その御生涯で
謦咳に接することはなくも、
私淑してきた大先生が
幾人かいる。
中村 元(はじめ)先生も
そのお一人である。
ご生前には、
ちょいちょいNHKの宗教番組
『こころの時代』に
ご出演なされており、
その口跡の良さに
まず耳が魅かれてしまい、
そして、その語り口の優しさ、
笑顔のチャーミングさ、
なにより、学識の深さに・・・と、
感銘を受けて、先生の
学目的“オッカケ”(推し)に
なってしまった。
没後、すぐに、御遺影を
書斎に飾ったほどである。
今でも、
『こころの時代』は
YouTubeに何篇かアップされており、
先生に会いたくなると、
そこでご尊顔を拝している。
河合先生との対談も
カセットで保存してあり、
ご講演のものも数十本あり、
時折、聴かせて頂いては
勉強している。
自分の仏教学関連のベースは
すぺてが中村先生に負うものである。
先生は、高校時代に、
腎臓病を患われて1年間休学され、
「人よりも遅れることが、
ほんとに、辛うございましたね」
と仰っておられたが、
「また、それが、
よい時でもあったように思われます」
と意味付けをされていた。
事実、学者になられてからの
研究への意気込みと成果は
常人の及ぶところではなく、
その有名なエピソードとして、
東大院での博士論文を
5年がかりで完成させ、
その原稿は大量で
リヤカーで弟に手伝ってもらって
大学に運び込んだという(笑)。
それを見た指導教官が
悲鳴を上げたというから、
さもありなん、である(笑)。
さらに、凄すぎるエピソートがあって、
お独りでコツコツと20年かけて完成させた
『佛教語大辞典』3万頁の原稿を
事も在ろうか、バカ過ぎる出版社が
紛失させるという大事件があった。
その大失態に対して、
中村先生は怒ることもなく、
「怒ってみたって、
原稿は戻りませんから・・・」
と、茫然自失の日々を
過ごされていたという。
そりゃ、そうだろう。
凡夫であれば、
たとえ、平謝りに謝られたとて、
許しがたい所業である。
そしたら、
“糟糠の妻”である奥様から、
「もいちど、やり直したらどうですか・・・」
と、励まされ、
再度、執筆に立ち上がり、
なんと、8年かけて、
さらに1万5千頁を追加し
「おかげで、前より
いい仕事ができました」
と語ったというから、
もう「学聖」と尊称するよりない。
事実、先生の戒名は
「自誓院向学創元居士」
である。
まさに、宗教学者の鏡である。
そんな、大先生も、
高校時代に患った腎臓が
“命取り”となり、
急性腎不全のため満86歳で
お亡くなりになられた。
語学にも堪能であられ、
世界の宗教界では、
「プロフェッサー・ナカムラ」として
リスペクトされていた
大仏教学者であられた。
スタンフォード大や
ハーバード大でも
教鞭をとられ、
学生たちとも映画を見に行くような
フレンドリーで気さくなお人柄であった。
退官後には、
『東方学院』という私塾を創設し、
ご自身も「寺子屋」と称して、
学歴も年齢も問わず、
向学心のある人たちの為に
亡くなるまで講義をされていた。
先生の御功績は
十指に余るものではあるが、
何より、サンスクリット語や
パーリ語に精通されていたので、
原始仏典の翻訳を苦心されて
平易化したことである。
仏教を抹香臭い仏事とせず、
黴臭い学問対象ともせず、
一般人にも解かるように
されたことである。
「生きる指針を提示するのも学者の仕事」
が持論であられたので、
「ニルヴァーナ/ニッパーナ」を
「涅槃/ねはん」とは訳さず
「安らぎ」と“やまと言葉”で訳された。
先生に拠れば
「ニルヴァーナは、
教義学者たちが言うような
煩いものではなく、
心の安らぎ、心の平和によって得られる
楽しい境地というような意味でしょう」
と仰っている。
まこと、
尊敬するより知らない、
見事な大老賢者である。
不安になると、
すぐに、中村先生の
お声が聴きたくなるので、
自分にとっては
「安定剤」的存在でもあられる(笑)。
尊師・中村先生に倣って、
「佐々木心理教育カウンセリング室」も、
看板こそ出していないが、
『国際魂理学院』という私塾も
兼ねている。
当院でも、
教育分析を受けられた方を
大勢排出しているが、
今般、来年度の
第四回『公認心理師』国家試験に
挑まれるお三方がおられる。
全員が女性教員で、
46、44、42・・・と、
初項46、公差2の等差数列なので
オモロイなぁ・・・と思った。
いずれも、
ユング心理学を
一度は勉強した
元ユングフラウ(乙女/Jungfrau)
でもあられる(笑)。
きのうも、
そのうちのお一人が
分析にこられたが、
後半は、さっそく、
国試対策のゼミになった。
なんだか、院長様自身も、
林センセばりに
受験予備校の講師にでもなったような
エンジンがかかり(笑)、
昔取った杵柄で、
過去問の分析やら
テキストを引っ張り出して
“競馬の予想屋”のような
好奇心を沸かせている。
そしたら、
きのうはオシリ痛が
鳴りを潜めていたので、
ノンビリ座ってばっかりいんと、
なんでもええから
立ち上がって公益の仕事をせいッ!
