goo blog サービス終了のお知らせ 

『人生を遊ぶ』

毎日、「今・ここ」を味わいながら、「あぁ、面白かった~ッ!!」と言いながら、いつか死んでいきたい。

  

(無題)

2020-09-10 06:07:00 | 藤井 聡太
私的三連休の
中日のきのう。

ソーちゃんの月一の
順位戦があったので、
一日、テレビ前に張り付いていた。

十七世名人の谷川九段(59)が、
ソータの居るB級2組まで
A級から降級してきて
その対戦相手となった。

ソータが幼少の折、
指導対局を受けた先生で、
棋界最強を誇っていた頃は
「光速の寄せ」
という異名の大名人である。

同様に、大名人のヒフミンも
77歳で引退した時には、
まだ、順位戦に在籍しており、
60年ぶりのC級2組の
ドン底まで降級していながらも
現役棋士として闘っていた。

前将棋連盟の会長でもあり、
棋界一ストイックで、紳士なので、
さまざまな将棋マンガの
モデルにもなってきた棋士である。

きのうも
大棋士・大先生でありながら、
ソータよりも先に対局室にやってきて、
スッと下座に着座して
二冠の上座への到着を待った。

それも美意識をもつ棋士ならではの
タイトル・ホルダーに対する
「敬意」であり、
「礼儀」として現わしていたのは
さすがであった。

もっとも、
解説者によれば、
ソータが先にやってきたら、
彼のことだから、
大棋士・大先生に対する礼儀で
下座に座ったことだろう…
というのである。

それをも、読んでの
谷川九段の異例の
早い時間の入室であった。

下座からは、上座の床の間にある
自分の名人時代に揮毫した
掛け軸を望むかたちになり、
上座のソータはそれを背にする、
という奇異なトポスが布置される。



棋界に五人しかいないという
「天才」の代名詞でもある
中学生棋士どうしの闘いでもある。

両者の得意戦法の
「角換わり」で
ガップリ四つに組んだ闘いは、
横綱相撲の風格だった。

持ち時間6時間なので、
ソータが一手に108分も長考すると
九段が96分で長考返しをする…
という展開で、局面は
夕食後でも50数手と
遅々として進まず、
これは本格「夜戦」になるな
と覚悟していた。

案の定、
9時半頃に寝落ちし…(笑)、
イカン・イカンと、
階下に降りては
アイスクリームを頬張りながら
眠気覚ましにするも、
猛暑と冷房疲れのカラダは
11時頃に再び睡魔に襲われ、
ふと、目覚めたときには、
ちょうど谷川九段が
「負けました」と投了したシーンだった。

