『人生を遊ぶ』

毎日、「今・ここ」を味わいながら、「あぁ、面白かった~ッ!!」と言いながら、いつか死んでいきたい。

  

コロナ禍でも…

2020-11-20 05:27:00 | ノンジャンル
コロナ禍でも
11月の第三木曜は
ちゃんとやってくる。

職場の帰りに
スーパーに寄って
『ボージョレ・ヴィラージュ・ヌーヴォー』
を買って帰った。

今年は、
『SEIYU』で求めたので、
『フランソワ・フッシェ』という
初めてのネゴシアンだった。

しかも、
普通価格で
「ヴィエイユ・ヴィーニュ」
という樹齢100年以上の
古木から採集した
葡萄のものだった。

お茶も葡萄も
古木ほどタンニンが
少なく甘く仕上がる。




独特のヴァイオレット・カラーを愛で、
次いで、ガメイ種のブーケを嗅ぐ。

ヴィラージュの
ヴィエイユ・ヴィーニュ
というだけあって、
ボディがしっかりしており、
厚み感、コクがある。

濃厚な葡萄ジュースに似た
アロマが鼻腔から抜けた。

コロナ禍であっても、
2020年の畑は、
まずまずの良作年のようだ。








仏教学の泰斗・
中村 元(はじめ)先生の
連続講義のCDを
毎日、車中で聴いている。

コロナ禍の今だからこそ、
「生きるとは」
という命題が
重くのしかかってくる。

中村先生の語る釈尊の教えは、
いずれも、宗教というより
人生哲学という意味合いの方が
強く感じられる。

普段、心理学や大脳生理学的に
クライエントの「こころ」の問題を
扱っていると、それだけでは、
人間の「存在」というものを
ホーリスティックに理解するのは
不可能であるという思いを
強く抱いている。

「悩み」や「苦しみ」
を取り扱う心理臨床家は、
「哲学」的な視点を欠いていては
プラクティカルな現場では
"片手落ち"感や"盲目"感を
禁じ得ない。

心理師/カウンセラーは、
常に、悩める人・病んだ人と
相対する仕事なので、
専門知識は「必要条件」だが、
それだけでは「十分条件」は
成立しない。

やはり、
人(にん)が大事であって、
それには、フィロソフィーを
持っているかということが、
「十分条件」を満たすことに
なるような気がしている。



中村先生の講義の中で、
華厳経の「重々無尽」というのを聴いて、
全ては無数に繋がって重なりあっている、
ということから、また、
量子力学の「重ね合わせ」や
「量子のもつれ」等との相似性が
思われた。

ただ、この事については、
YouTubeなどでも、
一部のスピリチュアリストたちが、
最先端の量子力学の成果を
「虎の威を借りる狐」みたいに援用して、
鬼の首でも取ったかのように、
我こそが<宇宙の真理>を発見したと
喧伝しているのには
辟易させられている。



