goo blog サービス終了のお知らせ 

『人生を遊ぶ』

毎日、「今・ここ」を味わいながら、「あぁ、面白かった~ッ!!」と言いながら、いつか死んでいきたい。

  

表現者/遊芸者

2021-05-30 06:54:00 | アート
ホーム暮らしをしている
老母の分も
『エール・クーポン』の
引き換え券が来たので、
自分の分と合わせて
1万円で1万4千円分の
商品券を入手した。

なので、
4000円の臨時収入が
入ったようなもので、
こういう不労所得の"アブク銭"は
小遣いをもらった子どもみたいに
嬉しいものである。

少額であっても、
さぁ、何を買おうかしらん・・・
と時めくから、
チープな昭和ジジイである(笑)。

まるで、
いつもより10円多くもらって
胸をワクワクさせて
駄菓子屋に駆けて行った
幼い頃の喜悦感が
蘇ってくる。





そんなんで、
自分のパスタイム(気晴らし)
アイテムに欠かせない
漫画とCDをツタヤで買ってきた。

(ツタヤは、ジジイの駄菓子屋なのだ)

ε=ε=ε=ヾ(*。>◇<)ノ

『味いちもんめ』の
最新刊があったので、
650円で購入。

これは全81巻にもなる
ロングラン・シリーズ物である。

中古CDコーナーで
イタリア・バロック期の
サンマルティーニの
「後期・交響曲集vol.1」(2枚組)
を540円で購入。

エール・クーポンは
お釣りが出ないので、
いずれもワンコイン分として使う。

余禄の四千両より
千両箱ひと箱分を
購入にあてた。

こういう時、
ボンビー・シミッタレは
新刊マンガを150円で、
中古CDを2枚40円で買えた、
といって小躍りして
喜ぶのである(笑)。

それが、
人生をオモロく
味わい深くする
"こだわり"なのである(笑)。

だから、
あと、まだ、
三千両もある・・・と、
お大尽気分で、
こんだぁ、何買おう
とワクワクしている。

ワク ((o(^o^)o)) ワク





カミさんが
久しぶりに
飯野にある蕎麦の名店
「クルミノキ」に行きたい
というのでお昼に出かけてみた。

鄙には稀な人気店のため、
11時開店の半に着いたのに
もう満席で驚いた。

それでも、
十分ばかり
外の待合席で
日向ぼっこをしてたら
幸いにも着座できた。

もう
何度も来てる贔屓店なので
店内の雰囲気は
勝手知っており、
居心地がよかった。







ここは
セット物がないので、
ご飯少なめの
川俣軍鶏「とり天丼」と
「せいろ」を注文した。

土曜の晩は、
たいていご飯抜きの
軽い野菜のみなので、
昼にガッツリとした。

蕎麦はキレがあり
シャッキリポンとした
潔い味である。

とり天は
ツユに浸した
フンワリ柔らかな
食感と味で、
蕎麦と好対照であった。

蕎麦つゆは
幾分辛めだが、
蕎麦湯で割ってみると
ちょうどよさげであった。

いつきても、
何を食べても満足する
"鄙稀(ひなまれ)"の
佳いお店である。

子どもの頃から
蕎麦好きのナッちゃんも
カミさんと二人で
きたという(笑)。









帰路、何年かぶりに、
千貫森のUFO館に寄ってみた。

10年の川高勤務時代、
よく、帰りに寄っては
リサイタルの野外練習をした
懐かしい場所でもある。

眼下に見下ろす
初夏の新緑風景が
絶景であった。










隣接する公園には
ちょっとした遊具があり、
それを見るや否や、
「りくぼうを、遊ばせてやりたいねぇ」
とジージ・バーバ・モードになり
愛孫の遊び興じる姿を想像しては
気持ちをホンワカさせていた(笑)。

きのうは
りくママの
ミカちゃんの誕生日だったので、
カミさんとそれぞれ
祝福メッセージを送った。

フミひとりだけが
先発で大阪に単身で転勤し、
母子はまだ東京にいて、
来月には、いよいよ転居して、
また親子三人の
新生活が始まる。

フミは京都生まれで
5歳まで育ったが、
その関西で
初孫がまた育つのか…
と思うと、なんだか
不思議な地縁を感じる。
















蕎麦屋の帰りに、
ミニストに寄って、
カミさんはすでに
賞味済みという(笑)
新発売の
「キャラメルマキアートパフェ」
を味わってきた。

コーヒー味のプリンと
定番のソフトクリームに
キャラメルソースという
凝ったデザートで
なかなか満足するものだった。












自分は、かねがね、
表現者/遊芸者でありたい、
と思って生きてきた。

また、「一家言」を持つ
臨床家でありたいとも思っているし、
教員経験者として
教育家でありたいとも思っている。

臆面もなく厚顔無恥にも
自称「家」を多用して
自分のアイデンティティ形成を
図ろうとしてきた。

曰く、
ギターを弾くから
「音楽家」
料理が好きだから
「料理研究家」
自家本製作をしているので
「著述家」
「製本家」
製作販売もしたので
「古楽器製作家」
・・・といった具合である。

「茶道家」だけは、
さすがに
偉ぶり過ぎてるような
気後れ感があり
これだけは軽く
「茶人」としている。

食べ歩き趣味を
「美食家」というのも
気取っているようで
これも嫌である。

永年の信仰を持ち、
研究の対象として論文・
著作もしているので
「宗教研究家」
でもあるかもしれない。

自分は、
あらゆる表現手段を使って、
全人的に「表現者」で在りたいと、
常々思っている。

その姿は、
もうひとりの自分の目には、
涙ぐましくさえ感じている(笑)。

ほんとは、
もっともっと、
世間から見たら、
そこまでやるのは
「狂気」では?!・・・と、
思われるくらいまで
やりたいのだが…。

やはり、
世間体やら外聞という
社会的見栄に抗しきれない
自分の惰弱さに
忸怩たる思いを抱いている(笑)。

徹底して
「自分を生きる」という事の
なんと難しいことよ。

誰しも、
その限界を超えられず
世間の人として
生涯を終わるのである。

"限界超え"というのは、
ゴッホのように耳を切り落とし
ピストル自殺して果てるような
苛烈な"炎の人"的な
生き様なのかもしれない。

だからこそ、
その作品には彼の生命エネルギーが
宿っているのだろう。


「表現者」たらんとするのは、
ユング的に見れば、もう一つの
内的人格とも言える。

残り時間の少なくなった自分には
もはや到達しきれないかもしれないが、
デッド・エンド、
タイムアップまで、
理想の境地に近づいていきたい
とは思っている。

世間体なんて
くそ喰らえ!!
そんなもんイヌにでも
喰われてしまえ!!
・・・と、声を大にして
叫びたいのだが…(笑)。

「表現したい」
という、この純粋な
衝動性のようなものこそが
「自分」そのものなのである。


最新の画像もっと見る

コメントを投稿

サービス終了に伴い、10月1日にコメント投稿機能を終了させていただく予定です。