ありゃぁ…
将棋でいちばんオモロイ
最終盤の「詰むや詰まざるや」
という緊張の場面を
まるまる睡魔に
もってかれてもーたー(笑)。

スイマセン…
じゃ、すまないぜー(笑)。

。゚(゚´Д`゚)゚。

もう、爺様は眠くって堪らず、
ソーちゃんの勝利インタヴューも
何もあったもんじゃなく、
そのまんま東で…(笑)
本寝入りしてもうた(笑)。

…んなわけで、
今日は、反省しながら、
アベマのビデオで
最終盤を再現して
じっくり見てみたい。



谷川九段は、
先日のEテレでの
『ソータ特集』にも出演し、
「藤井将棋には
プロをも楽しませてくれる
華がある」
と賞賛していた。

昨日の解説陣も
「棋聖戦・王位戦を観ていて、
素人も玄人も魅了される手を
繰りだす将棋だと感じた」
と漏らしていた。

まさに、
それこそが
“真のプロ”である。




先日、視聴した
『鉄道員』のテーマ曲を
弾いてみようと、
楽譜庫から中学時代の
写譜ノートを探し出した。

あった、あった。

いっちょ前に、
原題で
『Il Ferroviere』と
筆記体で記されてあった。

ただし、
「フェッロヴィエーレ」なので、
「O」が「d」と誤記されている(笑)。

巻末には、
パコの名曲
『プンタ・ウンブリア』があり、
中学時代にすでに、
五郎センセが耳コピしたものを
レッスンで写譜していたので
驚きである。

まさか、
その40年以上も後に
『復興支援リサイタル』で
3度も演奏するとは
当時は夢にも思っても
いなかったことだろう。

ノートの一曲目の
『ファルーカのテーマ』は、
なんと、弟子のハッシーとデュオで
『ファイナル』で演じた
フラメンコ曲である。





おとついの晩、
ふいに『サンダーバード』が
見てみたくなって、
YouTubeをみたらあったので、
懐かしく鑑賞した。

皮肉なことに、
まだ、60年当時には
近未来的な設備「原発」の
爆発事故を扱ったストーリーだった。

そういや、
3.11の原発爆発で、
自衛隊ヘリが汲んだ海水を
上空から散布するのを見て、
(あんあん、焼石に水じゃん…。
やっぱ、国際救助隊でなきゃ、
ムリだなぁ…)
と思ったものである。



プチ遠出の帰りに
大規模スーパーの
『PLANT5』に寄ったら、
レモン風味のオリーヴオイルを
見つけて、まとめ買いしてきた。

フレンチのシェフが
料理に使っていて、
いいものだと奨められ、
その利便さとクオリティに
魅かれて使い続けていたが、
市内のスーパーからは
なぜか品物が一掃されて
どこでも入手できずにいた。

アマゾンでは入手できるが
商品代以上の送料がかかり、
ポチる気にもなれなかった。

そしたら、
メガ・スーパーにはあったので、
ここぞと買い占めてきた(笑)。





おら、鮨っ喰い

2020-09-09 05:23:00 | 趣味
T中の学校行事により
今週は勤務がないので、
昨日から三連休になっている。

今日は、
久しぶりに
ソーちゃんの棋戦があるので、
一日、家を出れないから、
きのうは“プチ遠出”のつもりで
これまた久しぶりに高速に乗って
本宮の鮨店探訪をしてきた。

先週の本宮散策で
偶然に見つけた店で
チェックしていた。

クライエントさんの幾人かは、
外食が苦手という人もおられ、
ましてや、初めての鮨屋に赴き
カウンターであれこれ注文するなぞ
恐ろしくて出来ないと仰る(笑)。

その気持ちも解らないでもないが、
日常の街中でできる
手軽な“冒険”のひとつかもしれない、
と思えば、そのスリリングな楽しみも
味わわないのは何だか
勿体ないような気もする(笑)。

…てなわけで、
ほんのちょいと、
緊張しながらも、
扉を開けましたとさ…(笑)。

カウンターの奥から
白髪の店主が
「いらっしゃい」
と目線を向けてきた。

店内を瞬時に一望しながら、
カウンター席の
老主人の真ん前に座る。

かつて、行きつけだった
『弥助』の親方からは、
初めての店では
カウンター中央は
常連の席だから、
最初は端席に座るが無難だ、
と教わったことがある。

なにせ、
東京でしっかり修行してきた
親方の仰ることだから、
間違いないのだろう。

たしかに、
それがマナーかもしれない。

それでも、
経験を数こなしてくると、
店の「立地」や「各」
そして「時分」「客層」
店主の「人(にん)」なぞを
瞬時に直感できるもので、
あえてマナー外しも
出来るものである。

店主の側からしてみれば、
一見の客が
ズカズカと自分の前に陣取り、
“お好み”で
あれこれ注文するのは、
ちょいとばかり
(オッ…!)
となるやもである(笑)。

職業柄、
ご新規のクライエントとは
しょっちゅう相対しているので、
初対面どうしての切り込み方も
職業技として身についている。

きのうの店も
ランチの「にぎり」は、
見るからに並のネタで
面白味がなかったので、
あえて、飛び切りを引き出そうと
ネタケースにないものばかり
注文して、冷蔵庫から
出してもらった。




