『人生を遊ぶ』

毎日、「今・ここ」を味わいながら、「あぁ、面白かった~ッ!!」と言いながら、いつか死んでいきたい。

  

ケーローの日

2021-09-20 08:22:00 | 家族
今日は「敬老の日」らしいが、
私的10連休の最中で
祝日感が麻痺している(笑)。

大阪の
新しい「こども園」に移った
リク坊から、園名で
「手形ポストカード」が届いた。





親子三人で
休日には
関西圏をあちこち
訪ね歩いてるようで、
送られてくる写メを見ながら
かつて関西在住だった
カミさんとふたりで
「ここは何処かなぁ?」
と背景を見ながら
当てっこをしている。







きのうは
気持ちいいほどの秋晴れで、
家にいるのがもったいないので
近所の散歩に出かけた。

畑の片隅には
彼岸花がひっそり咲いていて、
よそんちの庭先には
コスモスが咲き乱れていた。





作り置きの
キッシュ・ロレーヌを
解凍して、
『サンデマン』の
シェリー酒と共に
簡単ランチにした。

『ためしてガッテン』で
美味しくなる
葡萄の剥き方をやってたので、
真似して巨峰を一粒添えてみた。



【天高く馬肥える秋】
とはよく言ったもので、
なんだか食べ物が美味しいので、
それは健康な証拠でもあるが、
徐々に体重が増加傾向で、
来月の市民検診を前に
そろそろ糖質制限食餌療法に
切り替えようかと思っている。





カミさんが
休日になると
午前中の開店に合わせて
直売場に出かけては、
いろいろと秋の果物を
どっさりと買ってきてくれる。

スーパーだと
高くて手が出ない
高級品種の『シャインマスカット』も
大きなひと房が800円だったという。

なんたら言う
新種の葡萄もあり、
それもなかなかに美味だった。

TVの『クールジャパン』の影響で、
最近では外人さんの真似をして
いっさい果物の皮を剥かずに
丸かじりするようにしている。

果物は
皮下の部分に
甘味の濃い部分があり、
皮はよく噛めば
そのまま食物繊維にもなるので
農薬さえなければ
森の動物と同じく
まんま食べた方が栄養価も高い。

オーストラリア人の真似をして
キーウィも皮のまま食べてみたが、
ザラリとした食感はあるものの
そのものの本来の味が感じられた。






カミさんが
テニス仲間の「&ぉさん」から
実と花の付いた
檸檬の木を頂いてきた。

かねてより、
同じテニス仲間の
Mセンセんとこの檸檬の木を
羨ましく思ってたので、
これで我が家でも
収穫後は『リモンチェッロ』や
『レモンピール』が作れる。









室内栽培で枯れかけた
パイナップルは、
カミさんが室外で
陽光に当てて育て直したら
元気に回復した。

あらたに
Mセンセから頂いた方は
アロエと間違うほど
厚い葉を茂らせて
頼もしい。

はやく実がなるのを
観てみたい。







Amazonで
コミック・サーチをしていたら、
面白そうなのがあったので、
試しに読んでみた。

そしたら、
あんがいに面白く、
第二巻目も発注した。

【ノーマンガ・ノーライフ】
である…(笑)。






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笹巻きずし

2021-09-19 08:16:00 | 藤井 聡太
きのうは
台風が接近していたが、
どうしても「笹巻き鮨」を
作りたかったので、
山にクマザサを採りに出かけた。

ネットでは
10枚500円で買えるが、
自然になってるのを
わざわざ取り寄せるというのも
都会ならいざ知らず、
採りに行かない手はない。

雨降りだったが、
大きなオニギリをこしらえて、
それを薄焼き卵焼きでつつみ
ラップに包んで持参した。





いつもの「びっき沼」周辺には
クマザサが生えてなかったので、
とりあえず腹ごしらえして、
さらに山道を登ってみた。

そしたら、
道路沿いに群生があったので、
ハザードランプをつけて、
袋とハサミをもって
傘をさしながら採集した。

道路際に積もった腐葉土が
雨に濡れ、ズックを踏み込んだら
ズブリとめり込んで
中までヒンヤリと
泥水が通ってしまった。

クマザサの生えてる
すぐそばには
小さな流れがあり、
傘をさしながらカラダを傾け
川に落ちないように…と、
やはり、自然のものを採集するのは
ワイルドだなぁ…と、感じた。