「十界互具」という考えにも
驚かされた。

「十界」とは、
地獄・餓鬼・畜生・修羅・人・
天・声聞・縁覚・菩薩・仏
の十種類の境界のことである。

「迷い」から「悟り」までの
各ステージといってよい。

十界互具とは、
十界のそれぞれが
十界を具えていることで、
地獄も十界を具え、
仏も十界を具えている
というのである。

当然、人も
地獄から仏界までの
十界を具えている。

それゆえに、人は
地獄の境界に堕ちもし、
仏の境界にまで昇ることも
出来るのである。

コロナ禍の今、
アメリカでは25万人も亡くなり、
日本では感染者差別が
各地で蔓延している。

まさしく、
この世の「地獄」でもあり、
こころの「鬼」が跋扈している。

マザー・テレサは、
「神と同じくする人は
 神になる」
とも説いた。







連日、ニュースで
コロナ感染者数が
過去最高となったと
喧(かまびす)しく報道されている。

一方では、
米二社ではワクチン開発に成功し、
95%のベネフィットを謳っている。

企業広報では、
クリスマス頃のプレゼントになるだろう
と言っている。

スローガン好きの
小池都知事が
また「5つの小」なぞという
ケッタイなフリップを
会見で示していた。

少人数・小皿・小まめに…
あと、なんだっけ…(笑)。

ジジイには、
「三密」も、
密談・密会…と、
正確に覚えられない(笑)。

「三密・五小」かぁ…。

これから、
会食会、忘年会が
三つもあんだけどなぁ…。






PNES(心因性非てんかん発作)
と診断されたJCが、
カウンセリングと箱庭療法で
発作がなくなってきて、
共々に喜んでいる。

直近の箱庭作品には、
係留してあったゴンドラが
水路に漕ぎ出し、
水辺にある「駅」に向かっている。

駅前の高台にはピアノがあり、
作品名は『駅ピアノ』だという。

今、ピアノのお稽古を再開し、
ショパンのノクターンを
練習しているという。

水辺には椰子が繁茂し、
ゾウとキリンの親子が
寄り添って憩っている。

これらの
ノンバーバル・アウトプットと
発作の消退には、
意味のあるコンステレーション(布置)が
認められる。


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コロナ・虐待・・・激増

2020-11-19 05:54:00 | 季節
朝のニュースで
京都の善峯寺の紅葉が映しだされ、
懐かしく感じた。

在京中には、
故郷から友人・親戚が来るたびに
よくお連れした寺でもある。

近くには、
ゴルフのショートコースがあり、
ここにも練習に
先生方とよく行った。

途中には、
松方弘樹と仁科明子夫妻の
プール付豪邸があって、
いつもその前を通って行った。





8年間の在京中には、
ほぼ全ての寺社を巡り、
拝観帳なぞを置いてあった寺では、
よく印象記を短歌にして
残してきた。

善峯寺でも、
臥竜松に感激して、
それを呼んだ記憶がある。

百日紅(サルスベリ)が
咲いていた頃にも
よく訪れた。






コロナの第三波が
かつてない
ビッグウェーヴになっている。

海外では、
二社がワクチン開発に成功したという
朗報も舞い込んできているが、
95%の効果を謳っているものの、
国内の専門家の間では
まだ慎重論が多いようだ。

しかし、
背に腹は代えられぬで、
"今、そこに迫っている危機"
であれば、多少リスキーでも
投与を受けるのも
自己責任でやらなっきゃである。



同時に報じられているのが、
児童虐待の深刻化である。

教員時代の80年代に、
京都アバンティのブックセンターで
イギリスの「児童虐待」関連本を見つけて、
いずれ、日本にも、こういう潮流が
顕われるかもしれないな…と、
参考に買って勉強したことがある。

そこには、
虐待防止のマニュアルが記されてあり、
虐待の心理についても触れられていた。

当時、国内の書籍には
「虐待」関連本は皆無だったので、
興味深く読んだものだったが、
それが、今日、これほどまでになるとは
夢にも思っていなかった。

しかも、
カウンセラーとして
現実にその対応に追われる日々である。

40年前に、
直感的に手に取った一書が
将来の自分の仕事に
直結していたのである。







オフ日は
糖質制限食餌療法で、
肉料理ワンプレートに
赤ワインとパン一切れ、
というのが
近頃のメニューである。

珍しく、
スーパーで合鴨を見つけたので、
スライスしてあったのを
寄せ集めて塊にし、
グリルパンで脂部分を
焼き切って脂肪を落とし、
ついでにゆっくり火入れした。

カリリとした皮目が
焼き鳥風で香ばしく
なかなか味わいがあった。

ただ、合鴨は
やっぱり真鴨に比べて
味が薄く、旨味には
物足りなかった。

ハーブガーデンの
フヌイユが花をつけていたので、
これも肉に合わせて
エディブル・フラワーとして
やってみたが、
わるくないマリアージュだった。






牛ランプが
一切れ300円であったので、
グリルパンで十字に焼目をつけ、
塩胡椒だけのシンプル味で
やってみた。

途中から、
やはり、どうしても、
赤ワインと一切れのパンが
欲しくなって、用意した。

ガクンと3㎏も減った体重も、
プラトー状態/踊り場現象で、
今は一定値から下がらなくなった。

軽い頭痛と吐き気が
完全に治まってから、
次ぎの段階の脂肪対謝に
カラダがシフトするのかもしれない。
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冬支度

2020-11-18 05:19:00 | 季節
きのうは
朝一で「鍼」治療に往き、
帰りには、タイヤ交換と
オイル交換をしてきた。

工場長のはなしでは、
ムーヴはエンジンのバルブが
構造的に緩いらしく、
4ケ月に一度、
オイルが空になって
異音が発生するので
マメに補充しないと
エンジン焼き付きを起こしてしまう。

ある意味、欠陥車なのだが、
その事は、リコール対象には
ならないというのだから、
車行政もどうなってんだか…。

5年目の冬タイヤで、
だいぶ硬化してるので、
新品と換えようか迷ったが、
溝は深かったのと、
工場長から
「新品だから効く
というわけじゃないんですね」
と聞いて、もう一冬
これでいくことにした。