夏の魚でもある
鱸(すずき)で口切とした。

清々しさが身上だが、
鼻腔から独特の風味が抜け
舌先には“ならでは”の
旨味が拡がる。

続いて小鰭(こはだ)。

店主の腕前をも
見るに相応しい
“ザ・スシ”である(笑)。

やや、しょっぱい…。
脱水が不十分で、
いくらか水っぽい…。
此処に於いて、
シャリ(酢飯)の握り具合が
硬過ぎるのに気づく。

つまり、
トータル・バランスが
崩れている…。
残念である…。

(_ _。) …

…生意気なようだが、
…偉そうなようだが、
この時点で、
あとは、“消化試合”だなぁ…
という心持ちになる。

中トロは
ケースの中でも
一番よさげな処を
切りつけてくれた。

齢八十近いと思しき
老店主も
こりゃ“鮨っ喰い”だなぁ…
と、地元の馴染み客じゃなく、
風来坊の一見客の素性に
感ずいたような気配がした。

なればこその、
“隠し球”を出してきた。

こういう
言葉にできない
無言の心理戦も
面白いものである。

もっとも、
それには場数と授業料も
必要だが…。

少なくも、
能書きこけるほどに
知識はなくてはならない。

すると、どの世界でも、
違った風景が
見えてくるものである。

どの分野にも
“高み”というのがある。

続いて、縞鯵。
身の張りと
旨味が程よかった。

このバランスは
中々に難しく、
活けの状態だと
歯応えはコリリと佳いが
旨味には欠け、
熟成させると旨味は出るが
身は柔らかくなるのである。

江戸前の基本でもある
酢〆の加減を今一度
試してみようと
〆鯖を頼んだら
これは小鰭のような
塩味が突出していなかった。

鯵があるか尋ねたら、
「ケースには並びきれないので…」
と言いながら
足元のネタ庫から出して
切りつけてくれた。

生ではなく、
〆たもので、
これは佳く出来ており
脱水が効いて
塩梅加減がよく
旨味が引き出されていた。

してみれば、
小鰭だけが
身質に合わず
上手くいかなかったのだろうか。

でも、日々、状態の違う
魚の個性を見極めて
季節によっても塩梅をキメるのが
職人技であろう…。

そう思うと、
鮨を代表するものだけに
返す返すも残念であった。

ネタケースには
穴子がなかったので、
煮物の仕事を試すことを
忘れてしまった。

いつもの流儀で、
海苔巻きをサビ(山葵)入りで
巻いてもらった。

本山葵でなく
粉物であるのは
いかにも残念ではあるが…。

きちんと
四つ切で供されたが、
平置きされたので、
ここは粋に
連獅子風に重ねて欲しかった…。

ギョク(玉子焼き)は、
“河岸玉”(既製品)ではなく
自家製だったのは感心した。

半切にしたエッジが
キリリと立ち
これは気持ちがよかった。

たった八貫を
半時ほどでやる間に、
親方とも打ち解けて
いろいろと話ができたのは
よかった。

「作り手」「食べ手」の
違いはあれど、
同じく“鮨好き”どうしなので
心通ずるものが
あるのかもしれない。

三連休の
「安近短」の目的地だったが、
ほどよい緊張感と社交を楽しめて
“小旅行”の気分を満喫できた。




帰りには、
初めて立ち寄る
「あだたらの里」で
「小豆と抹茶」のジェラートと
直売場のイチジクで
デザートとした。





日曜日に、
従妹のミキティが
畑の茄子を
どっさり持ってきてくれた。

晩には、
『アスピック・ド・オーベルジーヌ』
(茄子のゼリー寄せ)
を作って、シルバー・オーバルに
料理コンテストの出品作品風に
ドレッセしてみた。

下のソースも
ヴァン・ルージュ(赤ワイン)と
ヴィンテージ・ポルトーを
ヴィヨンと合わせて
ゼリーで固めたジュレ仕立てである。

ピオーネのエマンセ(薄切り)や
ポワロー(長ネギ)の
フロマージュ(チーズ)寄せを
ガルニチュール(添え合わせ)とした。




避暑移動

2020-09-08 06:42:00 | 仕事
きのうは
残暑厳しく
32℃にもなったので、
エアコンのないK中の
カウンセリング室では
仕事にならず、4階の
空き教室に移動した。

