prisoner's BLOG

私、小暮宏が見た映画のノートが主です。
時折、創作も載ります。

「宮本武蔵 般若坂の決斗」

2022年05月04日 | 映画
4Kリマスター版上映で再見。
さすがにクリアで、屋外の、青空はあくまでも青く雲はあくまでも白いといったくっきりした場面と、室内のバランスが崩れそうな色調で暗めながらくっきり見える画面ともによし。

セットの重厚さと細部まで飾りが行き届いた当時の東映の職人たちの仕事ぶりも楽しめる。

この時30歳の中村錦之助が一作目みたいな暴れん坊とは一転して、一定の落ち着きを見せる。足の運びが一作目と全然違う。
走りながらの立ち回りなど、四作目の「一乗寺の決闘」の凄絶なクライマックスを予感させる。

お話とすると槍術の宝蔵院との戦いが主だが、山本鱗一が短い出番ながら豪快そのもの、それを一撃で武蔵が倒すのは、実はほとんど発端に過ぎない。
黒川弥太郎の胤舜の「お主は強すぎる、強ければいいというものではない」と禅問答みたいな説教が実は単なる説教ではなく、およそ皮肉な意味でわかるクライマックス。

考えてみると、「宮本武蔵」は日本における成長小説(ビルドゥングスロマン)と目されることが多いが、武蔵は勝ったから何かを得るとかランクアップするということがあまりないので(名声は高まるが)、ここみたいに人に結局利用されて終わるという、いわゆる成長小説的な展開からすると結構異例の構造に思えてきた。
剣という人斬り包丁の「道」とはそういうものという倫理以前に遡る気もする。

考えてみると、この時点で徳川の世は磐石になっていて、戦に出て手柄を立てていずれは一国一城の主となるのはおよそムリなことになっていた中というのは今にも通じる。
そこでどんな生き方をするのかを求めて悶え苦しみ、結局よくわからなくはある。