prisoner's BLOG

私、小暮宏が見た映画のノートが主です。
時折、創作も載ります。

「2度目のはなればなれ」

2024年10月31日 | 映画
原題がThe Great Escaper。「大脱走」の原題Great Escapeにちなんだものなのは一目でわかるが、「大脱走」という実話もの映画は考えてみると脱獄に成功してバンザイという話ではおよそない。失敗している捕虜の方が多いくらい。

これも実話ものではあるのだが、考えてみると実話というエクスキューズを入れないといけない性格の話ではある。つまりかなり贅沢な老人ホームに夫婦で入っていて、夫だけ黙って妻を置いて出ていくというのはそれなりの事情があると思われ、妻の方も泰然として夫を責めたり不満を漏らしたりしない。

本筋の方ではふたりがはなればなれになる代わりに若い時のデートシーンとノルマンディーへ出征した時のフラッシュバックが入る。
回想ではなればなれになるのに現在の夫婦がはなればなれになるのが挟まり、それにさらにこの夫婦のうちどちらかが世を去るという形で別れが来るのが予告される。その予告は現実にグレンダ・ジャクソンが亡くなることで的中した。





「室井慎次 敗れざる者」

2024年10月29日 | 映画
旧映画シリーズのせわしない移動撮影とかバックの人物の全員に動きをつけたりといったバタバタした演出は影をひそめて、場所がお台場から秋田に移ったせいもあってかずいぶん静かで回顧的になったなあと思わせる。

もっとも回顧的になったのはいいのだが、肝腎な青島(織田裕二)とすみれさん(深津絵里)の出番が回想シーンだけで、今何をやってるのかよくわからない。続きで見られる可能性も、まあない。

火事とかいわくありげな男が釈放されたりといった大きな出来事が全部終わり近くにまとめられて続きはお楽しみにという感じだが、もうちっと見せ場を作ってもいいのではないか。

室井が田舎にひっこんで畑を耕して過ごしているというのも、見ようによっては結構な身分ではあります。
無職とはいっても元エリート警察官僚だし、退職金はかなりもらっているのではないか。

「踊る大捜査線」シリーズの劇場版がメガヒットを続けてテレビシリーズの劇場版へ道筋をつけ、いまや各種のテレビシリーズの劇場版が猖獗をきわめている代わり本家が正直しぼんだ感はある。





「ソウX」

2024年10月28日 | 映画
このシリーズ、1と2は覚えているのだけれど後はどれがどれだか状態で、これも早くも見ているそばから、はて?でしたね。

シリーズを通じて子供に暴力描写ふるうってことあったかな。アメリカ映画ではタブーらしいのだが、だからなのか腰がひけている。

ジグソウ役のトビン・ベルは1942年生まれだから82歳。2005年の「ソウ2」から出ているから20年近いのだが、その割に老けない。デジタルメイクでもしているのか。





「国境ナイトクルージング」

2024年10月27日 | 映画
韓国と中国の国境の中国側の町である延吉を舞台にして、三人の男女の出会いから始まるロードムービー。
俳優たちは中国人で監督のアンソニー・チェンはシンガポール出身。
いろいろとハイブリッドです。

男ふたりと女ひとりの組み合わせというのは「明日に向って撃て!」「冒険者たち」もそうだが、あまり生臭くならない。性的なシーンもあるのだが。

雪景色がおそろしく寒そう。
熊のCGはよくできている割に作り物なのがわかる。





「破墓 パミョ」

2024年10月26日 | 映画
韓国では今ではもっぱらハングルを使うようになったが、呪いを防ぐのに身体に書く文字は漢字なのは面白かった。
日本映画はどうかというと、小林正樹「怪談」の「耳なし芳一」編では漢字だが、溝口健二「雨月物語」では梵字ですね。決まってないみたい。