カウンセリングなんてものは
椅子さえあれば、口先八丁で
相対して出来る仕事なので
手軽なもんだが、
それでも、SCともなると、
執務記録を付けねばならないので
最低限、デスクは要る。




きのう生徒用の
ちっこい窮屈な学習机の上で
記録を付けたり、
論文を読んだりしていたが、
普段はその5、6倍も
広大なデスク面でしてるので、
やりにくい事この上なかった。

それでも、
1階の部屋にはない
遠方の山々や
街並みの風景が望め
気持ちのいい感じではあった。

図書室の隣とあって、
昼休みには、
まだ新入生気分の抜けない
一年子の男子たち6人の一個連隊が
なだれうって来て
「カウンセラーって、何ですかー?」
と笑いながら入ってきた。

どうも、
かまわれたがってるようだったので、
あれこれツッコミを入れてやったら、
みんな笑い転げて
(女の子たちみたいだなぁ…)
と面白がってイジっていた(笑)。

そしたら、
始業の鐘が鳴り、
女のセンセが廊下から
「あなたたち、もう授業に行きなさい!」
と、一喝するように
追っ払ってくれて、
「すみませんでした。
勝手に入ってきたんですかー?
あの子たちいつも
あんな感じなんですぅ…」
と申し訳なさそうだった。

でも、
昼休みにグランドで
三々五々、遊びに興じている
健気な子どもたちの姿を見てたら、
(この子たちの、
メンタル・ヘルスを
自分は担ってるんだなぁ…)
という職業意識を
再認識するような気がした。




睡眠障害で
メンタル・クリニックの
ドクターに紹介した3年生が、
そこから、さらに、
スリープ・クリニックに紹介され、
様々な検査を受けて
その結果シートを持参してくれた。

昨年来、
不登校傾向と抑うつ症状があって
13時間もの過眠が見られたので、
「うつ」に拠るものと思っていた。

主治医も抗うつ系薬を処方し、
その後、9時間まで過眠が改善し、
意欲も向上したが、
いまだに、寝起きの不調感を
訴えているので
専門医にリファーしてくれたようだ。

スリープ・クリニックで
ウェアラブルな万歩計を付けて
就眠中の変化を解析したら、
一晩に十数回もREM状態になっていて、
明らかに睡眠相の異常が判明した。

これから、
抗うつ薬を断薬した後に
入院して精密検査をするという。

一年以上、
母子でカウンセリングしてきた
3年の受験生なので、
なんとか完治して、
高校生になってもらいたいものである。




M2(院2年)のナッちゃんが、
コロナ禍のせいで
海外留学を諦めて、
終活のために
家から東京に出かけていった。

なんだか、
3.11の時に教員採用試験が中止になり、
仕方なく一般企業に就職した
フミのことを彷彿させられた。

1000年に一度の周期的な
巨大地震と巨大津波により
原発爆発まで起こり、
大災害になってフクシマは
社会が一変した。

「なんで、僕らの時に、
こんな事、起こるんだろう…」
とアキかナツが言っていたが、
「それを一生かけて
考えるのがお前らの人生だ…」
と言った覚えがある。

これと同じ疑問を
つい先日もカウンセリング中の
生徒に問い質された。

応えは同じであった。

そう…。

「運命」「命運」というように
「命」は「運ばれている」のである。

望んで、自分の意志で
この世に生まれてきた人は
一人もなく、また、
死にたくないと思っても
絶対に死なさせる…。

これ以上の
不条理・理不尽はない。

それを意志でもって“生きる”のを
人生と言うのだ。



録画していた『鉄道員』を観た。

大学時代に
リサイタル・プログラムに
その主題曲を入れたので
一度、視て、その世界観を
編曲に生かしたはずなのだが、
「スト破り」したことと
最後、ギターを弾きながら死んでゆく
主人公のことしか覚えていなかった。

