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『人生を遊ぶ』

毎日、「今・ここ」を味わいながら、「あぁ、面白かった~ッ!!」と言いながら、いつか死んでいきたい。

  

トヨピー挑戦者に

2022-06-01 06:18:00 | 藤井 聡太
27歳で、カミさんと
京都で結婚した時、
その祝いの「記念品」として
実家の両親に贈った京人形が
37年を経て未だにキレイに
ケース内に保存されていたので、
初めて、玄関室礼に飾ってみた。






一点物の貴重品なので、
地震が来ても落下しないように
壁際に寄せて置いた。

カミさんも
ちゃんと覚えていて、
懐かしそうだった。






もっか
私的七連休中なので、
お昼には"ぼっちフレンチ"に
『タルタル・ド・タン』
(鮪のタルタル)
を拵えた。

セルクル(丸型)に
薄切りの鮪のお造り(刺身)を
重ねていって、
バジルソースをトッピングしてから
型をスッと抜いた。

切れっ端を
水耕栽培している
分葱と三つ葉の若芽を飾り、
ピンクペッパーを散らしてみた。

このワンプレートに
バケットとワインだけで、
十分満足する"ぼっちランチ"に
なってくれた。

何を創るか考えたり、
お皿のコーデを悩んだり、
撮影したり、アップしたり・・・と、
いずれのプロセスも
「脳活」と「パスタイム(気晴らし)」
になってると思っている。





おとついの
米沢"小旅行"で、
亡き父のアルバムにあった
『旧米澤工業高等學校』
(現山大工学部)
の歴史的保存校舎を観てきた。

国の重要文化財にもなっている。

正面玄関の
鱗瓦の屋根を見て、
父の妹である叔母が、
「神戸の鱗の館みたいに
ハイカラだねい・・・」
と感心していた。

その目は、
七人兄弟・姉妹の長兄で
優秀でリスペクトしてた兄を
偲ぶような感慨深けでもあった。

父の晩年、
癌の末期症状で、
浮腫(むく)んだ両足を
さすっていた叔母の姿をも
彷彿させられた。









かつての
音羽屋旅館の女将
(シゲちゃん/90歳)
の郊外にあるお宅を訪ねるも、
白布温泉帰りの
突然の訪問だったので、
残念ながら留守であった。

叔母がメモを玄関に残すと
その晩に、さっそく電話がきて、
「会いたかったぁ!!」
と残念がっておられたという。

その近くには
水窪ダムがあり、
橋の上からの眺めは絶景で、
まるでノルウェーの
フィヨルドを見るかのような
感じでもあった。






上杉神社は、
書を嗜む者にとっては、
「集字」の宝庫のような
"お宝スポット"で、
拓本なぞが必要なくなった現代では
ここぞという処を
何枚もスマホ撮りして
プリントアウトしてきた。

そのうちの何枚かを手本として
さっそく、ゆんべは
臨書を楽しんだ。







今季の王位戦挑戦者として、
トヨピーが決まり、
前季の「十九番勝負」に続いて
またソーちゃんとの対局が
楽しめることとなった。

もっか、
タイトル戦13連勝中
という絶対王者になりつつある
ソーちゃんに対して、
かつてのラスボス・トヨピーは
タイトル戦3勝11敗と
大きく負け越している。

あさってからは、
永瀬ッチとの
『棋聖戦』が始まる。

永瀬ッチは
ソーちゃんの唯一の
VS(一対一の研究)相手で、
まだ、中学生の頃は、
兄貴分として
いつも奢ってもらっていた
仲間内である。

アベマトーナメンでは、
同じチームメイトとして
優勝もしている。

互いに手の内を
知り過ぎている間柄の
対局である。








「宇宙と意識」の研究を
学生時代来、40年以上も
続けている。

最近では、
YouTubeから最先端科学の知見を
拾い集めて、それらを
インテグレートして
問題意識への仮説を立てている。

個々の銀河が「銀河団」を形成して、
さらにそれらが
「バブル構造」している事が
最近の研究で明らかになった。

そして、この構造は、
脳のニューロン・ネットワークの構造に
酷似しており、ここにおいても、
「フラクタルの原理」
(相似形の繰り返し)
が見られる事も判った。

ニューロン・ネットワークが
触手を伸ばすように
3Dに発展するように
銀河団も同様の展開がなされている。

そして、そこから類推される事は、
ニューロン・ネットワークが
互いに信号を交換しているのであれば、
銀河団どうしも何らかの信号交信が
行われているのではないか・・・
ということである。

事実、電波望遠鏡の発達で、
太陽を始めとする個々の恒星は
何らかの電磁波を発していることは
知られている。

とすれば、
銀河を構成する
恒星群どうしが
電磁波によって
ニューロン・ネットワークのように
何らかの有意味的な交信をしているので、
と考えるのは、あながち
荒唐無稽とは言い切れまい。

それは、さらに
フラクタル的な展開で
バブル構造を見せる
銀河団どうしもまた、
脳内の活動野(領域)のように
有意味な意識に似た機能を持っている、
というふうに思考実験を敷衍できる。

受精卵という単細胞は、
60兆ケもの細胞に
分裂増殖する過程で、
「分化」という多様性を持つ
形態・機能に発展していく。

感覚器の眼・耳・鼻・舌・皮膚などの
すべてが1ケの単細胞から
出来てきたというのは事実で、
これを宇宙の起源と
フラクタル的に見ると、
元は1ケの水素原子から
"水兵リーベ"の周期表のように
元素が「分化・多様化」していったと
見る事が出来る。

そして、今という時は、
まさに、宇宙が始まってから
137億年目の進化の途中にある。

「我われは何処から来て、
何処へ行くのか・・・」
という
古今東西の命題に対しては、
「進化」の行き着く先は
「モア・ベター」(より良き)世界へ
向かっていると考えるのが
至当である。

卑近な例として、
自分の人生で、ともすると、
3.11やコロナ禍などの
悲劇的なイベントにのみ
目を奪われがちだが、
対極の楽観的イベントに注目すれば、
未だに「途上」にあるとはいえ、
LGBTQの常識化による
人権意識の向上や、
「戦国時代/内乱時代」から
平和が保たれるようになった国々の増加、
乳幼児死が当たり前だった前近代、
・・・などなどに、人類の「発展」が
しかと見て取れる。

この究極の到達点は
「宇宙は神に向かって開花している」
という詩的言い表しに
収斂しているかのようである。

さらに、思考実験を進めると、
受精卵が自分という個体となったが、
その個体自体は死滅する。

「0」から発生したこの宇宙が
「神」的な完全無欠な「意識存在」へと
進化を極めたら、
個体同様に消滅するのだろうか・・・
という疑問が起こる。

生物的な個体消滅は、
種の保存には必須の条件と
生物学的には考えられている。

ならば、
「宇宙にとっての種」とは
何だろうか。

あるいは、
ユニバーズ(この宇宙)は
「個体」的存在であって、
マルチバース(無数の宇宙)が
「種」に相当するものかもしれない。

無数の宇宙が、
また、ニューロン・ネットワークや
銀河団バブルのような
ネットワーク構造を
フラクタルのように無限に
繰り返しているのやもしれぬ。

合わせ鏡でも見られる
無限鏡像には果てがない。

それが、
宇宙という「存在」においても
起こっている現象かもしれない。