とっちーの「終わりなき旅」

出歩くことが好きで、趣味のマラソン、登山、スキーなどの話を中心にきままな呟きを載せられたらいいな。

「あさが来た」のモデル、広岡浅子の生涯

2016-02-05 22:02:52 | ドラマ
NHK朝ドラ「あさが来た」も残り2ヶ月弱となり、ドラマの展開に目が離せなくなってきた。今日は、銀行に初めて女子行員を採用したシーンが放送されたが、現在の銀行では、当たり前のように女子行員で占められているのを考えると、まさに歴史的なことだったというのがわかる。

この「あさが来た」のモデルとなった広岡浅子の生涯を、最近テレビで見る事があったのだが、ドラマ通りの凄い女性だったことがわかった。嫁に来た加島屋(ドラマでは加野屋)は、大阪一の両替屋だったが、夫の信五郎(ドラマでは信次郎)が遊びほうけて仕事もろくにやらない人だったので、家の将来に大きな不安を感じていたという。ちょうど幕末の時期で、幕府側につくか明治政府につくかで大きな岐路にあったが、明治政府側につき時代の波にうまく乗ることができたようだ。大名貸しの焦げつきには、女ながら、しっかり取り立てに行ったという話も事実だったという。

加島屋の商売が軌道に乗り、その利益で炭鉱事業に手を出し、爆発事故などのいろんな苦労はあったが、工夫たちの信頼を集め加島屋の主要事業にしてしまった手腕は並大抵のものではない。ピストルを持って炭鉱に乗り込んでいったというのも嘘ではないようだ。ただ、実際ピストルを使ったかどうかは、わからないが、お守り代わりに持っていたのは間違いないようだ。その後の、いろんな事業の拡大も、この炭鉱事業で儲けた莫大な資産が元手だという。

さて、ドラマでは 五代友厚と、あさとの関係が濃厚に描かれているが、実際はそれほど濃厚な関係があったかどうかは、分からないようだ。ただ、信五郎と五代の付き合いがあったことは事実で、浅子と五代も顔見知りであったことは間違いないだろう。ドラマ的には、五代とあさの関係を濃厚に描くことで、物語の深みが増したといえる。ドラマでは、既に五代が亡くなってしまっているが、演じた ディーン・フジオカがブレイクしてしまって復活を望むファンの声が大きく、回想シーンなどで再登場する回もあるという。私利私欲ではなく、大阪の商業発展に尽力を尽くした五代友厚という人物がいたという事実も初めて知り、明治時代には、なんと凄い偉人たちがいたのだろうと思い知らされた。他にも、大久保利通、福沢諭吉、渋沢栄一等、歴史の教科書に出てくる偉人たちが続々と登場してくるのも面白い。

浅子は、その後も念願の加島銀行を設立し、小口の顧客を大切にし、女子行員の採用など画期的な経営で、銀行事業を拡大させていく。そして、銀行だけでなく、生命保険会社や日本初の女子大を設立するなど、その業績はとどまることを知らない。男性上位の時代に、ここまでのことをできたというのは、並みの女ではない。大正時代に日本の女傑番付というものが出されたそうだが、西の横綱は広岡浅子だったというから、世間でも広く彼女の業績が認知されていたのが良く分かる。また、信五郎は決してただの遊び人ではなかったらしく、浅子のやりたい事をしっかり後押し、温厚な人格者であったという。ドラマでも、玉木宏が好演しているとおりの人だったのだ。

晩年は、夫信五郎が亡くなってから事業から身を引いて、若い女性を集めた合宿勉強会を主宰し、その参加者には若き日の市川房枝や村岡花子らがいたという。こんな人物の名前が出てくると、時代は繋がっているのだなという事が良くわかる。作り話ではなく、時代を先取りした凄い女性実業家が明治、大正にかけて存在したという事が大きな驚きであり興味深いものであった。

因みに、浅子の姉の春(ドラマではつ)は、25歳で亡くなっていたらしく、ドラマとは違っている。はつを演じる宮崎あおいが早々になくなってしまうのでは、ドラマとしては、盛り上がりに欠けるのか、脚本が変わってしまったようだ。もちろん、宮崎あおいが出ていた方が、視聴者としては嬉しい。

毎日楽しく見ている「あさが来た」だが、もう残り2ヶ月もないと思うと何だか寂しいが、後半もどんなふうに盛り上がっていくか楽しみに見ていきたい。

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