なにせ、去年は暖冬で、
一度も積雪がなく
スタッドレスも空振りだった。





T中にのみ
設置されている
箱庭療法のセットを
大いに活用している。

もともとユング派の
ドルフ女史が発展させた
セラピーなので、
解釈にも深層心理学的な
象徴性が重視される。

中でも、
「円」は多義的・重層的な
解釈が成り立つが、
「曼荼羅」「ウロボロス」という
一般には理解不能の
独特の読み方がある。

それは、
ユング自身が発見した
"こころの現象"でもある。

精神病や不安に陥ると
人は「円形」のものを
希求するようになる、
というのである。

円は球の断面であり、
宇宙空間で
星々はすべて球体であり、
宇宙船内で水を浮かせると
球状になって静止する。

宇宙において
「完全」を象徴する球や円は、
心理的不安定さを「補償」する、
とユングは考えた。

後に、東洋の「曼荼羅」や
世界に遍在する
"蛇が自らの尻尾をくわえている"
「ウロボロス」に着目し、
それらの意味する処をも
円の解釈に加えていった。

箱庭療法の
製作過程では、
一連のセラピーの終焉近くに
それが出現すると
心が整ってきて、
そろそろターミネーションの時が
来るということが判ったりする。

この場合の「時」は、
一般的な時間を意味する
「クロノス」と区別して、
臨床家は「カイロス」と呼ぶ。

「時熟」「時宜」なぞという
言葉が相応する。





最近は、
信仰心とは別に、
パワースポットとして
神社仏閣が注目を浴びることがあり、
若い婦女子などが
自撮りしているのを見ると、
なんだかなぁ…という
軽薄短小感を拭えない。

きっと、
こういう子たちは、
それを「自己実現」の一部のように
錯覚してるのだろうか…。

近頃の病んだJCには
「推し」が生き甲斐、
それがないと生きていけない…
という子が少なくない。

何にせよ「心の支え」が在るのは
わるいことではないが、
しかし、「儚きもの」にそれを
託すのは、心許ない気が
しないでもない。

もっとも、
こういう子たちは、
心変わりも早く、
ひとつのことに拘泥しない
という面も持ち合わせて居たりする。

同じ病んだ子でも、
「古典文学」や「古典音楽」
なぞの古典芸術に興味関心を
寄せる子は、予後がいいように
感じることがある。

なにせ、「古典」は
すでに淘汰され評価されてきた
「よきもの」「安定したもの」である。

英語の「クラシック」には、
"古い"よりも先に
"優れた"という意味がある。





「書」を始めてから、
事あるごとに、朝刊のチラシにまで、
いい字を見つけると
保存しては手本にして
模写・臨書をするようになった。

福島の「福」なぞも
難字のひとつだが、
バランスよい美文字に出逢うと
ついつい嬉しくなって、
何度もそれを書くことがある。




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メンテの日

2020-11-17 06:53:00 | 




今日、明日と
オフ日となったが、
今日は「鍼治療」と
「タイヤ交換」
「エンジンオイル交換」と
カラダとクルマのメンテに
行ってくる。

どっちも、
仕事にとって
大事なものだから、
入念な整備が要る。




週3のベント日にも、
近頃では、
ご飯抜きの
野菜+肉類に
だいぶ慣れてきた。

これと、
熱々の味噌汁を
ジルジルやってたら、
お昼を摂った満足感を
得られるようにもなってきた。

よほど、
「ご飯喰いたい」
離脱症状が起こるかなと
懸念してたが、
微量ながらイモ類や
ジュースなどで
糖分も補給しているので、
「渇望」が生じないのかもしれない。

頭痛と吐き気は、
糖分補給で
ようやく治まってきた。





スーツの虫食い防止にと
庭の一角にあるハーブガーデンから
ロマラン(ローズマリー)を
大量に摘んで袋詰めして
2ケ所あるクローク内に設置した。

これまで、
何度も大事なスーツを喰われて
グヤジー思いをしたので、
ダイソー製の虫除けハンガーと
ダブル効果で防虫している。






もうこれまで
100冊以上を納品している
三ツ星フレンチ・レストランの
『ふくの季』さんから、
またガイド本の造本発注を受け、
寸暇をみては製本に精を出している。