ぴっき沼の駐車場では
林の際で自生の山椒の木を見つけ、
青々とした「木の芽」を
摘んできた。






帰路の下り坂で
ビオパークの
名残りの睡蓮が
雨に濡れそぼって
幽玄な感じに観えた。






山から直接
スーパーに魚類を
買い出しに行った。

ヒカリ物の
サバ、サンマ、イワシを酢〆し、
海老は甘酢に浸し、
穴子を煮て、
鮪を漬けにし、
玉子焼きをつくった。







酢飯は
黒酢で仕上げ、
カミさんとふたりがかりで
採ってきた笹っ葉に
シャリとネタを巻いて
三角粽型とロール型と
茶巾型をこしらえた。

笹ッ葉が足りなくなってからは
ラップで茶巾鮨にした。







笹巻き鮨は
一晩ねかせて
熟れさせるので、
茶巾寿司を先に
夕餉とした。









鮨をアテにしながらの
純米吟醸酒を
チビリチビリやるのも
なかなかに乙なものだった。

今晩の夕餉には
笹の香りがする
鮨が楽しめそうだ。






きのうは
アベマトーナメントの決勝戦で
ソーちゃん率いる「チーム藤井」が
ベストオブ9ゲームマッチ
(5勝した方が勝ち)
に臨み、見事優勝した。

これで、
個人戦2回・団体戦2回の
最多優勝であり、
4連覇だから凄い。

『詰将棋選手権』でも
5連覇の世界チャンプである。

「団体戦」は三人一組で
昨年から始まった
棋界初の「運動会」的、
娯楽的なテレビマッチだが、
優勝賞金は1千万なので、
プロ棋士にとっては
普及もかねた仕事でもある。

持ち時間は5分で、
1手指すごとに5秒増え
持ち時間を使い果たすと
負けになるという
チェスの名人が考案した
「フィッシャー・ルール」で行われるので、
超早指し戦で1局が20~30分で終わる。

なので、通常の棋戦より
スピーディーな展開で、
時間の逼迫した終盤戦では
ハラハラドキドキとなる。

3人組で1千万を獲得したので、
賞金は333万ずつになるが、
何に使うか問われると、
昨年と同じく
「自作PCのグレードアップした
パーツを買いたいと思います」
との事だった。

