とっちーの「終わりなき旅」

出歩くことが好きで、趣味のマラソン、登山、スキーなどの話を中心にきままな呟きを載せられたらいいな。

中国地方観光:閑谷(しずたに)学校編

2010-07-30 00:02:12 | 観光
境港の水木しげるロードと安来の足立美術館を見たあと、兵庫県相生まで戻った。この日は、相生に住む娘のアパートに泊まった。翌日自宅に帰る予定であったが、そのまま帰るだけでは遠くまで出かけてきた甲斐がないので、娘にお勧めの観光地が近くにないか聞いてみた。娘のお勧めの場所は、帰り道とは逆方向になるが岡山の閑谷(しずたに)学校がいいとのことだった。相生からは30キロほどなので、早速行ってみることにした。

閑谷学校とは、今から340年ほど前に備前藩主池田光政公が静寂な山ふところに学問の理想郷を作ろうということで建築された世界最古の庶民のための学校である。また、閑谷学校は国の特別史跡に指定されており、特に講堂は、学校建築物としては日本唯一の国宝であり、石塀を含めすべての建造物は、重要文化財に指定されている。これらは未来の世代へ継承するために世界遺産への登録を目指しているそうだ。

娘に聞くまでは、まったく閑谷学校のことは知らなかったが、実際現地に行って見て改めて感心した。閑静な山の中で、最高の勉学の場として建てられた建築物の見事さと池田光政公の庶民の教育にかけた情熱の強さを感じた。有名な寺院や神社とは一味違う建築様式には一見の価値がある。閑谷学校の教学の歴史は、明治以後も閑谷中学校、閑谷高等学校と続き、現在は県青少年教育センター閑谷学校として受け継がれているとのことで、歴史の古さがうかがえる。

以下、いろんな建築物の様子である。

閑谷学校の駐車場入口前。重要文化財、国宝などの表示がある。


校舎の手前には、鯉が飛び跳ねる小川ときれいに手入れされた芝生の広場がある。


校舎の敷地にはいると、国宝の講堂や校門が見える。


学校創設者池田光政公を祀るために建てられた閑谷神社。


講堂は国宝に指定され、閑谷学校の学問の中心をなしている。構内最大の建物で、ケヤキ、ヒノキ、クスなどが使われ、風雨に傷みやすい部分は黒漆で仕上げられている。


講堂の床板は現在でも鏡のように光っている。当時の学生たちが一生懸命磨き上げていたことが良くわかる。



習芸斎(しゅうげいさい)―教室として使用した場所。丸い座布団をつかっていた。


飲室(いんしつ)―師匠・生徒の休憩室。


公門(こうもん)―藩主が通る門。


石塀(せきへい)―周囲を取り囲んでいるカマボコ型の石組みの塀。ほとんど隙間無く組み合わされ、草一本生えていないその構築技術には本当にすばらしい。


火除山(ひよけやま)―高く築いた石垣の上に盛土をしている。西側にある学房群の建物が当時は茅葺きで火災の心配もあったため防火壁として造られた。


資料館(旧私立・公立中学校)―明治時代の建築物で、現在は、閑谷学校の建物や教育の実態、行事、現存する文化財などを目で見て理解するのに役立つ資料が展示されている。



校門(こうもん)―学生が出入りする門。閑谷学校の建築物で鯱をのせているのはこの門だけである。


一通り見学してお茶屋で一服した。お茶屋の店員さんの話を聞くと、土日などの休日はかなりの人出があるらしい。地元では有名な観光地らしく四季毎の美しい景観も見事のようである。たまたま出かけていった場所であったが、貴重な文化財を見学できてラッキーであった。


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