鶏の血を使うというのは、香港映画の「霊幻道士」にも出てきた。
冒頭から使われる日本語にあまり訛りがない。

毎度ながら東アジアは似ているとも思うし、違うとも思う。





「まる」

2024年10月25日 | 映画
アートとそうでないものとの区別というのは偶々というか運次第というか、かなり寓意としてはミエミエな感じでありましてね、わかりきったことをわかりきったまま描いている印象。

というか、現代美術はウォーホルのキャンベルスープの缶のようにそれ自体「作者」の存在を否定しているところがある。違うのは値段がつくかどうか、「売れる」かどうかというのは、小林聡美に言われるまでもなく事実。

綾野剛や吉岡里帆(きつめのメイクで唇にピアスをしている姿は珍しい)が嫉妬むき出しにしている姿も相対化されていて、その中で堂本剛だけがぼーっとしているのがまた一回り上から見ている感じ。









「HAPPYEND」

2024年10月24日 | 映画
舞台になっている街はどこでロケされたのだろうと思ったが、エンドタイトルを見ると神戸らしい。ところどころ横浜っぽいと思ったが、神戸「らしい」イメージにこだわらず微妙にエキゾチックな味つけをしている。
あちこちにある看板も架空の地名のようだが確認するには小さすぎる。

舞台になる学校の廊下の幅がやたらと広い。
クラスメイトに黒人がいるのだが、「日本人」と「黒人」という分類ではなく人種のるつぼのひとつ同志のニュアンス。

空音央監督がローリングタイトルの最後という特別な位置ではなく大勢の名前の並びのひとりとしてクレジットされるのは、石川慶監督ばり。

冒頭近く、黄色い車がどうやったのか鼻面を路面にこすりつけて逆立ちしているのが現代美術的な感覚。

冒頭から何度も繰り返し地震が襲うのだが、地震警報が出たり出なかったりで、政府の緊急事態宣言の口実になっていることは明らか。振動自体が広義の危機の予感のニュアンスがある。
終盤の自衛官を教室に呼ぶ措置といい、あからさますぎやしないかと思わせるが、今や現実の方がリアリティがないくらいあからさまなのだ。

監視カメラで生徒を顔認証して減点するシステムが導入された設定なのだが、カップルがいちゃいちゃしていると「不純異性交遊」とアラートが出るのが可笑しい。

意識高い系の女の子が、警察など権力者を守るだけの存在だと上滑り気味の意見を上滑り気味のまま言うのが逆にリアル。





「ふれる。」

2024年10月23日 | 映画
タイトルになっている「ふれる。」とは、ひとつの漁船に複数の人たち乗って意思を統一するのを媒介する寓話的な存在の生き物のこと。
その統一された意思が各人に別々にあるのか、それを超えてひとつになっているのかというのが曖昧で、それも敢えて曖昧にしている。

こういうホモソーシャルな関係で女性があらかじめ疎外されていて、図らずも三角関係になっていたのに気がつかないでいる。
作中「蜘蛛の糸」みたいと言及されるようなずいぶんと微妙なバランスの関係を、アニメで取り上げるということ自体、かなり先鋭な表現と映る。

画がリアリズム寄りなのとデジタル技術も取り込んだ多彩なもので、ふれるは小動物のような姿をしていて目を特に可愛くしていない。文字通り全身総毛立つ姿など威嚇ともとれる。









「PATHAAN パターン」

2024年10月22日 | 映画
中ほどの休憩前にハイテクのセキュリティを突破してお宝に到達するあたりはまるっきり「ルパン三世」、それも峰不二子込み。
スパイものとあって「007」っぽくもある。

どこまでエスカレートするのかと思わせる荒唐無稽アクション、それも一応現代劇なのだから恐れ入る。





「悪魔と夜ふかし」

2024年10月21日 | 映画
スクリーンそのものの、昔のテレビ画面に合わせた縦横比や色あい、しばらくお待ち下さい式のテロップなど、古色のつけ方がまことに凝っている。