なにせ、
40年前に一度見た切りで、
56年のイタリアのモノクロ映画なので、
血気盛んな大学生の頃には
あまり面白くなかった
という感じだったように思う。

なので、今回は、
あれから40年の歳月を生きてきたので、
作品の重みや渋みを味わおうと
心して鑑賞した。

そしたら、
やはり、これは名作であるなぁ…
と思った。

いったん崩壊した家族が
最後に和解するという
とりあえずの“予定調和”ではあるが、
なにせ、頑固親父だった主人公は
病に倒れ、娘と再会することなく
ギターを弾きながら
眠るように死んでしまう…
という哀れな話である。

この類の話では
『穢れなき悪戯』のマルセリーノ、
『フランダースの犬』のマルコ、
の終焉をも彷彿させる。



リサイタルのプログラムに
記したはずだったが、
どうしても作曲者を思い起こせず、
クレジット・タイトルで
「カルロ・ルスティケリ」とあり、
(あーっ!! そーだったぁ…)
と思い出した(笑)。

劇中の要所・要所で
ギターで演奏されたこの曲は、
やはりよく出来た名曲である。

今も、弾こうの思えば
すぐにでも弾けるので、
今日あたり、ちょいと、
懐かしくさらってみようかと
思っている。

いちおう、まだ、
楽譜庫には、
当時の編曲したものが
残っているはずだが、
今なら、即興でも
いくらも編曲できそうである。





台風一過

2020-09-07 07:09:00 | 季節
「これまで経験のない…」とか
「風速85m」…と、
大騒ぎで最大級の警戒を
促していた台風10号だが、
今の処、被災死者が出た
というのは聞いていない。

よほど、
事前避難が徹底されたのか、
幸いなことには違いないが、
停電があったのみで、
土砂崩れも河川氾濫も
なかったようだ。

そういう意味では、
史上最大級と喧伝されて
この程度の被害では、
“オオカミ少年”心理で
通常規模の台風で油断して
かえって甚大な被害が
出る懸念があるかもである。

地震と津波の関係でも、
毎回ごとに高台に避難しても、
“空振り”が続くと、
オオカミ少年と同じくなり
思わぬ時に避難を
逸してしまうのである。




昨晩は、
ご神前のご祈念で、
毎日の「コロナ終息祈願」と共に
「台風の無事祈願」をしたので、
神様にお礼を言うのが先だったが、
なんだか、オオカミ少年のほうが
先に思い浮かんでしまった。

地球の気候変動で、
今回のような920hPa級の
スーパータイフーンは
これからもちょいちょい
発生するだろう。

今朝方には、
地震があったが、
災害は複合した時が
壊滅的な被害をもたらす
ということを、3.11の
「大地震・大津波・原発爆発」
の被災者として身に沁みて
痛感している。

今回も、避難所では
感染クライシスという
剰余「変数」があった。

方程式同様に、
x.y.zと変数が増えるほどに
事態は厄介なことになるのである。




今朝の朝刊で、
デーケン先生の訃報を知った。

「Thanatology(タナトロジー/死生学)」
の第一人者であられた先生である。

河合先生や狐狸庵先生との対談を
よく聞いたこともあり、
クリスチャンの曽野 綾子との
『往復書簡』も興味深く読んだ。

流暢な日本語で、
優しい語り口の
ジェントルマンであられた。

地元にも
「生と死を考える会」が
あったように思うが、
それを発足させてのが
デーケン先生である。

多くの事を先生から
学ばせて頂いた。

ご冥福を祈りたい。




職場にも常に持参する
システムノートの巻末には
ソーちゃんの「二冠達成」時の
新聞切り抜きが貼ってある。

その周りには、
オキニのコミックに入っていた
『山と食欲の私』のシールを
コラージュふうに囲んでみた。

今では、
その空白部分には
YouTubeで勉強した
「美文字の法則」を
ぎっしり書き込んである。

これを手本にして、
仕事の隙間時間に
反古紙の裏に
黙々と練習する。

【練習は裏切らない】
ということを
ギターやピアノ練習でも
体得しているから、
小林 秀雄の箴言を受け
「これを信じ、これを愛し、
これを楽しむ」ようにしている。





