『人生を遊ぶ』

毎日、「今・ここ」を味わいながら、「あぁ、面白かった~ッ!!」と言いながら、いつか死んでいきたい。

  

蓮の花

2019-07-28 05:06:00 | 風景
二日続けての晴天と
30℃を超える夏日になり、
こりゃ梅雨明けだな…と、
思ってたら、今朝は、
台風崩れの低気圧で雨降りである。

今週から、
35℃超えの猛暑日が続きそうで、
いよいよ、盛夏来たれり…
となりそうである。

熱中症には
厳重警戒せねばである。

幸い、
20年物のエアコンも
クリーニングしたせいで
臭いもなくしっかり機能してくれている。






久しぶりに晴れ渡った昨日、
(そうだ。ビオパークに行こう!)
と思い立ち、
車に冷房を効かせて
熱さにもめげずに出かけてきた。

近くに迫ってくる
吾妻山・一切経は
夏山の風情である。

期待のハスは
まだ七部咲きだったが、
それでも涼やかに水面(みなも)に
咲き誇っていた。

***

♪どぶに落ちても
  根のあるやつは
   いつかは蓮(はちす)の花と咲く♪

・・・は『寅さん』の主題歌である。

良寛の唯一の弟子であった貞心尼は、
『蓮(はちす)の露』に、
師との相聞歌を残している。

 はじめてあひ見奉りて  貞心尼

  君にかくあひ見ることのうれしさも
   まださめやらぬ夢かとぞ思ふ

 御かへし    良寛

  夢の世にかつまどろみて
   ゆめを又かたるも夢もそれがまにまに

聡明美人として
評判の高かった貞心は、
三十才にして齢七十の良寛に出逢い、
互いに一目惚れのように魅かれ合う。

その臨終に際しては、
かけつけた貞心の手を取り、
涙をこぼしながら、

 いついつと待ちにし人はきたりけり
  いまはあひ見てなにかおもはむ  

と喜びを現し、
貞心は、

 生き死にのさかひはなれてすむ身にも
  さらぬわかれのあるぞかなしき

と返歌した。

僧侶どうし、
聖人どうしでありながら、
生身の人間の情感が溢れており、
それでいて性愛を超越した
ロマンチック・ラブが観られるのは
日本人としては稀有な関係である。

良寛は辞世に・・・

 うらを見せ
  おもてを見せて
   ちるもみぢ

と告げて瞑目したという。

薄紅色と白い蓮が
寄り添うように咲いているのを見て、
四十も離れたふたりの
淡い恋心を羨ましく感じた。






リサイタルで使っていた
CD用ポップの額縁が
大量に用済みになったので、
ファイルしていた写真や絵を
額装してみた。

2000年5月5日に、
弁天山と阿武隈川での釣り人を
スケッチしたものがあったので、
児童画みたいに稚拙なれど
タイムカプセルのような興趣があったので、
飾ってみた。

裏磐梯と曾原湖の
パノラマ写真も
アルバムにあるよりも
額装して日々ながめたほうが
心の糧になりそうである。






他界して
すでに5年経つ
パコの17才から21才頃の
古い録音を毎日聴いている。

晩年の66才頃には、
もう、その頃の原型は失われていて、
「モデルノ」(現代スタイル)の嚆矢として
フラメンコ・ギターを進化させてきた
完成形に到達していた。

今の若いギタリストは
皆そのパコのスタイルを踏襲している。

でも、正直、
フュージョン化したあまり、
伝統的な旋法やコンパスが
駄々崩れになってるのは
ちっとも好きではない。

先日、東京の専門店の主人と
電話でそんなハナシをしたら、
「そんなのは、フラメンコを
理解してるとは言えない」
と憤慨されてしまった。

ま、「売り手」側としては
ドガチャカで何でもありの
「モデルノ」を否定されては
商売にならないのかもしれないが、
フラメンコだって純然たる
「クラシック・ファン」がいても
よかろうと思う。

最近になって、
ハビエル・コンデや
グリシャ・ゴリャチェフなどの若手が、
ものすごいテクニックと音楽性で
パコやサビカスの名曲を
演奏しているのは、
クラシック・フラメンコのファンとしては
嬉しい限りである。





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