prisoner's BLOG

私、小暮宏が見た映画のノートが主です。
時折、創作も載ります。

「エンディングノート」

2011年10月16日 | 映画
昔の家族の映像で、ここでこういうのがあるといいなと思うのがタイムスリップして撮ってきたみたいにぴたりの画が出てくる。
昔から撮りためていたということなのだろうが、しきりと父親が次女(つまり監督は)「段取りが悪くてできてしまった」「(次女自身も)段取りが悪い」と言うのだが、なんのなんの、この映画を作るために何十年もかけて段取りしてきたみたい。最後、洗礼を施す画竜点睛は監督が担当するのだし。
その分、できすぎ、という気もする。
非常に「幸せ」な亡くなり方で、臨終の瞬間を画面に出さないのも「よくできて」いる。あえてドキュメンタリー的であろうとしていない。次作はフィクション希望というのも不思議はない。

一方で、同じ人が若い時と壮年期、健康な時と次第に病状が進行していくにつれありありと外観が変わっていく迫力は記録ならでは。

前にかかった医者が「私は死ぬのならガンがいいですね。亡くなる直前まで意識がはっきりしているし」と言っていたが、それを地でいった感じ。
私が仕事で世話になった人がやはりガンで亡くなった時も全部段取りしていって、「ガンはいい病気だ、死ぬまで時間がある」と言っていたという。

私事になるが、父の介護をしていた時、記録しようとビデオカメラを買ったが、結局それどころではなくほとんど撮れなかった。
NHKの「電子立国 日本の自叙伝」のディレクターだった相田洋氏も、母親の介護の様子を記録しようとしたがとてもムリだったとコンピューター雑誌に書いていた。
撮られることのない光景、というのは実は非常に多い。

仮に「孤独死」した人が末期をビデオカメラをまわして撮っていたらどうなのだろう、と妄想した。これも確実に実在しているのに映像としては流通しない光景だ。実はこちらでわかっているような気になって悲惨な死に方を決め付けているのとは違うイメージが写っているの「かも」しれない。

人気ブログランキングへ


本ホームページ


エンディングノート - goo 映画