視聴率でジョニー・カースン・ショーに常に一歩及ばないという設定が、2番手は誰も覚えていないという空白をついて上手い。

「エクソシスト」公開の同時代(1973)の設定と考えていいのかもしれない。
ホラーシーンのビデオを同時に平行して再現するという趣向がリアリズムと認識の繰り返しとをだぶらせている。





「女中ッ子」

2024年10月20日 | 映画
1955年作。
「気違い部落」ほどではなくても、もろに差別用語?が使われたタイトル。
そのせいか、1976年に森昌子主演でリメイクされたときは「どんぐりッ子」になった。

音楽担当が伊福部昭で「怪獣大戦争」マーチが運動会のシーンに流れるのだが、「怪獣大戦争」は1965年の製作で、この「女中ッ子」は1955年の製作だからこっちの方が早い。
というか、1955年といったら「ゴジラ」第一作の翌年だ。曲だけ先にできていたのではないか。

2時間22分と長尺なのは都会に出てきた左幸子の女中さんを描くと共に、故郷の秋田の場面もかなりの尺数をとって、なんならナマハゲの習俗もたっぷり描いている。左の母親役が東山千栄子なのだから厚みが違う。
吹雪も真向から撮っているのに驚かされる。

「無法松の一生」の車引きの無法松を女中にしたみたいなもので、身分の違いというものが厳然としてある世界で、身分の低い者が決して卑屈にならず子供に対して決然として教育的指導を行う話としてまとめられるだろう。

田舎に子供が雪の中をひとりで歩いて訪ねていくのに、駅員や行きずりの人もさほど心配な様子を見せないのは当時の感覚だと普通だったのだろうか。児童福祉法が公布された1947年から、さほど経っていない。

雪国で走っている蒸気機関車から左が荷物を投げ出してこともなげに自分も跳び下りるのに驚いた。




「花嫁はどこへ?」

2024年10月19日 | 映画
これくらい見た後に気持ちよくなった映画も珍しい。誇張でなく、終盤は色んな意味での涙が流れっぱなし。

同じようなベールをかぶって夜の列車に乗っていたふたりの花嫁が新婚の夫にせかされたもので暗くて取り違えられた、というミステリアスかつ喜劇的な出だしから、いわゆる旧式な社会構造を描こうとしているのかと思ったら、あれよあれよという間にはるかな未来につながってくるのに目を見張った。
見た後で監督のキラン・ラオが女性と知り、なるほど納得。

「きっと、うまくいく」主演のアミール・カーンが製作にまわったわけだが、教育というものの価値を主軸に置いているところは共通している。
登場人物ひとりひとりの描き込み、それぞれがそれぞれに幸せになる展開
も見事。

携帯がものすごく古い型で警察がfaxを使っていたりするからひと時代前の話なのだろう。





「ジョーカー フォリ・ア・ドゥ」

2024年10月18日 | 映画
殺風景な牢獄に音楽が流れてミュージカル・シーンになるのだが、音楽と踊りで現実とは別の世界を作るのがミュージカルの王道的効用であって、それはあたまからの現実逃避とは似て非なるものだろう。
フレッド・アステアのミュージカルが現役の時が30年代の大不況時代で、夢見てる余裕などなかったのを知ってはいるが、やはりミュージカルというのは地上から5cm浮いているものだと思う。

レディ・ガガがなんで神出鬼没にジョーカーの独房に現れたり、外に出てしまったりするのだろうと不思議に思って、都合良すぎるな、妄想なのかなあと思っていたらおよそ「都合の悪い」オチがつく。
文字通りぶっとんだ展開もあるのだが、およそ爽快感はない。

所内のテレビがパナソニック製というのは今や古臭い型という意味合いになっていると思しい。





「ベイビーわるきゅーれ ナイスデイズ」

2024年10月17日 | 映画
テレビシリーズと並行しながらの公開というかなり珍しい形の封切になって、正直どれがどれだかわからない一つの混沌として現れていて、その前で立ち尽くしている感じ。