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『人生を遊ぶ』

毎日、「今・ここ」を味わいながら、「あぁ、面白かった~ッ!!」と言いながら、いつか死んでいきたい。

  

名誉孫に癒される

2021-03-12 06:22:00 | 藤井 聡太
昨日は
3.11から十年目という
節目(せつもく)であった。




勤務校に到着すると、
澄みわたる弥生の空を背景に
白地に赤く染まった日の丸が
弔旗として掲揚されていた。

コロナ禍の今、
全校集会は放送で行われ、
全校生が教室で起立し、
一分間の黙とうを捧げ、
その後、学校長の訓示があった。

自分も
仕事の手をとめて、
生徒・職員共々、
黙とうを捧げた。

ほんの10年前に
2万2千もの尊い人命が
失われた大災害であった。

今現在も、
大規模余震の頻発にも
常時、備えなければならず、
原発事故処理の進捗も
モニタリングし続けなければならない。

そこに
感染症対策も気が抜けず、
まことに、緊張感のある
老後と余生である。





そんな
ピリピリとするような日常に
「天国」のような三日間を
愛孫のリク坊と共に
体験させてもらったのは、
有り難き事の極みであった。

出会いの大いなる喜びは、
別れの大いなる哀しみでもあったが、
そのどちらも体験させてくれて、
あの小さな人に
心理師として人間として
成長させてもらった気がした。

ありがとね。
リク坊ちゃん。






ご主人が入院中で
失意の生活を送っていた
齢八十の叔母も
リク坊の可愛さと
生命力の溌剌さに
すっかり活力を得て、
「絵本買ってきたから
リク坊ちゃんに送ってあげて」
と嬉々として
電話をよこした(笑)。






孫ロスと
待ったなしの多忙な臨床とで、
心身共に疲弊気味だが、
YouTubeで
ソーちゃんの新しい
「伊右衛門」のCMを見て
だいぶ癒された。

共演する芦田 愛菜ちゃんとの
スペシャル対談も微笑ましく、
16と18の才人の二人は
年柄も近く、人柄も似ていて
お似合いのカップルだなと
以前から思っていた。

羽生ちゃんと
畠田 理恵が結婚したように、
ソーちゃん/マナちゃんも
国民の誰もが納得する
カップリングである。

小柄なマナちゃんと並ぶと、
ソーちゃんのガタイがいいのに驚く。

別バージョンで、
本木 雅弘との
共演後の対談では、
モッくんが
「想像していたよりも、
藤井さんがガッチリしていて、
地に足が付いていたのが
意外だった…」
と感想をもらした。





3.11来、ずっと
支援物資を送り続けてくれている
元・同僚でギター弟子でもある
赤穂在住のガッチャンから、
ハーブティーとマヌカハニーの
セットを頂戴した。

ブログを見てくれていて、
慢性気管支炎が続いてるので、
蜂蜜ティーを選んでくれたようだ。

そのお気遣いは
有り難く、いつも、
令状メールでは、
「感謝感激アメアラレ」
という、しょーもない
定型句で謝意を示している(笑)。

きのうも
3.11の記憶が
おぼろげだという
JCふたりに、
震災当時の様子を
「語り部」爺となって
講釈師のように語って聞かせた。

現実の地獄を見た者だけが
語れるリアルさ、迫真性に、
子どもたちは圧倒され
涙を浮かべていた。


ガッチャンの元・自衛官の御主人が、
遠路はるばる、赤穂から
20㎏近い支援物資を
自衛隊の迷彩バッグに
キチキチに詰めて
東京からバスを乗り継いで
福島まで来てくだすった美談物語も
語られた。


***


新潟在住のギター部の先輩
ヒロミさんから、
ナッちゃんが6年在学した
かの地を離れるに際し、
懐かしい『マドンナ』を頂戴した。

在京中には、
しばしばターフェル・ヴァィン
(テーブル・ワイン)として
愛飲していたものなので、
カミさんも
「久しぶりで、懐かしいねぇ…」
と、しみじみ味わっていた。