もうすでに、
数台、自作していて、
数百万のモンスターマシンをも
組み上げてディープラーニングの
将棋ソフトで研究しているという。

三冠保持者となった現在、
今年度は1億円プレーヤーになるのは
確実である。










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アスペルガーの闇歴史

2021-09-18 08:46:00 | 藤井 聡太
きのうから
私的10連休なので、
まったり過ごしている。

台風が接近しているが、
子どもの頃、
この時季になると決まって
小児喘息の発作を起こして
入院していたものである。

小6でキッチリ完治してくれて
やれ有り難やと思ってたら、
還暦を過ぎてから
また、軽く再発したようだ。
😥

それでも、今は、
半世紀前よりも
ずっとクスリが進歩していて、
常用のパウダー噴霧薬で
症状や発作を治めてくれている。

なので、
台風が接近しても、
昔のように
ゼーゼーいうこともない。




きのうは
ソーちゃんの棋王戦の
本戦トーナメントがあったが、
4連勝していた
イケメン・シンタローに
負けてしまった。

中盤からリードされるも
最終盤でひっくり返すだろうと
期待して観ていたが、
なんと、ぐいぐいとAI判定どおり
押し切られてしまった。

ソーちゃんの
勝率8割というのは、
5回に1回しか負けないという
確率なので、まさに、
4連勝の後に1敗してしまった。

きょうも5時から
アベマ・トーナメントがあり、
超早指し棋戦の団体戦なので、
2回くらいは
ライヴ棋戦を観れそうだ。






棋戦の昼休中に
散歩&買い物にでかけて
ツタヤで『王様の仕立て屋』の
新刊を買ってきた。

シーズン4も10巻目となり、
書棚には60冊ほど
ズラリと並んでいる。

コミック業界
唯一無二の「服飾マンガ」だが、
その蘊蓄は勉強になり、
自分の着道楽の教科書になっている。









棋戦の長考中に
箱庭療法のジャーナル(学会誌)と
ケース・スタディ書を
拾い読みしていた。

最近のセラピーで
箱庭を用いる機会が
多くなってきたので、
もいちど勘所を抑えておこうと
60の手習いである(笑)。

河合先生も
師匠の市橋先生も、
「臨床家は死ぬまで勉強です」
と仰っておられた。






棋戦の"ぼっちランチ"は
作り置きのキッシュ・ロレーヌを
新調したアシェット(お皿)に
ドレッセしてみた。

ソースも三色の
ファンシー仕上げにしてみた(笑)。






Eテレの
『フランケンシュタインの誘惑
 科学史 闇の事件簿』
という
科学史の闇に迫る
知的エンターテインメント番組で、
アスペルガー症候群の由来となった
オーストリアの小児科医
ハンス・アスペルガーが
取り上げられたので視てみた。

知的障害を伴うとされてきた
自閉症の概念を
塗り変えたアスペルガーは、
現存する老患者からは
やさしい先生だったと
語られているが、
「もうひとつの顔」があった。

それは、
熱烈なナチ党員の
師匠にして院長に
若くして優遇されたが為に、
ヒトラーの『優生学政策』で
「障害児安楽死作戦」に加担し、
33名もの子どもたちを
死に至らしめた事が
残存していた当時のカルテから
歴史家たちが見出して告発した。

しかし、当人は、
74年のラジオインタヴューで
その事を否定したので、
嘘をついた。

皮肉なことに、
81年にローナ・ウィングが
「特徴的な一連の自閉症児」を
臨床で見出して、
それを論文化する際、
それがアスペルガーが先に
報告していた事に敬意を表して
彼の名を「症候群」に命名した。

現在は、
ASD(自閉スペクトラム症)という
呼称に変わったが、
それでも、今も
「アスペっぽい」
と教育や臨床現場では
慣用句のように使われる事がある。

そのアスペルガーに
闇歴史がある事は、
番組を視るまで
全く知らなかった。

ニュールンベルグの
戦犯裁判では、
安楽死に加担した医師たちは
「ヒトラーの命令だった」
と抗弁して全員無罪になったが、
現代になって、
ドイツ精神科学界は
当時の過ちを認め、
犠牲となった800名近い
子どもたちのために
哀悼の意を表した。










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秋休み(笑)

2021-09-17 06:18:00 | 藤井 聡太
風邪気味の体調も
きのうは大分と
正常に戻りつつあり、
けっこうバリバリと
働くことが出来た。

一日5件もカウンセリングをすると
退勤時には疲労感があるものだが、
きのうは疲れもせず
帰宅後すぐにピアノに向えて
半時ばかり練習できた。

来週は勤務日が
連休やら祝日にかかり、
なんと、今日から
再来週の日曜日まで
私的10連休である(笑)。

自宅カウンセリングと
ギターレッスンはあるが、
学校勤務はない。

まるで、
大学時代の前期試験後の
秋休みみたいである。

プチ・ロンバケを何して
過ごすべえかと
迷いもするが、
十日の間にソーちゃんの棋戦が
四つも入ってるのは
ありがたい。




ネットから
棋戦スケジュールを
プリントアウトしては
システムノートに忘れないように
記している。

なんだか、
仕事と棋戦が
生活の張りになっており、
その間はオフ感がある(笑)。

この十日間で、
体調を整えて
何かしら一つ書き物仕事を
成就させたいとも考えている。






ツタヤ・ブラウジングしてたら
新刊マンガコーナーに
愛読している3冊が出てたので
買ってきた。

レンタルなら
一日60円で借りれるのだが、
生憎とこの三冊は
置いていない。

コミック単行本は
長らく一冊ワンコインの感覚だったが、
今や700円ほどまでに
値上がりしてしまった。

古書店に並ぶのを待ってれば
半額くらいにはなるのだが、
やはり新刊という「旬」を
味わいたいという情がある。

昭和人間の奇癖で、
未だに新刊書を買うと
真ん中あたりをベラッと開いて
鼻を当ててはクンクンと
刷りたてのインク香を嗅いで
陶然とする(笑)。






きのうも
最近よく寄ってる弁当屋で
チャーハンと餡子餅を買って
ベジ弁とのランチにした。

せっかく
デザートの餡子餅だったが、
口にしてみると
硬くなっていて
ガッカリだった。

この弁当屋、
家族総出の手作り感があるのだが、
スーパーなどに卸してるせいか、
成分表を見ると
けっこう添加物を使っており、
もうそろそろ
やめ時だなぁ…と、思った。