いうことやねんな・・・
と思うてしまった(笑)。
“競馬の予想屋”つながりで、
なんだか、失礼は承知で(笑)、
馬主にもなったような気分でもあり、
優秀な三頭のサラブレッド牝馬が
「3連単」の1・2・3着に
入賞してくれないかなぁ・・・
とも夢見ている(笑)。
そのためには、
助力を惜しまず、
名伯楽たる調教師役も
勝って出ようと思っている。
お三方とも、
教え子世代でもあるので、
なんだか、若い頃の
「担任」に戻ったような
気分なのかもしれない。
別に競馬が好きなワケでもないので、
“オンマさん”に例えたのは、
知らぬ仲なら超失礼なハナシだが、
それを笑い飛ばしてくれるような
キャラたちなので、
さすがに、賢い熟女・オバハンたちは
有り難い(笑)。
教養のない人間や
洒落の解らぬ堅物には、
こういうユーモアが
通じないから
「やだね~…!!」
「馬鹿だね~…!!」
と、時折、
辟易させられる事がある。
そういう馬鹿には
以後、二度と
近づかない事にしてる。
馬鹿が移るから…(笑)。
久しぶりに、
ドレスウォッチを
いくつか稼働させるべく、
アマゾンで安価な電池を
まとめ買いした。
届いたら、さっそく、
ルージュ(赤)やジョーヌ(黄)
の「眠り姫」たちを
その微睡(まどろ)から
醒まさせる王子様に
なってあげよう。
そして、
彼女たちと
街に出よう。
座ってちゃダメなんだ、
オシリ君(笑)。
「立ち上がって、GO TO~!」
である。
謦咳に接することはなくも、
私淑してきた大先生が
幾人かいる。
中村 元(はじめ)先生も
そのお一人である。
ご生前には、
ちょいちょいNHKの宗教番組
『こころの時代』に
ご出演なされており、
その口跡の良さに
まず耳が魅かれてしまい、
そして、その語り口の優しさ、
笑顔のチャーミングさ、
なにより、学識の深さに・・・と、
感銘を受けて、先生の
学目的“オッカケ”(推し)に
なってしまった。
没後、すぐに、御遺影を
書斎に飾ったほどである。
今でも、
『こころの時代』は
YouTubeに何篇かアップされており、
先生に会いたくなると、
そこでご尊顔を拝している。
河合先生との対談も
カセットで保存してあり、
ご講演のものも数十本あり、
時折、聴かせて頂いては
勉強している。
自分の仏教学関連のベースは
すぺてが中村先生に負うものである。
先生は、高校時代に、
腎臓病を患われて1年間休学され、
「人よりも遅れることが、
ほんとに、辛うございましたね」
と仰っておられたが、
「また、それが、
よい時でもあったように思われます」
と意味付けをされていた。
事実、学者になられてからの
研究への意気込みと成果は
常人の及ぶところではなく、
その有名なエピソードとして、
東大院での博士論文を
5年がかりで完成させ、
その原稿は大量で
リヤカーで弟に手伝ってもらって
大学に運び込んだという(笑)。
それを見た指導教官が
悲鳴を上げたというから、
さもありなん、である(笑)。
さらに、凄すぎるエピソートがあって、
お独りでコツコツと20年かけて完成させた
『佛教語大辞典』3万頁の原稿を
事も在ろうか、バカ過ぎる出版社が
紛失させるという大事件があった。
その大失態に対して、
中村先生は怒ることもなく、
「怒ってみたって、
原稿は戻りませんから・・・」
と、茫然自失の日々を
過ごされていたという。
そりゃ、そうだろう。
凡夫であれば、
たとえ、平謝りに謝られたとて、
許しがたい所業である。
そしたら、
“糟糠の妻”である奥様から、
「もいちど、やり直したらどうですか・・・」
と、励まされ、
再度、執筆に立ち上がり、
なんと、8年かけて、
さらに1万5千頁を追加し
「おかげで、前より
いい仕事ができました」
と語ったというから、
もう「学聖」と尊称するよりない。
事実、先生の戒名は
「自誓院向学創元居士」
である。
まさに、宗教学者の鏡である。
そんな、大先生も、
高校時代に患った腎臓が
“命取り”となり、
急性腎不全のため満86歳で