ワインラックから取り出し、
大きな陶器に氷水を張って、
ゆっくりと冷やした。

3.11の晩でもあり、
リク坊が帰ったばかりでもあり、
何となく
「聖母の乳/リープフラウミルヒ」
と言われる一本に
手が伸びた。

家族三人で
3.11追悼とリク坊ちゃんの
健やかな成長を祈る気持ちで
献杯・乾杯した。







震災10年目

2021-03-11 07:36:00 | 大震災/コロナ禍
夢のような
リク坊との三日間も
あっという間に過ぎ去って、
今は、なんだか…
"孫ロス"のようで
ずいぶんと落ち込んでいる。

毛穴が開くほど
喜びすぎて、
全身の細胞が活性化して
"オン"状態になったので、
セロトニンやらが
いっぺんに放出されて…
今はポスト・フェステム・シンドローム
(祭りのあとの寂しさ)
に陥っている。





でも、会えてよかった。

ほんとに、よかった。

 孫あり
  遠方より来たる
   われ嬉しからずや

・・・である(笑)。

そして、
リク坊を見つめる誰もが、
幸せな気分になり、
自ずと笑みがこぼれた。

まだ何もできない
赤子だが、
その「存在感」の大きさには
驚かされた。

まさに、
「Doing」以上の
「Being」の偉大さである。





三日目の朝は
その別れが辛かった。

じっと見つめる
リク坊の
澄んだ瞳を見たら、
思わずウルッときた。

亡き父が、
孫たちを引き上げる段になると、
車窓まで寄って来て、
必ずや
「また、来いよぉ…」
と哀願するように
声かけをしていたのを
まざまざと思い出した。

同じ市内の
近所に住んでたから
毎週末に来ていたにもかかわらず、
父は毎度、毎度、
「また、来いよぉ…」
と言っていた。

幼い子どもたちの耳にも
その優しいかけ声が
残っていたのか、
父への弔辞では
小1だったフミが
「おじいちゃん。
いつも、また来いよぉ…
と言ってくれてありがとう…」
と読んでいた。

ほんに、
リク坊との
しばしのお別れで
抱き上げて相対した時も、
「また、来いよぉ…」
としか、
言葉が出なかった。

乳児のフミが
初来福して、
京都に帰るという朝、
父は出勤を遅らせて
新幹線のホームまで
見送りに来てくれ、
その小さな手に
ジジからの「初めて」のお小遣い
(聖徳太子)を握らせてくれた。

なので、自分も、
その家庭文化を伝承して、
リク坊に「諭吉さん」を手渡したら、
ちっちゃな手のひらで
つかんでくれた。

「お母さんに
美味しいものや、
ご本を買ってもらいなよ…」
というジジに
リク坊はキョトンとしていた(笑)。

抱いてると
いつまでも未練が残り、
別れ難かったので、
彼を下ろしてバイバイした。

その視線を背に感じながら、
いつものように
出勤しようとしたが、
なんだか、切なくって、
胸がキューンとなって、
車をしばらく走らせると
涙がポロポロ流れた。

( ;∀;)

