『人生を遊ぶ』

毎日、「今・ここ」を味わいながら、「あぁ、面白かった~ッ!!」と言いながら、いつか死んでいきたい。

  

Daily creativity

2018-06-27 05:51:00 | 風景
夜半過ぎに、
パラパラという
トタン屋根を打つ雨音で
目が覚めた。

25℃を下回らない
熱帯夜だったので、
寝室も開け放し
廊下も網戸になっていたから
雨音は両耳からステレオで
聴こえてきた。

その軽快なサウンドが
心地よく、
しばしまどろみながら、
また眠りにおちた。

今朝はまた、
すっかり梅雨空である。

***

夏休みでもないのに
オフ日が四日も続くと、
(さて、きょうは何すべぇ・・・)
となる。

還暦過ぎの
半隠遁生活は
人生の残り時間を気にしながら
日々を暮らしている。

「先生」という字は
「先ず、生きている」
とも読む。

特別に何かをせんでも、
とりあえず今日を生きてるだけでも、
よしとするか・・・と、
思わないでもない。

Doingより先に
Beingである。

「Daily creativity」
(デイリー・クリエイティヴィティ/
日々の創造性)
という造語も考えた。

オフ日に限っては、
今日をどう創造的に生きるか、
と朝に考え、

行動メモを書くことがある。

就寝前には、
メモを頼りに
為したこと、
初めてのこと、
良かったこと(☆印)なぞを
A4のスケジュール帳に
色分けして書き込むことを
20年ほど続けている。

電子版のブログには
2004年から
ほぼ毎日更新している。
http://happy.ap.teacup.com/applet/soulology/archive?b=180

「よく、毎日、書くことあるね」
と友人たちからは
半ば呆れもされるが、
書くことによって
頭に渦巻くものを
吐き出すことにもなるので、
厄年にうつ病を患って以来、
精神衛生のためにやっている。

それが、
10年を過ぎた辺りから、
書かないと気持ちがわるい、
という半ばAddiction(依存症)っぽく
なってきた。

でも、これもまた
「創造性」の一部だ
とも思っている。

話せて、書ける、
ということは、
プロのスキルとしても
必須のことと
意識して鍛錬してきた。

毎日を意識化して、
記録しながら生きていても、
一年は早く、一日は尚更に早い。





そろそろ七夕なので、
赤い短冊を斜(はす)に
飾ってみた。

八寸染竹花入に
庭の紫陽花を一輪
活けてみた。

短冊は自筆の
良寛禅師と
弟子の貞心尼との
初対面時の相聞歌である。

 君にかく相見ることの嬉しさも
  まだ覚めやらぬ夢かとぞ思ふ

 夢の世にかつまどろみ
  夢をまた語るも夢もそれがまにまに

良寛の
「夢のようにはかないこの世では
 成り行きにまかせたらよろし」     
という
脱力の生き方が好きである。

新潟の国上山に
五合庵という庵を結んでいた良寛も
1828年の齢七十一の折、
三条大震災に遭遇しており、
1400人余りの死者を出したその震災では
愛児を亡くした知人に
見舞いの手紙を送っている。

それには、
「災難に逢う時節には
災難に逢うがよく候。
死ぬ時節には死ぬがよく候。
是はこれ災難をのがるゝ妙法にて候」
と、したためてある。

なんという達観であろうか。

自然の摂理には逆らえない。
何事も受け容れることこそ肝要。
それが、災難を逃れられる
唯一の方法だというのだ。

「在る物みな美しく
 起こる事みな良し」
と言った先師もいる。

Anything is OK!!
(すべてOK)
という「全肯定」の境地までは
まだまだ道遠し
我が生である。





先日の
新浜公園の水場で
戯れる幼女たちを
絵画化してみた。

これを額装して
カウンセリング室に
かざろうと思う。

来談者で
もし気に入った方が
おられたら、
差し上げようとも思う。







Eテレの『100分で名著』を
しばしば録画で見ている。

カミュの
『ペスト』シリーズも
面白かった。

家にある
世界文学全集の
未読だった原作にも
目を通してみた。

来週からは、
河合先生のシリーズが始まるので
楽しみである。

30年来、
全著作集を蒐集してきたので
書庫には208巻もの
先生の著作や講演音源がある。

どれも
暗記するくらい
何度も読み返し、
CDやテープは擦り切れるほど聞いたので、
先生の言葉や思想がしっかりと
我が血肉には入っている。

在京中は、
自宅の近所だった
アスニーで行われていた
セミナーに何年も通って
その謦咳に接していた。

教育分析のオファーをしたが
超多忙を理由にお断りされ、
先生のお弟子さんの先生に
四年間教育分析を受けた。

福島に来られた時には、
飲み会の席で
親しくお話しして頂き、
揮毫も頂いた。

また学会でも
出たばかりの自叙伝に
サインを頂戴したこともある。

お亡くなりになられてから
もう11年にもなるが、
どちらも今となっては
我が家のお宝である。

古書店では今、
「河合隼雄著作集 全25冊」が
十万円ほどで売りに出ている。

ただ、これは
単著の50冊分くらいしかないので、
全著作の1//4ほどの全集である。

やはり、
最低でも100巻以上読んで、
河合心理学とユング心理学に
ついて論じられるほど精通して、
尚且つ、臨床家としての
力量と表現力がなくば
「カワイアン」とは認めがたい。

今まで、
幾人ものお弟子さんがいたが、
これをクリアした人は
まだいない。

もしそれを成し遂げたら、
先生のサインを額装して
「カワイアン」の認定状と共に
遺品として譲渡しようとは
考えている。















コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 慰霊巡礼 | トップ | 六十肩?! »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

風景」カテゴリの最新記事