紙も補充し、
インクもヤフオクで
大量落札した。





来年、国試受験する
“三人娘”のための
私製・テキストや過去問の印刷が
ひとり分1200頁にもなるので、
毎日、プリンターを
ガッチャンコ、ガッチャンコ言わせている。

物言わぬクルマでも、
プリンターでも、
稼働した後には、
ポンポンと叩いて
「ごくろうさまね」
と労をねぎらうようにしている(笑)。

コロンボの名文句に
「汝の車を愛せよ。
さすれば、車もよく走る」
というのが
劇中にあって、
なんだか気に入っている。



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男子、厨房に入る

2020-11-16 05:48:00 | 季節
霜月も半ばを過ぎ、
一日ごとに寒さが募る。

初冬である。

朝晩に欠かせない
ファンヒーターの灯油入れを
すでに何度かしている。

電気毛布は、
もうコタツ代わりで
ベッド・カウチの読書には
欠かせない(笑)。






推理小説家・夏樹 静子の
『椅子が怖い』は
作家の視点で書かれた
心身症体験記として
臨床家には示唆に富んだ
良書として面白く読めた。

3年近くの
執拗な腰痛で
あらゆる治療や
果ては加持祈祷まで
試してみるが、
いずれも効力がなく、
ついに自殺まで脳裏を過ぎる。

そして、
最後の手段として
自分の命を預けたのが、
心身症の専門医で、
そこでの入院による
森田療法的な絶対臥褥(がじょく)と
糖質シャットアウト点滴が行われた。

カラダを糖代謝から
脂質代謝に変換させて、
脳内のプログラムをリセットさせる
というセオリーで、
尚且つ、その間は、
痛みから逃避できるアイテム
(本・テレビ類…今ならスマホ)を
一切、排除して「痛み」を
「あるがまま」に受け容れる
というメソッドである。

夏樹の描写によれば、
その間、痛みの波が
最大波長で襲ってきたかと思うと
潮が引いたような日もあり、
それが交互に続くこともあったという。

それこそが、
脳内のプログラムが
変調をきたして
暴走したりフリーズしたりしている
描写だったのだろう。

自殺を考えるほどの
慢性痛を撃退するのには、
荒療治が必要だということでもある。



糖質制限食餌療法を
始めてから、
体重は3㎏も落ちたが、
喜んでばかりいられないのは、
「糖質制限ダイエット」の
副作用に似た症状が
少しばかり起こっているような
気がした。

「急激に糖質制限すると、
頭痛、吐き気、倦怠感などが
起こることがある」
というのに、
いくらか心当たりがある。

プチ風邪か
アレルギーかと
思っていたが、
ここ数日、軽い頭痛、軽いムカつきが
続いており、イブプロフェンや
ナウゼリンを服用している。

「糖質は脳のエネルギーなので、
集中力の低下や眠気を引き起こす」
ということも、
あるある、である。

「症状がきつい場合は
無理をせず、糖質の摂取量を
徐々に減少させよ」
とあるので、
バナナ、ジュース、餡子などで
糖質も摂取するようにしている。

ご飯、パンも
たまには食べる。





…てなわけで、
ミニストップの新発売
「ピスタチオ・ソフト」を
美味しく味わってきた。

何十年か前の青年期の頃、
ピスタチオを初めて食べた時、
(なんだ!! この高貴な味はッ!!)
と感動した、自分にとっては
特別のナッツである。

自らも、
これを用いて、
いろいろなデザートを
創ってきた。

そしたら、
ソフト銘品の雄
『ミニスト』から
満を持しての
『グラス・ド・ピスターシュ』が
発売された。

昭和から愛好している
ソフト・フェチにとって、
その醍醐味は
“最初のひと口目”と
“おしまいのコーンの一口”
である(笑)。

その途中というのは、
味蕾が冷温麻痺して
しだいに味覚鈍化が
起こってくるのである。

なので、
最後まで美味しさを
キープしたいのであれば、
時折、体温と同じぬるま湯で
舌を注いで、味蕾をリセット、
リフレッシュさせる必要が
あるんだなぁ…これが(笑)。

そんなん、
メンドッちいもんねぇ(笑)。

だから、
ソフトには
コーンという
舌先をいくらかでもリセットする
アイテムと取り合わせられている
ということを
知らない人が案外に多い。

昭和の人間ならば、
デパートの食堂のアイスに
必ずや、ウエハースが
一枚乗っていたのを
見たことがあるだろう。

あれが、
その効果を示す
アイテムだったのである。

たかがソフト、
されどソフト、
なのだなぁ…(笑)。





毎週、教育分析に来られる
近所に住むR先生から、
先日、帰省された時の
「只見土産」として
茶事で使える「黒文字」を
頂戴したので、
さっそく菓子を拵えて
薄茶をさしあげた。