お亡くなりになられた。
語学にも堪能であられ、
世界の宗教界では、
「プロフェッサー・ナカムラ」として
リスペクトされていた
大仏教学者であられた。
スタンフォード大や
ハーバード大でも
教鞭をとられ、
学生たちとも映画を見に行くような
フレンドリーで気さくなお人柄であった。
退官後には、
『東方学院』という私塾を創設し、
ご自身も「寺子屋」と称して、
学歴も年齢も問わず、
向学心のある人たちの為に
亡くなるまで講義をされていた。
先生の御功績は
十指に余るものではあるが、
何より、サンスクリット語や
パーリ語に精通されていたので、
原始仏典の翻訳を苦心されて
平易化したことである。
仏教を抹香臭い仏事とせず、
黴臭い学問対象ともせず、
一般人にも解かるように
されたことである。
「生きる指針を提示するのも学者の仕事」
が持論であられたので、
「ニルヴァーナ/ニッパーナ」を
「涅槃/ねはん」とは訳さず
「安らぎ」と“やまと言葉”で訳された。
先生に拠れば
「ニルヴァーナは、
教義学者たちが言うような
煩いものではなく、
心の安らぎ、心の平和によって得られる
楽しい境地というような意味でしょう」
と仰っている。
まこと、
尊敬するより知らない、
見事な大老賢者である。
不安になると、
すぐに、中村先生の
お声が聴きたくなるので、
自分にとっては
「安定剤」的存在でもあられる(笑)。
尊師・中村先生に倣って、
「佐々木心理教育カウンセリング室」も、
看板こそ出していないが、
『国際魂理学院』という私塾も
兼ねている。
当院でも、
教育分析を受けられた方を
大勢排出しているが、
今般、来年度の
第四回『公認心理師』国家試験に
挑まれるお三方がおられる。
全員が女性教員で、
46、44、42・・・と、
初項46、公差2の等差数列なので
オモロイなぁ・・・と思った。
いずれも、
ユング心理学を
一度は勉強した
元ユングフラウ(乙女/Jungfrau)
でもあられる(笑)。
きのうも、
そのうちのお一人が
分析にこられたが、
後半は、さっそく、
国試対策のゼミになった。
なんだか、院長様自身も、
林センセばりに
受験予備校の講師にでもなったような
エンジンがかかり(笑)、
昔取った杵柄で、
過去問の分析やら
テキストを引っ張り出して
“競馬の予想屋”のような
好奇心を沸かせている。
そしたら、
きのうはオシリ痛が
鳴りを潜めていたので、
ノンビリ座ってばっかりいんと、
なんでもええから
立ち上がって公益の仕事をせいッ!
いうことやねんな・・・
と思うてしまった(笑)。
“競馬の予想屋”つながりで、
なんだか、失礼は承知で(笑)、
馬主にもなったような気分でもあり、
優秀な三頭のサラブレッド牝馬が
「3連単」の1・2・3着に
入賞してくれないかなぁ・・・
とも夢見ている(笑)。
そのためには、
助力を惜しまず、
名伯楽たる調教師役も
勝って出ようと思っている。
お三方とも、
教え子世代でもあるので、
なんだか、若い頃の
「担任」に戻ったような
気分なのかもしれない。
別に競馬が好きなワケでもないので、
“オンマさん”に例えたのは、
知らぬ仲なら超失礼なハナシだが、
それを笑い飛ばしてくれるような
キャラたちなので、
さすがに、賢い熟女・オバハンたちは
有り難い(笑)。
教養のない人間や
洒落の解らぬ堅物には、
こういうユーモアが
通じないから
「やだね~…!!」
「馬鹿だね~…!!」
と、時折、
辟易させられる事がある。
そういう馬鹿には
以後、二度と
近づかない事にしてる。
馬鹿が移るから…(笑)。
久しぶりに、
ドレスウォッチを
いくつか稼働させるべく、
アマゾンで安価な電池を
まとめ買いした。
届いたら、さっそく、
ルージュ(赤)やジョーヌ(黄)
の「眠り姫」たちを
その微睡(まどろ)から
醒まさせる王子様に
なってあげよう。
そして、
彼女たちと
街に出よう。
座ってちゃダメなんだ、
オシリ君(笑)。
「立ち上がって、GO TO~!」
である。