クルマの主治医である
『光色自動車』から
注文していたハード・オイルが
入荷したというので、
取りに出かけた。

先代の社長の代から
30年近い付き合いで、
家族全員のクルマを
買ったりしているので、
定価一万数千円のを
7500円という卸値だった。

ダイソーで園芸用の
110円ジョーロを買って、
これで、ふた月に一度、
オイル補填をして
メンテしていくつもりである。

オイル漏れの根治療法は
エンジン交換や
オーバーホールだと
十数万かかるが、
燃焼分の補填だと
1年半くらいの分量で
7500円というコスパなので
こっちの対症療法を選んだ。







大阪に引っ越しても
「リク坊」は元気そうで
安心した。

東京での保育園にも
すぐに適応して
分離不安がなかったというから、
日頃、しっかりと親の愛情を
取り込んでいるのだろうと
感心した。

最近の研究では、
この「取り込み力」
(introjection)が弱いと
分離不安や
思春期挫折症候群のような
不適応が起こる
と考えられている。

発達障害系の子は
総じてその傾向があるので、
遺伝子レベルの性質のようである。




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大阪家族

2021-09-16 06:47:00 | 家族
5月に先発隊で
大阪に単身赴任していた
フミ吉のところに、
やっと東京の母子が引っ越して
また三人家族の生活が
無事スタートしたようである。




休日には、
そっそく京都巡りをしてるようで、
フミにとっては
生まれ故郷で5歳まで過ごしたので、
トーチャン/カーチャンに連れられて
ほぼ全ての寺院を廻ったので、
もしかしたらデジャヴュ感が
あるやもしれぬ。

