『人生を遊ぶ』

毎日、「今・ここ」を味わいながら、「あぁ、面白かった~ッ!!」と言いながら、いつか死んでいきたい。

  

働かないアリ

2016-02-17 08:08:00 | マンガ
先日の
20℃の陽気から一転して、
今朝は、ちらほらと
雪が舞うほどの寒さである。

体調管理には
十分に気をつけないと
体がもたないほどの
寒暖差である。

今日は、
学校オフ日で、
自宅にご新規のギターレッスンの
生徒さんが来られる。

まったくの
初心者であられるとのことで、
高校生に教えている教材を揃えて、
楽しみにお待ちしている。

永年の生物学と心理学の
教員歴もあるせいか、
どうも“教える”のが
好きみたいである。



北大の進化生物学チームが、
「働かないアリ」の研究論文を
海外ジャーナルで発表したという。

アリの集団には
「働かないアリ」の一群が
一定数(2-3割)存在しており、
それらを除外して
「働くアリ」だけにしても、
また一定数の「働かないアリ」が
生じてくる。

また、「働かないアリ」だけを
抽出して集団を形成すると
「働くアリ」が生じてくる。

今回の発見は、
「働くアリ」が働けなくなったとき、
「働かないアリ」が働きだす、
ということと、
全てが「働くアリ」の均質集団は
「働かないアリ」を有する不均一集団よりも
集団存続の確率が低い、
ということである。

「一億総活躍社会」という時、
みんなが頑張り過ぎると、
それこそ“裏イソップ物語”じゃないが、
「アリさんは、
 過労で全員死んじゃいました」
ということになりかねない。

連ドラの『あさが来た』の
新次郎はんみたいに
「何もしないことに全力を尽くす」
というのを地でいっている
遊軍的存在は、進化生物学上、
必要な存在なのである。

賢治の「でくのぼう」
良寛の「大愚」
一休の「風狂」は、
ある意味、「トリックスター的遊民」で、
日常性に生きる労働者とは対極的、
且つ、相補的な存在としての
非日常性に生きる非労働者の
姿なのであろうか。

漱石の描いた「高等遊民」は、
根っからの口先だけの
ひ弱なインテリという感じが
しないでもない。




ツタヤで借りてきた
『いぬやしき』が
「シュール・不条理・カタルシス」路線で
なかなか面白く読めた。

現在、5巻まで出ているが
この物語の帰結が
注目される。





FM『日曜喫茶室』で40年来、
司会を勤めてきた
はかま満緒が、昨日、
自宅で急死したと、
今朝のニュースで知って驚いた。

78歳の高齢でもあるので、
心臓発作か脳溢血かもしれないが、
先月の『日曜喫茶室』も
聞いたばかりだったので、
人の呆気なさを
今更ながら感じずにはいられない。

一昨年くらいまで、
毎週、放送だったのが、
次第に隔週になり、月一になり、
“はかま”の声もトーンが下がり
ずいぶんと淀むようになってきた
と感じていた矢先である。

天才落語家の談志家元が、
人間、死期が近づくと
声に淀みが出る、
と言っていたが、
まさしくその通りであった。

30年来、毎週、
放送をカセットテープに
タイマー録音して、
出退勤中の車内で
楽しく聞き、それは
いい「耳学問」にもなっていた。





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