ちょうど、
通退勤の車内で
中村先生の仏教学のレクチャーで
「愛別離苦」という
四苦八苦の一つを
耳にしたばかりだった。

愛するものと
別れ離れる哀しみ…。

クルマが進めば進むほど、
リク坊から離れていくのが
恨めしかった。

よくぞ、
事故に遭わなかったものだ、
と後で安堵するほど、
学校につくまでの16㎞、
30分あまりの通勤路の記憶が
はっきりしなかった。

さながら
ASD(急性ストレス障害)による
解離症状のような
呆然感で運転してたのだろう。

***

滅多にない
哀しい別れを経験して、
「外孫」「内孫」なる
対語を思い起こした。

自分は、
祖父にとっては「内孫」で、
彼はかねがね
「いっとまご(一等孫)」と
冗談半分で
近所の爺連に自慢していた。

それは、
「外孫」より
一等可愛いという
意味だったのだろう。

だったら、
彼は幸せだったろう。

死ぬまで、
孫と同居できていたのだから。

亡父は、
京都から帰福した時、
アキがリク坊くらいだったので、
「もう、これから、ずっと、
おじいちゃんと一緒だよぉ…」
と頬ずりしていた。

同居はしてなかったので、
自転車で20分ほどの距離を
ものともせずに、
日曜の朝になると
我が家にやって来ては
まだよちよちだったアキを
拉致していった(笑)。

「また、アキちゃん、
さらわれちゃったねぇ…」
と、カミさんも
その溺愛ぶりに苦笑していた。

その意味では、
父も幸福だったに違いない(笑)。

週末には、
必ずや実家に
孫を連れて行っていたから。

コロナ禍で
東京に生まれたリク坊とは、
運命のいたずらで
10ケ月も初対面が叶わなかった。

でも、その間の
初孫への思慕の高まりは、
初対面が実現された時に
いっきにスパークした。

なので、今は、
あたかも、
「受精を終えたサケ」
のようなヘロヘロ状態である(笑)。

それでも、
リク坊ちゃんは
楽しい想い出、
印象的な笑顔を沢山
置き土産として
残して行ってくれた。

フミがわざわざ
置いていった
プレゼントの
ジャンボ・レゴも
「また、来るよ」の
約束手形のように見えた。

思えば、
あんな可愛い孫を
未だ緊急宣言発令中の都内から
意を決して連れてきてくれたのは、
素敵な結婚式への招待来の
ビッグな「親孝行」であった。





カミさんが
仕事から帰ってくると、
第一声が
「リク坊ちゃんが帰ったら、
嵐の後の静けさだねぇ…」
と、意気消沈する
トーチャンを見ながら
慰めてくれた。

ナッちゃんが
就職上京する2週間後まで
在宅しているので、
久しぶりの三人食卓で、
カミさんがぽそりと
「孫の離乳食つくってやる
おじいちゃんなんて
いないよぉ…」
と、慰めとも賞賛とも
とれる言葉をかけてくれた。

毎日、
自分のベントや夕食、
"ぼっちフレンチ"を
当たり前のように作っているので、
別に意にも介してなかったが、
そう言われれば、
波平爺さんがタラちゃんの
赤ちゃんの時に、
せっせと台所に立って
離乳食作る場面は
想像し難いかも…(笑)。

ジャガイモをつぶし、
人参をピューレにし、
卵を炒ってちょいと甘味をつけ、
豆腐を賽の目に切る。

それが、
愛孫の口に入るかと思うと
家族や自分のために作るよりも
一段と心がこもるものである。

しかも、
いつもの"ぼっちフレンチ"の癖で、
ブログアップ用に
撮影までしてるから、
≪フレンチ・シェフならこう創る≫
みたいなコンセプチュアルな
離乳食になったかもしれない(笑)。

でも、いいやい。

リク坊が、
「ンマーッ!!
チュッパ、チュッパ」
と、パークパク
平らげてくれたので
シェフは幸せでありんした(笑)。





きのうは
リク坊「ロス」で
呆然としてたので、
朝10時開始の恒例の
ソーちゃんの順位戦を
すっかり失念していた。

やっぱ、名誉孫も
本物孫には
かなわないんだなぁ…(笑)。

お昼ごろ、
学校で気が付いて
スマホのアベマ中継を
ミュートにして
付けっぱにしながら
仕事をしていたが、
途中で電池がなくなった(笑)。

いつもなら、
ACコードを持参して
電源確保しながら観戦しているが、
なにせ、昨日ばっかりは
「いつも」と違ってたので…(笑)。

急性「対象喪失症候群」に
罹りながらも、
ご新規さんを入れて
五人もフルタイムで
カウンセリングしたものだから、
帰宅時には、体調が崩れ、
夜の自宅カウンセリングを
キャンセルさせてもらった。