スーパータイフーン

2020-09-06 07:35:00 | 季節
九州に、かつてない、
スーパータイフーンが
接近している。

一時は、85mの風速で
吹き荒れる可能性がある…
とのことで、
昨日の沖縄の
ホテル支配人は、
「無事に、明日の朝を迎えたい…」
と語っていたのが
心に響いた。

昨日の朝刊コラムでは、
時速換算で288㎞/hというんで、
それは、新幹線の屋根に
しがみついてるような状態だ
と喩えて、その凄まじさが
想像できた。

誰もが、日常・平常は、
「明日の朝も、無事に目覚めるだろう」
という希望的観測で
前夜に就床する。

しかし、
阪神大震災では、
未明の5時46分に
6400人もが亡くなった。

あの折、生徒たちには
「明日の朝死ぬ、と思って寝た人は、
一人もいなかっただろう…」
と語って聞かせた。

そして、
人生は一歩先・一秒先には
何が起こるか判らない、
理不尽な事・不条理な事は
人生にはなんぼもある…
だからこそ、まだ来ぬ未来や
もう無い過去に捉われることなく、
まさに「今、ここ」に
生命のエネルギーを
燃焼させなくてはならないんだ、
とも教え聞かせた。

その後の3.11には、
2万人もが超巨大津波で
亡くなった。

翌日の2時46分に、
自分の人生が終わるとは
誰もが想像もしなかったことが
現実にはそれぞれの身に起こった。

66歳で惜しくも亡くなった
名優の大杉 漣さんは、
「人生は、TVドラマのように
都合のいい予定調和なんかないんだ」
との名言を残された。

世界で80万人も死んでいる
コロナ禍とて
今もって先行きが見えぬ世界が
眼前に展開している。

180万種もあるという
ウイルスのうちの
たった一種に対してさえ、
その検査体制やら創薬が
早急に対応できないのだから、
文明の進歩やAIの進化を謳っても
高が知れている。



台風10号の超発達は、
発生箇所とその進路の海域が
なんと30℃もの海水温だというから
驚いた。

CO₂温室効果による
大気の温度上昇が
排出量に正比例して
右肩上がりではあるが、
若干のラグがあり
その分の熱は
「母なる海」が吸収して
地球環境にホメオスタシス(恒常性維持)を
もたらしいてるのである。

しかし、いかなカーチャンとて
30℃まで発熱しては、
その母体から
大量の汗の湯気に匹敵する
水蒸気を大量蒸散させな
しゃーないやろう。

J.ラブロックが
「地球ガイア説」を説いて久しいが、
“地球生命体”も病みつつあり、
この夏も40℃超えが日本各地にあり、
アメリカでは50℃超えの地もあった。

地球規模の高温化で、
積乱雲が大量発生して落雷が多発し
世界中でかつてない規模の
山火事も発生している。

そして、
“モア・ワース…”なことには、
これにより、炭酸同化を担っている
植物相が益々減少して
グリーンハウス・エフェクトを
悪化させるという悪循環に陥っている。

海洋の植物プランクトンも
海温上昇により
死滅しつつあるそうな。

…ほんに、
これほどまでに
地球を壊滅させてきた人類は
いっぺん滅んだ方が
いいんじゃね…
と、悔い改めたくなるような
暗澹たる気分である(笑)。

(_ _。)・・・ハァ~




最近の密かな楽しみは、
爺ちゃん・婆ちゃんがやってる
滅びゆく「昭和食堂」を
順繰りで訪ねることである。

今日も今日とて、
朝の10時に開店する
郊外の店の“口開け時”に
休日のブランチに行こうかと
思っている。

ここんとこ、
何軒かある店を
ラーメンは試食終えたので、
炒飯・カツ丼・餃子定食の順で
食べ歩いている。

店主の老齢化に伴い、
『佐川』や『月美』など
次から次へと立て続けに
「昭和食堂」が
暖簾を下ろしているので、
ノスタルジーに浸る意味でも
“追っかけ”をしている。

