クルドといっても知っていることはあまりに少なく、なまじ知っているとそのわずかな情報がすべてになってしまうから気をつけないといけないわけだが、まずユルマズ·ギュネイの映画(カンヌのパルム・ドール「路」ほか)の印象があまりに強烈だった。
おそらくギュネイでクルドを語るのは、黒澤明だけで日本を語るようなものだろう。
とはいえ、あそこでは圧倒的に父権的な社会でもあることが描かれていた。
それだけにクルドの女性部隊に殺されると天国に行けないといった迷信がはびこったりもしたわけだ。
それだけに日本で小金で頬をひっぱたくようなパパ活オヤジの醜悪さの印象が強い。
恋愛劇でもあるけれど、なれなれしさやべたついたところは見事にない。
頬に二度キスして、こんにちはとさようならをそれぞれ意味する。どちらともつかないのはモチーフからして当然だろうが、ラストがなかなか着地しないようなやや長ったらしい印象にはなった。
もっぱらお金を現金で持っているのは口座が作れないからだろう。
働かなくては食えないのに、働いたら入管に監禁される(しかも期限なし)という制度設計として体をなしていない。
ビザが出ていないと埼玉県から東京都に渡ってはいけないのであって、「翔んで埼玉」では笑いになっていた差別ネタがまったく笑えない現実になっている。
東京・埼玉の県境で、前を自動車が、背景で電車が当然のように行き来しているのに、その前で佇まざるをえない画が象徴的。
嵐莉菜の固さを含めて表現の豊かさ。
コンビニに来たおばあさんにどこから来たのと聞かれてドイツ、つまりいわゆる「先進国」と答えてしまう微妙な感情など役と重ねているのだろう。
ガイジンに対する悪気はなくても無神経がびりびり響いてくる。
オープニング、二本の線が微妙にずれながらタイトル文字を囲む。
現在の在日クルド人が住む国とクルドという国境を持たない国の二重性のメタファーとも、日本という国がすでに単一民族でも単一言語でもなくなっている事実のメタファーともとれる。
役人や父親の不法就労を見つける警官にしても、憎々しげな悪役として描くこともできたろうが、あくまで法の番人であって、その裏の法制度の不備や不合理の方を浮かび上がらせる。
ちなみにこれは文化庁の助成金を受けてNHKも協力している。