7時頃、ベッドに入って
足元の大画面で
将棋観戦をしながら
安静療養しようと
横になった途端に
爆睡してしまい(笑)、
覚醒した11時半頃に
ちょうど、終局していた。

┐(´Д`|||)┌ ネオチシタ…

もう、その先の
解説やらも、さっぱし
見れるような状態でなく、
すぐに、二度寝に入って、
今朝の6時まで過眠した。

今日は、
なんとか、立ち直って、
これから出勤である。






10年目の3.11の日である。

厳粛な気持ちで
2時46分には
黙祷を捧げたい。





こないだの
震度6の余震では、
古楽器工房はまだ手付かずで、
電動工具類がひっくり返った
まんまである。

故障の有無もわからない。




壊れたPCモニターや
オーヴンレンジなぞ諸々は、
先週、クリーンセンターに
持ち込み「災害処分」という
レッドカードをもらって
片付けてきた。




2021-03-10 03:29:00 | 家族
はじめて合ふ
 いのちといのち通じ合ふ
  あやすわれ見て
   顔笑む赤んぼ

このわれを
 祖父とせし人今日を来て
  よちよちあるく声をあげつつ

赤んぼに
 こゑかけあやすおばあさんの
  そのかたはらのおぢいさんわれ

わがこころ
 洗ひ清めてくるる笑み
  見せてくるるよこの幼な孫

               碧水歌






最初は泣かれた
リク坊ちゃんも
だんだんと慣れてきて
泣かなくなかったが、
一晩寝て、翌朝には
前の日の記憶が
リセットされたのか
朝一の顔合わせでは
「あなた、だーれ?」で
また泣かれてしまった(笑)。




でも、また、
すぐに慣れてくれた。

やっぱ、
二親等の血の濃い
ジーチャンだもんねぇ。

遺伝子はちゃんと
識別してるよ(笑)。












カミさんは、さすがに
ダンゴ三兄弟を
育て上げただけあって、
男の子の扱いは
見事なもので余裕で
片手抱っこしていた(笑)。

ジーチャンは、
なんだか
グヤジイ!!(笑)。




叔父ちゃんの
ナッちゃんも
オトーサンに似て
面長なので、
リク坊も顔をいじりながら
「なんだか、
オトーチャンに似てんなぁ…」
と不思議げな顔をしていた(笑)。

たまたま、
リゾート温泉に
「絆」という石碑があったので、
まさしく、家族のそれを
感じるようだった。



80歳になる叔母ちゃんも
駆けつけて、立派な
花籠をリク坊にプレゼントしてくれた。

この叔母とて、
彼とも血が繋がっている。

フミが赤ちゃんの頃は、
京都まで来てくれて、
抱っこしてくれたので、
その息子も抱っこできるとは
長生きはするもんだ…と、
感激していた。

これもまた
「絆」である。



もう、今日には帰ってしまうので、
ゆんべは食後のデザートタイムに、
全員での記念写真を
リモートで撮った。

リク坊がなかなか
カメラを見ないのと
笑顔が出ないので、
幾枚もとったが、
やっと全員笑顔のが
一枚撮れてくれた。

リク坊を中心とした
幸せな「佐々木ファミリー」の
『絆』を思わせる一枚である。





日頃から夕飯や
"ぼっちランチ"を作りつけている
ジーチャンの離乳食を
リク坊ちゃんが
きれいに平らげてくれるので
料理人としても
無上の喜びを感じられた。

今日には、また、
しばらくサヨナラするので、
最後の離乳食をこしらえてあげて、
生リク坊の姿を
しっかり目に焼き付けてから
仕事に出たいと思っている。




リク坊がやってきた!!

