥資料館内で見学できる。


高松塚古墳の西壁女子群像の顔ハメ。


この他にも、数多くの発掘調査でみつかった遺構や遺物の資料が展示されていて、埋もれていた歴史を垣間見ることが出来、興味深い。明日香村には、なつかしい田園風景の中に、はるか古代の遺跡があちこちに点在しているが、目に見えるものだけでなく、地面の下にも『日本書紀』や『万葉集』の風景が未だに埋もれているという。

その後、立ち寄ったのは岡寺だ。正式には、『東光山 真珠院 龍蓋寺』となるが、古くからこの土地の名から『岡にある寺』=『岡寺』として親しみもこめて呼ばれており、現在でも正式名の『龍蓋寺』よりも『岡寺』と呼ばれている。真言宗豊山派に属しており西国三十三ヶ所観音霊場の第七番札所で、日本最初のやくよけ霊場としても知られている。

大師堂。宗祖 弘法大師が御本尊。お堂の前には大師の幼少期の『稚児大師像』と四国の地を巡り修行していた頃の『修行大師像』が建っている。


三重宝塔。軒先に吊るされた琴は全国的に見ても復元されている例はなく、珍しいという。夜間には、ライトアップされて一際目立つ塔だ。


厄除鐘。厄除のため誰もが自由に突けるのがありがたい。


三重宝塔から見た岡寺の全景。


岡寺本堂。本堂には、奈良時代の制作にかかる巨大な如意輪観音座像が本尊としてまつられている。塑像(土でできた仏像)としては日本最大の仏様で、日本三大仏にもあげられており、重要文化財に指定されているという。


本堂の前では、西国三十三ヶ所観音霊場巡りの団体の人たちが、熱心にお経を上げていた。


岡寺のすぐ下の民宿に泊まる予定だったので、そこでレンタサイクルを借り、他の観光スポットを回る。最初にレプリカの亀石を見たが、やはり本物がいい。畑や住宅の間に突然現われた巨石が亀石だ。重さ10トンを超す花崗岩に亀の顔が巧みに彫られているが、何のためにここにあるのかは謎とされている。亀が西を向いた時、大和国一帯が泥の海に沈むという言い伝えが残っているそうだ。


次に向かったのは、飛鳥寺だ。588年蘇我馬子が建てたと伝わる日本最古の本格的仏教寺院。大化の改新の主役、中大兄皇子と中臣鎌足が知り合ったのも飛鳥寺の槻木の下で行われた蹴鞠(けまり)の会であったといわれている。


飛鳥寺のご本尊である飛鳥大仏。609年、当代一流の仏師であった仏師・鞍作鳥(くらつくりのとり)によって造られた日本最古の仏像だ。通常、ご本尊は撮影禁止のところが多いのだが、飛鳥大仏だけは撮影OKなのだ。そして、大仏様の表情が、見る方向によって表情が違うという。右から見ると、目尻が長く、口元がキュッと締まっている。


対して、左から見ると、ちいさな口元で柔和なやさしい表情に見える。


夕方近くとなり、寒くなってきたので宿に帰る事にしたが、途中にあった酒船石にも寄っていく。長さ5.3m、幅2.27m、厚さ1mの石の平坦な上面に奇妙な溝が彫られている。昔、酒の醸造に使用されたという言い伝えから酒船石と言われるがいろいろな説があるようだ。


翌日、マラソンを走った後、石舞台古墳を見ていく。6世紀の築造。巨石30個を積み上げて造られた石室古墳。その規模は日本最大級を誇る。盛土が失われて、露出した天井石の上面が平らなことにちなんで、石舞台と呼ばれる。石の総重量は推定2,300t、古墳最大の巨岩である天井石は、南側が約77t、北側約64tもあるという。この巨大古墳が誰の墓なのかは不明であるが、付近に蘇我馬子の庭園があったことから、馬子の墓ではないかとの説が有力だ。


開口部から中に入ってみる。


石室の長さは19.1m、玄室は高さ約4.7m、幅約3.5m、奥行き約7.6mといい、如何に巨大な石室だというのがよく分かる。


入り口の案内看板には、石舞台古墳をどうやって作ったのかという解説が載っていたが、膨大な年月と労働力がかかったのではないかと思われる。当時の権力者の力の強大さを窺い知れる。


帰り道の最後に寄ったのは、橿原市の今井町だ。戦国時代に称念寺を中心に発展した寺内町で、東西約600m、南北約310mの敷地に、約600件の建物が建ち、うち約500件が伝統的建造物。その数は全国の中で最も多く、国の重要伝統的建造物群保存地区に指定されている。防衛のため町を環濠で囲んだ城塞都市で、織田信長との戦いで町を守り抜いた功績を称えられ、自治権が与えられた。以降、商業都市として発展を遂げ、「海の堺 陸の今井」と呼ばれるほど、豊かな経済力を手に入れる。江戸時代になると独自の紙幣「今井札」を流通させ、「大和の金は今井に七分」といわれるほど繁栄したという。


現在も江戸時代の風情を残す町並みは、映画やドラマの撮影に使われることもあり、多くの人が訪れる観光地として注目されている。江戸時代の建築物内部の見学だけでなく、町家を改装したお店でランチやティータイムを楽しむこともできるのがいい。知り合いから奈良に行ったらぜひ寄ったらと聞いたので、初めて寄ってみたのだが、これほどの広範囲で江戸時代の風情を残す町並みが残っているとは思いもよらなかった。


旧米谷家住宅。かつて「米忠」という屋号で金物屋を営んでいた豪商の旧家。今井町では珍しい広い土間には大きなかまどが残り、土間を抜けた先には数寄屋風の蔵前座敷もある。裏庭の縁側は、CMのロケ地として話題になったそうだ。


見学できるのは、17時までと言うことであまり時間もなく、とても全部を見て回ることはできなかった。奈良県には、まだまだ知らない名所がたくさんあることがよく分かった。

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