とっちーの「終わりなき旅」

出歩くことが好きで、趣味のマラソン、登山、スキーなどの話を中心にきままな呟きを載せられたらいいな。

2019指宿菜の花マラソンツアー:3日目開聞岳登山

2019-01-18 07:15:43 | 山登り
3日目の朝も早起きで、7時前には宿を出発する。コンビニで食料を買いだしてからJR指宿枕崎線の西大山駅に向かう。西大山駅は、JRの日本最南端の駅である。


この駅から見る開聞岳は特に美しい。そして、花壇の中には、黄色いポストが置かれている。大切な人のところへ届け・・・ JR日本最南端の駅から、大切な人へ想いを、気持ちを・・・。 そのようなシーンがこの地からたくさん生まれれば素敵だと、幸せを運ぶ黄色いポストがここに設置されたという。


さっそく駅のホームに上がり、“JR日本最南端の駅”と開聞岳の姿を入れて記念写真だ。この辺りでは一番の撮影スポットと言える。


7:30。ちょうど東から日が昇ってきた。本州の最南端だから日の出時間も遅いのだ。


西大山駅を出て開聞山麓ふれあい公園に向かう。途中道を間違えてしまい、ふれあい公園の駐車場に着いたのは8時過ぎになってしまった。帰りの飛行機の時間に余裕があるよう予定より早めに行くつもりだったのだが、結局最初の予定と同じくらいになってしまった。

ここから開聞岳の登山口に向かう。今回のツアーでは、最も好天の日になっていた。


8:19。2合目登山口から本格的な登山道となる。


登山道がえぐれ、大きな木の根が道に張り出している。


5合目には立派な展望台があり、指宿方面が一望できる。


右側の薩摩半島の最南端に突き出た岬は長崎鼻だ。岬の西方に弓なりの砂浜が続き,その端に開聞岳がそびえ立っている。左側の天を指すように突き出た岩山が竹山である。


太陽が海面を照らし、海が光っている。太陽のすぐ下あたりに見えるのが、本州最南端の佐多岬だ。


6合目あたりから、登山道が険しくなり、やせ細った岩をいくつも乗り越えていく。




7合目からしばらく進んだところに突如現れる「仙人洞」。昔、山伏の修行の場であったという。


さらに登っていくと、展望が開けた場所があり、枕崎方面へと続く海岸線がくっきりと美しい。




8合目あたりからさらに険しい道となっていく。


梯子を上る。


10:37。開聞岳山頂924mに到着する。日本百名山の選定基準は基本的に1500m以上の山とされているが、2座だけは1000mに満たない開聞岳と茨城県の筑波山が選定されている。基準を満たない開聞岳が、なぜ百名山に選定されたかというと、海抜0mから延びる円錐形は見る者を魅了させてくれるほどの美しさだからだ。選者の深田久弥は、「これほど完璧な円錐形もなければ 全身を海中に乗り出した これほど卓抜な構造もあるまい。 名山としてあげるのに 私は躊躇しない。」と著書で述べているが、まさにその通りだ。


山頂からは、前日マラソンで周囲を走った池田湖の全容がくっきりと見える。そして、その先に見える雲の下には霧島連山があるはずだ。


山頂で1時間ほどゆっくりして下山を開始する。

下山途中には、前日出会ったラン仲間のメンバーたちとも再会する。やはり、指宿菜の花マラソンの後、開聞岳に登る人が多いようだ。




深くえぐれた登山道を下っていく。もう少しで登山口だ。


13:16。駐車場のある開聞ふれあい公園に到着する。登山に参加せず、周辺観光に行っていたYちゃんとも合流。


全員が揃ったところで着替えもそこそこに、次の目的地、知覧特攻平和会館に向かう。知覧特攻平和会館へ向かう道沿いには、多くの石灯籠が建立されている。これは、特攻隊として出撃された人々の慰霊のために遺族や戦友の方などから献灯されたものだという。


14時過ぎ。知覧特攻平和会館に到着する。


入り口に入ってすぐ右側には、実際の戦闘機ゼロ戦が展示されている。近くの鹿児島湾海中から引き上げられたもので後部がない状態だ。翼の表面は薄いアルミ合金でできている。継ぎ目を見るとその薄さにビックリする。ゼロ戦の弱点は軽量化のため翼の強度が低く、1mm以下の薄いアルミ合金は急降下し速度が上がった状態で上昇するとヒシャゲ、墜落の原因となるため、急降下速度に制限があったという。墜落したゼロ戦がアメリカ軍に分析されて弱点が露呈し、以後、敵機に急降下で逃げられるようになったそうだ。まったく安全性という点では、最悪の飛行機だったのだ。こんな飛行機に乗るしかなかった隊員たちが哀れでならない。


近くには、平和を祈る子供たちの短冊や折り鶴が展示されている。


写真が撮れたのは、これだけで、平和会館内のほとんどの展示物は撮影禁止だ。写真、遺書などの遺品約4500点、特攻隊員の遺影1036柱などが展示されている。遺書などを一つ一つ読んでいくと、本当に泣けてきてしまう。この時代を生きていた若者たちがどんな思いで戦地に赴いていったかという事が分かり、平和な時代に生きている自分たちがいかに恵まれているかという事を改めて思い知らされた。

三角兵舎。特攻隊員達が出撃までの数日間を過ごした宿舎だ。空襲を避けるため飛行場から少し離れた松林の中に三角兵舎が造られた。三角兵舎は半地下式木造のバラック建てで、屋根には偽装用の幼木をのせている。


もっとゆっくり見ていきたい場所だったが、帰りの飛行機の時間に間に合わなくなってしまうので、ぎりぎりの時間まで粘って見学し、鹿児島空港に急いで向かう。何とか時間に間に合い、羽田行き、伊丹行き、セントレア行きと3方向に分かれ、今回のツアーが終わった。

参考1.開聞岳のコースマップ


参考2.開聞岳の高低図