2021-03-09 05:42:00 | 家族
きのうは
初めて我が家に
初孫の「リク坊」がやって来る
というので、朝からソワソワして
落ち着かなかった。

いつ頃、着くのか
連絡がなかったので、
勝手に想像して、
早朝に出たら
東京からの高速なので
午前中かもしれない・・・と、
車の音がするたびに
窓際に駆け寄っては
ガッカリしていた(笑)。

「来るか、来るか・・・」で
"来るか疲れ"してしまった(笑)。

「まだか、まだか・・・」で
"まだか疲れ"とも言う(笑)。




三月三日は過ぎたが、
育児でそれ処ではなかったろう
ミカちゃんの為にも
玄関室礼の「雛飾り」を
改めずにおいた。

叔母宅から頂いてきた
枝垂れ桜が
水を吸い上げて
いいあんばいにポツリポツリ
開花してくれていた。

「立ち雛」「菱餅」「枝垂れ桜」
の薄桃色が、はんなりして、
たおやかな春と、
可愛い初孫の到来を
寿ぐかのようである。





昼過ぎの2時頃に
ミカちゃんからメールが来て、
今出たところなので、
6時前には着きます・・・
とのことだった。

だので、
帰省中のナッちゃんを入れて
大人五人分の夕食と
リク坊の離乳食のしたくにかかった。

前夜にカミさんが作った
煮物が大量に残ってたので、
味の滲みたジャガイモ、
ニンジン、ダイコンを
それぞれマッシャーで潰して
ラムカンに分け、
見栄え良くウェッジウッドの
オーヴァルにドレッセした。

食事の支度を終えて
ひと風呂浴び、
スポーツドリンク飲みながら
まったりしてる処に
チャイムが鳴った。

「来たー!!」

ε=ε=ε=ヾ(*。>◇<)ノ

待ちに待った
「リク坊」の御到着である。

なにせ、我が家の
皇太子である(笑)。

玄関の扉を開けると、
フミに抱っこされたリク坊と
目と目が合った。

リク坊・・・

(∗´ര ̫ ര`∗) 



(;´・_・`)


。・°°・(;>_<;)・°°・。ウワーン

ジーチャン・・・

ヤッパシ・・・。。(〃_ _)σ∥ガックリ

見事、大泣きされてしまった(笑)。

こっちの顔をチラ見しては
怯えたように顔をゆがめ
大泣きして
オトーサンの胸に顔を埋ずめる。

何度も、何度も・・・(笑)。

ハリャ… ┐(´Д`|||)┌ ダミダコリャ…   

ほんでも、
泣き止んだら、
ジーチャンの作った
離乳食ディナーを
オカーサンに抱っこしながら
オトーサンに食べさせてもらい、
ごきげんもなおって、
もっとくれサインの
お口チュパチュパしてくれて
嬉しかった。




バーチャンは、
きょう後半休とるので、
その為、残業で
遅く帰ってきた。

悔しい事に、
バアさまの顔を見ても
ちっとも泣かずに
素直に抱っこされていた。

ストレンジ・シチュエーションに
順化したせいなのか、
ダンゴ三兄弟を育てた
ベテラン母親だから
ツボを心得ているのか、
もう、しっかり、おひざに抱っこで
きげんよくしてるから
「ジーチャン、
おもしろくねぇ…」
とスネ夫になっちまった(笑)。

それでも、
ひとり遊びして
ごきげんがなおってからは、
ジーチャンにも平気で寄って来て、
ライオンのぬいぐるみを
顔にけしかけると
キャッキャッと笑ってくれた。

そして、
抱っこしても
安心して身を委ねてくれた。

ジーチャンだって、
ダンゴ三兄弟を抱いて育てた
ベテラン・トーチャンだったんだかんなぁ!

三男のナッちゃんが
24歳になったので、
ほんに23年ぶりの
赤ちゃん抱っこである。





リク坊を抱っこしながら、
ピアノに向かわせると
両手を使って
ギャンギャン打鍵したので、
右足でペタルを使って
ロングトーンにし、
その音に呼応して
自分もコントラ・プンクト
(対位法)的に打鍵して、
"マゴ・ジジ"連弾となった(笑)。

ソーちゃん流に言えば、
こりゃ
「望外の僥倖でありました…」(笑)。



きょうは、
バア様も午後休を取ったので、
家族全員で高原の温泉で
リゾート、リフレッシュ、
リラクゼーション、レクリエーションの
「4R」をしてくるつもりである。

今朝、気付いたら、
ジーチャンとリク坊の
ツーショットが
まったくなかった。

それだけ、
孫に気を取られていたんだろう(笑)。


りく坊がやってくる!!

