回復休暇中である。
オフ日をいいことに、
社会復帰のための
安静をかねて
日がな一日
寝転がって読書している。
職場を離れて
この十日ばかりで
ずいぶんと読んだ。
幼少期に永らく
入院生活をしてたが、
それを家に置き換えての
自宅療養生活も
十日も続くと
さすがに社会性が
喪失してくるような不安が
ないでもない。
でも、
仕事にせよ、趣味にせよ、
何事を為すにも
「体(たい)が元なり」
である。
元の気である処の
「元気」にならにゃ
家からの一歩が踏み出せぬ。
ありがたいことに、
自宅療養でも、
SNSやメールで
友人・知人から
お見舞いを頂く。
セミ・リタイアメントの身ながら、
まだ社会には
いささかの未練がある。

療養中でも、
節分飾りをいつまでも
まんまにしておくこともできず、
桃の節句の飾りに改めた。
このために、
毎年、スーパー入り口の
催し物コーナーで、
おこしの菱餅を
百数十円で買ってくる。
神棚を整理して
檜木の三宝があったので、
今年はそれに
恭しく飾ってみた。
京立ち雛は、
長男が生まれる以前に、
京都大丸の
茶道具コーナーで
買い求めたものである。

正月頃から
長編小説を読み継いでいて、
そのディテールの表現と
作家ごとのレトリックの技に
感心しながら読み漁っている。
未読のまま
書庫に入っていた
中島らもの
『永久も半ばを過ぎて』は、
詐欺師物だが
あいかわらず作者の
フェティッシュな薀蓄が散りばめられ、
ワクワクしながら
頁を繰らされた。

らもさんの代表作で、
推理作家賞受賞作
『ガダラの豚』を読みたくなり
アマゾンに古書を注文した。
これも598頁もある長編で、
目くるめくような
ファンタジックな世界観が
展開されているようで、
絶賛レヴューが多いので
楽しみである。
***
カラダは順調に
回復途上にあるが、
映画や小説の世界に
かくばかりに
ドップリ浸っていて
いいのだろうか・・・という、
社会人としてのコモンセンスも
チラリと脳裏に浮かぶが、
「老い」と「病み」には勝てぬと
「半隠遁」爺様人格が開き直っている。
オフ日をいいことに、
社会復帰のための
安静をかねて
日がな一日
寝転がって読書している。
職場を離れて
この十日ばかりで
ずいぶんと読んだ。
幼少期に永らく
入院生活をしてたが、
それを家に置き換えての
自宅療養生活も
十日も続くと
さすがに社会性が
喪失してくるような不安が
ないでもない。
でも、
仕事にせよ、趣味にせよ、
何事を為すにも
「体(たい)が元なり」
である。
元の気である処の
「元気」にならにゃ
家からの一歩が踏み出せぬ。
ありがたいことに、
自宅療養でも、
SNSやメールで
友人・知人から
お見舞いを頂く。
セミ・リタイアメントの身ながら、
まだ社会には
いささかの未練がある。

療養中でも、
節分飾りをいつまでも
まんまにしておくこともできず、
桃の節句の飾りに改めた。
このために、
毎年、スーパー入り口の
催し物コーナーで、
おこしの菱餅を
百数十円で買ってくる。
神棚を整理して
檜木の三宝があったので、
今年はそれに
恭しく飾ってみた。
京立ち雛は、
長男が生まれる以前に、
京都大丸の
茶道具コーナーで
買い求めたものである。

正月頃から
長編小説を読み継いでいて、
そのディテールの表現と
作家ごとのレトリックの技に
感心しながら読み漁っている。
未読のまま
書庫に入っていた
中島らもの
『永久も半ばを過ぎて』は、
詐欺師物だが
あいかわらず作者の
フェティッシュな薀蓄が散りばめられ、
ワクワクしながら
頁を繰らされた。

らもさんの代表作で、
推理作家賞受賞作
『ガダラの豚』を読みたくなり
アマゾンに古書を注文した。
これも598頁もある長編で、
目くるめくような
ファンタジックな世界観が
展開されているようで、
絶賛レヴューが多いので
楽しみである。
***
カラダは順調に
回復途上にあるが、
映画や小説の世界に
かくばかりに
ドップリ浸っていて
いいのだろうか・・・という、
社会人としてのコモンセンスも
チラリと脳裏に浮かぶが、
「老い」と「病み」には勝てぬと
「半隠遁」爺様人格が開き直っている。