その茶も、
先月、先生が
仙台に遊行された折に、
お土産に頂いた
「お濃茶」を用いて
立てさせて頂いたので、
真にもって贅沢な一碗を
共に喫っさせて頂いた。

ちなみに、
この日の主菓子は、
例によって、
ダイソーの漉し餡に
焼き芋をハーフ&ハーフで
練り込んで、
さらに、生クリームを加えて、
いくらかミルキーな
洋風な味わいに仕立てた。

茶室からも目にすることができる
吾妻の初冠雪をイメージしたので、
仕上げには、ココナツパウダーと
キャラメル・クランチを
トッピングして
香りとクリスピー感も
付け加えてみた。

したがって、
銘は『綿帽子』である。

主客には、
懐石用の檜木八寸に
飾りのついた黒文字を添えて
お出しした。

裏庭の南天の葉を
二枚千切って、
自服用の信楽皿にも
添えてみた。

懐石も主菓子も
きちんと創れなくては、
茶人を名乗る資格がない。

カルチャー教室での
お稽古茶道全盛なのはいいが、
自宅では全く茶事を
“しない、できない”
奥様・お嬢様方ばっかり排出するのは、
裾野を拡げる意味では是だが、
なんだか、釈然としないものも
いくらかある。

我が身のファッションや
アクセサリーのつもりでやってる
お稽古事ほど、馬鹿らしいものはない。

侘茶とは、
茶聖・利休や
高弟・織部らが
割腹自死して護り
引き継がれてきた
壮絶なる覚悟の上に
築かれた真善美聖の世界なのである。

利休の愛弟子・宗二なぞは、
秀吉に耳と鼻を削がれ
斬首されている。

たかが、お茶、
されど、お茶、
なのである。





休日の“ぼっちフレンチ”の
デジュネ(ランチ)に、
珍しい素材があったので、
『グリエ・ド・クール・ド・ブッフ』
を初めて創ってみた。

なんのこたぁない、
牛のハツ(ヘルツ/心臓)である。

豚のハツは
常時見かけるが、
牛のハツをスーパーで
見つけるのは珍しい。

濃い赤身で、
やはりムッチリした
テクスチュアで
独特の噛み応えと
臓物チックな味がする。

フレンチでは内臓を
「アバ」というが、
日本で言う、所謂、
「ホルモン」である。

一説では、
ホルモンの語源は、
大阪弁の「放るもん」
という「要らないもの」
が転訛したともいう。

環状線「鶴橋」には、
コリアン・タウンがあり、
ホルモン料理のメッカとも
されている。

そこのオモニたちによるキムチが、
また、べらぼうに美味かった
記憶がある。

その秘訣に、
なんと、オキアミだの、
乾燥帆立だの、乾燥鮑だの、
といった隠し味が
忍ばされているというから、
驚いたことがある。

素人業者が
唐辛子液に保存料ぶちこんで
大量生産するキムチが
美味かろうワケがないのが、
その手作りの極意で
納得がいったものである。

なので、
米沢の「なみかた羊肉店」で
鶴橋から取り寄せていたキムチを
見たときには、
懐かしくも嬉しく思って
買って帰ったものである。







肉だけでは
寂しかったので、
パンを一ケだけ焼いて、
野菜と「富士柿」のデセールをも
「旅館盛り」のように
一堂に並べて
糖質制限食餌療法を
緩めたランチにした。

頭痛・ムカつきの
薬を呑みながらも、
セットには外しがたいので、
赤ワインを一口だけ
マリアージュさせた。

庭の一角にある
ハーブ・ガーデンで
セルフィーユ、フヌイユ、ロマラン
などの摘みたてを添えてみたが、
これらとそれぞれ肉を合わせただけで、
グッとフレンチらしい
味わいになってくれるから有難い。

それと、
フレーバード・オリーヴ油の
「ガーリック」
「バジル」
「レモン」
の三種も簡便に
アシストしてくれる。

「エバラ黄金の焼き肉タレ」を
ブールモンテ
(バターでトロミ付け)
しても、グッと
エスニカルなソースになる。

キュイジーヌ(料理)は
実利のある“遊び”だから、
どんどん
【男子、厨房に入るべし】
である(笑)。

そして、
どんどん凝るべし、
である(笑)。


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