壁に掛る「品書き」が
なんとも「昭和チック」で
懐古趣味を満喫させてくれるものである。



マーラーの『4番』を勉強すべく、
スコアをプリントアウトしたが、
なかなか、暇と“やる気”が
一致せずに、ついつい
先送りにしてる。

そのくせ、
毎朝、ブログを書きながら
全曲を繰り返して
3回くらい聴いている。

今日あたりは、
そろそろ、
スコア・リーディングを
したいと思ってるのだが…。




去年で、
6年続いたリサイタルが終了して、
この1年半ほどは、
練習ノルマやマネージメントに
追われる気ぜわしさもなく、
のんびりと自分の楽しみだけに
音楽する時間が持てている。

最近では、
なんだか、いやに、
久石 譲のジブリ物の劇伴が
脳裏に旋律となった流れ、
それが気になってピアノ独奏譜に
編曲している。

昨日も、
トトロのサウンド・トラックにある
『まいご』のメロディーが
脳内に流れるので、
“音楽脳”が
やりたがってるんだと思い、
ギター譜から移調して、
あーでもない、こーでもない、
と楽しみつつ編曲を仕上げた。

涼しくなったら、
Y中体育館のヤマハC3グランドの
“悦ちゃん”(愛称)で、
歌わせてみたいと楽しみにしている。

そしたら、
今朝方は、
「となりの、トートロー♪」
というメロディーが浮かび、
(えええーッ!?)
それも、やれってかーっ…
と、音楽脳に向かって
「あんたも、好きねぇ…」
と、カトちゃんの
“ちょっとだけよ”の
セリフで呆れる
もうひとりの自分がいた(笑)。

あたしゃ、
多重人格者なんかねぇ…(笑)。





最近、
『コロンボ』の再々再・・・放送を
味わうように鑑賞している。

すると、
散々観た気でいた作品でも、
まだまだ味わい深い箇所があり、
古典名作の素晴らしさを
再発見したような気でいる。

毎回、音声切り替えで
英語で聴いて
勉強素材にも利用している。



久しく、
ソーちゃんの棋戦がなかったので、
そろそろ、離脱症状がでそうだったが、
いいあんばいに、
今週はオフ日の木・土に
棋戦があるので、
シャブ中患者はホッと
胸をなでおろしている(笑)。

先日の『特集』での
ソータが見せた
相手を睨む一瞬が
鬼気迫る眼力があって、
なんだか背筋がゾッとした。

普段は温厚、脱力系の
高校生だが、
「盤上の鬼」
と棋士たちには怖れられている。

かつての、
羽生永世七冠も
「ハブにらみ」という、
まるで毒蛇を想わせるような
睨みを対局中に無意識にする
というので相手に恐れられていた。

やはり、超天才には
どこか共通の
スタイルがあるのかもしれない。

時折、「AI越え」「神の手」
と称されることもあるソータに、
最終盤にこんな睨みをされたら、
気弱な相手なら、
あー…もう、読み切られている…
と観念して
投了してしまうかもしれない。

実際に、
「詰むや詰まざるや」という局面で
ソータの指し手が
ノータイムで早くなると、
解説者をして
「あぁ…、これは、もう、
完全に読み切っている指し手ですね」
と言われ、
対局者も「負け」を悟りながら
棋譜を汚さないための
形作りに入ることがしばしばある。

その直前に、
この眼力を飛ばされたら
「あなたはもう詰んでます」
と宣言させたようで、
ビビッてしまうだろう。

全くもって関係ないが、
高校時代の国語で習った
「起承転結」の例文を想い出した。

 京の五条の糸屋の娘 
  姉は十七 妹十五
    諸国大名 弓矢で殺す
     糸屋の娘 眼で殺す

(´ε`●) タハハ…