『人生を遊ぶ』

毎日、「今・ここ」を味わいながら、「あぁ、面白かった~ッ!!」と言いながら、いつか死んでいきたい。

  

金光、初勝利!!

2022-03-22 07:22:00 | 運動
お彼岸のきのう、
カミさんと共に
お墓参りに赴いた。

前日は、
叔父の葬儀だったので、
二日つづけての
祈りの日々である。




我が家の墓石は
幸いにも倒壊しておらず、
花入れがわずかに
ズレていたので、
それを直しただけだった。

随所で
倒れたり、
壊れたりしている
墓石を見るにつけ、
痛々しい思いがした。

花も手向けられていない
隣近所のものだけ、
ヴォランティア精神で
いくつか直してはきた。

まさに、
震度6の威力は
凄まじいものである。






墓所の信夫山から
その足で岳温泉に行こうと、
途中、びっき沼の様子を
見てみたが、先週、
訪れた時よりも
さらに積雪が増えていて、
溶けかかっていた水面も
また全面凍結していた。

これじゃ、
三月中のフキノト・ハンティングは
見込みがなさそうである。







リク坊も入った
「空の庭」で温まり、
金光大阪高の甲子園での
試合が始まる時間に
帰路についた。

そしたら、
山側からパラパラと
アラレ状の雪がフロントガラスに
あたり音がした。









金光教関連の学校として
3校目が新設された翌年に、
二期生から11年間、
担任教員を務めた
旧「金光第一高校」
現「金光大阪高校」
が、四度目の甲子園出場で
はじめて勝利でき、
卒業生や元同僚ともども
喜びを分かち合った。

大卒後、
地元の教採にうかれず、
女子高で2年講師を務め、
その後、一大決心をして
大阪の金光教関連の私学高の
採用試験を受けて採用された。

25から36歳まで
11年間を奉職し、
その後、帰福して
大学院に入り、
今日に至っている。

なので、
学校の黎明期を
過ごしたので、
金光教関連校ともあって、
自分にとっては
"第二の母校"のような
愛着がある。

退職後、
心理職となってからも、
PTA講演やら
教員研修でお呼び頂き、
光栄に思った事がある。






監督の横井君も
生物を教えた
教え子である。

現校長は
理科の仲間だった
サンマちゃんで、
学校本部長は
よく生物室にお茶呑みに来て、
我が家にも奥様と
遊びにこられた
イナッさんである。

どちらも、
教会ご子弟であられる。

イナッさんは、
京都でのサロンコンサートにも
わざわざ来て下さり、
講演会後には
ご丁寧な令状まで
頂戴した。

フェイスブックのブログも
よく見ていて下さり、
時折、コメントも下さるので、
有り難く思わせて頂いている。












寝室足元にある
大型テレビの前に、
観戦グッズ代わりの
菓子と飲み物を置いての
声援だった(笑)。

ちょうどお彼岸だったので、
買ってきたオハギを
3ケも頂いた(笑)。

しょっぱい煎餅と
交互にやると
「甘い」「しょっぱい」の
無限ループになってしまった(笑)。

勝利を決め、
甲子園で、あの懐かしい校歌を
退職してから
28年ぶりに聴いた。

創設期の当時、
この楽譜を見て、
よく書かれているなぁ・・・と、
さすがにプロの仕事に感心し、
音楽のシバタ先生が
声楽をやってらしたので、
カセットテープに吹き込み、
それにリバーブ(残響)を付け、
毎朝の放送で流したものである。

なので、
その歌は今でも唄える。

放送部顧問の
故・オオタニはんからは、
「何か、いい、朝のはじまりの曲」
を依頼されて、
珍しいモーツァルトの
『カッサシオン』という
おっとりした優雅な曲を
テープに録って渡したら、
以後、10年近く、
毎朝それを聴きながら
ホームルームに向かった。

*

二回戦も突破して、
もいちど、
甲子園に響く
あの校歌を
見聞きしたいものである。









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