2021-03-08 07:20:00 | 家族
快晴のきのうは
絶好のフキノト日和(笑)。

今春、三度目の
びっき沼ハンティングへと
赴いた。





吾妻山の一切経からは
噴煙がくっきりと上がり、
活火山の街に棲んでいる事を
意識させられる。

いつ、突然の大噴火に至り、
ハザードマップに示された
火砕流が山を下ってくるか、
覚悟と用心だけは
油断なくしておかなくてはである。

3.11からもうすぐ10年になるが、
連日、特集番組やら特集記事が
放映、報道されている。

あの頃、流行った
「想定外」という決まり文句は
裏を返せば
「リスク・マネジメント」が
全くなっていなかった、
ということでもある。

それが、
この10年目の検証でも
取り沙汰され、
さらに、コロナ禍の
後手後手の対応も
同質の「精神主義」や
「楽観主義」が見られている
と識者に指摘されている。

太平洋戦争でも、
机上演習で
米軍の艦船・航空数が上で
何度、模擬戦をやっても
敗北の結果が出ると、
上官が敵方の戦力を
半分と想定してやってみて
それで勝つだろう・・・という、
非現実的、非合理的な事をやっていた。

これこそ本末転倒で、
検察庁が有罪にしたいが為に
被疑者の証拠を改ざんしてまで、
自分たちの「シナリオ」を
正当化しようとした事件にまで通ずる
日本人の歪んだ「ご都合主義」である。

それが、今回のコロナ処理にまで
尾を引いていて、
国民を苦しめているとしたら、
なんとか、この精神構造を
修復すべく「声」を上げねばなるまい。






フキノト採りの帰路、
いつも目が奪われていた
きれいなコケのクラスターから
端っこの部分を採集して
久しぶりに苔盆栽を
二鉢創って神棚に奉納した。

立ち木に見立てのは、
花芽を付け始めた
庭の木瓜(ボケ)である。












フキノトが
20ケほど採れたので、
半分は叔母宅に寄って
お裾分けしてきた。

そしたら、
「銀座に志かわ」の
高級食パンを
半斤頂いた。

ついでに、
りく坊が初めて
我が家にやってくるので、
玄関に花木を飾って
出迎えたいと思い、
庭に咲いていた枝垂桜も
二枝ほど頂いてきた。




山でタダで採集してきた
フキノトが
高級食パンと花木に化け、
まるで『わらしべ長者』だなぁ・・・
と、ひとりほくそ笑んだ。





玄関室礼には、
雛飾りを「名残り」として、
そのまんまにしてあるので、
薄桃色の枝垂桜の咲き始めが
まことによく合っている。

初孫と初対面する
茶人としての祖父の
「貧者の一灯」じゃないが、
もてなしの心尽くしである。






♩ 一週間に、十日来い ♩

・・・という、
昭和の歌謡曲があった。

【一日千秋の思いで待つ】
というのは、
今日のような日なのだろう。

去年の五月に生まれた
初孫の「陸」君が
両親のフミとミカちゃんと共に、
フクシマにやってくる。

コロナ禍のせいで
10ケ月目にしての
初のご対面である。

人見知りして
泣かれないといいのだが・・・(笑)。

動画でさえ
可愛いのだから、
"生"リク坊は
どれほど可愛いんだか・・・。

叔母さんにも
吹聴してきたら、
吹っ飛んで見に来ると言う(笑)。

その昔、
京都に来てくれ、
まだ幼児だったフミを
抱っこしてくれた事があったので、
その息子が出来たのだから
80になる叔母も
感慨深そうだった。