8年間の在京中に
拝観できなかったのは、
桂離宮、修学院離宮、苔寺だけで、
あとは末寺の塔頭に至るまで
二巡りくらいした。

中でも、
偏愛のある個所は
近所の東福寺で、
その本堂と塔頭の
「芬陀院(雪舟寺)」は
何度訪れたか分からない。




乳児・幼児期のフミを
連れて歩いた京都を、
親になって我が子を
連れている姿を見るのも
なんだか感慨深いものがある。

"りくぼう"に
ここがお父さんの生まれた処だよ、
と声をかけたかどうか…(笑)。

りくぼうも
久しぶりに両親が揃って
晴ればれしたいい顔をしている。

宇治の平等院も
幾度も訪ねたが、
正面のお堂の観音開きが
閉ざされている光景は
初めて見る。

これもコロナ禍の影響かもしれないが、
こういう時だからこそ
阿弥陀様のご尊顔を拝したい
と思うのだが…。

京都の坊様も
仏様を観光物扱いしたり、
私物化するというのを
80年代の市の古都税導入時の
「拝観停止」問題で感じた事がある。





冷凍パイ生地を使って
『キッシュ・ロレーヌ』を
こしらえてみた。

YouTubeの
『ポールボキューズの料理教室』
を視て、ちゃんとした
パナード(ホワイトソース)の
作り方を勉強した。






オフ日だったので、
『セカンドストリート』を
ブラウジングしてきたら、
新品で3000円の定価のものが
ワンコインであったので
3枚選んできた。

ロゼのアシェット(大皿)と
合わせてみたら、
どれもエレガントな感じだった。

キッシュは
定番のトリアングル(三角)には
デクパージュ(切り分け)せず、
セルクル(丸型)で抜いて
深皿の形状に合わせてみた。







ラスター彩の
ドーナツ型のは
カミさんに受けていて
「カワ(・∀・)イイ!!」
と喜んでいた。









今朝の
全国紙朝刊の地方欄に、
福大教授様が
淫行でクビになった事が
出ていた。

当然の処遇である。

これで、もし、
譴責(けんせき)とか
減給のような
身内に甘い処分だったら、
OB会として
学長に談判するつもりだった。

当人は如何に猛省しようが、
全国の男性カウンセラーの名誉も
大いに失墜させた事の大罪は
失せるものではない。

これで、
福大の心理学教室も
"曰く付き"の穢れを
背負わされてしまった。

こうなったら、
変態教授様と同年齢で
同高・同院・同教室出の
カウンセラーです…
とでも自虐的に公然と
ギャグにするより
仕方がないなぁ…。

ハァ~…(〃_ _)σ∥



**********


『魂理学試論』12


「この世はリアルな夢?」



 
 時折、この世は「自我」という意識がみている夢ではないか…という思う事がある。

 睡眠時の夢には、荒唐無稽なものが多いが、それでも、様々な人が出てきて、様々なアイテム、様々なシチュエーションが設定される。

 それは、あたかも、もう一つの現実のような気がするが、全てが脳内で作られた「自作自演」のものなのである。

 なので、ユング心理学では、夢分析に於いては、解釈をする際に、主体水準と客体水準とに分けて考える。

 自分以外にAという人物が登場した時には、実際のAにまつわる自由連想をしてみて、腑に落ちる事を探し当てる。
 それが客体水準であり、主体水準では、そのAも自分自身と考えて、それにはどういう意味があるのかを考える。

 これを敷衍してみると、現実世界のAさんも、時に、自分が創り上げている幻影、「一つの生涯」という物語に登場させている人物の一人なのではないか、という気がする時があるのである。

 そのAさにも自意識があるということは「自明」のようで、証明のしようがない。
 なぜなら、夢の登場人物でさえ
「あなたは、本当に生きているんですか?
自意識があるんですか?」
 と問うて、
「なに馬鹿な事を…。
 あるに決まってんでしょ」
 と、けんもほろろに答えるだろう。



 解離性障害や離人症になると、現実感が希薄になる症状が現れる。
 これは、脳内の生理的異常によるものとされる。

 脳神経系の伝達物質のバランスや視覚系-聴覚系の連合が乱れると「現実感」が正常に感知されなくなるのである。

 自分にも最近、解離性の症状が起きたが、危なく「自失」する前で、なんとか踏みとどまってくれたので幸いした。
 
 卓球部の中学生男子もカウンセリングで
「ボールを打っている実感がないんです。
 ボールを打ってるのは、いったい誰なのか分からなくなる」
 と言ったのを聞いたことがある(笑)。

 健常者から見たら、馬鹿げた事に聞こえるだろうが、この離人感という異常症状は薬物治療で改善した。
 
 健常者でも、ドラッグや酩酊により、現実見当識が正常でなくなることはよくある。

 亡父は、癌切除後のベッドで、全身麻酔から覚めると、天上を指さして
「モルモット…モルモット…
 天上の処を飛んでる」
 と言って、看病している母親や我われを笑わせてくれた(笑)。

 麻薬の覚醒時幻覚を見たのだろうが、彼には、その時、現実見当識も低下しており、覚醒していながらの現実と感じたのだろう。

 主体水準では、かくばかりに、この世の現実といえども、薬物ひとつで簡単に違って認知されるのである。

 この場合、彼以外の他者にとっての外的現実では「誤謬」なのだが、彼自身の内的現実(心的現実)では「真実」なのである。

 我々は、夜見る夢と現実の違いは明らかに区分できているが、現実の中でも、「夢のような出来事」はしばしば経験する。

 たとえば、今現在の「コロナ禍」の渦中も、まるで「悪い夢」を見ているようだ。

 3.11の震災も原発事故も、過ぎた事だが、「ひどい夢」のようであった。



 本当の客観性というのは、有り得ないということをよく描いているのが、芥川の『藪の中』という作品であり、これは黒沢監督により『羅生門』として映画化された。
 その内容は、一つの事件を体験した4人が、言う事がてんでバラバラなのである。
 まさに、現実とは、各人にとって、主体水準での解釈に過ぎない、ということをよく示している。

 さて、今の魂理学的問題は、様々な領域のアナロジー(類推・類比)によって考察すると、「一にして全 全にして一」という事から、この現実は、自分の意識が創り上げたものである、という見方も成立するような気がする。

 それは、他者に自意識があっても別にかまわない。
 
 宇宙における現実は、3次元の動的な曼荼羅的に、重なり合い干渉しあって存在しているとも考えられるからである。

 この宇宙が誕生して、138億年して、自分の固有の自意識を「自分で認知」している。
 前世も来世も、とりあえずは横に置いておいて、兎も角、今現在、ここにおいて「自意識」が働いて、外的世界を感知・認知している。


 





















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